大東亜戦争への道(前編) | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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満州事変とその後のアメリカとの関係

 日露戦争(1904~1905)と満州事変(1931)の間には第一次世界大戦(1914~1918)も存在するのですが、これは主に欧州が戦地であり日本も派兵はするもののおもに太平洋戦線でドイツの植民地を攻めただけであり、欧州には派兵しなかったので割愛します。

 

 さて満州事変は柳条湖事件をきっかけに始まります。満州鉄道が爆破され、関東軍は「これはけしからん!」と満州を占領するのですが、鉄道爆破は関東軍の自作自演であり、とうじの蒋介石ひきいる中国政府は国際連盟に提訴します。

 そしてイギリスのリットン調査団が満州を調査に来るわけですが、日本の満州での権益はみとめるものの、満州国はだめですよという調査結果を提出し、そしてそれは国際連盟での採決において反対は日本だけということになり、国際連盟から松岡洋右が脱退の演説をかまして帰国します。

 ところでこのとき、帰国した松岡洋右は国民に拍手喝采で迎えられるわけですので、とうじの日本の空気がどういうものであったか?が理解できようというものです。

 

 その後、蒋介石率いる中国政府とはにらみ合いが続くわけですが、盧溝橋にて兵士の発砲があり戦闘状態に突入し、ズルズルとお互いに宣戦布告もないままに日中戦争が開始されます。(1937)

 そしてこの蒋介石を支援したのがほかならぬアメリカというわけです。

 このときから、日米はすでに実質的には争っている状態になっていた、と解釈可能でしょう。

日本、中国、アメリカの立ち位置

 日本はとうじ、国際連盟の常任理事国であり五大列強にかぞえられる国際的な地位も獲得していたと思われます。はたして常任理事国の地位をすててまで、満州国を建国するメリットがあったのか?といわれるとはなはだ疑問ですが、そこには満州の石炭や農業にむいた土地などがあり、世界的な不況(1929年)のために獲得したという見方もたしかに可能です。

 しかしとうの石原莞爾は、長州閥ではなく出世のために起こした、という見方もできます。

 

 アメリカはというとこちらも不況で苦しんでいたわけですが、ニューディール政策(1933)などで歯止めをかけて国力回復をはかっていた時期でありました。

 そして中国はというと蒋介石率いる国民党軍と、毛沢東率いる共産党軍の政権争奪争いで、国民党軍が有利という状況でした。

 

 しかし日中戦争(1937)が勃発しますと蒋介石と毛沢東が手を結び、日本に対抗しまして、そこにアメリカの支援がされたという構図になります。

 このような背景から、もはやアメリカと日本が対立するというのは避けがたい状況であったのかもしれません。

第二次世界大戦と主要国構図

 1939年から第二次世界大戦が欧州にて勃発するわけですが、とうじのヒトラー率いるナチス・ドイツの目標は「強いドイツの復活」であったように思われます。

 それにたいして欧州でドイツに対抗できるであろう一角のイギリスは19世紀までは超覇権国であったにもかかわらず、その勢いは衰えていようです。

 これはグローバリズムによる弊害というべきで、現在アメリカが直面している凋落と全く同様の性質のものであったと思われます。

 そしてドイツに占領されたフランスも、じつは当時最強の陸軍といわれていたりしておりまして、またドイツ国境にかまえるマジノ線というフランスの要塞はまさに鉄壁なものでありました。長さを除いては。

 

 そしてドイツは「強いドイツ」を取り戻すために第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約を無視、横紙破りをしまして、これは日本の国際連盟脱退のようなものであり、世界秩序への挑戦ととるべき行動でした。

※イタリアにも言及したいのですが、日本にはあまり関係ないので脇に置きます。

 

 たいして日本はアメリカとの関係がこじれておりましたが、まだ第二次世界大戦開始の時点では禁輸措置はとられておりません。そして日本はじつに7割もの石油をアメリカに頼っていたのです。

 対日経済制裁(ABCD包囲網)がとられたのは1937年であり、これは盧溝橋事件、日中戦争、日本の中国の都市爆撃への制裁として発動されました。

 国際連盟の常任理事国であれば、まだ弁明の機会をあたえられたでしょうが、その機会はざんねんながらなかった。それもやはり満州事変からケチがついていると見るべきでしょう。

大東亜戦争への突入の要因

 アメリカの日本にたいする対日経済制裁は主に1940年からですが、それでも石油の禁輸は1941年の出来事であり、アメリカが国際連盟に加盟していなかったことも要因でしょうが、比較的日本にたいして寛容な態度をとっていたことが窺えます。

 

