サイコパスラボ
@psychopathy18
教養のなさは、難しい漢字が読めないことでも、学歴が低いことでもない。
自分と違う意見を聞けない。立場の弱い人には横柄になる。間違いを指摘されると逆ギレする。
知らないことを「くだらない」と切り捨てる。人の失敗は笑うのに、自分の失敗には言い訳を並べる。
こういうところに、その人の「教養」は出る。
知識はいくらでも後から増やせる。
でも、他人への敬意、自分を疑う姿勢、知らないことを学ぼうとする態度がなければ、どれだけ肩書きが立派でも中身は薄い。
そして厄介なのは、教養のない人ほど、自分を「常識人」だと思っていること。
本当に教養のある人は、「自分が間違っている可能性」を残して話す。
教養とは、知っている量ではなく、自分の無知を扱う能力なのかもしれない。
夏彦
@sinatuhiko613
話が合わない以前に、普通の会話が成り立たない。高尚云々の問題ではなく、ほぼ全ての慣用句、諺、四字熟語、少しでも教養を必要とする言い回しが一切通じない。だから、頭に浮かんだ文章を一度平易な表現のフィルターを通して変換しなければならない。これが負担になるんだよね。
夏彦
@sinatuhiko613
本当はこの話題に「低学歴」という表現は遣いたくないんだよね。学ぶ気持ちは強くても、事情があって進学が叶わなかった人もいるから。「勉強をしてこなかった、知識に価値を感じていない人、それでいてプライドは高くてコンプレックスが強い人」が厄介なの。その層が、「高尚ぶりやがって」と言うの。
-------(以下、アピール文全文転載)
現状と問題
『みいちゃんと山田さん』は、2012年の歌舞伎町を舞台に、知的・発達特性が強く示唆される新人のみいちゃんが、キャバクラから性風俗、売春へと追い込まれ、最終的に殺害される過程を描く作品です。
かわいらしい絵柄と感情移入しやすい物語の形で見せることで、深刻な現実が「人間ドラマ」として消費されやすくなる点に、私は強い違和感を持っています。
とくに、知的・発達特性のある人が、トラブルを起こしやすく、性的に利用されやすい存在のように受け取られてしまう構造は見過ごせません。
すでに現実社会では、「みいちゃん」という呼び方が、知的・発達特性のある人をからかう蔑称として使われることがあります。
その偏見を、声や動きや音楽を伴うアニメでさらに広げれば、当事者への差別を強めることになります。
また、性売買を「生きづらさを抱えた人が行き着く場所」として描くことは、搾取の構造を見えにくくします。
性売買は、個人の自由な選択として片づけられるものではありません。
買う側の加害性と、売られる側のつらさを曖昧にしたまま広げることに、私ははっきり反対します。
実際に、小学校から高校までの学齢期では、発達特性ある子や生きづらいタイプの女の子を蔑視するミームとして広まり、生きづらさを抱えながらも社会に出て懸命に働く女性たちにも、発達特性の蔑称として「みいちゃん」が使われるようになっています。使う人たちが悪いだけでは済まされません。
さらに、2026年7月26日は、相模原市の障害者施設・津久井やまゆり園で19人の知的障害のある人々が殺害された事件からちょうど10年です。
優生思想による差別と暴力を忘れず、犠牲者を悼む日に、知的・発達特性を強く連想させる人物が性的に搾取され、殺害される物語の大規模な映像化を進めることは、あまりに無神経です。
私は、この流れをそのまま広げることに強い危機感を持っています。
発起人より
私がこの作品のアニメ化を知ったとき、胸の奥に冷たいものが広がりました。
かわいらしい絵柄で、知的・発達特性のある人が追い込まれていく姿を広く届けることに、私はどうしても納得できません。
現実には、特性のある人がからかわれたり、都合よく扱われたりする場面が今もあります。
その偏見に、さらに強い形で火をつけるような広がり方を、私は見過ごしたくありません。
