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日々新面目あるへし

ブログを続ける指針に、会津八一の書「学規」に学びたい。
 一、この生を深く愛すへし
 一、かえりみて己を知るへし
 一、学藝を以って性を養うへし
 一、日々新面目あるへし

2023/12/20

 人類は生命の存在を科学の力で遺伝子の働きと証明した。それを先行して認識していた仏法は、民衆から宗教として受けとめられていた。諸行無常 諸法無我 涅槃寂静や生老病死観は、明らかに遺伝子の働きに他ならない。

 

 人体の遺伝子の働きを電算機のOS(オペレーティングシステム)に比喩する観方がある。遺伝子には個々人独自の5種類のソフト(優性・良性・従順・劣性・悪性)が入力されている。それが何故ON/OFFの状態になるか、それも遺伝子の働きにある。

 

 「心の持ち方に依る行動」で遺伝子はON/OFFの働きをする。何も考えないで無心に行動すると遺伝子は、自ずから必要な働きをする。何も考えない事も一つの考え方という観方もある、それも遺伝子の働きであろう。

 

 

 

 

 

 

2023/12/19

 人間は他の動物と同様に、遺伝子の働きで生存面において行動出来るように造られている。正確には行動を優先しなければ生きられないように造られている。

 

 人類社会は人間の<行動の心の持ち方>により五種類の遺伝子(優性・良性・従順・劣性・悪性)のON/OFFの働きに依って成り立っている。

 

 心という意識もまた無意識の遺伝子の働きにつながり五種類に分かれている。優性良性の働きをONする心、悪性劣性の働きをONする心、その何れかに引き寄せられる従順な心である。

 

 教育は<行動の心の持ち方>が中心でありたい。どういう心の持ち方で学んで考え、考えて学ぶか。そして仕事もどういう心の持ち方で仕事に取り組んでいるか行動すべてに亘っている。

 

 

 

 

 

 

2023/12/18

 図書館の文庫本の書架でふと宮本輝「草花たちの静かな誓い」が目にとまり再読した。単行本を購入して読了後に友人に回したので手許にないが7年ぶりの再読だった。

 

 ストーリーは忘れてしまったようで場面毎に思いだし、あらためて宮本輝の小説の魅力、面白くなければならないがそれだけでなく何かを感じさせるものでありたい思いが伝わってきた。

 

 小説は虚構の真実性を重んじる通り、その物語から少なからず学び得たものがある。自論の読書は人間関係の一環である、この

著者の伝えたいことが何とよく分かることだろう。

 

 小説には自論の遺伝子の働きを以て、個々の個性と人間本来の在り方を描く世界を覚える。宮本輝はそういう世界のプロとして

再読を楽しませてくれる。

2023/12/17

 当ビル事務所に「J.S.バッハ倶楽部」と表示した非営利の会員制音楽鑑賞室を設ける。会員規定として責任者の判断で次の案に賛同する人とする。会員が最低6人決まり次第開設する。

  

 一、J.S.バッハの音楽のみオーディオで聴く人の集いとする。

   小学館バッハ全集の器楽曲より選んだ一曲を繰返し聴く。

 

 一、J.S.バッハの音楽を黙聴するか、聴きながら持参の著書を 

   読む集いとする。

 

 一、使用する時間は土曜日の午後2時〜午後5時の3時間として

   午後2時〜4時/黙聴&読書・4時〜5時/座談会とする。

 

 一、会費無料とするが飲酒喫煙は厳禁、喫茶ボトル持込み可、

   パソコン持込は不可とする。

 

 一、会員はS部長のメールに顔写真(年齢・住所記載)とA41枚

   にJ.S.バッハの音楽観を添付を以て部長判断とする。

 

 一、年齢は原則として60歳以上だが常識を守る大人(おとな)で

   あることを自覚出来る人次第とする。

 

 このような集会に人が集うだろうかと思いながら綴ってみた。

バッハだけを聴く人は自分以外にはいないようで、何となくいるような気がする、そういう人達と出会いたい希望に過ぎない。

2023/12/16

 人生には様々な出会いがある、自分の自由さで歳を重ねてくると如何なる出会いも必然と思えてくる。自分は人生自体を必然の出会いと思い込んでいる。

 

 バッハとの出会いも必然であり、この音楽に必然の出会いを楽しませてくれる思いを受けている。今年初め妻が脳梗塞で1週間の昏睡状態で先に逝った事で自分もそうありたいと思った。

 

 看護師さんが「昏睡状態でも聞こえてますよ、どんな奥さんでしたか」と言われ「やんちゃな妻でした」と話すと顔を少し動かし「余計な事を云うな」と聞こえたのであろう。

 

 自分も1週間の昏睡で逝くならバッハの音楽を聴きながら逝けたら嬉しいと思った。何を聴きたいだろう、一週間同じ曲を聴いて逝きたい、今聴いているイギリス組曲であろうか。

 

