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星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 桃源郷に別れを告げる日が来た。

 今日まで、大阪府内の某クリニックの認知症デイケアに実習に行っていた。十二日間、毎日お年寄りと遊んだりお勉強したりして過ごした。亡き祖父母や曾祖母に育てられた子供時代を思い出した。

 利用者の皆さん、本当にありがとう。この日々はあたしの宝です。 

 出遇うことの神秘と彼ら彼女らの長い人生にただ、ただ、畏敬の念しかない。

 

サラ・ブライトマン「Time To Say Goodbye(2003Version)」 - YouTube

 昨年十二月三十日の再掲載で~す。

 

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 昔懐かしいファミコンゲーム「桃太郎伝説」の天の声(パスワード)入力画面のBGM。

 ピアノ演奏バージョンとオリジナルバージョンを上げておきます。

 

桃太郎伝説 ピアノソロ - YouTube

ファミコン桃太郎伝説 天の声の曲作業用 - YouTube

 

 個人的には、ラスボス閻魔大王を懲らしめた後、この聞き慣れた音楽に切り替わる所が一番泣けましたね。

 「神演出」というものがあるとしたらあれだと思います。

 

 さて、本題です。

 

 子供の時読んだ本に、

 「この世で最高の至福というのは悪人や傲慢な人間が報いを受ける瞬間を見ることだ。だから、天国というものは成立し得ない。悪人や傲慢な人間は天国に入れないのだから」

 というような言説を登場人物が展開する所がありました。

 

 

 子供向けとは思えないほど黒い( ̄^ ̄;)

 逆説ではありますが、でもわかる気がします。 

 砂糖もミルクも入れないコーヒーのような文字通りのブラックジョーク。

 その笑いの苦さの分だけ、彼や彼女は人生を知っているのです。

 

 

 少なくとも、地獄というものを容易くイメージできない人間よりは。 

 地獄とはこういう所だよ。

 

前項・前々項まとめ

 

 「国」というのは乱暴に言えば国土と国民のことである。

 「国体」(国の体制)のことではない。

 「国を愛する」とは「国土と国民を愛する」ということであり、「愛国」(patriotism)という言葉は本来「愛郷」というニュアンスの方がより近い。

 日本では「愛国」という言葉が明治政府のプロパガンダにより「国体を愛する」(nationalism)という意味にすり替えられてしまったため、残念なことになっているのである。

 

「国」とは何か | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

前項の続きっぽい話 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

 

 

 小学校の時、道徳という科目がありまして、最近は教科として点数を付けて評価するようですけども、あたしたちの時代はまだそうじゃなかったんですね。

 評価はないけれども、道徳の教科書というものは存在するわけです。あたしは変わった子どもだったのでその教科書を何度も通読して、巻末にある教員や保護者向けのページまで興味深く目を通しておりました。

 そこにはそれぞれの章(エピソード)ごとに、「この教材で養われるべき徳目」と一覧になって表されているわけです。

 

 その中に「愛国心」という項目がありました。

 

 当時、小学校六年生でしたが、それを見た時何の違和も嫌悪も感じませんでした。

 さて皆さん。小学生に「愛国心」を持つよう奨励するとはどんな授業だと思いますか。

 

 残念ながら授業ではその教材は取り上げなかったのですが、あたしが自分一人で勝手に読んだのは「平安時代の主に女性知識人たちが、どのように創意工夫して、中国から取り入れた漢字を日本語を書き表すのに相応しい文字として改良していったか」という愛らしいエピソードだったのです。

 仮名文字爆誕~!平安女流文学爆誕~!みんな自分の国を好きになってね、自国の文化に誇りを持ってね、もちろん強制じゃないよ、でももしみんなが生まれ育った日本という国を愛してくれたらおじさんおばさんたちとても嬉しいな、というお話です。

 

画像

 

 「女性の話だ」っていうのも嬉しいですね。

 それは小六の頃から思ってたような気がします。

 

 あたしの名前は片仮名で「マミ」であります。

 非常に日本的な名前です。

(1) 讃美歌21 532「やすかれ、わがこころよ」多重録音 - YouTube

 

