うみパパのブログ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

倭寇 わが天地は外海にあり 高橋直樹 潮文庫

南北朝時代、南朝方についた熊野源氏の末裔のアギ・バートルは北朝方に追われ、太宰府、対馬そして高麗にまで移動する。

高麗では女真の騎馬軍団と戦いついに滅びる。

 

カラスと呼ばれる熊野の舟指で類まれな操船術を持つ男がアギ・バートルに忠誠を尽くし、レケオ(琉球)のクマや松浦党、元寇時に壊滅させられた熊野衆の末裔らと協力し済州島など高麗の沿岸に出没し、資金や馬、大型ジャンクなどを調達する。

それを第一次倭寇とするのがこの物語です。

 

作家は源頼朝の叔父にあたる源行家を祖とする熊野源氏の最期を倭寇と絡めて想像力を飛翔させています。

意外と南北朝時代や倭寇、熊野源氏などは歴史小説などでは空白地帯に近い状態のように思います。

空白の時代に関心を持つきっかけになると思います。

科学者はなぜ神を信じるのか 三田一郎 ブルーバックス

副題が、コペルニクスからホーキングまで。

第1章 神とはなにか、聖書とはなにか、第2章 天動説と地動説ーコペルニクスの神、第3章 宇宙は第二の聖書であるーガリレオの神、第4章 すべては方程式にーニュートンの神、第5章 光だけが絶対であるーアインシュタインの神、第6章 世界は一つに決まらないーボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神、第7章 「はじまり」なき宇宙を求めてーホーキングの神、終章 最後に言っておきたいことー私にとっての神、という構成で、物理学の発展を時代と共に神との関係性を絡めて俯瞰する。

 

西洋世界のキリスト教が宗教のみならず科学領域も支配していた時代に地動説を唱えたコペルニクスやガリレオの仕事から、宇宙の創始にまで踏み込もうとしている現代の量子力学にまで踏み込んで解説しています。

量子力学になると専門家の著者は分かりやすく書いているのでしょうけれど理解が困難になります。

 

神とは聖書にある世界を創った全能の存在という概念ですが、アインシュタインらが考えている神は人間に似た存在である全能者ではなく、突き詰めて理論的に思考を深めた時に突き当たるはじめの一歩がなされたその原因となる事象、理由であろうかと思われます。

それをまたホーキングは虚時間宇宙という概念を示して解決しようとしています。

理論物理学とは哲学なのではないかとさえ思ってしまう実に深遠な世界なのですね。

動機 横山秀夫 文春文庫

『動機』『逆転の夏』『ネタ元』『密室の人』を収める中編小説集。

 

『動機』は、警察手帳を一括保管をを行っていた警察署で30冊の手帳が紛失し、内部調査を進める警務畑の調査官の話。

『逆転の夏』は、女子高校生を殺した罪で12年間の懲役を終えた男に見知らぬ男から殺人依頼の電話が入り、最初は相手にしなかったが何度も金が振り込まれ、男の職場での状況も悪化してついに依頼を受けることにする話。

『ネタ元』は、地方紙の女性記者が警察回りの仕事に倦怠を感じていたところ全国紙からの引き抜き話が来る。全国紙が自分に興味を示したのは以前裁判所の書記の女性から情報を貰ったことに思い出し書記の女性とコンタクトをとると思わぬ事実を知る。

『密室の人』は、裁判官の安斎は公判中に居眠りをして妻の名を口走ってしまう。新聞記者に嗅ぎつかれ上層部から何とかもみ消すように指示されるが思わぬ事実を知ることになる。

 

どれも最後に大きなどんでん返しが設定されている。

警察官、元懲役囚、新聞記者、裁判官とそれぞれ立場は違いますが各々の立場で懸命に仕事をし生活している市井の人々が思わぬ事件に巻き込まれ懊悩するという流れは共通しています。

 

