伊東勤(西武現役/捕手/Sランク)
成長タイプ:超晩成/早め
田村藤夫(日ハムOB/捕手/Sランク)
成長タイプ:普通/遅め
続いては、80〜90年代にパ・リーグで活躍した2人の捕手 伊東勤 選手 & 田村藤夫 選手を紹介します。
伊東選手は詳しく紹介するまでもない、西武黄金時代の正捕手ですね。
清原、秋山、辻に続くのは誰?という連想ゲームをしたら、80%の人は伊東と答えることでしょう。
西武VSヤクルトの日本シリーズは、森監督VS野村監督でもあり、伊東選手VS古田選手でもありました。
田村選手は、伊東選手と同じく80~90年代のパ・リーグを代表する捕手の一人でした。
強くはないが特別弱いというわけでもない日ハムに在籍していたおかげか、実績のわりに知名度が低いことは否めません。
それでもキャッチャーとしての実力は超一流、打撃も一発長打があり、いまの時代なら3憶はもらっていたことでしょう。
そんなパ・リーグの歴史に残る2人の偉大な捕手。
やきゅつくでも当然のように、やきゅつく史に残る活躍をしてくれます。
まずは伊東選手。
新世紀34年にドラフトで入団します。
当時の正捕手は瀬戸輝信選手(カープ)で、まだ32歳。能力的にもけして悪いキャッチャーではなかったのですが、伊東選手が相手ではさすがに分が悪かったのか、出場機会を求めてFAで退団します。
そこからは伊東選手の独壇場、2年目から20年間にわたり、不動の司令塔です。
当時のセンターラインは、捕手伊東を中心に、二塁に富岡健治選手(架空)、遊撃に川相昌弘選手(巨人)、中堅に秋山幸二(西武・ダイエー)と、その鉄壁さは最強でした。
それはまるで、西武黄金時代を見ているようでした。
終わってみると、通算成績は、試合数、打席、安打、打点、盗塁は、捕手の中で歴代最多。
伊東選手は、最強捕手というより、最高捕手という言葉が似合います。
なおこれほど偉大な捕手がいると、同時期に在籍した2番手捕手たちはまあ不遇で、出番はロクにありません。
相川亮二選手(横浜)、鶴岡一成選手(横浜)、西山秀二選手(カープ)・・・最初に追いやった瀬戸選手と言い、伊東選手は横浜とカープに恨みでもあったのでしょうか・・・
続いては田村藤夫選手。
新世紀109年、ドラフトで入団します。
当時の正捕手はベテラン内之倉隆志選手で、まだまだ田村選手相手には負けないであろうに、FAで退団してしまいました。
降ってわいたような正捕手の座を本日2回目の登場、鶴岡一成選手(横浜)と争い、勝利。
そこからは18年に渡り正捕手を務めあげます。
当時のセンターラインは、捕手田村を中心に、二塁に白井一幸選手(日ハム)、遊撃に定岡智秋選手(南海)、中堅に堀幸一選手(ロッテ)と、その地味さは最強でした。
それはまるで、東京ドーム時代の日ハムを見ているようでした。
2番手捕手殺しだった伊東選手と違い、2番手もほどほどに出番を与えた優しい田村選手。
前半は鶴岡選手、後半は小島新太郎選手(架空)に支えられ過ごした現役生活23年は伊東選手を超え、野手では古久保選手に次ぐ歴代2位です。
また現実では通算110本塁打とパンチ力がありましたが、私のチームでは二桁本塁打は一度もなく、通算本塁打は現実の半分をやっと超える56本。
さすがに少なすぎという気はしますが、数多くいる専守防衛型捕手のリーダーは、田村選手といえます。
そう、田村選手は司令塔たちの司令塔なのです。(ドヤァ
歴代「最高」捕手 伊東勤に、司令塔たちの司令塔 田村藤夫。
さすがは、パ・リーグを代表する名捕手たちです。
~伊東勤~
<通算成績>
実働22年 レギュラー20年
2824試合 11283打数 3377安打
.299 310本塁打 2106打点 763盗塁
打点王1回、最多安打2回
<キャリアハイ>
140試合 604打数 189安打
.313 25本塁打 120打点 54盗塁
最多安打
<年度別成績>
~田村藤夫~
<通算成績>
実働23年 レギュラー18年
2466試合 8188打数 2154安打
.263 56本塁打 889打点 19盗塁
<キャリアハイ>
140試合 488打数 141安打
.289 6本塁打 75打点 0盗塁
<年度別成績>