 この間ある人とやり取りしていて、「この讃美歌はフィンランドの作曲家シベリウスの『フィンランディア』の後半の旋律に讃美歌の歌詞を乗せたもの」「十九世紀末、帝政ロシアの圧迫に戦々恐々としていた同国民を励まし、勇気づけるために作られた愛郷の曲」と解説を加えました。

 書いていて気がつきました。どうしても「愛国」と書きたくないことに。

 

 

 ちょっと前、「『大阪大好き』『関西大好き』と言ってもヤバイ人ではないのに『日本大好き』と言うとヤバイ人っぽくなってしまうのはなんでか」みたいなことを書き殴っていたんですが、この方が答えを出してくれました。べつにあたしに対して答えてくれたわけじゃないですけどね。

 

 

 つまり「『大阪大好き』『関西大好き』はパトリオティズムだが、『日本大好き』はナショナリズムだから」「日本だと『愛国』という言葉が後者の意味で使われがちだから」「明治政府がそういうキャンペーンを張ったから。ほんとに明治政府はロクなことしやがらねえな」ということか。

 

 以上のようなことを前提とした上で「あたしは日本が好きかどうか」考えてみると、「大阪大好き」「関西大好き」と同じニュアンスで、同じくらい日本も好きなんですね。外国に行ったことがないせいか、自分の国が好きかどうかってあんまり考えたことがなく、考えたことがないから言ったこともないんですが、いざ考えてみるとやっぱり好きなのです。

 あたしの「日本大好き」はパトリオティズムであって、一部の人の「日本大好き」とは質が違う、ということなんですね。

 でも誤解されそうだからやっぱり「日本大好き」とは言いたくないやw

 

 すると「パトリオットミサイル」というのは「愛国者ミサイル」という意味ではなくて、「郷土愛に溢れる人ミサイル」「郷土思いの人ミサイル」という意味なのか。

 つまり吉本新喜劇が大好きな関西人みたいなイメージなのか。

 

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 それも気持ち悪いな。

 吉本新喜劇が嫌いな関西人もいるのでもちろんジョークですけど。

 

 「君が代」も「自分のご先祖様に感謝する」という気持ちで歌ったらどうか、と言う人がいます。

 言わんとしていることはわからんでもないんですが、でもやっぱりあたしはそれは嫌なのです。「君が代」の「君」というのは天皇のことだとしか思えない、それ以外の解釈はないと思いますし、天皇や天皇家はうちの先祖ではないし、もちろん日本の国は天皇のものなんかではない、天皇だけの日本ではないし、あたしは天皇なんかいなくていい、皇室は今すぐ廃止してほしい、「千代に八千代にさざれ石の苔の生すまで」続いてほしいなんて少しも思わないからです。

 「日本の国歌だから愛唱しないといけない」「尊重しないといけない」というのはおかしいと思います。そんなことを主張する人は「日本の憲法だから愛唱しないといけない」「尊重しないといけない」と言われてそれを守ってるんでしょうか。どっちかというと国歌なんかより憲法の方が大事だと思いますけどねえ。

 ついでに思想・良心の自由は誰かの嫌いな日本国憲法が保障しております。べつに自分の国の国歌を嫌ってもいいし憲法を嫌ってもいいのです。

 

 

おまけ:これも気持ち悪い。

 

撮影:名倉マミ

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 大阪は好きだがこいつが好き、こいつの率いる政党が好きとは言ってない。

 なんばグランド花月近くの土産物屋にてこの光景を目にして、学んだばかりの概念を思い出した。ナショナリズムとパトリオティズム。

 「国籍」というのは明確でわかりやすい概念ですが、「国(国家)」というのはやや曖昧でわかりにくく、「民族」というのはもっと曖昧でわかりにくい概念です。

 「国」と「国家」というのも本来は別ニュアンスの言葉だと思いますが、ここではよりわかりやすくするため、「国家」という言葉は使わず、「国」に絞って話してみたいと思います。

 

 さて、最近ツイッターで天皇制についての議論をすることが多いのですが、この件に関しては主な立場はだいたい三つです。

 

①    皇位を継承するのは天皇の家系の男系男子でなければならないという立場(男系男子派、男系男子主義者)

②    女性・女系天皇を容認してもいい、容認すべきだという立場(女系容認派)

