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星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 我が国では菊 鶴 菱 荊 桜に並ぶジャニーズのタブーに挑んだ男 

 決して好きな政治家ではないが、彼もある種の革命家ではあるのかも知れない

 

撮影:名倉マミ

画像

 

 ただ、あたしが昨日梅田で彼の話を聞いた所では(この写真を撮った時ね)、彼は「レイプ被害者が撮影したジャニ―喜多川の寝顔動画を明日の政見放送で流す」と言ってたんですよ。

 あたしはその放送を観てないんですが(多分住んでる地域では流れてない)、それらしいものは含まれていなかったみたいです。

 

 蛇足ながら、ご存じない方のために一応注釈しますと、我が国には昔から「マスメディアなど、誰も触れることができない五つのタブー」というものが存在すると言われます。

菊:皇室

鶴:創価学会

菱:山口組系暴力団

荊(いばら):部落解放同盟

桜:警察

 です。決して花札ではありませんよ。

 

 他にもある気がしますけどね。統一教会とか統一教会とか統一教会とか。

 それに「TOUCHABLE」(手は届く)であることを証明したんだからこの人もやっぱり革命家と言っていいんだろう。

 

山上徹也 画像 に対する画像結果

 

 ところで、「アンタッチャブル」(触れることができない)というのはアル・カポネのことではなく、買収などに絶対応じない当局のことを指す、というのがかっこいいですよね。

 

画像

 

 あたしのとても好きな映画の一つです。

 映画の中でも、カポネの放った殺し屋がアンタッチャブルのメンバーの一人を撃ち殺して「TOUCHABLE」(手は届く)と壁に血文字で書き残して挑発する場面がありましたね。

 徳永信一とかいう弁護士による「俺は子供の頃、女子のトイレを覗いていた」「なぜ被害者が偉そうにするんだ。被害者の方が恥じるべきだろう」という発言がツイッターで物議を醸しています。

 

誰かと思ったらここに出てる人じゃん

建国記念の日、天皇誕生日、まとめて | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

 

一応原文

 

 色々とアレな人なのは確かですが、ここではこの発言だけに絞って考察してみたいと思います。

 

 昔の創作物では割とあったんですよ。

男「誰にも言えないような恥ずかしい目に遭わせてやる」 

女「誰にも言えないような恥ずかしい目に遭わされました」 

 みたいな場面が。

 

 しかし、時代は変わりました。

 性犯罪・性暴力の被害に遭うこと、それを公にすることは恥ずかしいことではないんです。恥ずかしくありません。

 これは性犯罪に限らずですが、恥じるべきなのはどんな場合でも加害者の方なんです。

 

 あれ?もう終わってしまいました(・_・;)

 

 遠い昔ですが、あたしも同性から言われたことがあります。

 「世の中には、誰にも言えないような恥ずかしい目に遭わされた女の子もいる。それに比べたらあなたは大したことない」

 という趣旨のことを(PTSD、大学中退に追いこまれるほどのいじめ、ハラスメントって大したことないかな)。

 

 性犯罪・性暴力にしても、いじめ・ハラスメントにしても同じですね。

 被害者は恥ずかしくないし、「どっちがより深刻か」比較することもできません。

 

 このブログを続けて読んで下さっている方はご存じのことかと思いますが、男性からの被害でした。

 彼は現在、あたしの中退した母校で教鞭を執っています。非常に高い社会的地位を得ているわけです。

 彼から性的な被害を受けたわけじゃないですが、この件にジェンダーが全く関係ないとは思わないですね。ここでは追究しませんけれど。

 

 蛇足ながら、大学は卒業したんですよ。今月ね。ほとんど四半世紀ぶりにね。大学も専攻も別ですけどね。 

 卒業証書を手にしたあたしの気持ちを想像しながらこの曲を聴いていただけると嬉しい。

 

GRAN TURISMO 6 All My Life - daiki kasho 和訳付き (Full Version) - YouTube

 

 あたしの私淑するとあるお方が仕事でのインスピレーションを形にする時にかける曲だそうで、あたしも今日初めて聴きましたが、これ、トラウマからの快復途上にある全ての人に贈りたい。

 

 

 

 

-------(以下、リンク先から本文転載)

 

エホバの証人による児童虐待を否定した教団広報にコメントの撤回と #エホバの証人鞭被害者への謝罪を求めます

エホバの証人で推奨され、横行している子どもへの体罰

 「生後半年から叩ける」

 「霊性が低いのは親の鞭が足りてない」

 「いかに親の手を痛めず、子のお尻を痛めるか」

 「(自宅に)帰ったら鞭よ!」

 「鞭も痛かったですが、王国会館で母親から鞭をする為に、口を塞がれた(泣き声を出さなくする)のが辛かったです。」

 これらは、キリスト教系新宗教であるエホバの証人の2世、3世が実際に見聞きした言葉、そして体罰を受けた子どもの悲痛な声です。エホバの証人の会衆(地域ごとのコミュニティ)では、鞭を使った体罰が「ごく普通に、日常的に」行われていました。

