写経屋の覚書-フェイト「やっと『朝鮮進駐軍』調査について一段落ついたけど、今回は何を見るの?」

写経屋の覚書-なのは「えっとね、今回はちょっと軽めにてし、朝鮮人移住対策の件(六)に出てくる『社還米』について見てみようと思うんだ」

写経屋の覚書-はやて「意訳したら、『息抜きっぽい感じで手抜きするでー』っつーわけやな」

写経屋の覚書-なのは「意訳しないで!内幕をばらさないで(泣)…さっそく朝鮮人移住対策の件(六)を見てみるよ」

さて今日は、10月16日のエントリーでちょっと触れた社還米制度についての解説部分。
アジア歴史資料センター『公文別録・内務省・大蔵省・陸軍省・海軍省・商工省・逓信省・大東亜省・昭和六年~昭和十八年・第一巻/朝鮮人移住対策ノ件(レファレンスコード:A03023591400)』の、32画像目からの部分ですね。

まぁ、社還米制度の詳しい解説は、同じくアジア歴史資料センターの『旧慣制度調査書-社還米制度(レファレンスコード:A06032005400)』の方を見て貰った方が良いと思いますが、取りあえずは『朝鮮人移住対策ノ件』の方で話を進めていきたいと思います。
では、32画像目から。

「社還米制度」に就て

朝鮮に於ける社還米制度は、李朝の初期支那より伝はりたる備荒救歉の施設として、官費又は部落民共同の費用を以て創められたるものにして、其の制度の概要は、里民凡そ100戸を以て1社とし、社民は毎年応分の穀物を醵出し、春季其の醵出穀物の半分の還付を受け、残り半分は社倉に貯蔵し、社内貧民に低利を以て貸付けたるものなるが、李太王31年(明治37年)本制度の鞏固を図り社還条例を発布せるも、往々不正官吏の私腹を肥す具となり効果挙らざりし処、偶々隆熙の政変に因り、本施設は中絶するに至れり。
然るに、元来朝鮮人は貯蓄心に乏しく、且小農の農家経済の疲弊は著しきものあり。
故に春窮期(2、3月頃より麦の収穫迄の食物不足期)に於ては、小農は已むなく地主より米麦を借入れ、収穫時に於て借入穀物1斗に対し1斗5升乃至2斗を支払ふ有様なるを以て益々困窮する状態に鑑み、朝鮮総督府は昭和8年度以来本制度を復活し、別紙要領により毎年46万石の貸付を為す計画なり。

(中略)

で、この制度を強固にするために社還条例が出されたものの、不正官吏の私腹を肥やす道具となっただけで効果が挙がらない。
そこへ、「隆熙の政変」によって社還制度は杜絶。
つうか、「隆熙の政変」って第三次日韓協約とかあの辺?
じゃあ、1909年(隆熙3年)4月の内部大臣及度支部大臣訓令号外『社還条例施行に関する件』とか、併合時の特別減免措置って何やねん、と。(笑)

で、元々朝鮮人は貯蓄心に乏しい上に、小農の農業経済疲弊は著しく、春窮期に地主から米や麦を借りる。
50~100%の利息。
高ぇ。(笑)

で、昭和8年にこの社還米制度を復活し、別紙のとおり毎年46万石の貸し付けを行う計画、と。
では、続いてその別紙要領を。


写経屋の覚書-はやて「社還米?作者が昔日本史で習った社倉や義倉とは関係あるん?」

写経屋の覚書-なのは「うん。どっちももともと古代中国の制度に由来するものみたいなんだけどね。『李朝の初期支那より伝はりたる備荒救歉の施設』ってあるしね」

写経屋の覚書-フェイト「『社還条例施行に関する件』は一旦措いといて…『併合時の特別減免措置』って何?」

写経屋の覚書-なのは「それはね、朝鮮人移住対策の件(一)を見るとわかるよ」

1909年(隆熙3年)4月になって、内部大臣及度支部大臣訓令号外として『社還条例施行に関する件』が出され、その後併合時の租税等の特別減免措置の中で社還米の返済は免除。
で、1917年(大正6年)10月1日に何故かこの社還条例が廃止された模様。
・・・で、その後が良く分からない。(笑)
『米穀自治管理法』ってのがあるんですが、これは1936年(昭和11年)の制定ですしねぇ・・・。
ま、ここも深入りせずに収めておきます。