③    天皇制廃止派

 

 ①と②は天皇制存続派であります。

 あたしの見た所ですと、特に①の立場の人に「天皇制がなくなればand/or男系継承が途絶えれば日本が日本ではなくなる、別の国になる」という主張をする人が多いように思います。

 

 「別の国」って何でしょうか。

 そもそも大日本帝国と日本国は(繋がってはいるが)同じものではありません。「日本国」は憲法が施行されてからまだ七十六年しか経っておりません。よって「別の国」であります。

 

 ①の論客は要するに「その繋がり、連続性を担保しているのが天皇制(男系皇統)だ」という考えなんだろうな、と想像する所であります。

 

 「王朝≒国」とするならば、世界最古の王朝を擁する我が国は世界最古の国と言えるかも知れません。

 この辺りがナショナリストたちの琴線に触れるのでしょう。

 

 しかし「国(の連続性)」を定義づけるものは王朝だけではないはずです。

 それは他の国を見ればわかるでしょう。

 

 例えば中国人が「中国四千年の歴史」と言う時、「中華人民共和国はまだ始まってから七十四年しか経っていない」とか子供の屁理屈レベルの茶々を入れるのはよほど大人げない人だけでしょう。

 つまり「王朝=国」なんかではないことは割と人類普遍の意識としてあると思います。

 洋の東西を問わず、「王朝の交代」というのは一般に王家の姓が変わることを以てそう言いますので、そりゃ王家の苗字が変わったくらいである国が別の国になるわけないでしょ、そもそも「別の国になる」ってどういうことなんだよ、って話です(日本の天皇家には苗字がないけどね)。

 

 とするならば、「天皇制(男系皇統)=日本」なんてことはないはずなのです。

 というかほとんどの人はそんなこと思ってないと思うんですが、一部の人は頑なにそう信じています。

 少なくとも、その人たちの思う「そもそも私たちの日本という国は~」の中に天皇制(男系皇統)が非常に大きなウェイトを占めていることは間違いありません。

 その人たちにとっては、日本という国は(父方から天皇家の血筋を引く男の)天皇がいてナンボなのです。

 でもあたしはぜんっぜんそう思わないのです。仮にそうだとして、それで何が嬉しいのかぜんっぜんわからないのです。

 

 「少なくとも千五百年くらい前からずーっと王朝が交代してない」ってそんなに嬉しいことですかね。

 個人的には、そもそも民主主義の国なのに王家が存在するのがおかしい、そういう意味ではイギリスもオランダもスペインもベルギーもデンマークもスウェーデンもみんな間違っとる、としか思わんのですが。

 

 中国の話に戻すと、「中国四千年の歴史」という認識だから溥儀が「ラストエンペラー」なのです。

 王朝ごとにてんでんばらばら、滅亡ごとに清算されるんなら「ラストエンペラー」は溥儀だけじゃなく何人もいることになります。

 「ファーストエンペラー」は誰かというと始皇帝ということになるでしょう。

 「China」の語源も秦だと言われています。

 「中国史上唯一の女帝・則天武后」という言い方もします。

 中国歴代各王朝と「中華民国」、そして「中華人民共和国」とは(同じものではないが)繋がっています。

 

 ユーラシア大陸の東の方に遥か昔からあるデッカイ「国」。その「繋がり」「まとまり」の基礎を築いた人が始皇帝なんでしょう。

 秦という王朝がとっくに滅びて王朝や政治体制が色々変わっても、中国(China)は中国という「繋がり」「まとまり」を数千年間維持しています。個人に置き換えると「自我同一性」(アイデンティティ)みたいな感じでしょうか。

 畏敬の念を持つとしたら、「王朝が変わってない」なんてことではなくて、そこだと思います(※個人の感想です)。

 

 (男系)天皇がいなくなったら日本が日本でなくなる、別の国になる、なんてことはないのです。

 例えばイギリスがこの先、曾てのフランスやドイツやイタリアのように王室を廃して共和国を名乗ったからといって、我々の知っている「Great Britain」という国じゃなくなって「別の国になる」とはとても思えないのと同じことだと思います。