証言を否定した協会広報
 2022年11月7日に「エホバの証人」の3世として育った夏野ななさん(仮名)が、国会内で開かれた野党のヒアリングに出席し、熱心な信者だった親から体罰を受けるなどした生い立ちを明かしました。「子どもが親に信仰を強制されず、学ぶ機会を奪われないようにしてほしい」と悲痛な思いを訴えた、という報道がなされました。

 しかし、これを受けて新聞社から取材を受けたものみの塔聖書冊子協会広報は、

 「体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」

 また、行事への参加の禁止については「異教徒の習慣に基づく祝日は参加しないように聖書が教えている。ただ、決めるのは個人で、特定の祝日に左右されない形で楽しい時間を過ごすようにしている」と述べました。

 私たちは、この全文を一切容認することが出来ません。何故ならば、エホバの証人が長年鞭による体罰を教団主導で行なってきたことを、身をもって知っているからです。また異常に多く厳しい教えで縛り付け、違犯者にはペナルティを与え強制してきましたし、「祝祭日は個人に決めさせている」などとんでもない嘘だということも実体験として知っています。

 鞭体罰教育を教団が主導でしていたことは明白であり「体罰をしていた親がいたとしたら残念」発言は、明らかに親に責任をなすりつけています。

 教団が鞭体罰を否定したら僕達は「打たれ損」じゃないか?
 これはあるエホバの証人2世の言葉です。私達発起人はこの言葉に強く同意しました。教団は「神からの権威」をかざして鞭体罰を親達に求め、それで一層強気になった親らは、子どもらに猛攻を加えます。(どのような体罰がなされたかは、下記抗議文をご覧ください。)

 エホバの証人の親からの体罰で、身体にも精神にもダメージを受けたり、自死された方もいます。にもかかわらず、「体罰をしていた親がいたとしたら残念です」などと教団に言われたら鞭を受けまくって育った彼ら彼女らは浮かばれません。
 繰り返しますが、教団広報のコメント全文を、私達発起人は一切容認出来ません。

エホバの証人2世として、署名を届けます
 私たちは、エホバの証人2世として、また鞭を実際に受けたり、集会場で鞭の音を無数に見聞きした者として、署名活動を始めました。

 鞭体罰の被害者の皆さん、
 ものみの塔聖書冊子協会が自分たちの出版物で鞭を強く指導していた事実を確信している皆さん、
 そして、私たちのこの思いに共感してくださる皆さん、
 署名に参加して頂けましたら幸いです。

 なお、エホバの証人の問題はあまりにも幅広く根深いですから、今回は論点を三点に絞ります。

 エホバの証人組織は、組織と親が強大な力を子に振るい、ほとんど黙り込むしか出来ませんが、私達が日本のエホバの証人二世を代表して立ち上がります。集まった署名簿は、ものみの塔聖書冊子協会に提出いたします。

要求:教団広報のコメントの全文撤回および鞭被害者への謝罪を求めます
 私達発起人は次のことをものみの塔聖書冊子協会に求めます。

【1】私たちは、教団広報のコメントの全文撤回を求めます
【2】長年に渡り、教団は鞭教育を主導してきました。それは教団の出版物に証拠として残っています。無数のエホバの証人二世が叩かれて甚大なる被害を受けたことについて謝罪を要求します。その際、鞭教育を教唆していたことを認め、もっと子供や若者を優しく扱ってください
【3】今後、報道機関から取材を受けたならば嘘ではなく真実を語ってください

 エホバの証人の、「証人」という名称に恥じない振る舞いや発言をなさってください。上述の通り、エホバの証人問題はあまりにも幅広く深いもので、今回はこの鞭問題に絞らざるを得ませんでした。

 ご賛同いただけるようならご署名をどうぞよろしくお願いします。賛同欄には姓名を入れるようになっていますが、ニックネームで大丈夫です。メアドは必要になります。

発起人
排斥されていないエホバの証人の 佐藤禎士 西村信一

呼びかけ人
細井由美
時差ぼけヨシュア(スタンドアップコメディアン)
カルト宗教エホバの証人2世
YouTubeチャンネル
medusa
5963
でみ(わらびー)
シンバ
檜垣克亘
大道寺知世
シナモン姉妹(Twitterer)
ハルマゲ丼(日刊カルト新聞特派員)

【参考】
 すでに私達は2022年11月27日付けでものみの塔聖書冊子協会宛に抗議文を郵送しています。

 (署名本文にある抗議文のリンクを開いてお読みいただきましたら、ものみの塔聖書冊子協会が明確かつ露骨に鞭体罰教育を信者に求めるくだりの証拠を多数ご覧いただけます)