2023/12/15

 書架に久しく「頭がよくなる思想入門/新野哲也」という著書が23年前に発行されている。ある日の書店で目が止り、こういう本は読む気がしない一体何が書いてあるのかと巻末のあとがきを見て読んでみようと思った記憶がある。

 

 あとがきに「真剣とは何か、ときどき動物園にゆく。動物たちの目は切なくなるほど真剣だ。静かだが一部のスキもなく、ひっそりと野生の魂を宿している。真剣とは余計なものがそぎ落された意志そのものかもしれない」

 

 その頃はクラシック音楽をよく聴いていた。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、モーツアルトのハイドンセット、マーラーの交響曲、等々を思い出す。自分の流儀で何度も繰返し聴くうちに何か物足らなさを感じたに違いない。

 

 そんな時にバッハの音楽の真剣さに出会った。上記あとがきに記されているように余計なものがそぎ落とされた意志そのものと出会った気がする。何度も繰返し聴く毎に他の音楽にはない新しさを感じ出した比類ない音楽である。

2023/12/14

 バッハの音楽に辿り着いて久しい。相変わらずバッハの音楽を聴かない日は無い。オーデイオにセットして2ヶ月以上は同じ曲を聴いている。何度繰り返し聴き続けても新しい音楽を聴くように思われてならない。

 

 今はイギリス組曲を聴いている、一階の書斎で1番から3番まで、二階のリビングで4番から6番まで。バッハの音楽とはいったい何だろう。某演奏家は「バッハは人間に聴かせる為でなく神に聴かせて恥ずかしくない音楽を作っている」と語っている。

 

 自分の自由さでバッハの神とは人間を存在させている必然性の働きと思える。人間は必然的に生まれ、必然的に老い、必然的に病み、必然的に死んでゆく、全て必然の営みと思えてならない。バッハの音楽はその必然性のための音楽のように思える。

2023/12/13

 孫息子3人とも成長して東京の息子家族は22歳の大学生T君、娘家族には今年東京で就職した25歳のS君と九州の大学生で来年就職する22歳の大学生R君だ。

 

 思いつきで今年から3人宛てに連名の手紙を送ることにした。年に4回、10月はR君が就職する企業の社是が「論語と算盤」なので読書のすすめに下村胡人の「論語物語」を取り上げた。

 

 今日は2回目として井上靖の「孔子」を取り上げた。一回目には読書も人間関係の勉強と勧めたがいつか読んでくれれば良い。2回目もそのつもりで書いてみた。

 

 自分が結婚したのは24歳だったのでS君の歳には息子が生まれていたことに気付いて曾孫の顔をみたいものと思った。自分なりに家族は嫁が中心という望みがあるがさて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023/12/12

 「 難しいことを優しく、優しいことを面白く、面白いことを深く、深いことを愉快に 」井上ひさし氏が伝えた言葉である。あらためて優しく、面白く、深く、愉快に人生の指針を覚える。

 

 そして會津八一「學規」の第一項「ふかくこの生を愛すべし」第二項の「かえりみて己を知るべし」第三項「學藝を以て性を養うべし」も然り、優しく、面白く、深く、愉快に重なっている。

 

 さらに學規の第四項の言葉である「日々新面目あるべし」こそ優しく、面白く、深く、愉快にあるべしの心を考えさせられる。

「學規」は家訓としているのでこの言葉に恰好の思いを受ける。

 

 

 

2023/12/11

 息子が高校生の頃のある日、小桜インコの雛を手のひらに包んで帰ってきた。テーブルに下すと直ぐに息子の手のひらに戻って行く、そんな刷り込みの習性であろう姿を思い出す。

 その日からトットという愛称で家族の一員となり15年間の歳月を過ごした。誰よりも自分が一番可愛かったのであろう、その頃の日記に彼女の容姿をこう記している、

 

 潤んだような黒い瞳、エッグシェルの嘴、頭部はラセットオレンジからドーンピンクに、背はメドウグリーンからフレッシュグリーンへ、尾羽はサファイアだった。

 カタカナ語の色相は、その頃趣味で油絵具の抽象画を楽しんでいたので使いたかったのであろう。彼女と遊んだ好ましい日々を綴った日記だけ取り外し小冊子にしている。

 

 毎日運動をする習慣で鳥籠から出して離れ部屋の息子の部屋と私の書斎の間を飛ばすととても喜んでいた。私の指に止まり息子が呼ぶと飛んでゆき、私が呼ぶと素早く帰ってくる。

 指を出さないとホバーリングする、テーブルの上で習性であろうか新聞紙の端を細く切取り尾羽に飾ったり、コップの水の中へ頭を突っ込んで水浴びをする姿も可愛かった。

 

 近所に鳥の餌を買いに行く店があり、そこでトットの話をすると店主の奥さんが嬉しいことを言ってくれた。小鳥を愛する人は何故か幸せな人が多い、お世辞でも嬉しかったことを思い出す。

 ともあれ幸せな気持ちになるのは、今では自論として思い込んでいる遺伝子の働きであろう。もう一度飼って可愛い姿を写真集にしておきたい思いもある。