しかも、性売買のつらさや搾取の重さが、物語の力でやわらかく包まれてしまうことにも強い恐れがあります。
人の痛みが消費されるのではなく、尊厳が守られる形で伝わってほしい。
私はそう強く思っています。
私たちが求めること
私たちが最も強く求めることは、『みいちゃんと山田さん』のアニメ化を見直し、当事者を傷つけるおそれがある表現を止めることです。
・知的・発達特性のある人を、安易に笑いや消費の対象にしないでください。
・性売買の場面を、見世物のように広げる作り方をやめてください。
・アニメ化するなら、当事者への配慮と表現の大きな見直しを行ってください。
実現したい未来
誰かの弱さや特性が、見世物として扱われない社会にしたいです。
作品が人の苦しみを描くなら、なおさら当事者への敬意が必要です。
安心して受け取れる表現が増えれば、傷つく人は減ります。
子どもも大人も、偏見ではなく思いやりで人を見ることができる。
そんな当たり前を、私たちは守りたいのです。
署名のお願い
どうかあなたの署名で、このアニメ化に待ったをかけてください。
当事者を傷つける見せ方を広げないために、一緒に声を上げてください。
参考元
吉本興業の件であたしをヒアリングして下さったフェミニストライター郡司真子さんの記事です。
特にうちの身内には読んでもらいたいですね。
『みいちゃんと山田さん』のアニメ化がもたらす問題|郡司 真子 Masako GUNJ I
何をわかってほしいか、考えてほしいかというとですね、
・世の中にはそういう問題意識を持って発言したり行動したりしている人がいるということ
・あたしもその一人だということ
・そういう人たちの活動で世の中が変わってきたんだということ
・血を分けた肉親ならなぜその人の側に立ってやらないのか、話を聞いたり、書いたものを読んだりして理解しようと努めないのか、ということ
です。
昨日もセッション行って、初めて会う先生に色々話して、「本も読めないような人は放っておきなさい」と言われたんですけどね。
あたし大笑いしてしまいました。いや、ほんとに。
またやってる。
この安アパートの隣に住んでる痩せた二十代半ばの男娼が、また夜中に大声上げてあんあん言ってる。急に静かになってベッドの軋る音も控えめになる時は、きっと客のものを咥えてるんだろう。
あいつ、俺より十ほど年下の、ナイフのような青い目に黒髪の、背の高いあいつ、昼間会った時には何喰わぬ顔してるが、ひどい時には一晩に二人も三人もの男を引っ張りこんでいるぞ。おかげでこっちは眠れたものじゃない。読書にも、ポーランドのクラクフにいる同志への報告書を書くにも気が散る。
わずか一ヶ月ほどのごく短い滞在だったが、一九十三年の初め、俺は厳寒のウィーンで亡命生活を送っていた。流刑地のシベリアほどじゃないが、比較的温暖な地域出身の俺にとって、この寒さはまあまあ応える。
しかしあいつは昼間、露店で自作の絵葉書を売ってるみたいだから大したものだ。べつに盗み聞くわけじゃないんだが、壁が薄いから何もかも聞こえてしまい、色々事情がわかってしまうのだ。
「てめぇ、金置いてけ!ただ乗りする気かよ!」
「うるせぇ、この雌豚!おまえの絵、買ってやったろ。下手な絵を」
後年はほとんど忘れてしまったが、ドイツ語は多少勉強していた。一番多くを学んだのはこの通り、隣室から聞こえてくるあいつと客との会話だ。おかげで下品なドイツ語ばかり覚えてしまった。
「ざけんな、別料金だよ!」
あいつが上擦った声で叫ぶ。思わず声に出して笑いそうになる。そうだ。労働者は労働の適正な代価を支払われるべきだ。経済的搾取は許されない。
それに続いて、激しく争う物音が起こり、俺の顔から笑みが消えた。あいつの威勢のいい声が途絶え、静寂の中、客が悪態をついてドアを開閉する音が聞こえた。
自分の立場を考えるに、面倒ごとには絶対に関わらない方がいい。同志にも堅く言われている。普段なら放っとくところで、たとえ死んでたって知ったこっちゃないんだが、その時、なぜかあいつのことが気になった。