 このなかで日米交渉がスタートするわけですが、日本の最終譲歩案にたいして一般的なイメージは「アメリカがハル・ノートを突きつけてきた」というものでしょう。

 しかしとうじの日本はイギリス、中国、アメリカの電報暗号を解析していたのは近年の資料で明らかになっておりまして、とうじの東郷茂徳外務大臣も知っていたのですが、アメリカが日本に提示する妥協案はきわめて日本側の案に近いものになっておりました。

 ではなぜ一転してハル・ノートになったのか?これは中国政府の根回しがおおきいと考えられています。

 

 アメリカのハルは日本への妥協案提出前に在米の関係大使にこの妥協案を協議にかけ、了承を得ようとしておりましたが、それに強硬に反対したのが中国大使であったというわけです。

 さらに中国大使から妥協案、つまり石油の輸出再開、そしてアメリカの中国への干渉の停止という条件をうけいれれば中国が滅びる、という危機感のもとに蒋介石に電報がうたれ、また蒋介石もイギリスのチャーチルに電報を打ってイギリス大使を動かしてほしいと打診しました。

 そしてイギリスとしてはドイツと三国同盟をむすぶ日本がアメリカと戦うことになれば、アメリカはドイツとも戦うことになるとふみ、とうじのアメリカ大統領のルーズベルトに妥協案は再考してほしいという電報を打ったとのことです。

 こうしてギリギリのところでアメリカは方針転換をして、ハル・ノートを日本に突きつけたというのが真相のようです。

 よく右翼史観でいわれる「ルーズベルトは最初から日本と戦争したがっていた」というのは、どうも史実とはちがうようです。

満州事変が日本をここまで追い込んだ

 これまで見てきましたことを整理しますと、どうも満州事変こそが日本を日米開戦にまで追い込んだ要因であると私には思えます。

 そして石原莞爾の策謀をおさえられなかったのは、とうじの日本にシビリアンコントロールの概念があまりにもなさすぎたから、といえましょうし、これは「軍部の暴走」と解釈してもおかしくない話だと思います。

 日清、日露と一体となって政治家と軍部が抵抗してきた安全保障の危機ですが、どうも軍部のたがが外れ、日清日露の成功体験から野心的になってしまったのではなかろうか?と思うわけです。

 そして松岡洋右にみられるように、政治家もそれをとどめようとするどころか、国際連盟からの脱退を選択し、そして日本国民もおおいにこの松岡洋右の行動を褒め称えたのです。

 そこにはかつて唱えられた臥薪嘗胆の文字はないように思われます。

※日米交渉にあたった東郷茂徳外務大臣は、開戦を主張する軍部に歯止めをかけて、臥薪嘗胆を主張し、外交交渉にあたったようです。

 

 そしてとうじ、日本で掲げられたスローガンは八紘一宇、五族協和などはアジア・モンロー主義、つまりはアジアにおいてブロック経済をつくり、そのなかで覇権国として日本の独立を保持しようという構想でした。

 世界的な不況、そしてブロック経済という地域内グローバリズム、近隣窮乏化政策、国際社会の遠心力のなかでたしかに仕方がなかった面も大いにあるでしょう。

 しかし八紘一宇というアジア・モンロー主義の奥底には、他国の共同体、民族意識に反して日本が覇権を確立し、統一するという「植民地グローバリズム」な発想があったことも明記するべきでしょう。

 

 植民地主義グローバリズムに抵抗していた日本が、植民地主義グローバリズムになるというのはまことに皮肉なことですが、それが満州事変という事件ではなかったか?と思えてなりません。

 しかししばしば、このような重大なボタンの掛け違いというのは歴史上おこり得るものです。われわれは日本人であるいじょう、この日本の歴史を肯定しつつも、虚心坦懐に事実をさぐり、受け入れ、そしてそこから教訓を見いださねばなりません。

 

 明日はいよいよ、大東亜戦争に突入後を書きたいとおもいます。

 

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本日の男の料理 焼き餃子

 はっはっは、満州事変が出てきたからってわけじゃないんですけどね(笑)本日は中華料理の餃子です。わりと簡単に作れるものですよ。

材料

  • 合挽きミンチ
  • しいたけ
  • 白ねぎ
  • 餃子の皮
  • 胡椒
  • 醤油
  • 日本酒
  • サラダ油
  • 片栗粉

調理手順

  1. 合いびき肉、みじん切りのしいたけ、白ねぎをボールに入れて、塩、胡椒適量。醤油少々、日本酒少々をいれて練ります。粘りが出るまでしっかりと。
  2. 餃子の皮に1をつつんでいきます。餃子の皮の外側に水をぬってネタをいれて、、パクンと半月状にとじて、折りたたむようにおりめをつけます。
  3. フライパンに油をひいて中火、餃子を入れて片栗粉を溶いた水をいれて蓋をして弱火で5~10分で焼き餃子の出来上がり!羽つきですよっと。

 焼き色が足りない場合は、一番最後に中火にして適度な焼き色がつくまで。

 

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