明恵上人の「あるべきやう」とは | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

今ですね、明恵上人(みょうえしょうにん)のことを書かれた本を
何冊か読んでいるところです。

まだ読みたい本が手に入っていないので
自分なりに明恵さんを書き記すことは
まだまだ先になりそうです。


明恵さんというと、時代としては平安末期から鎌倉初期に活躍した
お坊様で、
若き日に詩を嗜めていらっしゃったり、
華厳宗中興の祖と言われたり、
清僧としても有名ですよね。

私のような奈良人で明恵さんの名を知ることになるのは、

『春日権現験記絵』という、
鎌倉時代に春日明神の数々の霊験を詞書(ことばがき)と絵で
表した二十巻の絵巻物に登場する明恵の話だったりします。

天竺に行きたいと願い企てるも(上人31歳、33歳のころ)
その二度とも春日明神に引きとめられるのです。

この話は、
西山先生の監修・著された『官能仏教』(角川書店)にも
「明恵と善妙」のところで官能的?に描かれていますので、
またこちらの本のご紹介のときにできればと思います。

西山先生は大学時代に論文で、
明恵さんを書かれたことがあるほど明恵さんのことが好きで、
たびたびご著書にも明恵さんは登場します。

海龍王寺の石川ご住職はインタビューさせて頂いたときに、
明恵上人の「あるべきやうわ」を引かれ、
わかりやすい例えを用いながらお話して下さったのが印象的でした。

今日は少しだけですが、
この「あるべきやうわ」について触れておきたいと思います。

明恵さんは法然上人の「選択集」に対しての反論として
「摧邪輪」(ざいじゃりん・邪を摧く論の意)を書いています。

法然上人の極楽を願う専修念仏に対して、
明恵上人はこのようにご宣言されているのです。

「我は後世たすからんと云ふ者に非ず。
ただ、現世に、先づあるべきやうにてあらんと云ふ者なり」(「遺訓」)

「遺訓」というのは明恵上人の弟子であった高信によってまとめられたものですが、

この「あるべきやう」とはどのようなことなのでしょうか。

これについて「遺訓」では次のように述べられています。

「人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持つべきなり。
僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。
乃至、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。
このあるべき様を背く故に、一切悪きなり」

これより前に明恵上人に随っていた喜海は「伝記」で、

「私は後世に助かりたいなどとは思っていない。
それより、現世にある間に「行ずべき様に行じ、
振舞ふべき様に振る舞へ」と説き置かれている」ことを、
明恵上人の言葉として記しています。

明恵上人は自由なものの発想の中でも
形式が大事であることも知っている人であったそうです。

この言葉は、日常をきちんと積み上げていくことが
仏道に従うことになると理解をしていたことを
表しているのだそうです。

ふだんの日常生活において、
自分で決めた本分を守ること、
そして目標に向かってたゆまぬ努力をで歩き続けること。

明恵上人は厳しい修行の中にいて「あるべきよう」という
自由な精神の境地へと達せられたのです。

ここに明恵上人の「自力自行精神」を人は感じ取るわけですね。

この言葉はのちの世にも影響を与えていくことになりますが、
時代の変遷とともに意味の捉え方が変わっていくのです。

現代では
「人それぞれの境遇、能力、職業などに即して、
心身ともに今現在まさに行うべきことを
行うがよいとの思想、精神をあらわす語」(「仏教辞典」)
と定義されています。

自分にとっての「あるべきやうわ」とは何か。
日々の生活の中でふと問いただしてみたくなる言葉だと思います。


それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。