『ネタ元』の女性記者はどうも万引き癖があるようですがそういった部分は深堀されていません。

そういった意味ではどれももっと長い小説にできる素材のようにも感じられました。

そこを簡潔にまとめるのが作家の腕なのでしょうか。

乱舞 有吉佐和子 集英社文庫

全国屈指の勢力を誇る日本舞踊梶川流の家元猿寿郎が壮年にして交通事故で急逝し、その家元の跡目をめぐる争いが勃発する。

 

そもそも猿寿郎が先代の妾の子で、その先代が手を付けた弟子寿々の連れ子の秋子が猿寿郎の妻、そして秋子の異父妹千春の実父は先代。

さらに猿寿郎には愛人が何人かいて子もいるが皆芸者であって認知はしていない。

秋子に子はなく其々の子どもの後継人が家元後継の正当性を主張し泥沼の跡目争いが始まるも秋子が見事にその騒動を収拾する。

 

まだ花柳界華やかなりし頃、日本舞踊は富裕層の女子だけでなく、芸者衆にも必須の芸事であり、全国規模の家元ともなると莫大な利権が発生し、その跡目相続は紛争の元となるようです。

この辺の古典芸能の世界を書かせては有吉佐和子の右に出る人はいないのではないでしょうか。

歌舞伎役者や政財界の大物まで巻き込んだスケールの大きなお話になっています。

 

猿寿郎の乱脈な女性関係をはじめ現代では少々時代錯誤の感はありますが、家元制度はどうなっているんでしょうか。

完全に過去のものになっているとも思えません。

北海道を味わう 小泉武夫 中公新書

副題が、四季折々の「食の王国」。

Ⅰ春の味覚(第1章 海が魚を背負ってくる、第2章 大地に萌える味、第3章 春は料理の心をくすぐる)、Ⅱ夏の味覚(第4章 銀輪飛び交う北の海、第5章 太陽と土と水の申し子たち、第6章 夏の料理は心を躍らす)、Ⅲ秋の味覚(第7章 豊饒の海に銀輪が躍る、第8章 豊饒なる大地からの贈りもの、第9章 秋の料理は心に残る)、Ⅳ冬の味覚(第10章 凍れる海で魚介が肥える、第11章 越冬野菜と保存食の知恵、第12章 冬の料理は心を温める)、通年の味覚(第13章 おらが道民の味自慢)という構成で、北海道の山海の美味珍味を紹介する。

 

著者は著名な発酵学者で大学退官後は北海道の水産会社から招聘され石狩市の研究室で天然調味料の開発に携わるなど常に北海道とは縁を持っている。

春夏秋冬、海鮮と農産物を紹介する。

 

原文から引用する。

「醤油皿に醤油をさし、その脇にヤマワサビを添え、それではいただきましょうかと刺身を一枚箸で取り、それにワサビ醤油をチョンとほんの少しつけて食べた。口に入れた瞬間、ヤマワサビの快香が鼻から抜けてきて、口の中ではニシンの刺身のポッテリとしたやさしく柔らかい身が歯に応えてホクリ、トロリとし、そこからまろやかなうま味と耽美な甘み、そして脂肪からのペタペタとしたコクなどがジュルジュルと湧き出してくる。それをヤマワサビのツンツンと醤油のうまじょっぱみが囃し立てるものだから、たちまちにして私の大脳皮質の味覚受容器は充満するのであった。」

新鮮なニシンの刺身を食べた食レポである。

開高健を想起させるような豊かな表現で思わず腹が鳴ってしまうような描写が随所にちりばめられている。

 

「頬落舌踊」なる熟語は著者のオリジナルではなかろうか?

