見やすいとはいえない映画で、なんだかモヤモヤするような、安心して委ねられないような感覚で見ていた。

ただ終盤に差し掛かっていくにつれたまらなく切なくなり、涙が出た。それほど感情移入していたわけではないので(しかも意図的にそうしないように作られていたと思う)それが不思議だった。


見づらさの理由は単純だ。状況や主人公の心理描写の圧倒的な説明の少なさ、そしてそれによってストーリーの明確な構造が提示されないことだ。

まず主人公の青年がなぜそれほどに飛行機(作り)を愛するのか。そこにはなんの事件もトラウマも描かれない。私たちが確認できるのは、彼の飛行機に対する情熱と衝動のみである。

だから彼は一度も飛行機を作ることに迷わない、あるいはそれは明確に描かれない。試験飛行が失敗しても、恋人がどんな状態でも、飛行機を作ることはしなければならないことの様に彼はふるまう。

それはドラマにならないからだ。迷ったときに立ち返り、再確認するべき論理。国を守る使命感だったり、愛する人を守りたかったり、復讐心だったり、そういう過程を乗り越えて、道に迷ったヒーローは

帰還するのだから。

あるいは、そのような正当な理由なく衝動に身を任せること、それ自体に苦悩するしか残された道はない。だがそんなこともなく淡々と仕事を続ける主人公を見ると、「飛行機作り」はこの物語の(柱であるのは間違いないが)メインテーマではないのだと、「物語」の仕組みに慣らされた私の頭は無意識に判断してしまう。


ではもうひとつの柱である、一人の女性との愛と、その終わりはどうか。

これも実はあまり細かい心理描写はされていないのだ。二人の出会いである関東大震災の場面は、それなりの強調と細かい描写がされているのだが、その数時間の出来事の次に二人が会うのは何年後かの軽井沢(らしき場所)である。

そこで二人は一緒に雨にぬれたり、紙飛行機を飛ばしあって仲良くなるのだが、まあ若い女性、しかも裕福そうなお嬢様が、あからさまに空気のよさそうな場所で、白い服を着て何をするでもなく絵を描いて過ごしていたら、そして一緒に来ているのは隙のなさそうな父親となれば、それはもうその恋が成就するには様々な障害の種が備わっているというものだろう。

しかし、成就は意外とあっけない。主人公は彼女の父親に、特に決意をするでもなく話の流れであっけらかんと愛していると告げ、父親は身分の差を理由に反対するでもなく、話を聞いていた彼女が現れあっさりと承諾し、ただし結核だから治してから結婚しますという。それを聞いた主人公は暗い顔ひとつせずに100年だって待つという。ここまで演出的なタメもあまりなく、ほんとうに淡々と二人の恋は成就する。まあジブリだしあまりギスギスするのも見たくないが、少し肩透かしな印象である。

そうしてその後も、彼女が喀血したり病院を抜け出して一緒に住んだりするのだが、印象的なシーンが二つある。

初夜の場面とタバコの場面だ。

病院を抜け出してきた彼女と同棲することになり、じゃあその前にということで二人は下宿先で即興の結婚式をあげる。ちなみに父親は「父も許可してくれました」と彼女が一言いうだけであり、登場さえしない。障害どころか非常に物分りのいい親父である。そして初夜を迎える二人。電気を消すと「こっちへきて」と彼女が言う。「でも…」と主人公はいうが、「いいの」と彼女はいう。そして同じ布団にはいる。直接的な描写はないが、ジブリでベッドシーンって見覚えがない。まあそれ以外のシーンでも頻繁にチューするこの二人はその時点で珍しいけど。まあ大事なのはそこではなく、「いいの」といわれて「じゃあ」とはいわないけど同じ布団に入ってしまうことである。

タバコの場面というのも同じようなシーンである。

飛行機の設計が大詰めを向かえ、部屋でも仕事する主人公。電灯に布をかぶせて隣で寝る彼女に明かりが当たらないようにする。彼女が「ずっと手をつないでいてほしい」といい、彼は嫌な顔せずに片手で作図をする。しばらくたって「タバコ吸いたい、ちょっと放していい」と聞く。「ダメ」と彼女、そして「ここで吸っていいよ」という。「ダメだよ」と主人公はいうが、「大丈夫」みたいなことをいわれて結局そのまま隣でタバコを吸ってしまう。

これらのシーンを見ていると、ラブストーリーとして安心して見ることもできなくなっていく。彼女が血を吐けば駆けつける、手をずっとつないであげる、だが彼女のために全てをささげることは決してしない。空気のよくない東京に彼女を置いておきながら、昼間は仕事に行きほっておくことになるのだから。しかしそのことを上司や妹に責められても、「飛行機作りをやめることはできない」「僕たちには時間がないんだ」という主人公。仕事(この場合は「やりたいこと」のほうが正しいかもしれない)と彼女、その悩みすらも描写はされない。これは私の思うラブストーリーのテンプレート、二人で困難な障害を乗り越えたり、相手のために自分の全てを犠牲にしたり、からはまったく外れている。逆に言えばハウルなんかは見事にラブストーリーしていると思うんだけど。


以上のようなことから、私は見ていても何だか全て淡々としていて、柱はあれどどちらも本筋ではないような、何を見せられているのかわからない居心地の悪さを感じた。だから、今までの宮崎駿作品のような娯楽性を求める観客ががっかりするのもわかる。

ただ、この「飛行機」と「恋」どちらにも寄らない、寄ることを拒否しているようにさえ見える脚本と演出は、かなり確信的にそのように作られていることは確かだと思う。ラピュタやナウシカ、トトロを見て育ってきたのだ。一本筋の通った話を作れないなんてことはどう否定的に見ても考えられない。だから、そのストーリーの構造をあげつらって批判するのは的外れだと思うし、大人の見方としては、なぜそのような方法を取ったのかを考えて行きたい。


もしこれが吾朗の作品だったら「またつまらんもん作って!」と思うかもしれない。贔屓目が入っているのかもしれない。でもそういう風に思えるのは、ただそれだけではなくて、「なんかいまいちだな」と思いながら淡々としたままこの映画が終わりを迎えようとしているときに、何年かぶりに他人に見られたくない顔で泣いたその感動の理由を知りたいと思うからである。