お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記 -4ページ目

お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記

2011年4月お父ちゃんが肺がん宣告されました。
かわいい娘のためにも、前向きにがんばる家族の日記です。

整理と言ってもお父ちゃんの遺品整理には、およそだまだ到達しそうにありません。


我が家は夏から時間が止まったまま。


お父ちゃんの外泊に合わせて、ひめの誕生日パーティの飾りつけをし、

在宅看護のためにリビングのものを一気にどかして電動ベッドを入れ、

またそれをどかしてお葬式の準備。


何がどこにあるやらすっかりわからなくなってしまいました。


扇風機は出てるし、私の冬服はないし・・・汗


とりあえず、お父ちゃんの入院中の荷物を片付け、

家に残っていたオキノームなど、間違ってひめが口にでもしたら恐ろしそうなお薬だけ、

即効に処分しました。


お父ちゃんの物もだんだんに片付けていかなきゃな~とぼんやり眺めたけど、

もともと物欲がなく、お金を使うといえばチューハイぐらいだったので、

私の思い入れのないものを処分しようと思えばあっという間に終わってしまいそう汗1


ひとつ困ったのは、もうひとり子どもが生まれたら。。。ととってある

ひめのおさがりたち。


先日ひめの同級生に赤ちゃんが生まれたので、冬服などを少しあげようと思ったけど、

なんだかやっぱり思い入れがあって、

ひとからもらったものなど、自分の中ではどうでもいいと思っているものしかあげられず、

こちらの処分もまだまだ時間がかかりそうです。


ひめの子ども、つまり孫にまでとっておいたら嫌がられるだろうしなぁ。

昨夜の様子が心配で、朝ひめが幼稚園に出かけた頃に連絡もらえるよう

義理姉にお願いしてありました。


睡眠剤も痛み止めも効かず、2時間ぐらいしか眠れなくて、

ひっきりなしに看護師さんを呼んでいたそうです。


私は義理姉と交代できるようひめのお泊りセットを持ち、

腹水でパンパンに膨らんだおなかを隠すための甚平を2着持って、

ひめの幼稚園にお迎えに行きました。


幼稚園の先生もほんとうによくしてくださって、

その日は落ち葉を拾い、上からあてた紙にクレパスで葉脈などを写し取るという製作をしたそうで

たんにん 「お父ちゃんのお見舞いに持って行きたいというので、一番大きい葉っぱパウチしておきましたよ」

教室の壁面に飾る製作物から、ひめだけ特別に一枚持たせてくれました。

それだけでなく、病院にいる間退屈しないようにと、工作セットをひととおり持たせてくれて、

あたたかい先生方に恵まれて、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいになりました。


3時すぎ病院に着くと、お父ちゃんは痛みと息苦しさと格闘中でした。


でもひめの顔をみると、微笑んで


マスオ  「来てくれたんや~ありがとう。ごめんよ~お父ちゃん病気治ったら抱っこしてやるからな」


その言葉には、深い意味がありました。

お父ちゃんは今まで、「体イタイイタイだから、抱っこしてやれないわ。ごめんよ」と言うことはあっても、「治ったら抱っこしてやる」なんて、できない約束を口にすることはありませんでした。