写経屋の覚書-はやて「ん?やっぱし具体的にはどんな法令を指すんかわからへんで」

写経屋の覚書-なのは「あれ?あ、そっか。『併合時の租税等の特別減免措置』については以下の勅令が該当するの」

写経屋の覚書-官報19100829_02

明治43(1910)年8月29日付 官報第1号

朕惟ふに統治の大権に由り茲に始めて治化を朝鮮に施くは朕か蒼黎を綏撫し赤子を体卹するの意を昭示するより先なるはなし乃ち別に定むる所に依り朝鮮に於ける旧刑諸般の罪囚中情状の憫諒すへきものに対して特に大赦を行ひ積年の逋租及今年の租税は之を減免し以て朕か軫念する所を知悉せしむ

    御名御璽

     明治四十三年八月二十九日
         内閣総理大臣兼大蔵大臣 侯爵桂太郎
         陸軍大臣 子爵寺内正毅
         外務大臣 伯爵小村寿太郎
         海軍大臣 男爵斎藤実
         内務大臣 法学博士男爵 平田東助
         逓信大臣 男爵後藤新平
         文部大臣兼農商務大臣 小松原英太郎
         司法大臣 子爵岡部長職

写経屋の覚書-なのは「逋は逃げるという意味なの。租は租税のことだから『逋租』は滞納してる租税のことなの」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、その年の租税だけじゃなくて、ずっと滞納していた租税も減免されたの?」

写経屋の覚書-はやて「えらい大盤振る舞いやなぁ。3割4割当たり前!って話どころちゃうで」

写経屋の覚書-なのは「併合しての朝鮮の新しいスタートだからねぇ…大赦もやってるし」

写経屋の覚書-はやて「ま、それはそれとして、社還条例自体は併合後も存続したんやね」

写経屋の覚書-フェイト「機能していたとみていいのかな?」

写経屋の覚書-なのは「えーっとね、それについては次回にまわすことにして、今回はここまでにするね」

写経屋の覚書-なのは「じゃぁ、『朝鮮進駐軍』検証のまとめをやっていくよ。まず結論その1」

『朝鮮進駐軍』の実在を示す史料は存在しない。
(少なくとも現時点に於いては)

写経屋の覚書-フェイト「どの史料を見ても出てこなかったしね」

写経屋の覚書-はやて「『朝鮮進駐軍』の実在を証明する史料があるってネットで見て、その史料を確認したら、単に朝鮮人の集団不法行為の記述で『朝鮮進駐軍』なんて言葉全然出てこぉへんかったとかばっかしや。『試し腹』『貢女3000人』と(おんな)しやで」

写経屋の覚書-なのは「『朝鮮進駐軍』が出てくる史料は南十字星(北斗星)の話と70歳地方議員への聞き取りのテキストA・Bだけなんだけど、『朝鮮進駐軍』の実在を担保できる内容じゃなかったし、テキストの信頼性自体が怪しいものだったしね。次は結論その2」

朝鮮人の関わったどの事件にも、『朝鮮進駐軍』は登場しない。


写経屋の覚書-はやて「作者は全都道府県の警察資料や公安関係者が執筆した資料に載ってる終戦直後の朝鮮人の関係した事件の記述は全部読んだんやけど、どこにも『朝鮮進駐軍』なんて出てこぉへんかったんやて」

写経屋の覚書-フェイト「在日本朝鮮人連盟(朝連)の保安隊・自治隊や、在日朝鮮民主統一戦線(民戦)は『朝鮮進駐軍』とは違うものだしねぇ」

写経屋の覚書-なのは「うん。実在する朝鮮人の集団名や集団不法行為をいくら集めてまとめても、それは『朝鮮進駐軍』の実在を証明するものにはならないよ」

写経屋の覚書-はやて「保安隊等の存在と行動を示して『実質的には存在した』とか言うんは証明主題のすり替えやもんなぁ。しつこいようやけど、『朝鮮進駐軍』の実在を証明するんやったら、『朝鮮進駐軍』と名乗った集団そのものの実在を提示証明せなあかんもんね」

写経屋の覚書-なのは「実在した集団や集団不法行為については、またそれはそれで別に取り扱って考察するものだよね。じゃ最後は結論その3」

『保安隊』『自治隊』といった実在した朝鮮人組織は『朝鮮進駐軍』ではない。


写経屋の覚書-フェイト「…多分ね、『朝鮮進駐軍の実態にふさわしい保安隊・自治隊の横暴があったから、朝鮮進駐軍の実在は否定できない』『朝鮮人の集団不法行為をカテゴライズして便宜上の通称として朝鮮進駐軍と呼ぶのはありだろう』って意見は出るんじゃないかなって思うんだ」

写経屋の覚書-なのは「だからといって実在しないものの名前を使うのはダメだよね。前も言ったけど『従軍慰安婦』『強制連行』肯定派と同じ穴の狢になるよ」

写経屋の覚書-はやて(じぶん)らがいっちゃん(きろ)とる連中と(おんな)しレベルに堕ちてまうわけやしね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。そうそう、ウィキペディアの『朝鮮進駐軍』の項目が別の内容で2010年8月23日に復活してるんだよね。2011年10月9日時点だとこんな記述になってるの」

朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん) 終戦直後の混乱期の日本において、在日朝鮮人の一部[1]が、自らを「戦勝国民」と位置づけ、治外法権であるとして日本各地で略奪や暴行を行う際に[2]、あたかも日本と連合国の間で取り交わされたポツダム宣言受諾や降伏文書等の規定による占領軍(進駐軍)としての立場であるかのように僭称していたとされる名称[3][1]である。なお、GHQは朝鮮人を「戦勝国民」「中立国民」のいずれにも該当しない「第三国人」と規定した[4]。しかし、実際にこの名称が使われていたとする史料は存在しない。

関連項目
 鉄道警察隊
 パチンコ
 朝鮮総連
 直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
 東成警察署催涙ガス投てき事件(1951年12月1日)
 岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)

参考文献
 1.野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社、2006年。ISBN 4796653295。

脚注
 1.野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社、2006年、p.86
 2.鄭大均『田岡一雄自伝・電撃編』徳間文庫、『韓国のイメージ』中公新書[要ページ番号]
 3.山野車輪『マンガ 嫌韓流』晋遊舎[要ページ番号]
 4.野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006 p.73

写経屋の覚書-はやて「『僭称していたとされる名称』まで後退したんか。妥当言うたら妥当なライン言うてもええかな?」

写経屋の覚書-なのは「本文についてはそうかな。でも、相変わらず直江津駅事件とかを関連項目に入れているのはダメだと思うけどね」

写経屋の覚書-フェイト「参考文献として紙媒体資料が載ってるね。どんな内容なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「まぁ別冊宝島だし、『在日特権』だしねぇ(苦笑)p86は野村旗守って人が書いた『ザ・在日裏面史 朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで』っていうタイトルの文章なんだけどね、こんなのなの」

 とりわけ一部の朝鮮人たちの行動は目立った。敗戦に打ちひしがれている日本人に暴言を浴びせるなど序の口で、「朝鮮進駐軍」を僭称した一部の朝鮮人たちは、無賃乗車を駅員に注意されれば集団でこれを取り囲んで袋叩きにした。

写経屋の覚書-はやて「んー、まず僭称したいう根拠がないやんなぁ。ほんで、これってテキストBの鳩山一郎の話が元ネタなん(ちゃ)うん?

写経屋の覚書-なのは「多分それだよ。CLOを読めば、無賃乗車とその取締に対する暴行事件が実在したことはわかるんだけど、野村がそこまで調べて書いてるようには思えないしねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ。ウィキペディア本文で『僭称していたとされる』という表現に留めとるんは妥当な姿勢やね…なんて思とったら、またいろいろ編集されてるやんw 11月13日の時点でこんなんになっとるで」

朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)[*1]とは、主に「嫌韓」を冠した一部の書籍[1][*2][*3]で主張されている説の中で用いられる用語[要検証][*4][*5][*6][*7]。終戦直後の混乱期の日本において、在日朝鮮人の一部が、自らを「戦勝国民」と位置づけ、治外法権であるとして日本各地で略奪や暴行を行う際[2][3]に、あたかも日本と連合国の間で取り交わされたポツダム宣言受諾や降伏文書等の規定による占領軍(進駐軍)としての立場であるかのように僭称していたとする[*8]。なお、GHQは朝鮮人を「戦勝国民」「中立国民」のいずれにも該当しない「第三国人」と規定した[4]。

編注
^ 本来の意味は、朝鮮に進駐した米軍あるいはソ連軍のこと。「南朝鮮進駐米軍」(神谷 1976, p.168)。「ソ連軍が朝鮮に進駐したとき、」(神谷 1976, p.230)
^ 「日本の敗戦後一部の朝鮮人は『戦勝国民』であると主張し『朝鮮進駐軍』を名乗り日本各地で略奪・暴行など暴虐の限りを尽くした」(山野 2005, p.81)
^ 「朝鮮人は自らを『戦勝国民』『朝鮮進駐軍』などと名乗り日本の法律に従う必要はないと主張して日本中で暴れまわった」(山野 2009, p.65)。「戦後に朝鮮人が『戦勝国民』『朝鮮進駐軍』と自称して日本全国で暴れまわっていたこと 朝鮮半島でも朝鮮人が多くの日本人に対し虐殺や強姦などしていた歴史については 日本人はほとんど知らない」(山野 2009, p.87)
^ 「一部の朝鮮人が『解放民族』を称してしばしば集団的に実力行使をした。」(金昌烈 2003, p.23)
^ 「日本の敗戦によって自分たちは『解放国民』となったとの認識から、日本の法に従う必要がないという意識が強く、」(金賛汀 1997, p.152)
^ 「公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦間もないころの在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いている。(中略)各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、(中略)などがみられた」(若槻 1989, p.193)
^ 「朝鮮人帰国同胞救護会(中略)は『(中略)恰も警察と協力するかに装ひ』、隊員一五名の『自治隊(コリアンポリス)』を組織し、警察類似行為をおこなっていたという(一四一)。」(出水 1993, p.17th)。「バリケード(中略)の警備・検問には、日本の警察官や占領軍兵士とともに救護会『自治隊』員も参加していた(一三、(中略))。(中略)そのような行動が日本当局や占領当局によって『容認』されていたのであった。(後略)」(出水 1993, p.18th)
^ ただし、朝鮮進駐軍という名称が当時実際に使用されていたことを示す史料は、これまでWikipediaには報告されていない。