 ものみの塔聖書冊子協会は長年に渡り、出版物で鞭体罰を肯定はおろか主導しました。「うんと叩く」「ピシピシ叩く」とあり「鞭は文字通りの鞭打ちだ」という文言があり、本来なら一切言い逃れ出来ないはずを、今回教団は鞭体罰事実を否認いたしました。

 また、発起人が取ったTwitterアンケートでは実に87%の人がエホバの証人の親から虐待を受けて育ちました。教団の「体罰をしていた親がいたとしたら残念です。」は完全なる嘘とはぐらかしです。

 

 これらのデザイン自体は嫌いではないですがツイートの意味がわかりません。

>セックスワーカーはお金だけで性的同意とはみなしておらず、 

 ↑???

 

 真ん中のデザインなんですが、「SEX WORKERS' POWER」と「TRANS POWER」「QUEER POWER」と書かれています。

 なんで「セックスワーカーズパワー」と「トランスパワー」「クィアパワー」が一緒になってるんでしょう。セックスワーカー、即ち性産業従事者の主張とTQの主張は別のものであるはずですが。

 

 話が前後しましたが、「トランス」とは「トランスジェンダー」のことであり、「LGBT」の「T」です。

 「クィア」とは、まだ定義が一定しないようですが、簡単かつ広義に言えばシスジェンダーまたはヘテロセクシャルではない全ての人を指す言葉のようです。「LGBTQ」と言われる時の「Q」です。

 

 あたしはお利口ですから、全部まとめて「シスジェンダー&ヘテロセクシャル主義」「性別二元論」、そして「一夫一婦制/道徳」に対するカウンターなのはわかります。 

 シスジェンダーとはトランスジェンダーに対し、生まれ持った肉体の性と性自認が一致している人のことです。

 ヘテロセクシャルとはホモセクシャルに対し、異性愛のことです。

 性別二元論とは、「この世界には(男らしい)男と(女らしい)女しかいない。いてはならない」という思想のこと。

 「一夫一婦制/道徳」に関しては解説の必要はないですね。

 俗に言っちゃえば、このデザインは「ノンケ男女カップル至上主義」(異性愛の男女が一つがいになることだけが素晴らしい、それ以外は認めない)というこれまでの社会のあり方に対するカウンター、アンチテーゼであるわけです。

 

 ですが、本来なら一つ一つ別々に論議するべき性質のものではないでしょうか。

 いや、トランスとクィアは一緒に論じてもいいかも知れないのですが(ただクィアはトランスに比較して定義が曖昧であり、非常に範囲が広い)、セックスワーカーの話は別だと思うのです。

 

 あたしも極左ですから、一夫一婦制/道徳を疑ってみるアタマは持っています。

 一夫一婦制/道徳は残酷だと思うこともよくあります。

 一夫多妻制などポリアモリーの方が特に女性は幸せになれるのではないかと思うことも非常によくあります。

 

 一夫一婦制のことを英語ではモノガミーといいます。

 それに対し、セックスの対象を一人に限定しない恋愛・性愛のあり方、生き方のことをポリガミーまたはポリアモリーといいます。ポリアモリーの方がよく使われる言い方ですね。

 古くは「フリーセックス」といったやつです。

 

 ただ、やはり今の社会は一夫一婦制/道徳を基に成立しているわけです。

 今は不貞行為をしても「不義密通罪」として刑法で裁かれることはありませんが、民法七百七十条により離婚の理由にはなります。不貞行為をした側は相手に対して慰謝料や損害賠償金を支払わされる場合もあります。

 

 「セックスワーカーを差別するな」というのは一見正論なんですけれども、そういう社会において、「金を貰って不特定多数の相手と性交渉を持つ『職業』の人」に、拭い難い悪徳、不健全のイメージがまとわりつくのは当たり前のことだと思います。 

 セックスワーク派はやたら西欧や北欧を持ち出して美化・正当化したがりますが、その辺の国でも多分同じだと思います。違うんだったら「違う」という所を見せて下さい。謝りますし認識を改めますので。

 

 トランスジェンダーやクィアの中にも「愛する恋人一人としかセックスをしてはいけない」「自分の恋人には他の人とはセックスしないでほしい」と考えている人もあると思います。同性婚を求めている人たちは多分そうではないでしょうか。

 また、「性売買は職業ではない。それ自体が性暴力だ」と考えている人もあると思います。

 なぜ一緒にするのでしょうか。

 雛祭りの話の続き。

 なかなか興味深い議論を見つけたので載せておきます。

 

 

 それは考えたことなかった・・・・!!( ̄□ ̄;)

 「桃の節句」「端午の節句」というイベント自体がジェンダー差別的だ、と考えたことはありますが。

 

