大東亜戦争への道(後編) | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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今日は大東亜戦争の敗戦まで

 大東亜戦争の根本的に大きな原因は、グローバリズムによる1929年の金融危機、そして近隣窮乏化政策に舵を切ったブロック経済、そのなかでの国際社会の摩擦だとおもわれます。

 そして表面の現象としてはドイツ、イタリア、日本などの既存の国際秩序への挑戦として現れます。

 ドイツは莫大な第一次世界大戦の賠償金と、国内の高い失業率からナチス政権をうみだし、日本は欧米列強と競争して中国の権益を獲得したことで対立しました。

 とくにアメリカとの対立が決定的になったのは1940年~1941年であり、1941年11月下旬にハル・ノートを突きつけられ、とうじの東郷茂徳も外交交渉による解決をあきらめたようです。

※ハル・ノート直前までアメリカは、じつは妥協案の提出に動いていたようですが、イギリス、中国との協議がうまくいかず、最終的には開戦を決意したということなのでしょう。

 

 こうして1941年12月8日、太平洋戦争、大東亜戦争と呼称される戦争へと日本は踏み切りました。

日米の国力比較

 大東亜戦争開戦とうじの日米の国力の差はどれくらいだったのか?GDPでいえば4倍、工業生産力に焦点をあてると1937年のヒルマン調査が参考にされるのですがなんと10倍の差がございました。

 戦争といえばおもに工業力が物をいいますので、ヒルマン調査を参考にすることが自然であり、10倍という差はあまりにも決定的といえましょう。

 

 また官邸裏に総力戦研究所というものが設立され、日本中のエリートが集められて開戦前にだした結論は「緒戦では勝てるだろうが、日米開戦すれば戦争は長期化し、最終的にはソ連の参戦で日本は敗戦する」と予測されていたのです。

 つまりは当初から敗戦は予測されており、逆立ちをしても日本が勝つ道筋は皆無であったといえましょう。

 

 一説には日本は早期講和をかんがえていた、といわれますが、日独伊との三国同盟において開戦した後に、単独不講和の協定をむすんでいます。つまり、日本においてそもそも早期講和という戦略そのものが存在していなかったと解釈できます。

日本の戦略上のあやまりはなんであったか?

 そもそも、日本の日米開戦はドイツの快進撃を前提条件にしたものであったといえます。日清、日露においては日英同盟などはあったとはいえ、他国をあてにした戦略は基本的にたてていませんでした。

 しかし大東亜戦争はドイツをあてにし、ドイツが勝ち続けることが平然と戦略の中に組み込まれていたのです。これは明らかに「あまりにも楽観的すぎる」といえます。

 

 大戦略上のあやまりがあるのだから、それを下位の戦略、戦術でくつがえすことは不可能であり、とうじの大本営や日本軍が精神論に傾倒したのも、決して偶然ではありません。それしか「勝てる」という論拠にできなかったから、なのです。

 どのように考えても、大東亜戦争は開戦当初から負け戦が決定していた愚かな決断、という解釈をせざるを得ないでしょう。

 

 大東亜戦争における戦死者は1963年時点で日本政府が310万人、現在の厚生労働省によると240万人とされております。

 さらに衝撃的なのは日本軍の戦没者の6割が「餓死者であった」という事実です。飢餓状態での戦闘での戦没者をふくめると、おそらくもう少し割合はあがるでしょう。

 

 とうぜんこれは、補給線の寸断、そして生産力の低下、精神論に頼った無謀な訓示等々の理由はあげられますが、兵站を軽視してかった戦争なんぞありませんし、兵站を維持できないのに戦争を継続なんぞ本来はやるべきことではありません。

 戦って死ぬならともかく、戦地で餓死というのはあきらかに国家の責任が追求されるべきでしょう。

 

 一部の右翼がいだいているような、日本軍は勇敢に戦ったというイメージはもちろんながら事実の”一部”ではありますが、総合的にみると「戦えもせずに死んでいった英霊」のなんと多いことか。

 私はあの戦争で亡くなった英霊には敬意と哀悼の念をいだいておりますが、このような無茶苦茶な戦争を継続したとうじの日本政府は批判されるべきでしょう。

戦局の転換点

 戦局の転換点としてあげられるのは、ミッドウェー海戦でございますが、もしもこの海戦に勝っていたとしてもいずれはアメリカの国力に押し負けたはずです。

 なにせジョークで「週刊で戦艦が完成し、月刊で空母が完成する」なんていわれるくらいですから、せいぜい戦局の転換を遅らせた程度の効果しかなかったでしょう。

 これにやぶれ、日本は徐々に押し込まれていくわけですが、とうじのアメリカ陸海軍にも欠点がなかったわけではありません。

 といいますか、とうじは常識的に陸軍と海軍の仲が悪いのが普通でした。日本も例外ではありませんでしたし。

 