ひめがお父ちゃんのために作ってきた葉っぱを渡すと


マスオ 「ありがとう。遊びに連れてったって」


とデイルームに促します。

やっぱりどんなに苦しんでいても、お父ちゃんです。

病室では騒げないので、デイルームで自由に遊ばせてやってというのです。


サザエさん 「昨日はねSちゃんのおうちで夜おうどんご馳走になったんだよ。お友達のお家で夜食べたの初めてだったから、すごく喜んでたよ」


マスオ 「そうか~いいねぇ」


ひめが義理姉と病室を出たところで、私からお父ちゃんにお届けものがありました。

本当は自宅で渡せるように用意していたのですが・・・


それはひめへのお誕生日プレゼントプレゼント

お父ちゃんとひめが約束していたレゴフレンズシリーズのビューティーサロン

9月末の外泊のとき、帰り道に買おうねと約束していたのですが、

てんかん発作で外泊できなくなり、

駆けつけたときには、

マスオ 「お父ちゃんのこの点滴が取れたら買いに行こうな」

という約束になり。


このままお互いの心残りになるのではと思い、

こっそり私が用意したものです。


サザエさん 「お父ちゃん、これ約束していたお誕生日プレゼント。渡してあげてくれる?」


マスオ 「俺ちゃんと誕生日とか、大事なこと忘れてないか?ちゃんとお祝いしてやれなかったもんな~」


ひめに「お父ちゃんが何かいいものくれるって」と呼んでくると、

大喜びでお父ちゃんからプレゼントを受け取りました。


レゴでしばらく遊んで、「ねえねの家にお泊りする?」と聞くと、

ひめは珍しく「いや」と言ったそうですが、

「ねえねが帰るから、電車に乗っておうちに遊びに行こう」

というと、その気になり、遊んでいるうちに自然にお泊りになりました。


その後の私とお父ちゃんは、なかなかのしんどさでした。

緩和ケアチームが入ったおかげで、昨日よりは痛みがややマシとのことでしたが、

私がひと息つく間もないくらい、水・ベッドの上げ下げ・体の向き替え・薬・・・

ときどき足も痙攣していました。


でも極めつけは「恐怖」

マスオ 「手握ってて」

切ないくらいの弱気な言葉でした。


だんだんに余命というものを感じ出したこの1ヶ月ほど、私は意識的に帰り際、手を握っていました。

私がひめを出産したとき、予定帝王切開でしたが、麻酔がちょっと弱かったようで、

おなかから出るまではなんとかがんばったものの、痛みに耐え切れず、

病室に戻ったときうんうん唸りながら、何も言わずにあげた左手をお父ちゃんが握ってくれて。

「ああ、この人となら何があってもがんばれるな」

そう思ったから。


嚥下も弱まっていて、一口ずつお水を飲むのが精一杯。


幻覚もあって

マスオ 「向かいのベッドの天井にイモリが2匹いる」 というので

サザエさん 「あらバリ島みたいだねぇ。また行きたいねぇ」

神奈川と兵庫という、絶対に出会うはずのない2人の出会いを作ったバリ島の思い出話になったり、


マスオ 「結婚式の準備は?」

サザエさん 「もう私がしたから大丈夫だよ」


なんて会話も飛び出しました。


でもひとつひとつに

「オッケ~ok」 「サンキュ~akn」

もがき苦しんでいても、お父ちゃんの根幹はどこまでも変わりませんでした。


緩和が少しうまく働き出したのか、昨夜よりはまとめて眠れていました。