 仏独伊だって、王様なり皇帝なりを追放して、(それ以前の繋がり、連続性と切り離された形で)「別の国にな」ったとはとても思えないですからね。だって同じ土地に同じ人たち、またはその子孫が住んでるわけじゃないですか。

 変わったのは国の体制だろ、って話でして。国の体制ってのは国の一部であって国そのものじゃないわけです。

 で、「何を以て『国』とするか」「『国』の本質とは何か」「時を超えた『国』の繋がり、連続性を担保するものとは何か」というのは実はめちゃくちゃ難しい問題なのです。

 とりあえず「国」の本質は国土と国民、つまり「だいたいおんなじ土地にだいたいおんなじような人たちが代々住み着いているのが『国』」ってことでよくはないだろうか。

 

 そもそもあたしは「国」というものをそれほど大事なものだとは思っておりません。

 「自分たちの(ものだと思っている)土地を戦争で侵略されるのを防ぐために人々が団結したのが国である。つまり戦争というものがなくなれば国というものは要らなくなる。国などその程度のものだ」

 と信じているからです。

 

 「おまえは自分の国が好きじゃないのか」「国を愛さないのか」と言われたら、「郷里が好きです」「故郷を愛します」と答えようと思います。

 また、自分の先祖や自分の先祖の土地には愛着や畏敬の念を持っていますし、他の人もそうだと思います。

 

 以上で今回のお話は終わりです。

 だから以下は余談なんですが、イスラエルとかどういう扱いになるんでしょうね。聖書読みとしてはどうしても気になっちゃう所です。

 ここでは「国」に絞って話をしたため、「民族」や「民族」を定義づける重要な要素である「言語」「文字」「宗教」などには全く触れられずに終わりました。

 

 

 もちろんそれらの内のどれも、「国」とは切り離して考えられない概念であります。

 

 「『神というのは人間が作ったものなんだ』って昔掛かってた精神科の先生が言ってた」

 「じゃあ、人間は誰が作ったんでしょうね?」

(同じ教会に通っている友だちとのやり取り)

 

"The Creation of Adam Painting by Michelangelo Sistine Chapel Design ...

 

 かしこみかしこみ申す

 

 今上天皇 儀式 画像 に対する画像結果

 

日本国憲法 第一条

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

 

画像

 

日本国憲法 第十九条

 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」

 

同 第二十条

 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。如何なる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない。

 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない。

 国及びその機関は、宗教教育その他如何なる宗教的活動もしてはならない」

 

 

 「うららに照る 日影に/百千(ももち)の花 ほほえむ/人知らぬ 里に生ふる/四つ葉の クローバ/三つの葉は/希望 信仰 愛情のしるし
 残る一葉は 幸福(さち)/もとめよ 疾(と)くその葉/希望深く 信仰固く/愛情厚くあれ/やがて汝(なれ)も 摘みてとらん/四葉の クローバ。」

(エラ・ヒギンソン「四葉のクローバ」訳詞者不詳)

 

++ 50 ++ 最後 の 晩餐 壁紙 261103

 

 「神を信じるの?」

 「理想を信じるわ」

(映画「ダ・ヴィンチ・コード」主人公ラングドンとソフィとの最後の会話)

 

【あさイチ】ラッキー!四つ葉のクローバーで「恋」を引き寄せる - #オトナ女子

 

日本国憲法 前文(抜粋)

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。我らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する」

 「日本国民は、国家の名誉に懸け、全力を上げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」

 

 

 

 

 ツイッターで女系天皇について議論しています。ちょっとお話を整理してみますね。

 メモなので、細かい所間違っていたらごめんなさい。

 

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 神話の時代のことをあまり細かく議論するのは意味がないと思うので割愛して、実在が確認されてる皇統に限って話をすると、だいたい奈良時代の終わりぐらいから平安時代初期くらいまでは、天皇家は近親婚が多くて、父方からも母方からも天皇・皇族の血を引く人が即位していたので男系・女系というのはあまり気にされていなかった。実際、歴代十代八人いる女性天皇の大半がこの時代に集中している。

 平安時代中期以降は人口も増えてきたので近親婚はあまり行われなくなった。それでも、比較的天皇家に血が近い藤原家など位の高い貴族(公家)と婚姻することが多かった。ちょっと時代が下ってくると平家など位の高い武家と婚姻することも増えてくる。というより、平氏にしても源氏にしても、元々天皇家の血を引いていることでその家系の権威を担保していたのである。

