もう三月です | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 二月って短いですよね。

 他の月より二、三日短いってだけで随分と短く感じるものです。

 一月、三月と「大の月」に挟まれているから余計に短い。

 四年に一回だけ二十九日がある。何やら神秘的な月です。

 

 「一日は長いが一年は短い」誰かの言葉。

 「一年は長いが一生は短い」あたしの言葉。

 あたしは京大は無理だったのでアホの行く京都府大に行きました。そこでPTSDになるような出来事があって、無念の中退をしました。あたしに加害した男は京大大学院に進学して、今は府大の准教授になっています。本も書いています。TVも出ています。

 生まれ変わったら東大や京大に行けるほど賢く生まれて、ちゃんと卒業したいなあ、と思っています。あたしは意外と俗物なんですよ。

 おととし(東京から関西に帰ってきた年)、ある通信制大学の三年次に編入学して、今月、めでたく卒業ですけどもね。もっと早くそうすればよかった。

 結構遠方なんですが、卒業式には行くつもりしてます。恐らく最初で最後のキャンパス訪問になるでしょう。

 

 この程、とあるネットコミュニティで奇しき縁から知りあった方と長文のやり取りをしていて、色々個人的すぎることもあって全部ここではご紹介できないんですけども、図らずも自分の人生のことを語ってしまうような展開になりました。

 前の大学のこと、三十代の時、小さなシナリオを書いて出版社に持ちこんだけれど、自分にとってどんなに大切なものであっても社会的にはゴミ同然の扱いを受けることを身を以て体験したこと、東京で労組の内紛に巻きこまれて沢山の訴訟沙汰になったこと、四十数年も生きていれば色々あります。

 「幸不幸というのは完全に主観である」「誰も他の人の人生を生きたことがあるわけではない、自分の人生しか生きられないのだから」というのがあたしの持論でありますが、それでも結構辛い思いをしてる方な気がします。

 

 しかし、人から「君は不幸だね」「不幸な人生だ」と言われると腹が立つものです。実際にそう言ってきた人がいたんですけどもね。

 これはやっぱり、幸不幸というのはその人の心が決めるものだ、その人自身にしか決められないものだという事実の証左ではないでしょうか。

 

 乙武洋匡さんは、「障害は不便だ。しかし、不幸ではない」と言っています。

 

 「それ、ぼくも子供の時に母から言われましたよ」

 と、同じ教会に通っている視覚障害の友人が言いました。

 

 あたしが思うに、「不便」と「不幸」が違うように、「不運」と「不幸」もまた違うのです。

 

 「そうですね、『unlucky』と『unhappy』は違いますものね」

 と、その友人は言いました。彼はいつも微笑みを絶やさない人なのです。

 「和顔愛語」という言葉は彼のためにあるような気がします。