上流階級 富久丸百貨店外商部 高殿円 小学館文庫
鮫島静緒は富久丸百貨店芦屋川店の外商部に配属された。
元々洋菓子の専門学校を出て洋菓子の店の営業をやっていたが富久丸百貨店に営業で入ったのがきっかけで富久丸百貨店の食品部に中途入社したのが37歳での抜擢人事だった。
芦屋六甲の上流階級の多くを顧客に持つ伝説の外商員の葉鳥さんが早期退職するというのでその穴を埋めることができるか私権配属の形で静緒は持ち前のガッツで失敗もしながら外商員として成長していく。
百貨店の外商部は店の売り上げの30%を占めるともいわれ店の屋台骨を背負っている部署だといいます。
毎年多額の買い上げのある顧客に声掛けをして外商員が付くことになるのだが、もう何代にもわたって七五三、成人式、結婚式、そして葬儀まで取り仕切るような濃度の濃い付き合いになる。
高いノルマが課される中、様々な難題を乗り越える静緒が描かれています。
この世界は知らなかったというか、今でもあるのか、という驚きがありました。
値段が高い安いなど問題にしない、その人間から物を買いたいという階級の人間がいまだに存在するのです。
なかなか作家は面白い世界に目を付けたと思います。
回帰 警視庁強行犯係・樋口顕 今野敏 幻冬舎文庫
四谷の大学構内で爆発事件が起きる。
テロの可能性も出てくる中、警視庁強行犯係は所轄警察、公安警察と合同で捜査を進める。
爆発現場で中東系と思しき男性の姿が目撃され国際テロ事件の線が強くなってくると公安警察が自分たちのテリトリーとばかりに捜査の主導権を取ろうとして刑事たちとの対立の構図ができてしまう。
争いを好まない樋口はなんとか両者の間を取り持とうと腐心する。
一方樋口の上司の管理官天童のもとに元警察官で今は国際ジャーナリストを名乗る因幡から連絡が来る。
因幡がテロが分か警察側かわからない中その情報の扱いにも腐心する。
今野敏の小説らしく2重3重に謎が絡まる複雑な構成です。
取調室で参考人と対峙しても相手の人権のことを考えると同僚のやり方には納得できず樋口は自分が刑事には向いていないと常に自問自答を繰り返すが、天童ら上層部はそんな樋口を信頼し事件解決に導いていくという、これもまた一連のシリーズに通底した流れで、捜査中に家庭問題にも心を悩ますのもまた然り。
今回は大学生の娘が一人で海外バックパック旅行に行くのを認めるかどうかに心を悩ませます。
等身大の警察官を描いた秀作だと思います。
名著で読み解く 日本人はどのように仕事をしてきたか 海老原嗣生・荻野進介 中公新書ラクレ
§1 戦中~戦後という奇跡的な時代環境が協調経営を形作った(『日本の経営』ジェームス・アベグレン)、§2 欧米型vs.日本型「人で給与が決まる」仕組みの正当化(『能力主義管理』日本経営者団体連盟、『職能資格制度』楠田丘)§3 「Japan sa No.1」の空騒ぎと、日本型の本質(『日本の熟練』小池和男、『人本主義企業』伊丹敬之),§4 栄光の余韻と弥縫策への警鐘(『心理学的経営』大沢武志、『日本の雇用』島田晴雄、『知識創造企業』野中郁次郎・竹内弘高、§5 急場しのぎの欧米型シフトとその反動(『人材マネジメント論』高橋俊介、『コンピテンシー人事』太田隆次)、§6 雇用は企業ではなく社会が変える(『定年退職』清家篤、『雇用改革の時代』八代尚宏、『新しい労働社会』濵口桂一郎、という構成で、戦後からの日本企業の人事制度について解説する。
本書ではセクションごとにその時代の経済的な背景を解説し、その時代に刊行されc企業の人事制度、働き方に大きな影響を与えた書籍を紹介、その著者との往復書簡という形で進行します。
日本企業は年功序列、終身雇用、定年制、企業内労働組合などが特徴で欧米の成果主義、実力主義の制度とは大きく異なると一般にされておりますがそれは真実なのか。
バブル景気の後に大きな景気後退の波にまみれているが、そこからの処方箋はないのか、といった問いかけがなされています。
またワーキングプアと非正規雇用とは必ずしも等号で結びつけられる関係ではなく、非正規雇用者は主婦、高齢者、学生が多くの部分が占められ、年収200万円に達しない正規雇用者がその中心にいるという指摘も新たな視点を与えてくれるものです。
人事制度とはかくも重要なのだということを再認識させられました。
半落ち 横山秀夫 講談社文庫
W県警の警察学校に勤務する梶聡一郎警部は妻を殺害したと自首してきた。