でも夜中咳き込んだかと思うと、たんが気道に詰まったのか、呼吸が少しおかしくなり、

バキュームで吸ってもらいました。

その後も自分の唾液が気道の方に入ったようで、

N先生が「自分の唾液が飲み込めなくなって、呼吸がとまってしまうこともある」と言っていたのを思い出しました。


息苦しいのも、吸いとってもらうのも、どちらも究極の苦しみで、

「助けて。もう楽にさせて」と言われたときには、

がんばって欲しいけど、こんなにつらい「がんばれ」って言葉はなくて、

でもあたりが白々と明るくなってくると、なんとか無事に朝が迎えられたことに少しほっとしました。






今日はH医大病院病院へ入院費の清算に行ってきました。

振込みでもよかったんだけど、先生にお願いしたい書類があったのと、

ドッタバタの退院だったので、入院中の荷物を整理していたら、

セイフティボックスの鍵を持ち帰っていたことがわかって・・・汗


それにいろいろ相談にのってもらった師長さんに会えたらな~と思って。


あんなにお父ちゃんが苦しんだ場所に近寄るのもいやなのかなと思ったけど、

やっぱり病棟は今までと変わりなく、

この闘病生活の1年半、面会とか、お見舞いという感覚ではなく、

お父ちゃんのことに遊びに行っていた、そんな感じなんだろうなと思いました。


お父ちゃんがお世話になっただけでなく、

ひめもいっぱい看護師さんにかわいがってもらい、

デイルームでリビングのように過ごしていたからな。


師長さんにお会いして、

「また会いたいけど、なるべくならここのお世話になりたくないね」

なんて話をしてきました。


そして今日はお父ちゃんの二.七日

義理姉夫婦が義理母を乗せて車(MPV車)お線香をあげにきてくれました。

四十九日の打ち合わせやお父ちゃんの思い出話をしながら、

楽しく夕飯を食べました。


ひめがわがままをいうと、義理兄がしかってくれるのですが、

サザエさん 「そんなことするとお父ちゃんが『コラっ』て言うよ」


というと


まるこ 「お父ちゃんは『コラっ』なんて言わないし~~~」


って確かにそうで、お父ちゃんは「うそをつくやつは、しばきたおす」とは言ってたけど、

ひめのこと怒ったりすることなんてなかったな~


ましてやがんとわかってからは、ひめのこと、目に入れても痛くないどころか、

「かわいい、かわいい」ばかりで、

完全にスタンスがおじいちゃんだったし。


でもこうして、自分がいなくなっても家族が集まって、

お父ちゃんのこといじり倒してるの

きっと喜んでるだろうならぶ2


そしてそして、ずっと買おうと思っていたブラックフォーマル

病院の帰りにやっと買いました。

お葬式ってあたりまえだけど、いつも突然やってくるので、

いつもこれしかないけどまあいいかってのを着ていて。


さすがに今回は四十九日で出番が確定しているので、

この機会に買っておこうと思って。

喪主を務めたときに着たかったけど。

みんながよってたかって「疲れが出るから・・・」っておっしゃるんで、

まったりのんびりやってたら、

ひめがおとといから目やにだらけになり、熱を出した。


眼科かな~小児科かな~まぁちょっと様子を見て呆然なんて思ってたら、

我が家の健康保険ってeh!!