 この書き手は多分、五月人形のことを言ってるんだと思いますが、鯉のぼりも元々は「大きい真鯉はお父さん~小さい緋鯉は子供たち~♪」です。お母さんは登場しないのです。「子供たち」は当然息子たちのことで、女の子は入っていません。何ともふざけた、正に家父長制を象徴する風習です。

 今は何となく緋鯉がお母さんでブルーの鯉が坊やのようなイメージになっていますが、これは戦後だいぶ経ってからの後付けのようです。

 

 しかも五月人形って鎧着けて戦に行こうとしてるんだから最悪ですよね。暴力が男子の本分だというのでしょうか。

 それは「そういうもの」として見るべきであって、「これはおかしい」「やめるべき」とか言い出すのは中国の文革思想にも繋がり危険だ、と前項で言ったばかりなんですが、でも「元はそういうものだ」と考えるのはそれはそれで意義のあることのように思います。

 戦支度の五月人形に比べたらまだ、登竜門伝説をイメージした鯉のぼりの方がマシです。桃の節句、端午の節句の形態に明確に反映されている「女は結婚、男は立身出世」という発想が正しくジェンダー差別の本質なんですけどもね。周りの大人(社会)が勝手に性別で子供たちの生き方や幸せを規定してしまう、という性格がこの類のイベントにはどうしても付きまとうわけです。

 最近の若い親はあんまり節句自体を祝わなくなっているようです。トランスジェンダーの子供や大人、そしてもしかしたら外国ルーツの子供や大人もこういう時には辛い思い、寂しい思いをすると思われますので、いい傾向といえばいい傾向なのかも知れません。個人的には少し残念でもあり、外国ルーツの方の話はまた問題が別だと思うのでここでは追究しませんが。

 

 

 なかなか気の利いたことをするものです。

 一番上をレスビアンカップルにして総勢十五人全員女性の「革命的雛飾り」を作ればいいんじゃないですかねえ。牛も牝牛で。

 

【2021.4.13.の再掲載です】

 

 前項の続き。5ちゃんねらーとの自由討論です。

 

 そういえば、この間BSで「必殺仕事人」を観ていたら、娘さんが濡れ衣を着せられて磔の刑になるシーンがあって、画面に一瞬槍を持った非人が映ったのはエキサイトしました。
 考えてみると時代劇で侍と町人以外の身分の人が登場することってあまりないんです。
 せいぜい公家や坊主や百姓がたまに出るかというくらいです。
 ああいう身分の人を主人公にした作品があってもいいとは思います。「カムイ伝」のような。
 

 高校生の時は人権教育でそれ用に作られた映画を観ましたけどね。
 そういう地域だったからです。

 そう思うと「もののけ姫」はなかなか貴重でもあります。


 しかし、このツイッタラーたちの言ってることはなんか変な気もします。NHKで制作される大河ドラマのことを言ってるんでしょうかね。
 言わんとしてることはわからんでもないし、あたしも子どもの頃は同じようなことを思いましたが、NHKといえば半ば国営放送みたいなものなので、反体制的思想を全面的に押し出したようなものは作れないんです。
 特に国家を悪者にするようなものはやりにくいし(現代劇だと尚更)、一向一揆みたいに特定の宗派に偏るようなものもだめです。
 だからお坊さんも細川ガラシャもやれないのです。個人的には非常に観たいのですが。

 近代大河でも、近代資本主義の父とかクソおもしろくもないものしかやれない。大杉栄とか伊藤野枝の方が絶対おもしろいのに絶対にやれない。朝ドラでも平塚らいてうなんてやれない。与謝野晶子が絶対五千円札に登場しないのと同じ。少なくとも自民党が政権にある限りはあり得ないのです。
 大人なんだからそれくらいわかりましょうよ。

 

 繰り返しますが、あたしも子どもの頃は同じようなことを思いました。

 しかし、庶民、しかも架空の人物の一生なんか大河ドラマにしても、はっきり言ってつまらないのです。
 昔、橋田寿賀子脚本、三田佳子主演でそういうのもあったらしいけど(ちなみに舞台は昭和)、Wiki見ただけですっごいつまんなそうだし。言い方悪いけど。
 「麒麟がくる」でも毎回毎回ぶっこむ架空の庶民キャラのパートがつまらんって言われてたでしょ。

 

420番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 23c5-YbEf)2021/04/12(月) 00:24:35.77ID:5ySfx4rc0

織田信長とか極悪人だろう
他国を侵略してるし

 

422明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 00:45:06.91ID:mqQQc1DDM

>>420
だから去年のは信長を最後には倒されるべき巨悪として描き、
今までどっちかというと陰惨なイメージを着せられていた人をヒーローにした稀有な大河やろ
実際光秀の人物像は「麒麟がくる」に描かれたものに近かったと思うよ