 そして東京大空襲をむかえるわけですが、これはアメリカの都合が非常によく反映されていたといえます。当初は東京への空襲は軍事工場への精密爆撃によって行われようとしていたのですが、日本の上空にはジェット気流が存在し、とうじの技術ではまったく精密に爆撃ができません。したがって成果も全くあがっておりませんでした。

 

 そしてアメリカの空軍が独立しましたのはじつは大東亜戦争後のことでして、大東亜戦争当時は陸軍の下部組織であったそうです。そしてこの空軍の最高司令官、ヘンリー・アーノルドは空軍の独立を夢みておりました。

 しかしB29での成果があがらず、以前から存在していた焼夷弾による無差別爆撃の計画をカーチス・ルメイに「どのような手段でもよいから成果をあげろ」と訓令するかたちで実行したようです。

 ルメイの戦後の肉声、記録がのこっているようなのですが、これによると「自分の責任で実行した。あとで批判されても、失敗しても、私が勝手にやったことだといえば、最高司令官の責任にはならないからだ」と証言しております。

 つまり東京大空襲、その後の日本の各都市への大空襲の背景には、アメリカ空軍独立という政治的野心、権力争いが存在していたわけです。

 アメリカという国もたいがいな、嫌な国だなぁ、と思うのは私だけでしょうか?

降伏と戦後と占領

 ご存知だとはおもいますのでここからはやや、要点だけを書いていきたいとおもいます。8月6日の原爆投下、そして8月14日にポツダム宣言の受諾、8月15日に玉音放送で”終戦した”といわれます。

 この終戦という表現はおかしくて、敗戦したのです。終戦記念日ではなく、正確には敗戦記念日といわなければなりません。敗戦を記念するなんぞ、たいへんにおかしな話です。

 個人的には「なんじゃそらぁぁ?悔しくないんかい!」と思います。撤退は転進、敗戦は終戦とどうもこのあたりは、日本は戦中、戦後ともに変わってないんじゃないか?などと思ってしまいます。

 

 ちなみに一般的には講和が結ばれてはじめて戦争が終結する、というふうに解釈されますので1952年4月のサンフランシスコ講和条約の成立こそが、大東亜戦争のおわりと定義するのが自然です。

 こうして1952年から日本の”終わらない戦後”が幕をあけます。

大東亜戦争での教訓

 これはいつも書いていることなのですが、戦争をするにしても、外交をするにしても、そして国際社会で戦っていくにしても協調するにしても、国力という要素こそが最重要なのです。

 国力の源はなにか?といいますと、安全保障の要素がひじょうに強いとおもいます。エネルギー、食料、震災対策、もしくは核シェルター、自衛隊の強化、自国の産業保護等々はすべて安全保障の問題に直結します。

 そして安全保障を重視し、国定信用貨幣論から考えるならば、必然的に経済も活性化されます。

 なぜならば経済も、そして安全保障もその本質は「国民の動員によって何かをする」ことなのですから。

 

 とするならば、1998年から失われた20年にはいり、そして国際社会から相対的に見たときに、日本の安全保障が停滞ないし衰退しているのは”必然”なのです。

 なぜならば規制緩和、自由競争、構造改革という政策の名のもとに「国民を動員しない運動」をしてきたわけですから、活性化するほうがおかしいでしょう。

 

 そして大東亜戦争は日本の国力をかえりみず、無謀なほどに版図を広げた結果として、必然的に兵站も分断され、戦没者の6割が餓死するという悲惨な事態になったわけです。

 いざ何かの危機が迫ったときに、あてになるのは国力であり、平和な時代であっても常に意識するべきことでしょう。

 ましてや北朝鮮の危機がそこにある状態で、のほほんと「国力衰退政策」を実行し続ける日本政府は、糾弾されてしかるべきとおもいます。

 至上命題である国家の存続、それを忘れて放蕩にふけっている時代、それが現代なのかもしれません。

 

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本日の男の料理 湯漬け

 湯漬けとは織田信長が愛してやまない料理の1つだったといわれますが、じつは室町時代の8代目将軍足利義政が大好きな料理でもあったようです。

 一般的にはご飯にお湯をかけただけ、というふうにイメージされますがさにあらず。かけるのは出汁なのですよっと。

材料

  • ご飯
  • 鰹と昆布の出汁
  • 漬物や佃煮、塩鮭など

調理手順

  1. 昆布、鰹節で出汁を取ります。鍋に水を入れて昆布を入れ、火にかけて沸騰してきたら昆布を引き上げて火を止め、鰹節を入れて3分放置。濾したら出来上がり。
  2. あとは1をご飯にかけて、漬物や塩鮭、佃煮をのせて召し上がれ!

 だし茶漬けとあまり違わない、というツッコミはありの方向で(笑)

 

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