 江戸時代~昭和初期まで、天皇・皇族は主に位の高い公家(華族)や武家(士族)と婚姻していた。皇統は基本的に男系男子が継承し、婿取りというアイデア/システムは皇室には採用されない。

 千数百年の間「何となく」それで来たのを制度化、つまり明文法化したのが明治政府である(現行に繋がる皇室典範)。その頃は側室制度が存在したし、皇族も今より沢山いたので、男系男子と制限をかけてしまってもまあ何とかなるだろうと考えていたのだろう(ただこの処置には反対意見も結構あったようである)。

 しかし、側室制度が廃止され、太平洋戦争敗戦→民主化&象徴天皇化→民間出身の美智子妃の誕生で事態は一変する。美智子妃には運よく男の子が二人生まれたからまだよかったものの、それ以来、秋篠宮家の長男悠仁の誕生まで、皇室にはしばらく女の子が生まれなくなってしまう。ご存じの通り、皇室典範に定められた皇位継承権を持つ若い男性皇族は現在、彼ただ一人である。

 昔みたいに厳格な身分制度があり、「天皇家の親戚か、それに次ぐくらいの家柄の人しか皇室には嫁入りできない」ということになっていれば、「前例がないが、背に腹は代えられぬ。愛子さんに婿取りしてもまあいいんじゃないか」という議論にもなりやすかった気がする(今、愛子さんと旧宮家の男性を婚約させようとする動きがあるみたいだが、要するにそういうことだろう)。

 しかし、美智子、紀子、雅子と、民間からの皇族参入が普通になってしまった。とすれば、愛子さんにしても佳子さんにしても「婿取りするなら市民階級はいかん」とは言えないだろう。彼女たちの母や祖母だって市民出身なのだから。

 つまり、「女性・女系天皇を認めて愛子皇太子(仮定)に婿取りしたら次の次の天皇には市民階級の男の血が混じってしまい得る」ってことを男系男子派は恐れているわけだ。「市民階級の女の血」はまあギリギリセーフでも「市民階級の男の血」は受け入れ難いのだ。「天皇家の血」というのは父方から受け継いでいるものでなければ意味がないとする、「下賤な男の血」が一滴でも入れば、たとえ母方の血筋が神武天皇まで遡れる「由緒正しい」ものであっても、それはもう別物である、「下賤な男」の王朝になってしまうという、男尊女卑ここに極まれりという恐るべき思想。

 

 実際には「男の血、女の血」なんてものはなく、「身分の高い人の血、身分の低い人の血」なんてものがあるわけでもない。だから何だという話である。

 天皇制(男系男子主義)というのはそういう非常に不合理でナンセンスな差別的思想に基づく制度であるので、あたしはいっそ廃止した方が良いと考えている。そもそも民主主義とmonarchy(王制、君主制)とは相容れず、併存しているのがおかしいという議論はヨーロッパにもある。

 そのようなものを「国及び国民統合の象徴」として有難がるのは金輪際ごめんである。

 

 

争いに勝つこと 土地を仕切ること

色で分けること 血を選ぶこと

FREEDOM 二人が今

FREEDOM 離れているから感じる

(1) FREEDOM - YouTube

花彩る春を この友は生きた

いのち満たす愛を 歌いつつ

悩みつまずく時 この友の歌が

わたしを連れ戻す 主の道へ

 

緑萌える夏を この友は生きた

いのち活かす道を 求めつつ

悩みつまずく時 この友の姿

わたしを振り返る 主の道で

 

色づきゆく秋を この友は生きた

いのち人のために 燃やしつつ

悩みつまずく時 この友は示す

歩み続けてきた 主の道を

 

雪輝く冬を この友は生きた

いのち温めつつ 安らかに

この日目を閉じれば 思い浮かぶのは

この友を包んだ 主の光

 

マシマロ

(2005.5.18ー2022.4.27)

 

お棺に入れた石楠花。今年もきれいに咲きました

 

こちらで演奏も聴けますので、よかったら聴いてみて下さい。

讃美歌21 385「花彩る春を」多重録音 - YouTube