そういえばお父ちゃんの会社から、

健康保険の資格喪失って書類が来ていたような汗1


あわてて役所に出向き、あれこれと手続きをしてきました。


さすがに一家の主が亡くなると、名義変更やらなんやら、

書かなければならない書類が山ほどあって。


これ私が先に死んでたら、お父ちゃんじゃできなかったろうな~なんてしみじみと思ってしまいました。


そして渡された一冊のパンフレット

「母子家庭にはいろんな支援がありますから、ゆっくり読んでみてくださいね」


はあ汗☆ 「母子家庭」か。

いまどきは「ひとり親家庭」って呼ぶそうだけど。


お父ちゃんが亡くなってからも、あまりに普通にふたりでやってきたので、

頭の中にある「母子家庭」って言葉の響きと、

現実の暮らしがあまりにも違っていて。


そうかぁ、わたしたちってば「母子家庭」って呼ばれるようになっちゃったんだなkomaru*

忘れてたっつーか、まったく気づいてなかった!!*


まあまあこれからも、まだまだ必要な手続きはいっぱいあって、

ぼちぼちやっていこうかな。そんな感じです。

退院が見送りとなった17日、午後から冷たい雨

お父ちゃんに会って、帰宅がまた延期になったことを謝りたかったけど、

病み上がりのひめもいるので、自宅で過ごすことにした。


介護用ベッドとエアマットに流れる空気音がむなしく響く。


義理姉が会社帰りに顔を見に行ってくれ、

私が会った日曜日からたった3日の間にも、病状が悪化していることを知る。


夜、眠れず、私が出した苦汁の決断は、

「残される者のことを考えよう」ということでした。


予定では今月末には残るひとつの胚盤胞を移植できる。

ただ、それは、お父ちゃんの命あってのこと。

ならば、そこまでなんとかがんばってもらうには、

緩和ケア病棟のある病院へ転院し、専門的な治療を受けることではなかろうか。


家に帰りたいというお父ちゃんの願いを叶えてあげたいのはやまやまだけど、

ひめのために兄弟を!という私たち夫婦の願いのためなら、

お父ちゃんは「うん」と言ってくれる、そんな人だ。


そのかわり、道中ちょこっと回り道をしてもらえば、家の前を通ることができる。

外観だけでもいい、「お家に帰ってきたよ!」と眺めることさえできれば。


18日朝、早速ナースステーションに電話をいれ、

師長さんに私の出した結論を伝え、即、転院先の病院と連携をとっていただく。


この日はくしくも三宮病院 今周期の移植の準備が始まる日。

先生に「もうサインができなくなるかもしれないので」と伝え、

いつもより先に同意書をもらい、お父ちゃんの病院へ駆けつけた。


いつもの場所に入っていくと、ベッドには別の人がいた。

お父ちゃんのベッドは、ナースステーションに一番近い、しかも一番手前のベッドに移動していた。

それはつまり、ナースコールが頻繁に押されていることを意味する。


たった4日ぶりだというのに、お父ちゃんの顔はもはや別人でした。

ウトウトしそうになってはハッと目が開き、

私がベッドを離れるときは、左手にナースコール、右手に携帯

マスオ 「これがないと不安でたまらないんや」


お父ちゃんはすでに、死ととなりあわせにいて、

少しでも気を抜いたら、魂を持っていかれそうな、

そんな恐怖と戦っているのだとわかりました。


主治医N先生にも私の意向を伝えると、

そこでやっとH医大病院の緩和ケアチームが動いたことがわかりました。


家に帰ることにこだわったせいで、

自宅でも引き続き使える薬という足かせをつけてしまったことに気づきました。

もっと早く緩和に切り替えていたら・・・

ここまで苦しまずに済んだかもしれない。


いまさら「たられば」を言っても仕方ないことだけど。


転院は来週月曜日に決まりました。

それでもリスト上ずっと後だったはずの予約を強引に動かしてくれたんだけど。

土日をはさむことにやや不安は残りました。

めちゃくちゃな希望はわかっているけど、即、明日の金曜日に転院できたら、

この局面ものりこえられそうな気がしたから。


心配なので、この日は義理姉がお父ちゃんに付き添ってくれることになり、

私は

サザエさん 「明日ひめを連れてくるから待っててよ」

と言い残し、近所の友達の家で待つひめを迎えに行きました。


今まで誰にもお父ちゃんの病気のことを話していなかったけど、

いよいよという段階にきたので、2人だけ、

ひめのお迎えなど頼らせてもらうことになるであろうお友達に話しました。