気が付くと、人けのない夜の廊下に出て、隣室のドアを叩いていた。
「隣の住人だが。入るぞ」
返事はなかったが、ノブを回した。状況を考えると当然だが、施錠はされていなかった。
画材が床に散らばったきったない部屋のみすぼらしいベッドに、あいつが真っ裸で伸びていた。息はありそうだし、半ば予想はしていたが、それでもちょっと驚いたので、玄関に突っ立ったまま声を上げた。
「おい、大丈夫か」
「・・・・大丈夫じゃない。くっそ、あの客・・・・」
しゃがれた声が応じた。俺はどうしていいかわからず、なぜか立ち去ることもできずに、こう言っていた。
「俺、向こう向いてるから、とりあえず服、着ろよ」
しばらく背後で衣擦れの音がしたかと思うと、あいつの明るい声が言った。
「はい。もういいよ。ちょっと座ってかない?お礼にお茶ご馳走したいから。酒は出せないけど」
いや、俺、何もしてないが、と思ったが、彼の言葉には不思議な磁力があり、数分後、なぜか彼の部屋の簡素なテーブルに着いて、湯気の立つ熱いティーカップを前にしていた。
「お隣さん、外国の人だよね?ドイツ語、大丈夫?結構きっちり喋ってるよね」
「少しだけ」
俺は口籠る。ゆっくり喋って通じない時には、彼は傍らのスケッチブックを引き寄せ、ささっと絵に描き、また必要に応じてごく簡単な英語も交えて、自分の言いたいことを伝えてくれた。
「男前だね。お国はどちら?東欧かな?」
「いや、それはちょっと」
用心深く答えたが、彼はさして気を悪くした風もなく、スプーンで紅茶を混ぜながら、
「あんたは普通の人じゃないね。世界を変えたいと思っている人間の目をしてる。一人でこの国にいるのもよっぽどの訳があるんだろ」
俺が気を呑まれて黙っていると、
「絵描きの目って怖いでしょ?」
異様に光る瞳で、上目遣いに俺を見て微笑んでみせた。確かに、いろんな意味で怖い。
「なんてねー。俺もそうだからわかるの。世界を変えたいと思ってる人間だから」
俺が何も言わなくても、覚束ない語学力故、大して内容を理解していなくても、彼は一人でずーっと喋っていた。
変な男だ。だが、釘付けになる。普通の人じゃないのはこいつの方だ。
「お隣さんが話してくれないんなら、俺の話聞いてよ。俺は六年前に、リンツって街からウィーンに出てきたんだ。リンツから呼び寄せた男の子としばらく一緒に住んでた時期もあったんだけど、別れちゃって。俺、美大に落ちて、色々いたたまれなくて、黙って出ちゃった。音楽を勉強してて、ヴィオラもピアノもとても巧くて、やさしい子だった」
そう言って、内気そうな青年の伏し目がちの横顔をスケッチブックに走り描きした時にだけ、彼の目が淋しそうに揺れた。
友だちだったのか、それとも恋人だったのか、と訊こうとしたが、やめにした。
代わりにこう言った。
「同志ってのはいいものだよな」
「どうかな。同じベッドに寝ていても、別々の夢を、別々の世界を見てることがある」
詩的で不穏な預言のような彼の言葉に耳を傾ける内に、ふとあの男の、眼鏡を掛けた澄まし返った面を思い出した。ここに来てから何度か会った、ロシア語革命新聞の編集員をしているあの男。世界は完全にして平等であるべきだ、人間に階級なんかないんだと理想ばかりほざきながら、内心では俺のことをグルジアの靴屋の倅と軽蔑しているあの男。小面憎い、学者ぶった、ウクライナのユダヤ人。
「完璧な世界なんかない、ってぼくは芸術家として思うよ。旧約聖書によると、神は六日間で天地を創造され、七日目に休まれた。人間は天地創造の六日目、つまり最後の日に造られた。神が『ふーやれやれ、この仕事が終わったら、明日は一服しよう』と思ってる時、つまり一番疲れてる時に造られたものだから、一番出来が悪いはずなんだよ。そんなのが世界を支配してるんだから、完璧どころかめちゃくちゃになるに決まってるじゃん。でも、だから美しいんだよ」
と、彼は実に巧い絵を描きながら説明してくれた。創世記なら、いや、新旧約聖書全部、多分、君よりよく知ってるけどな、と思いながら、紙芝居でも観ているような気持ちで、黙って、楽しく聞いていた。