一人息子を白血病で亡くし若年性アルツハイマー症にり患した妻が不憫で紋殺したと自供するも妻の殺害日から自首するまでの空白の2日間の行動については口を閉ざした。
梶は事件の翌日に新幹線に乗って上京し歌舞伎町にいたという証言も出たが警察のメンツを保とうとする上層部の意向で自殺の場所を探して彷徨していたという供述になっていた。
捜査一課の志木、検事の佐瀬、新聞記者の中尾、弁護士の植村、裁判官の藤林、刑務所の矯正処遇官の古賀と主語として事件を語る人がリレーされる異色の展開です。
嘱託殺人犯でありながら澄んだ目をしていながら50歳で死ぬことをほのめかしている49歳の梶の口を閉ざした2日間をめぐるミステリー。
警察、検察、裁判所、弁護士、マスコミ、刑務所において其々組織に盲従していたり、組織を守るために事実が曲げられることに義憤を感じたり、様々な人々の人間模様が描かれているなかなかの意欲作でした。
頑として口を閉ざしていた梶の歌舞伎町に行った理由というのが少々現実味にかける気がした。
厳しい言い方になるが竜頭蛇尾の感ぬぐえず。
好色一代男 井原西鶴 中嶋隆訳 光文社古典新訳文庫
幼少のころから女色、男色に目覚め遊蕩三昧で親から勘当され、入牢する羽目にまで落ちるも親から莫大な遺産を相続し、京、大坂、江戸はもちろん各地の遊郭で放蕩の限りを尽くし、還暦を迎え仲間たちと女護の島に出発するまでを描く。
54歳までに戯れた女が3,742人、相手にした若衆が725人だそうで、婚約者がいる女を奪い取っておきながら妊娠すると放り出すというような今日の倫理観から見ると(多分当時でも)かなり不道徳な行為が目につきますが、サラッとした書きぶりでそこにはユーモアが盛られていてさすがに長い年月を経て読み継がれている物語という感じはします。
元禄期の文化を垣間見せてくれた気がしました。
自薦短編集 パリの君へ 高橋三千綱 岩波現代文庫
Ⅰ(『雷魚』『木刀』『馬』)、Ⅱ(『兄の恋人』『妹の感情』)、Ⅲ(『逃亡ヶ崎』『落ちてきた男』『池のほとりで』)、Ⅳ(『祈り』『セカンド』『パリの君へ』)という構成の短編集。
Ⅰは、売れない小説家の気難しい父がいつも家にいる小学校3年生の武が、貧乏で級友たちに馬鹿にされながらも自分と同じような境遇の年長者たちと交流しながら多感な時代を過ごしていく姿を描く一連の作品。
『兄の恋人』は、8歳年上の兄は成績優秀、スポーツ万能で敬愛しつつもコンプレックスを抱く8歳年下の弟が兄の恋人に対して屈折した心情を描く。
『妹の感情』は、何でも話し合えるような仲の良い妹が自分がしばらくアメリカで暮らしている間に自殺を試み、その妹の心情を知ろうとする。
『逃亡ヶ崎』は、銀行の不当な貸しはがしによって一家離散となった男がはずみでその支店長の娘をさらってしまう逃亡劇を描く。
『落ちてきた男』は、生家に複雑な事情を抱えながら苦学して司法試験に合格、検事になるも退職し編集者の見習いになった女性が家庭問題の張本人である実父に思いもかけない形で再会する話。
『池のほとりで』は、Ⅰの『雷魚』の30年後の後日談。
『祈り』は、プロゴルファーになった異母弟を複雑な気持ちで接するトッププロゴルファーの話。
『セカンド』は、家庭的に恵まれず地味なプレーに徹する航行野球選手の物語。
『パリの君へ』は、成功者だと思ってぼくと婚約したがぼくが少年鑑別所に入っていて母親が傷害罪で刑務所に入っていたことを知りパリに旅立った恋人に自分の半生を綴る物語。
Ⅰは自伝的な連作となっていますがその他はあまり有機的な関係性は見られません。
それぞれ単独の作品として上々の出来栄えとみえました。
著者は社会の理不尽、不条理に対しての怒りや無力感のようなものも感じられました。
伏流捜査 安東能明 集英社文庫
警視庁生活安全捜査隊の活躍する中編小説『ヒップ・キング』『稲荷の伝言』を収める。
『ヒップ・キング』は渋谷の若者たちが集まるクラブで脱法ハーブが取引されているという情報で当該クラブを監視していると麻薬中毒症状を示した男を逮捕するも全体の解明に至らず、さらに捜査を進めヒップダンスを子どもたち教えている男に行き着くが、その男は家庭内ネグレクトの被害に遭っている少女を利用していることを突き止める。
『稲荷の伝言』は特養の緑恵苑で入所者が振り込め詐欺にあったというので捜査を始めると一部の入所者に虐待の痕跡が見られること、また苑の会計に使途不明金が発生していることが明らかになりその3点が繋がっていく。
