中村勘三郎のドキュメントをみた。
死んだばかりの人の、生前の映像をたっぷり二時間見たらそりゃあどうしたって厳かな気持ちになる。オナニーするきなんておこらない。

それはさておき、すごいひとだったんだなと思う。歌舞伎という世界において大きな損失だったんだなと思う。

何となく、生前葬というのをしたいと思った。死んだ後にドキュメントが流れ、いろんな人たちに涙を流されても、当の本人は見ることができない。それがもったいないと思った。
死ぬ前に、自分を忍んでくれる人たちとちゃんとお別れができたら、それのほうが素晴らしい。
そんなことをして区切りをつけてしまうより、できるだけ長く生きてほしいと周りの人は思うだろう。だけど本人にとっては、生きられる時間があと半年だろうが一年だろうが、あとはいかに自分が自分であり続けられるか、ということじゃないだろうか。

人間という生物は、生物として初めて、生きることが生きる目的ではない種になっていったのかもしれない。
長く生き、多くの子孫を残す。
もちろんそれが一番ダイレクトな方法なんだろうけど、そうじゃないやり方もあるかもしれないと。
人間という生物がそういうふうに進化していったこと、もしかしたらそれも一つの種の多様性、種の保存という枠組みの中にあって、その新しい多様性の形のひとつなのかもしれない。