明かりを点けましょ 爆弾に ドカンと一発 革命だ | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 雛祭りの話の続き。

 なかなか興味深い議論を見つけたので載せておきます。

 

 

 それは考えたことなかった・・・・!!( ̄□ ̄;)

 「桃の節句」「端午の節句」というイベント自体がジェンダー差別的だ、と考えたことはありますが。

 

 この書き手は多分、五月人形のことを言ってるんだと思いますが、鯉のぼりも元々は「大きい真鯉はお父さん~小さい緋鯉は子供たち~♪」です。お母さんは登場しないのです。「子供たち」は当然息子たちのことで、女の子は入っていません。何ともふざけた、正に家父長制を象徴する風習です。

 今は何となく緋鯉がお母さんでブルーの鯉が坊やのようなイメージになっていますが、これは戦後だいぶ経ってからの後付けのようです。

 

 しかも五月人形って鎧着けて戦に行こうとしてるんだから最悪ですよね。暴力が男子の本分だというのでしょうか。

 それは「そういうもの」として見るべきであって、「これはおかしい」「やめるべき」とか言い出すのは中国の文革思想にも繋がり危険だ、と前項で言ったばかりなんですが、でも「元はそういうものだ」と考えるのはそれはそれで意義のあることのように思います。

 戦支度の五月人形に比べたらまだ、登竜門伝説をイメージした鯉のぼりの方がマシです。桃の節句、端午の節句の形態に明確に反映されている「女は結婚、男は立身出世」という発想が正しくジェンダー差別の本質なんですけどもね。周りの大人(社会)が勝手に性別で子供たちの生き方や幸せを規定してしまう、という性格がこの類のイベントにはどうしても付きまとうわけです。

 最近の若い親はあんまり節句自体を祝わなくなっているようです。トランスジェンダーの子供や大人、そしてもしかしたら外国ルーツの子供や大人もこういう時には辛い思い、寂しい思いをすると思われますので、いい傾向といえばいい傾向なのかも知れません。個人的には少し残念でもあり、外国ルーツの方の話はまた問題が別だと思うのでここでは追究しませんが。

 

 

 なかなか気の利いたことをするものです。

 一番上をレスビアンカップルにして総勢十五人全員女性の「革命的雛飾り」を作ればいいんじゃないですかねえ。牛も牝牛で。