アドラー心理学と子育て(2) | ★こころノート★心の問題(心の悩み・心の傷・心の病)をいろいろな角度から考えるネットカウンセラーのブログ

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「アドラー心理学と子育て」の2回目です。

前回は、「アドラー心理学の概説」と、アドラー心理学が最終的な目標とする「共同体感覚」について説明しました。

アドラー心理学に関する多くの説明が、「共同体感覚」の説明を最後にもってきます。

「アドラー心理学と子育て」をテーマにする場合、「どこを目指して子育てするのか」が分かるよう、「共同体感覚」の概念を初めに説明しておいた方が良いだろうと思いました。

今回は、アドラー心理学における「ライフスタイル」と「優越性の追求と劣等コンプレックス」について見ていきます。


【ライフスタイル】


まず、前回取り上げた「共同体感覚」に必要な3つの要素を確認しておきます。

それは、


① 他者信頼:他者は私を援助してくれる

② 自己信頼:私は他者に貢献できる

③ 所属感:私は仲間の一員である


というものでした。

子どもが、感覚的に「この3つのものが自分にはある」と言えるようになることが、子育ての目標になると言って良いでしょう。


「ライフスタイル」とは、この「共同体感覚」と関連した概念だと言えます。

「アドラー心理学と子育て」をテーマにしたとき、このキーワードが先に説明されることも少ないと思いますが、あえて最初に説明しておきます。


アドラーが言う「ライフスタイル」とは、少年期ぐらいまでに獲得した価値観や性格で形づくられるものです。

アドラーは「10歳までに形成される」と言っていますが、「15歳まで」とする後継者もいます。

こう言われると、「ライフスタイル(価値観など)は、親が子どもに与えたものによってつくられる」と理解してしまいがちですね。

「ライフスタイルと子育てに密接な関係がある」のは確かですが、ライフスタイルは親が子どもに与えたものではなく、「自分(子ども)が選択し完成させたもの」と考えるのがアドラー心理学の特徴です。

そして、アドラー流「ライフスタイル」のもう1つの特徴が、「ライフスタイルはいつでも変えられる」というものです。

自分を不幸にしてしまうライフスタイルに気づき、それを、いつでもどこからでも変えていくことができるというのがアドラーの主張です。

ライフスタイルを変えるためには、自分のライフスタイルがどうなっているかを知るための要素が必要ですが、アドラーは次の3要素を提案しています。


① 自己概念(私は~である)

② 世界像(世の中の人々は~である)

③ 自己理想(私は~であらねばならない)


これを子育てに応用するには、、


①「この子は自分のことをどう思っているのだろう?」

②「この子は世の中のことをどう思っているのだろう?」

③「この子は自分はどうあるべきだと思っているのだろう?」


という関心を、常に子どもに向けていることが大事だと言えるでしょう。

ここで、「あなたは~だ」「世間というのは~だ」といった親の価値観を押し付けないことが大切になりますが、それについては、もう少し後(次回の記事)で説明したいと思います。


先ほど、ライフスタイルを「自分(子ども)が選択し完成させたもの」と言いましたが、この場合の「選択」とは、必ずしも意志的に選択したものとは限りません。

例えば、親が時間にルーズな生活をしている場合、子どもは、知らず知らずのうちに「時間は守らなくても良い」という価値観を選択してしまい、自分も時間にルーズな行為をしてしまいます。

そして、それは親の方からしても、「そんな価値観を教えた覚えはない」ということになります。


このような価値観が加工されて、一定の行動パターンが形成されると、それが性格となっていきます。

こう考えると、ライフスタイルは不幸感や幸福感にもつながっていくものだと分かります。

幸福感が多くなるライフスタイルとして、アドラーが提唱しているものが「共同体感覚」となるのです。



【優越性の追求と劣等コンプレックス】


人は誰しも無力な状態で生まれてきます。

アドラー心理学では、「人は無力な状態を脱したいという普遍的な欲求を持っている」と言います。

この普遍的な欲求を「優越性の追求」と呼びます。

人は生まれた時から、「より良い自分になるための行動意欲」が遺伝子に組み込まれています。

赤ちゃんが教えなくてもハイハイするのは、この行動意欲があるからだと言えますが、二足歩行をしたり言葉を話したりするのも、「優越性の追求」を本能的に持っているから成されるものです。