 

424明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 00:49:09.04ID:mqQQc1DDM

確かに光秀だって「人殺し」であり、「人を殺すことでしか何も解決できなかった人」なのだが、
それはそういう時代だからしょうがなくね?って話だよな

じゃあ駒だか望月東庵だか知らないが、あんなのが主人公で、
信長や光秀は背景に回った方がいいのか、そんな大河観たいのかって話よ
どっちにしたって信長や光秀の話になるだろ、ってことだよね

 

 大河は源平と戦国と幕末ばかりでつまらん、というのも前から思ってましたが、よく考えたらそれ以外の時代を取り上げてもつまらないのです。

 

431番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6762-y3P+)2021/04/12(月) 12:21:47.23ID:EMiPQhZC0

戦国時代の人殺しを社会のヒーローみたく扱う大河ドラマ
を作るNHKが夏になると戦争の悲惨さを語り出す滑稽さ

 

434明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 12:57:57.62ID:7pENS0hdM

>>431
数百年前の戦争→ロマン
数十年前の戦争→悲惨

もうそろそろWWⅠ辺りは「ロマン」になりかかっている
いずれWWⅡも「ロマン」になる時代が来るのか

って社会科教諭の友人が言うてました

 

435明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 13:00:31.60ID:7pENS0hdM

「ヒトラーだっていずれはナポレオンみたいなロマンティックな英雄として評価されるはずだ」
とヒトラーのマブダチのクビツェクが言うてましたな

 

 ホロコーストある限りそれは無理じゃね?と思いますが。

 

439番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ブーイモ MM93-oylz)2021/04/12(月) 13:04:26.30ID:CRbvR5CpM

なぜ戦国時代の戦争は許されるわけ?
いつの時代も戦争は嫌だろ

 

443番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW cbe2-YY2W)2021/04/12(月) 13:20:26.18ID:JEg4bbm50

>>439
だからこそ戦のない世の中を作った家康は最大限に評価されなければならない

 

449明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 14:24:47.42ID:7pENS0hdM

>>443
やっぱり家康って偉大だよな
江戸時代は二百六十五年間あった
その間、我が国は一度も戦争や内戦を経験しなかった
なんで鎖国なんてしたんだろう、そのために近代化が遅れたのにと昔は思ったが、
鎖国のおかげで日本は外国からの干渉を受けず、戦争に巻きこまれず、植民地化されることもなかった
開国したらあっと言う間に国内で対立が起こって幕府が倒れて日本は戦争への道をまっしぐらに突き進むことになる
わずか百五十年ほどの間にどれほどいろんなことがあったことか

二百六十五年って長いぞ
今から二百六十五年前というとまだ江戸時代の中期で明治維新まで百年以上あるんだぞ

 

279番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 4383-f3mY)2021/04/11(日) 10:14:01.11ID:p7CaW7eD0

戦国時代は民衆だってえげつない
百姓たちもイクサに参加して、略奪!レイプ!奴隷狩り!ヒャッハー!ですわ

あの時代の連中は島田紳助を1億倍エグくしたような倫理観もってるわけで
まともに描くと現代人の見るドラマとして成立しない。歴史ドラマなどすべてインチキである

 

485明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/12(月) 21:44:02.00ID:rUmw7ujQM

>>279
「人権」という概念がそもそもなかった時代の話だからな
というか人類の歴史においてそんなもんなかった時代の方が圧倒的に長い
そんなもん生まれたのはつい最近なわけで

 

 あたしの古い知りあいに骨董品を色々集めてる人がいます。
 お客に灰皿を出す時、「こちらはさる大名が使っていたものです」「こちらは町人が使っていたものです」と言って二種類出すと、誰でも必ず大名の方を使う。
 町人の方を使った人は今まで一人もいないそうです。

 人間というのは、肩書というのはそういうものなんです。その程度のもの、と言っても良い。
 誰もが農民のドラマよりも侍のドラマを観たがるのもその程度のことであり、真剣に腹を立てるようなことではありません。


 「武将なんてほんの一握りだ」とツイッタラーは不満を洩らされていますが、「ほんの一握り」だからみんな憧れるんです。
 じゃおまえは有名なロックスターの歌よりも隣のおっさんの歌が聞きたいんかい、人気俳優が出ている大スペクタクル映画より隣のおっさんの日常を綴ったドキュメント映画が観たいんかい、という話です。

 足軽から身を興して天下を取った秀吉なんて日本人男性はみんな好きでしょう。あたしは嫌いですが。

 後述しますが、そういうジャパニーズドリームが可能だった時代が戦国時代でもあるんです。

 