「おもしろいジョークだね。それ、君が考えたのかい?」
「ううん。こないだの客が、寝物語に言ってたの。最近アメリカで買った本に書いてあったんだって。誰の本だったかな。結構有名な人だった気がするけど。ごめん、忘れた」
何だ受け売りかよ、とは思わなかった。俺は彼の洞察力と表現力に敬服していた。神学校で学んだ昔を、もう二度と戻れない神の道を切なく懐かしく思い出しながら、言った。
「覚えとくよ。今夜君と話せてよかった」
気が付くと、彼の両目がじっと俺を見つめていた。そうしながら、色っぽく唇を舐めた。
ほんとに、なんて目をしてやがる。何やらどぎまぎすると共に、今、彼が引用した旧約聖書の一節がふと心を過った。「御足の下にはサファイアの敷石のようなものがあり、透き通っていて大空そのもののようであった」出エジプト記二十四章。神学校を追われて長い年月が経つのに、その箇所だけはなぜか好きで、折に触れてふと思い出すのだった。
「泊まってかない?」
危うく紅茶を噴き出すところだった。
「俺、金ないぞ。さっきの男の代わりにはならん」
慌てて言った。金がないのは本当だし。
「お金なんか要らないよ」
「なんでだ?おまえの商売だろ。労働者は労働の適正な代価を・・・・」
俺は頓馬な面して言いかけた。本当にわからなかった。こういう所が、顔に似合わず、野暮だとか鈍重だとか人情の機微に疎いとか言われるんだろうなあ。俺ってそんなに伊達男に見えるのか。嬉しいような悲しいような。
彼はちょっとだけ唇を突き出し、何か企むような表情で言った。
「Ich liebe dich(好きになったよ)」
「男とは経験ないんだが」
裸になってベッドに入ってから、やっと言った。
ちなみにこの時代の貧困層・亡命者向け安アパートでは、水道・トイレ・洗面所は共同が普通であり、個室に併設された温水の出るシャワールームなんて気の利いたものは存在しなかった。つまり、夢もロマンもガラガラと崩れ落ちるようなことを言うと、貧乏な野郎二人が湯も浴びずにヤるのだ。なんてこった。万国の労働者よ決起せよ!全ての人にパンを!全ての人にシャワールームを!
「教えてあげるよ」
と彼は囁いて、イヴを誘う蛇のような腕を俺の首に絡み付け、禁断の果実のような唇を重ねてきた。
「裸で抱きあって寝れば、この季節でも凍え死ぬ心配はないよ」
しなやかな温かい体をすり寄せながら言うので、答えた。
「どんな精強な軍隊も冬の寒さには太刀打ちできないからな。覚えておいた方がいいぞ」
本当に初めてだったんだが、俺は元々弱い方じゃないし、この相手には意外と大胆に振る舞うことができた。実際、あっちの具合もよくて、いい玉だった。
その夜、俺は、名も知らぬオーストリア人男娼の腕に抱かれ、曾てないほど安らかな、満ち足りた気持ちで眠りに就いた。
「Ich liebe dich(愛してる)」って言ったのに。あの嘘つき。
数日後、あいつは部屋を引き払い、姿を消した。あの朝、「それじゃ、またね」と言って別れたのが最後になった。
確かに、「ウィーン市内を転々としてる」「屋根のある所に住めるだけマシ」とは言ってたが、仮にも気持ちだけで(金も取らずに)夜を共にした人間に、一言の挨拶もないなんて。
とはいえ、俺もその数日後、同志の待つクラクフに発つことになったから、べつに本気で恨んでなんかいない。
ちょっと不思議なウィーンの一夜だった、というだけだ。まるで俺が振られたみたいじゃないか。ええい、くそっ。こんな無様なことはもうこれっきりだ。
「最後になった」
「本気で恨んでなんかいない」
「まるで俺が振られたみたいじゃないか。こんな無様なことはもうこれっきりだ」
・・・・本当に?
確かに、目と目を見交わして「会った」のはそれが最初で最後だったんだが。
俺と彼とがその後、どうなったかは、皆さんの方がよくご存じのはず。
「お隣さんはヒトラー? My Neighbor Adolf」
Ende



