ただし、二足歩行や言葉を話すといった行為は、人(親など)の協力が不可欠です。

他者の力を借りながらも、「歩こう」「話そう」という意欲は十分発揮されていて、それらの行為を嫌がるということがありません。

この姿が「優越性の追求」と言えるでしょう。


子どもは、優越性の追求によって自らの力で育とうとします。

しかし、人間は理想に到達できない自分に対し、まるで劣っているような感覚を抱きます。

これが自然と発生する「劣等感」です。

別の言い方をすると、「健全な劣等感」とも言えるでしょう。

この健全な劣等感があるからこそ、人は「まだまだ未熟だ、成長しなくては・・・」といった意欲を持ちます。

アドラーは次のように言っています。

「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である。」


この「優越性の追求と健全な劣等感が共存している状態」を「本来の自己」としましょう。

優越性の追求や劣等感が目指すものの先には、「理想の自己」があります。

理想の自己との比較において、健全な優越性の追求や劣等感が生まれます。

それが「本来の自己」ですが、人間はこの「本来の自己」を保ったまま人生を過ごすことはできません。

なぜなら、人間は生まれて間もなくすると、他者と比較することで生まれる劣等感が複雑に絡み合ってくるからです。

この人間関係の中で複雑に絡み合う劣等感を「劣等コンプレックス」呼びます。

日本人は「コンプレックス」を「劣等感」と同じ意味に使いますが、もともと「コンプレックス」とは、「複合体(複雑に絡み合ったもの)」という意味です。

おそらくアドラー心理学の「劣等コンプレックス」のイメージから、そのまま「コンプレックス」が「劣等感」となったのでしょう。


他者との比較によって生じる「劣等コンプレックス」は、「優越性の追求」や「健全な劣等感」の働きを妨げます。

「理想の自己」を見えなくしてしまうのです。


「劣等コンプレックス」を生じさせる最初の他者とは誰でしょう?

それは、やはり親だということになります。

親が自分の思い通りに子どもをコントロールしようとすると、他者(親)の価値観との比較によって劣等感を生じることになります。

子どもは「親のコントロールを受ける自己」と「本来の自己」との軋轢で、ストレスをため続けてしまいます。

そして、優越性の追求を手放し、親の引いたレールをストレスを抱えたまま歩み続けなくてはいけなくなるのです。

健やかに子育てをするには、親による健全なコミュニケーションが必要となってきます。

子育ての悩みの大半は、誤ったコミュニケーションが原因だと言えるのです。


子どもに「そんなこともできないのか!」と怒った瞬間、「‟そんなこと”ができる人間がまともであって、それができない‟ぼく”は情けない人間だ」という価値観が子どもに生じ、それが劣等コンプレックスの片鱗となるのです。


劣等コンプレックスを持たせてはいけないと考えた親が、小学2年生の子どもに、「テストで100点をとれば、褒めてご褒美をあげる」と約束したとします。

子どもは一生懸命勉強していつも100点をとり、いつも褒めてもらい、自分が望むご褒美をいつももらっていました。

そんなことが2年間続いて、小学4年生になったとき、だんだんと100点をとることができなくなりました。

子どもはしだいに「自分はダメな子だ」と劣等感を持つようになりました。


この子どもにとって「理想の自分」とは何でしょう?

「褒めてもらい、自分が望むご褒美をもらっている自分」ですね。

ところで、「褒めてご褒美を与える人」は誰でしょう?

当然、親(他者)です。

ということは、この子どもは、親の目を意識しないと達成感を味わえないということになり、親の関与が不必要な劣等感を生んでしまっているとも言えるのです。

子どもは他者(親)の評価を気にして自分の価値を判断してしまっているのです。


もし、この子どもが、順調に小学5年生まで100点をとり続けたとしたらどうでしょう?

親から褒められたりご褒美をもらうことでしか、自分の優越性を感じられなくなるのは目に見えています。

しかし、年齢がいくにしたがって、親はあまり褒めなくなります。

そうすると、自分の優秀さを誇示するために、他の生徒に頭の良いことをやたらと自慢したりしてしまうのです。

親から褒められることがなくなっていく分、周囲の者より自分は優れていることをより意識するために、周囲に自分の優秀さを誇示することで、優越性を追求しようとするのです。

これを「優越コンプレックス」と言います。


優越コンプレックスも劣等コンプレックスと同様、他者と比較することから生じる複雑な心理です。

子育ては、このような劣等コンプレックスや優越コンプレックスをできるだけ取り除いていく営みだとも言えるのです。


それでは、親が子どもに行うべき適切なコミュニケーションとは、どのようなものでしょうか?

次回は、その点について述べたいと思います。