 絵的、シナリオ的に侍の方が美しく、おもしろいに決まっているし、やはり大人になるとフィクションよりも史実を好むようになるんです。年取ると保守的になるので、先がわかっているものの方が安心して観られるという面もあります。
 それとは別に、百姓一揆のドラマがあってもいいとは思いますが。それ以上に、頑張ってそういうドラマを作った人に損をさせない、悔しい思いをさせない世の中であってほしい。

 

 もう一つ、エピソードをご紹介しましょう。

 今はそうでもありませんが、昔、共産党員の家では雛飾りをしないことがありました。
 しんぶん赤旗でも雛祭りの話題は取り上げませんでした。
 雛飾りというのは一番上が天皇と皇后、上から順番に老若男女が階級ごとに雛壇に並んでいます。
 七段飾りの場合、「人間の部」の一番下は靴も履いていないプロレタリアートであり、その下の二段は家畜や道具です。

 そんな表現はけしからん、旧時代の悪しき遺物だ、と共産主義者は考えるわけです。要するに中国の文革なんかと同じ思想なのです。

 あたしも共産主義者で天皇制は反対なんですが、雛飾りが階級差別的だなんて思ったことはありませんでした(ジェンダー差別的だ、というのは考えたことがありますが)。
 雛飾りは楽しいし、何とも心が浮き立つ華やかで麗しい日本の伝統文化、季節の風物詩です。
 美しいもの、豪華なものにロマンを感じ、憧れるのは人間の自然な心の働きなのです。

 ツイッタラーの言ってることには「雛飾りは差別的だからやめるべき」というのと同じ違和を感じます。
 「いや、それとは別のことじゃね?」「言われてみたら確かにそうなんだけど、でも、それは『そういうもの』として見るだろ」という気がします。

 この人の言ってることを真面目に聞くなら時代行列などもアウトです。こういう極端な人が花魁行列を「女性差別だからやめろ」と言ってやめさせたのだと思います。

 

 全て「そういう時代の話」ってことです。
 「今はそういう時代じゃない(はずだ)」ということが理解できていればいいのです。
 数十年前の戦争は(今はまだ)シャレにならないですが、数百年も前の話だから娯楽にもなり得るのです。

 

494番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 7ba6-1WRr)2021/04/12(月) 22:30:18.97ID:JuMML7md0

あとこの時代に庶民とか民衆とかいないから
現代みたいな支配者と被支配者にはっきり分かれてるなんてことないから
武器を持って農林水産業をやりながら、文句があったら武力行使してた
虐殺されるだけの民間人なんてこの時代に存在しねーから

そもそも戦国時代が人気なのも、下剋上で能力があれば成り上がれるから

フェミニズム語る前に義務教育やり直せ

 

 あ~そうそうそうなんです。
 さすが5ちゃんねらー、痒い所に手が届く。

 秀吉は権力を握ると、自分みたいなやつが出てこないようにするため、農民が代々その土地から動けないように検地を行い、武器を使えないように刀狩を行った、って歴史で習ったでしょう。

 士農工商の身分制度は秀吉が足場固めを行い、江戸時代以降に固定化されたものです。
 でも、江戸時代になると支配階級としての美学、つまり「武士道」というものが確立されます。
 だから「侍ってカッコイイ」という憧れも生まれるし、ドラマにもなります。

 ツイッタラーの理屈だと、「チャンバラ時代劇なんか支配階級である武士が刀振り回して人を斬り捨てて問題解決してるだけ」「その人たちだって結局武士の世の中を存続させようとしただけじゃん」ということになるのでしょうか。

 

 ツイッタラーが大河ドラマのことを言ってるのか何なのかよくわかりませんが、戦国時代の武士と江戸時代の武士は(繋がってはいるが)同じものではありません。
 その辺をごっちゃにしたまま論じないでほしいとは思います。

 

531番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ bb7b-ksEv)2021/04/13(火) 11:49:29.95ID:ec3kpBZ+0

中世=自力救済社会
・武士:領土を守り領土を奪い返すために他の武士と戦う人殺し
・農民:水を守り田畑を奪い返すために他の村や武士と戦う人殺し
・商人:権益を守り借金を取り立てるために他のもろもろと戦う人殺し
・庶民一般:落ち武者から金目の物をはぎとり紛争解決のため「解死人」を飼っとく人殺し
・僧侶その他もろもろ:権益を守るために直接やるかやらせるかはともかく人殺し

 

 内戦状態の国というのはそういうものです。

 内戦状態というのは無政府状態、つまり法律や法制度が機能してない状態のことです。

 好き嫌いは別として、家康はその状態を終わらせ、三百年近く続く秩序を打ち立てたから偉大なのです。

 ツイッタラーの理屈だと「北斗の拳」みたいな少年マンガとかは全部だめ、ということになります。
 そういうのはフィクションだからいいのか?それっておかしくないでしょうか?

