震災に関しての、被災地へのボランティアや原発への危機感
または話題の選挙や社会問題
これらがいまいち他人事としか思えないのは、今の自分の状態に全く納得していないからなんだろうとふと思った。
自分のことすら全然満足にできていない状態で、それらのことに自分のこととして向かい合うのは、それはその状態から逃れたいという思いからくるものではないのか、という疑念をどうやっても否定することができないと思うからだ。満足している生活を守るために、あるいはそれを捨ててまでそれらに向き合うことこそに意味があると思うからだ。

すべての原因はそこなのだ。
なんとなく自由に生きてるつもりで、それを羨ましがられることもあって、なんとなく満足しているように装っているけど、その実プライドと現実の途方もないギャップに絶望しているだけだ。それを埋める努力もせずに、厭世観を気取っているだけなんだろう。
だからやっぱり今僕がやるべきことは、自分を取り巻く状況に関心を持つことじゃなく、自分の中にあるものを何とかすることなんだろう。
外のことにいろいろ言えるグレードに人としてまだ立っていないということなんだろう。