本書を読んだら北海道に行きたくなることは間違いない。

冠(コロナ)〈廃墟の光〉 沢木耕太郎 新潮文庫

序章 冬のオリンピア、第一章 ささやかな助走、第二章 始めようぜ!、第三章 普通の国のジャンヌ、第四章 ストーン・マウンテンまで、第五章 華と爆弾、第六章 スターのいる風景、第七章 カーニバル。カーニバル、第八章 祭りは終わった、という構成で1996年のアトランタオリンピックの観戦記。

 

このノンフィクションは冬にギリシャのオリンピアの競技場の遺跡を訪れる場面から始まる。

著者は一人での行動を好みどうしても『深夜特急』のようなバックパッカーの旅行記のような雰囲気が縦横している。

メジャーなマスコミの取材ではなく講談社の雑誌の「ナンバー」に寄稿するために取材許可証を得ているものの、移動は基本的にはプレス用の無料バスと地下鉄で観戦する種目も当日に予定表を見て決めるというような自由で個人的なオリンピック観戦者に限りなく近く見えます。

 

公共交通の利用のためホテルに戻るのは深夜の一時を過ぎるのが普通で食事も満足にとることができない。

もう何度もオリンピックを取材しているものの金の力でアメリカが開催国になって経緯を面白く思っていなくて、大スポンサーであるコカ・コーラは意地でも飲まないというこだわりを見せています。

サマランチ会長による商業路線をオリンピック衰亡の兆候と考え、バスケットボールのドリーム・チームのような存在はその象徴的なものとしています。

 

水泳、体操、バレーボールなど日本がかつて得意として種目で惨敗を繰り返す様子を近くで見て伝えています。

とても選手を近く感じさせます。

アトランタオリンピックでは五輪公園で爆弾テロ騒動があり、それも含めて自分がオリンピック会場のお祭りに参加して、明日はどの会場でどの競技を見ようかという臨場感が本書の最大の魅力だと思います。

たけくらべ 樋口一葉 角川ソフィア文庫

東京の遊郭街吉原の町内に住む遊女を姉に持つ美登利、高利貸しの一人息子正太郎、鳶の長吉、龍華寺の息子信如、車引きの息子三五郎、其々13歳から16歳の生活を四季の移り変わりとともに詩情豊かに描く。

 

美登利は売れっ子遊女を姉に持ち我儘な女王様気質であるがひそかに信如に思いを寄せる。

信如はおとなし気質であるが学校の成績が良く乱暴者の長吉からも一目置かれているが美登利のことが気になる。

正太郎はお坊ちゃま気質で美登利のことが好きなのだが美登利からは相手にされない。

三五郎は貧しい底辺の生活者だがひょうきんで明るい性格。

そんな彼らが四季折々のお祭りなどで美登利の好意を感じ、信如自身も憎からず思っているのに前に進めない関係を中心に描かれています。

 

『ビギナーズ・クラシックス 近代文学館 一葉の「たけくらべ」』という本の体裁で、全体を16章に分け、各章をさらに其々1ページ程度に分割、現代文、原文そして各章末にその背景などの解説を付けているいわば三段構えの構成になっています。

原文ではなかなか意味が取りづらいところをうまくカバーしつつも、原文の持つ味わいも感じることができます。

日本の近代文学史を語るうえで欠かすことのできない作品だと思いますが、文体が難で読めずにいましたが本当に素晴らしい構成で名作を堪能できました。

 

大人になる前の少年少女の淡い恋心をとても繊細に描いています。

本編の主題は一葉の後、幾度も取り上げられることになりますが、それほど長い小説ではないのに登場人物の心情が文字で書かれている以上に深く染み入ってくる感覚が当時の遊郭の町の四季の移ろいとともに描き出されていて深い読後感に繋がっており、全くの唯一無二の作品と感じられました。

 

初老の年齢まで本作を読まなかった後悔とともに素晴らしい文学作品に触れることができた満足感、喜びに浸っている感じです。

上流階級 富久丸百貨店外商部Ⅱ 高殿円 小学館文庫

富久丸百貨店芦屋川支店外商部に勤務するアラフォーの鮫島静緒の活躍を描く続編。

 

得意先の娘が海外で買い物がしたいというのでパリへのショッピングツアーに同行したり、静緒が開拓した上得意の反社の奥さんが二度目の妊娠を機に妾生活に終止符を打つことを決意し、別れた後の生活が成り立つように換金性の高い買い物を進めたり、など活躍する。