 (そもそも少年マンガなんか暴力ばかりだろう、という尤もな言説は置いといて)

 

522番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 27b6-1WRr)2021/04/12(月) 23:41:20.85ID:ftIjQpYt0

もののけ姫なんかも既存の武将主義権威主義的な時代劇を否定して
もっと歴史に埋もれた民草に目を向けようってコンセプトだったが
まぁ大河なんかはそういう感覚とは対極にあるよな

 

523番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 6762-EVOA)2021/04/12(月) 23:42:30.12ID:EMiPQhZC0

>>522
民草に関する歴史を検証しようって試みは幾度となくあったけど
すべて頓挫してるんだよね
まず身分の低い人間は読み書きできなかったから記録を残せない

 

 そうです。
 そもそも「歴史」という言葉は「史(ふみ)に歴(あらわ)されたもの」という意味ですからね。
 「書物に書かれていることが歴史なのだ」という言い方は誤解されがち、批判を受けがちですが、間違いではないのです。

 

 今はみんな読み書きができて、自分の思ったことや考えたこと、経験したことを一瞬にして世界中の人に発信できるシステムまで持っていて、しかも政府があって法律があって、その自由が保障されているんだから、いい時代だな~ということです。

 

535明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMcb-51PT)2021/04/13(火) 12:25:18.76ID:X6sk1+agM

>>522
「必殺仕事人」は武士階級の中でも最も身分の低い同心(中村主水)や、
刀を持たない町人が法で裁けぬ悪を成敗するという話だからおもしろかったのかもね
古いシリーズだと、どこかの村長(百姓)が元締だったこともあったよね
頼み人が六地蔵様に頼めば仕事人に届くという設定で

二十世紀最後のTVシリーズ「必殺仕事人 激突!」だと、
頼み人が上野の東照宮に頼めば仕事人に届くという設定で、
大奥のお姫様が元締になってた
つまり権力のお墨付き、バリバリに体制側の仕事人になるわけ
それは従来の「必殺」シリーズの心に反すると思ったな

 

 「必殺」シリーズは制作当時の時事風俗とかをバンバン取りこんでる一方、特に古い時代のものですと、江戸時代のダークでダーティな側面や要素もよく描かれているんです。
 本来のエログロ風味を抑えた東山紀之版「必殺」をはじめ、最近の時代劇はよくも悪くもきれいすぎるとは思います。

【2021.4.13.の再掲載です】

 

 毎度お馴染み、5ちゃんねるから拾ってきました。名無しさんのご意見です~。

 

【ツイッタラー「戦国武将なんて例外なく人殺しなのになぜそいつらが主役のドラマばかりなのか。一揆起こした民衆が主役でもいいじゃないか」】

 

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 8ec7-F2ui)2021/04/11(日) 08:04:21.57ID:rjDkgr+r0●


@Yama_to_Sima
なぜ日本は「戦国武将」ばかりドラマにするんだろう。戦国時代を生きた人の中で「武将」なんてほんの一握りだ。
私はあの時代を苦しみつつも強かに生きた名もなき人たちを描いたドラマがあっていいと思う。でも一つも思い浮かばない。

 @takecha16455339
 最近、戦国武将をテレビでよく扱っているが、
 武将の命令で死を覚悟して敵陣に突っこまされる兵士のことをどうしても考えてしまう。

 @buttoiyatsu
 記録が少ないからかも知れません。
 しかし、例えば土一揆や一向一揆などの民衆の蜂起(一向一揆は多少カルト風味ありかも)とかどうでしょうか。

 @kiboutoyuuki
 同感です。城主の武将より、石垣を積んだり城を建設した職人の方が偉人だと思っています。

 @cNySfRdM92iaoIP
 小学生の時には○◯城をつくったのは誰?と聞かれると大工さんだと答えたのですが。正解は豊臣秀吉などの武将や権力者でしたね。
 もちろん逆に答えるのが正解?だったりしました。

 @0PSskPj4A2qU0U7
 朝ドラも夫を支える良妻の話ばかりじゃなくて、女性参政権のために動いた人達や女性の権利獲得のために動いた人達を題材にすれば良いのにと思います。

 @valkyrie_hermit
 確かに。言われてみれば、昔から名だたる大名や武将など「支配者」側からを描いたドラマばかりで、圧政に耐えた農民庶民の暮らしを描いたドラマなど一つも無かった気がします。
 例えば農民一揆を描いたドラマとか。仰るような問題にもこの国の社会の歪みや日本人の気質のヒントが隠されているのかも。

 @fuyukirigirisu
 織田信長にしても豊臣秀吉にしても、庶民にとってはろくなことはしていない。
 日本の庶民が多くが、そんな人間に自己同一化して楽しむ。
 悲しいことですが、生物というのはそんなものかもしれません。

