我が家の愛犬まぁちゃん
元々、犬には興味がなかった私の元に次男が連れてきたパピヨンとダックスのミックスのまぁちゃんは今年17才になる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240712/16/ymk-ymk1027/7b/3c/j/o0952108015462261201.jpg?caw=800)
息子たちが巣立った後も、この子だけはずっと私の側にいる。
今はこの子が愛おしく、小さいけれど大きな存在になった。情けなく弱い私をずっと側で支えてきてくれた。
そして、いよいよ朝方トイレまで間に合わずおもらしするようになり、目は白内障であちこちつまづいたり、耳も遠くかなり大きな声で名前を呼んでもキョロキョロしている。
後ろ足にも力が入らず、歩くのもやっとという状態だ。
小さなことでも病院へ足を運び薬をもらう。
そして、とうとう食欲がなくなってしまった。
ああ、もう肉体が限界なのかもしれない。
それとも、肉体がその機能を終える準備をしているのかもしれない。
以前次男に
「おかあ、まぁが死んだらどうする?」
と聞かれて
「まぁちゃんは死なないよ?」
と答えたら
「おかあ、魂の解放だよ」と言われた。
魂の解放…………
死んで欲しくない
そう思いたい自分
魂を解放してあげたい
そう思う自分の想いが交差した。
自分にとってと、まぁちゃんにとってを比べた結果、迷うことなくまぁちゃんにとって何が一番なのかを優先した。
16歳頃から、魂の解放の準備(自分の心)を少しずつしてきた。
いつかはその時が来る………………
「死」は肉体が役目を終えて、魂は違う世界へ行く。そして、私もいつかはそこへ行く。
たくさん支えてもらい、ひたすら愛情を注いでくれたまぁちゃんを、さみしくないように見送ろうと、なるべく側に居てたくさん撫でている。
そしてたくさん伝えている。
まぁちゃん、大好きだよ
まぁちゃん、ありがとうね
まぁちゃん、私は幸せだったよ
まぁちゃん、守ってくれて嬉しかったよ
まぁちゃん、愛しているよ
まぁちゃん、うちに来てくれてありがとう
そして、まぁちゃん、もうがんばらなくてもいいよ
おかあさんは、1人でも大丈夫だからね、と。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240712/16/ymk-ymk1027/60/69/j/o1080062815462261203.jpg?caw=800)
そう声をかけながらずっと抱っこしていると、不思議と復活する。
もうダメかも……
も、今日で三度目、また復活した。
私のことが心配で大好きで逝くに逝けない
そう感じる
いつのまにか犬や猫たちを、動物ではなく一つの尊重するべき人間と同様の存在として見るようになっていた。
17年も共に過ごすと、お互いに思いが通じあうし、わかるようにもなった。
以前は「死」は悲しくて辛いものと捉えていた。
それは自分にとって…なのであり、自分のエゴなのだと気がついた。
当の本人はこの世での役割を終えて解放され、痛みも苦しみもない世界に旅立つのだな、最近そう思えるようになったのは、自己に対する「死」を見つめたからである。
せめてこの子を見送るまではがんばろう
この子をきちんと見送るまでは………。
この子に執着して足を引っ張らないように
この子が別な世界で楽しく暮らせるように
そして自分が悔やまないように
見送る準備を日々している。
ずっとずっと愛をくれていたまぁちゃんに
私が出来ることを思う存分する。
まぁちゃん
大丈夫、その時は側にいるからね🥺
そんなワケで、愛犬の介護に集中している現在で、今は生活の全てがまぁちゃん中心
にしたいが、そうはならない。
が、臨機応変でなるべくは側にいたい。
今出来ること、出来る範囲で、見守りながら側にいる。
これも初めての体験であり、そして最後の体験としたい。
まぁちゃんが、心置きなくあの世へ行けるように執着から離れ、依存をやめる準備を意識している。
あの世での再会を楽しみにしながら、私も全力で生きようと思う。
この子のように……
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240713/20/ymk-ymk1027/4f/74/j/o0821108015462708887.jpg?caw=800)
生涯で1度の愛犬まぁちゃんの記録とします。
ありがとう、まぁちゃん❤️🩷