そのひとりのお家。


「もう寒いし、今から帰って支度じゃ大変でしょ」と用意してくれたなべ風おうどんを一緒に食べました。

ひめはお友達のおうちで一緒に夕飯なんて始めてのことで、とってもはしゃいでいました。

私も、お父ちゃんが発作で倒れてからというもの、

病院の往復や在宅看護の準備で、

外食だったり、お惣菜だったり、レトルトカレーだったり。

久しぶりに心も体もあったまる食事でした。


お友達に恵まれたことに、本当に感謝です。

慌しくお通夜・葬儀が終わりました。


親戚が集まり、幼稚園や近所のお友達もいっぱい来てくれて、

お父ちゃんに似て、にぎやかなことが大好きなひめは

2日間、いつもに増してのはしゃぎようでした。


悲しみを紛らわせるために、わざとしているようにも見え、

彼女なりに寂しさと戦っているのでしょう。


ずっと仮通夜から「お父ちゃん」という言葉を口にしなかったひめですが、

葬儀が終わった夜、ふとんの中でぽつりと

まるこ 「お父ちゃん、もうお月さまに着いたかなぁ」


サザエさん 「お父ちゃん歩いていったから、お月さま遠いしまだじゃない?*」


まるこ 「でもお着物に着替えて、チケット持ってたから大丈夫じゃない?*」


4歳児は4歳児なりに、この2日間の出来事をよく見ていたようです。


遺影はがんとわかる前、ひめが2歳のお誕生日の家族写真からとりました。

その微笑みがあまりにもやさしくて雄大で、

この人がもういないのかと思うと、涙があふれてしまうのですが、

ひめは悲しがる様子をまったく見せません。


でもお父ちゃんがもういないことは理解していて、

それでもお父ちゃんの祭壇に

まるこ 「おはよー」

まるこ 「幼稚園行ってくるね~」

まるこ 「おやすみ~電気消すよ~」

と声をかけています。


ほんとうにこの子のそばにはお父ちゃんがいるんだな~と感じます。


8月に入院してから2ヵ月、すっかり2人での生活に慣れてしまっていて、

お父ちゃんのにおいや、お父ちゃんの気配はなくなっていて、

今にも帰ってきそうな気がする・・・みたいな感覚は不思議と起こりません。


家族を悲しませないために、フェードアウトしていったような。。。

それはそれで気ぃ使いぃのお父ちゃんらしい気がします。


なんか本当に今までと変わりない生活が始まって、

ただ、土日の病院通いがなくなったので、ひめとどう過ごそうか悩ましく、

急変が気になって携帯も音とバイブにし、常に緊張していたのが、

その心配がなくなった今、枕を濡らしながらもよく眠れるようになりました。


お父ちゃん座右の銘

「人生楽しく!!*」


それをひめと2人で実現していく、ただそれだけのことです。



10月21日日曜日 午後2時23分

お父ちゃんの呼吸は止まってしまいました。


今まで、アドバイスや励ましのメッセージをくださったみなさんどうもありがとう。

これからボチボチとお返事書いていくつもりです。


最後の1週間、がんの進行は想像を上回るものでした。


その日は、付き添いで泊まっていた義理姉と交代するために、10時ごろ家を出て、

前日スタジオアリスから写真が出来上がったと連絡をもらったので、

1週間という異例の速さで仕上げてくれたことに感謝し、

写真を持って病院へ向かいました。


私たちが病院へ着くと、お父ちゃんは痛み、そして苦しさと戦っている真っ最中でした。

それでもひめの顔を見せると、一瞬だけ顔が緩み


マスオ 「かわいいな~」


と言いました。


そして、ひめのドレス姿の写真を見ても、また一瞬だけ微笑むように


マスオ 「かわいいな~」


と言いました。


緊急の呼び出しをかけたわけではないのに、両親・わたしとひめ・義理姉夫婦、

家族全員が揃っている中で、お父ちゃんの呼吸はだんだん浅くなっていき、

まるでコテッと音がしたように止まってしまいました。


1週間前お父ちゃんと私の間で、延命措置はいらない確認をしたとき


サザエさん 「そのかわり、ひめのことは絶対待っててよね」


その約束は、きっちり守ってくれました。


この1ヶ月ほど、体調が良くなったらしようと言っていた散髪をしてあげて、

ひげを剃ると、もとの男前のお父ちゃんでした。

その顔は少し微笑んでいるようにも見え、この数日間の苦しみから解放されて、

なんだか私までほっとするような穏やかな表情でした。


ひめは、お父ちゃんが家に帰ってくると、喜んでいました。