 @1967s_yo
 偉い人が歴史を作るものと思わせたいから。まして、抑圧される・支配される側の抵抗などもっての他。
 作り手自身も大抵、自分を成功者と同化したがってるから視点がワンパターンになっていく。

 @creamcheese9999
 武将しか史実残りにくいからかも知れないがフィクションの力ってそんなもんなのかと思ってしまう。
 時代のせいとはいえ、武将って全てが間違いなく人殺しだ。未だに人殺しを人生の成功例としてあげる風潮もいい加減にしてくれと思う。

 @6uMw7F33yULLTkt
 民間人を虐殺した織田信長が未だに英雄視されるのも疑問です。一般の農民は戦乱のたびに焼き出され、また捕虜として取引の対象にもされています。
 どうみても非人道的というのが戦国時代の大きな特徴です。400百年以上前のことだから許される話ではないはず。
 どんなに苦悩して人間臭かろうが人殺して解決する人のどこ見習えと?

 

 

 

 

 なかなかおもしろいことを言うなあと思いませんか?

 わたくし(名倉)の見解は次項にて。

 二月って短いですよね。

 他の月より二、三日短いってだけで随分と短く感じるものです。

 一月、三月と「大の月」に挟まれているから余計に短い。

 四年に一回だけ二十九日がある。何やら神秘的な月です。

 

 「一日は長いが一年は短い」誰かの言葉。

 「一年は長いが一生は短い」あたしの言葉。

 あたしは京大は無理だったのでアホの行く京都府大に行きました。そこでPTSDになるような出来事があって、無念の中退をしました。あたしに加害した男は京大大学院に進学して、今は府大の准教授になっています。本も書いています。TVも出ています。

 生まれ変わったら東大や京大に行けるほど賢く生まれて、ちゃんと卒業したいなあ、と思っています。あたしは意外と俗物なんですよ。

 おととし(東京から関西に帰ってきた年)、ある通信制大学の三年次に編入学して、今月、めでたく卒業ですけどもね。もっと早くそうすればよかった。

 結構遠方なんですが、卒業式には行くつもりしてます。恐らく最初で最後のキャンパス訪問になるでしょう。

 

 この程、とあるネットコミュニティで奇しき縁から知りあった方と長文のやり取りをしていて、色々個人的すぎることもあって全部ここではご紹介できないんですけども、図らずも自分の人生のことを語ってしまうような展開になりました。

 前の大学のこと、三十代の時、小さなシナリオを書いて出版社に持ちこんだけれど、自分にとってどんなに大切なものであっても社会的にはゴミ同然の扱いを受けることを身を以て体験したこと、東京で労組の内紛に巻きこまれて沢山の訴訟沙汰になったこと、四十数年も生きていれば色々あります。

 「幸不幸というのは完全に主観である」「誰も他の人の人生を生きたことがあるわけではない、自分の人生しか生きられないのだから」というのがあたしの持論でありますが、それでも結構辛い思いをしてる方な気がします。

 

 しかし、人から「君は不幸だね」「不幸な人生だ」と言われると腹が立つものです。実際にそう言ってきた人がいたんですけどもね。

 これはやっぱり、幸不幸というのはその人の心が決めるものだ、その人自身にしか決められないものだという事実の証左ではないでしょうか。

 

 乙武洋匡さんは、「障害は不便だ。しかし、不幸ではない」と言っています。

 

 「それ、ぼくも子供の時に母から言われましたよ」

 と、同じ教会に通っている視覚障害の友人が言いました。

 

 あたしが思うに、「不便」と「不幸」が違うように、「不運」と「不幸」もまた違うのです。

 

 「そうですね、『unlucky』と『unhappy』は違いますものね」

 と、その友人は言いました。彼はいつも微笑みを絶やさない人なのです。

 「和顔愛語」という言葉は彼のためにあるような気がします。

吉本新喜劇チャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=do7Hhzl8XHc&feature=youtu.be

 

 共演女優と匂わせみたいなことしてファンを翻弄するのも、涼しい顔して下ネタ言うのもこの人の芸風だからいいが、紐パンティのくだりはさすがに引く。

 個人的に「その苦労はしてほしい」って所がドンビキ。

 体を痛めつける下着を着けてでも男を喜ばせろとか完全にDV男の発想じゃん。

 冗談かも知れないけどふっとそういう言葉が口をついて出るっていうのがな。

 「ぼくたち」って勝手に複数形にして自分が男性代表みたいな面するのも傲慢そう。

 

 紐パンってよく男性芸能人が好みとして口にするけど、堅気の人が穿くもんやないと思うけどあたしの感覚古いか?

 

 こんなトーク、いくらお笑いでも他の男性だったらめちゃくちゃセクハラ、女性差別以外の何ものでもないのにこの人だと許されるのマジすげえ。