私生活では高級マンションで計らずもルームシェアしていた桝家との関係が周知となりいよいよ外商部からの異動を覚悟するも静緒が温めていたお得意様の子弟のお見合い旅行の企画の斬新性が認められ外商部に留まることになる。

 

外商部の華やかなところだけでなく厳しい面にも目を向けたのが続編の特徴でしょうか。

静緒が憧れるスーパー外商員の葉鳥さんはゲイの桝家にとってもいろいろな意味で憧れの存在であり、どうも二人が格安で借りている部屋も葉鳥さんのものであるらしい。

おそらくその辺が続々編で描かれるのではないでしょうか。

黒髪の月 澤田ふじ子 光文社文庫

『黒髪の月』『ひとりの側室』『花の絵』『蜜柑庄屋・金十郎』『十寸神』『青玉の笛』を収める短編小説集。

 

『黒髪の月』は、病弱な夫の世話をする女と不倫関係になった下人が処刑された遺体を紛失するという失態をおかすと女はためらいなく夫を殺してその遺体をの補填にするように指示する。

『ひとりの側室』は、殺生関白といわれた豊臣秀次が秀吉の逆鱗に触れ処罰され、妻妾子どもなど一族が三条河原で処刑される。

『花の絵』は、狩野派の絵師として大成を期していた宋与だが妻が病で薬代に事欠き、それを知った画商がその腕を見込み宋画の贋作を依頼、宋与は自分の贋作と手本とした本物をひそかに入れ替える。

『蜜柑庄屋・金十郎』は、江戸時代後期に南知多の貧しい農村の庄屋が数々の困難に直面しながら蜜柑栽培による振興を志す姿を描く。

『十寸神』は、室町時代に一族が籠城する中許嫁を捨てて逃げて能面を打つ男の物語。

『青玉の笛』は、遣唐使として唐に渡るも帰りの船が難破して帰船を待って唐に残るも亡くなってしまった日本人の忘れ形見の娘が困難の末帰国するまでを描く。

 

短編とはいえごく短いものから中編と呼んだ方がいいものまで様々です。

『蜜柑庄屋・金十郎』は、本書の中で最も長い力作で、貧しい村を救うために私財をなげうって蜜柑の植樹に尽力するも、その日の貧しい生活から逃れられない村人からは全く理解されずに弾劾され村八分に合ってしまうという理不尽な庄屋の生涯を切々と描いています。

著者はなかなか巧みな物語作家だと思いました。

けものたちは故郷をめざす 安部公房 新潮文庫

久木久三は満州の北部で終戦を迎えるも孤児となり2年7ヵ月間ソ連の兵士と現地に留まっていたが日本を目指して逃走する。

乗った汽車が軍に襲われ汽車で知り合った高と名乗る得体のしれない男と徒歩での彷徨が始まる。

高は凍傷にかかり久三がその指を切り落とすなど凍てつく冬の満州の大平原での逃避行は苛烈を極めるが何とか国府軍のいる街にたどり着く。

高は大量の麻薬を身に着けており、それを久三に託して姿を消すが久三もみぐるみをはがれてしまう。

最後に久三は日本行きのおんぼろ船に乗ることができるがそこで久三を偽称していた高と会い二人して拘束されてしまう。

 

終戦後の満州からの逃亡を主題とした小説は藤原ていの『流れる星は生きている』や帚木蓬生の『逃亡』などの名作があり一つのジャンルを築いているといってよいだろう。

その中でも久三たちの逃避行は厳しい自然、飢えと渇き、二人の間の関係性の変化が細かく描写されていて秀逸といえる。

安部公房の比較的初期の作品で、常識の範囲を超えた不思議、不条理を描いた作家の作品の中では異彩を放っており物語として普通に面白かった。

一流の作家は多彩な引出しをもっていてそれを高いレベルで実現できるということですね。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>