まるこ 「また明日病院へ帰っちゃうの?」 と聞くので、


サザエさん 「お父ちゃんはな、痛いのが治ったから、これから旅に出て、お月さまに行くんだって」


と教えました。


ひめはお月さまを見るのが大好きなので、

お父ちゃんがいつでも見守っていてくれると感じてくれるはずです。


脳転移があり、出血もひどくなっていたはずですが、

お父ちゃんが心配していたような、家族の顔を忘れてしまうようなことはありませんでした。


息が止まる直前まで、私たちの呼びかけに答えてくれたお父ちゃん。


好き放題やって、アウトローな人生を歩んできたけど、

最後は私と結婚して、娘が生まれて、マイホームパパに変身し、

不自由のない生活を残してくれた。

太く短い人生で、それはそれで「らしいな」という気もします。



ほんとはのんきにブログ書いてるような状況ではありません。


でも、気持ちを吐き出さないことには、爆発してしまいそうで・・・汗


先週12日(金)、早帰りのひめを連れて、お父ちゃんは参加できなかったけど、

4歳のお誕生日記念の写真撮影に行ってきました。


やっぱりな~当たり前だけど、かわいいひめのドレス姿、見せたかったな。


で、とにかく至急仕上げて欲しい旨を伝えましたが、なにぶんにも七五三シーズン

できるだけという回答でした。


帰りに病院に寄ると、日曜日にお話という予定だったN先生と急遽会うことになり、

自宅へ帰ることを希望するなら、もう1日でも早く!!ということでした。


とはいえもう金曜日の夕方

明日はひめの運動会

土曜日で、運動会のさなか、何をどうしたもんか、頭の中がグルグルで、まともに眠れませんでした。


土曜日、ひめの運動会。

ひめが出場しないプログラムの合間をぬって、介護のあんしん窓口へ電話。

老人介護ではなく医療系に通じたケアマネージャーさんを紹介してもらい、

運よく午後から打ち合わせの時間が持てた。


訪問診療をお願いしている病院にも電話し、日曜日に診療情報を持っていく言うと

「奥さんがいちいち動いたら大変だから、月曜日地域医療センターからFAXで大丈夫」

と言ってくれた。


午後ケアマネさんと打ち合わせし、火曜日朝にはベッドなどが搬入されることになった。


土曜日だというのに、運よく全てが連絡取れ、家の受け入れ体制は万全となった。


日曜日病院へ行き、

サザエさん 「家は準備万端だから、お家に帰れるようにがんばってよ」 と声をかける。


月曜朝、病院へ電話し、自宅の準備が整ったことを伝え、

地域医療センターと訪問医・訪問看護師さんとの連携をお願いしてひと段落したので、

予定通り、幼稚園の代休 ひめとUSJでしばし現実逃避。


ところが帰りの車でひめが熱を出す。

そのまま自宅近くのかかりつけへ行くと、なんと熱が39.4℃

お父ちゃんが倒れて以来、ちょっとひめを引っ張りまわし過ぎてしまったaya


ただでさえ、運動会という初めての一大イベントがあって、緊張や興奮があったろうに…


お父ちゃんの方は、なんならベッドが火曜日朝一で入ったら、午後には退院という勢いだったけど、

訪問看護師さんが、退院前に面会して打ち合わせしたいということになり、

確かにそれも大切と、退院は今日水曜日に変更された。


で、今日、ひめの熱も下がり、やれやれとなって、

午後1時に病院から、大事をとって民間救急車で帰ることになり、

午後2時には自宅へ昇降介助のヘルパーさんまで手配したのに・・・

午前病院から電話が入る。


訪問の先生が最短でもあさって金曜日にしか来れない上に、土日も来られないという。

訪問看護ステーションは24時間対応だけど、先日の面談の結果、

今のお父ちゃんの状態を看護師のみで見るのは危険という判断らしい。

つまり、毎日来てくれる医師がいなければ、自宅へ帰るのは無理というのです。


では金曜日外泊ではどうかという提案も受けたけど、

今の状態で片道1時間の道のりを2日続けて・・・

帰りたい気持ちとリスク・・・どっちをとるのか。


とにかく明日もう一度、N先生との話し合いとなった。


46歳というあまりにも短い一生に、残された時間はわずかというのに、

自宅に帰りたいという、そんな小さな願いさえ、叶えてあげることができないのか。

つくづく自分が無力で悲しい。


確かに病院は少ないけど、山の中の1軒家ではないのに、

どうしてそんなことすら対応してもらえないんだろう。


お父ちゃんと私たち家族の小さな願いを叶えてください。