生活安全捜査隊は殺人、強盗といった凶悪犯罪を扱う部門ではなく日常的な些細な事件に向き合っている部隊で、それだけに脱法ハーブ、ネグレクト、老人虐待など現代社会の闇の部分と対峙することになる。
実際にはなかなか気づきにくい、また気付いても立件しにくい案件であり、さらに加害者側にも相当の事情があるというところまで含めて本書では結構丁寧に描写されています。
なかなか読み応えがありました。
名作入門 平田オリザ 朝日新書
副題が、日本近代文学50選。第一章 日本近代文学の黎明(樋口一葉、森鴎外、尾崎紅葉、北村透谷、二葉亭四迷、坪内逍遥)、第二章 「文学」の誕生(国千田独歩、正岡子規、中江兆民、島崎藤村、夏目漱石、与謝野晶子)、第三章 先駆者たち、それぞれの苦悩(石川啄木、田山花袋、若山牧水、泉鏡花、北原白秋)、第四章 大正文学の爛熟(芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、谷崎潤一郎、有島武郎、萩原朔太郎、岸田國士)、第五章 戦争と向き合う文学者たち(小林多喜二、宮沢賢治、堀辰雄、高村光太郎、江戸川乱歩、井伏鱒二、林芙美子、火野葦平、永井荷風、中島敦、金子光晴)、第六書 花開く戦後文学(太宰治、坂口安吾、織田作之助、大岡昇平、檀一雄、高橋和巳、安部公房、三島由紀夫)、第七章 文学は続く(開高健、北杜夫、司馬遼太郎、井上ひさし、石牟礼道子、別役実)という構成で、日本の近代文学の発展に大きく寄与した作家50名とその作品を紹介する。
明治維新で日本が欧米先進国を見習って近代化を進めた時、すでにドストエフスキーはトルストイ、モーパッサンなどの文豪はその代表作を発表していた。
当時の日本の文学を志した人たちは彼我の差に呆然とし日本は文学でとても西洋には追い付けないと絶望的になった。
しかしその困難に敢然と立ち向かった先駆者たちがいて近代日本文学は発展していった。
その流れがとてもよく理解できる構成になっています。
樋口一葉の『たけくらべ』が日本の近代文学の中でどれだけ重要な位置を占めているのか、北村透谷や二葉亭四迷たち先駆者の苦悩や多くの犠牲によって後進の助けになっていったのか、など初めて知ったような気がします。
著者は劇作家なので劇作家も何人か選に入っておりますがかなり納得のいくものになっています。
とても勉強になりました。
星になれるか 生島治郎 中公文庫
文芸誌の編集者だった越路玄一郎が好きだったアメリカのハードボイルド小説に範をとって新境地を開きプロの物書きとなり、作家や編集者との交流を描く。
主人公の名前こそ違え大筋本人のことを綴ったものだと思われ、登場する作家たちの名前は吉行淳之介、野坂昭如などすべて実名が使われています。
越路が直木賞を受賞した昭和40年代前半位を中心に描かれていて、銀座のバーや山の上ホテルで缶詰めになりながら原稿を進めるさまなどが生々しく描かれています。
吉行淳之介、長部日出雄とタイでの一週間の旅行記はここまで書いていいの、というくらい夜の活動がたっぷりと描写され、また、自身の睡眠薬中毒や離婚についても生々しく綴られています。
ほかの作家たちを実名で出して今なら名誉棄損で問題になりそうです。
越路は上海から終戦で12歳の時に引き揚げてきているが、物語の最後は日中の国交が回復し33年ぶりに上海を訪問する場面です。
記憶の中と変わらぬ姿で街が残っていることに感動し、日本の豊かになったことを認識する美しい描写であります。
今の上海を見たら全く別の感慨を持つだろう。
もどり橋 澤田ふじ子 光文社文庫
京都上嵯峨野村の貧農の子菊は14歳で三条東洞院の料理茶屋末広屋に年季奉公に出された。
末広屋は評判の老舗茶屋で板場には大勢の料理人が働ている中で菊は気働きをきかせて店には不可欠な存在となり心身共に成長していく姿を描く。
江戸時代の京都が舞台で板場には大店の跡取りや藩の御台所組が修行にために働いているものや菊と同じように貧乏育ちのものまでさまざまである。
京都老舗の跡取り息子の才次郎はそのことを鼻にかけて菊にもつらく当たるが実家が火事を出し急遽その跡を継ぐも身を持ち崩してしまう。
菊はまじめに働く又七に好意を寄せるも店の主人にも見込まれ一人娘の婿養子に望まれる。
菊はたいそう気落ちするも皆の励ましで立ち直っていく。
基本的に勧善懲悪であり、貧しい娘がけなげに働いて幸せをつかんでいくというストーリーはNHKの朝ドラにあるようなお話でした。
王道のストーリといえます。