このところお父ちゃんはまったく食欲がありません。

痛み止めのロキソニンを飲むために、フルーツを食べる程度。


毎食出てくる3パックの流動食は、もはや嫌がらせのようで、

むなしく冷蔵庫にたまっていくばかりです。


とうとう今日から栄養剤の点滴です。


全身の痛みも激しくて、

麻薬パッチはいよいよ6枚に。

オキノームも日に2度3度と飲んでいるようです。


それでも楽になる時間はほとんどなく、

とにかく寝ていたいらしい。


昨日の血液検査の結果では、炎症反応が急激に上がっていて、

痛みの原因であることもさることながら、感染症があってはまずいと、

急遽CTを撮ることに。


しかし、造影剤はポートから入れられず、

でも点滴のラインがとれる血管がもはやない。


目に見える肺炎などはなかったけど、念のため抗生剤も始まりました。


CTを撮りに行くための車椅子の移動すら、息が切れてしまうそうで、

これではとてもじゃないけど、写真撮影なんて無理。

私は考えが甘いなぁ。


カピカピになって粉をふいた足の裏をやすりで削ってあげて、

歯磨きできなくて、歯槽膿漏になりそうだったので、デンタルリンスを置いて帰ってきました。


家に着くと、CTの結果、脳に出血があって、

全脳照射もガンマナイフもできないという、残念な知らせがありました。


詳しくは後日話を聞くのですが、結果、在宅看護は早まりそうです。


脳の治療ができないことは、かなりショックだけど、

ここは気持ちを切り替えて、

家に帰ることが良い結果を生むよう、私は努力しよう!!*


痛みを抱えるお父ちゃんにとっては、うるさいこともあるだろうけど、

ひめのかわいい姿や笑い声が刺激になって、

良い方向へ向かうことを祈るばかり祈る


写真撮影も目的を方向転換し、

家族写真にこだわらず、ひめのかわいいドレス姿の写真をお父ちゃんに見せてあげるように、

予約は決行することにしました!!*


病院近くのスタジオアリスに予約を入れたので、

帰りにはお父ちゃんのとこに寄って、

「明日運動会がんばるね」って、ひめに言わせようと思って。


写真があがるのは2週間後。

そのくらいは絶対がんばらなきゃ!!*


それに胚移植は月末の予定。

お父ちゃん同意書にサインしなきゃいけないんだからね~!*




世の中、秋の行楽シーズンの3連休。

ひめのお友達も、家族でキャンプに行ったり、地元でも秋祭りがあったり。


でも我が家は土・日とおとうちゃんの病院

土曜日は病院へじいじも来てくれたので、売店でおかしやシールを買ってもらい、

日曜日はとなりの医療福祉センターのバザーを覗いたりして、

それはそれで楽しいんだけどtententen(あせ)☆☆


それだけじゃ、ちとかわいそうかなぁと思い、月曜日はコストコへ行ってきました。


ひめは、プリンセスの鍵盤のついた本とシンデレラのスニーカー

アイスクリーム模様のパジャマをゲット!*


お決まりのホットドックとクラムチャウダーでランチ

帰りにはソフトクリームソフトクリムを食べて、

ささやかながら、楽しい休日を過ごしました。


サザエさん 「明日はコストコだから、お姉ちゃんが来てくれるって」

って言ったんだけど、

でもやっぱりお父ちゃんが気になって、病院へ


マスオ 「来てくれたんや~やさしいやん」


腹水がたまってTシャツからおなかがはみでてしまうようになってきたので、

大き目のTシャツも届けたくて。


私も疲れるし、お父ちゃんもだるそうなので、とっとと退散。

この2日ほど、食欲はがた落ち、しゃべるのも面倒らしく、

私からのメールは確認するけど、電話も返信もなし↓


今週末のひめの運動会

車椅子でもいいから、外泊してちょっとだけ覗きにこれないかしらと計画してみたけど

それは無理そう。


せめて早帰りの金曜日、ひめのお誕生日記念に、

3歳まで毎年撮ってきた家族写真

外出許可もらって撮りに行けないかなと企画して


サザエさん 「お父ちゃん 運動会は無理でも、金曜日目指してがんばろう!!*」


と言い残して帰ってきた。


私の頭は、今できる楽しいことはないかと必死で考えるんだけど、

現実はかなり厳しいガクリ


病院近くのスタジオアリスの予約をし、

写真も、車椅子もしくはゆったり目のイスに座らせてもらえることも確認。

車中で使う痛み対策用のエアマットも手配したし。


自宅へ帰る準備も着々と進んでいる。


良い方向へ、風よ 吹け~