出典
^ 「『朝鮮進駐軍』を僭称(せんしょう)した一部の朝鮮人たちは、」(野村旗守 「ザ・在日裏面史! 朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで」(野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006, p.86))
^ 「これまで過酷な労働で軍部から抑圧されて来た朝鮮人、台湾人たちの一部は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。」「こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身に着けていた。袖に腕章をつけ、(中略)腰には拳銃をさげ、」(田岡 1982, pp.173-175)。「これにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。(中略)米軍(中略)が神戸へ進駐してくると治安はさらに悪化し、」(田岡 1982, p.175)
^ 鄭 2010, pp.64-68
^ 宮島理 「戦後進歩派メディアが在日を『聖域』にした!」(野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006, p.73)

参考文献
出水薫、1993、「敗戦後の博多港における朝鮮人帰国について : 博多引揚援護局『局史』を中心とした検討」、『法政研究』60巻1号(1993年11月)、九州大学法政学会、ISSN 0387-2882 pp.71-101. 「『局史』からの参照・引用註(中略)を( )にくくって本文中に折り込む。」 (p.1st)
金賛汀(キム・チャンジョン) 『在日コリアン百年史』 三五館、1997年。ISBN 4-88320-130-9。
金昌烈(キム・チャンヨル) 『朝鮮総聨の大罪』 宝島社、2003年。ISBN 4-7966-3552-1。
田岡一雄 『山口組三代目 田岡一雄自伝 電撃篇』 徳間書店〈徳間文庫〉、1982年。ISBN 978-4-19-597322-6。
鄭大均 「第三章 戦後イメージの原型 『〈悪者〉のイメージ』」『韓国のイメージ 増補版』 中央公論新社〈中公新書〉、2010年、pp.63-71。ISBN 978-4-12-191269-5。
野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社〈別冊宝島〉、2006年。ISBN 4796653295。
若槻泰雄 『韓国・朝鮮と日本人』 原書房、1989年。ISBN 4-562-02073-3。
『朝鮮問題戦後資料』第一巻、神谷不二(編集代表)、日本国際問題研究所、1976年。


写経屋の覚書-フェイト「『ただし、朝鮮進駐軍という名称が当時実際に使用されていたことを示す史料は、これまでWikipediaには報告されていない』って文章が編注に移動してるね。それと参考文献が増えてるよ」

写経屋の覚書-はやて「出水論文?ああー、獄長日記でもちらっと出とったアレやな。『法務研究』は坪江豊吉の執筆やけど若槻からの孫引きやねんなぁ」

写経屋の覚書-黒なのは「正直なところ、孫引きじゃなくて出典元に直接当たれって言いたいところなの。その気があれば坪江の著作は調査確認できるんだからね。あと編集ノートを見るとひどいことになってたよ。『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』を『公刊された資料』として『しっかりした出典』だなんて言ってるし。史料批判って知らないのカナ?」

写経屋の覚書-フェイト「作者は泥仕合に加担する気はないので、生温かく見守って嘲笑するだけにするみたいだよ…」

写経屋の覚書-はやて「もし作者が書くんやったら『朝鮮進駐軍:戦後に不法行為をした朝鮮人集団が名乗ったとされる名称。但し、その実在を証明する信頼できる史料は現在発見されていない』っちゅう程度やろね」

写経屋の覚書-なのは「あとは『マンガ嫌韓流』『マンガ嫌韓流4』でも『朝鮮進駐軍』という言葉は出てくるけど、これもやっぱり論拠が書かれてないし、『朝鮮進駐軍』実在の根拠にはならないねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、『マンガ嫌韓流4』のp70・p80に載せてる事件は全部テキストDの主な事件一覧から抜き出したものだよ。つまりただの朝鮮人集団不法行為ってことだね」

写経屋の覚書-はやて「それも削除される前のウィキペディアを見て描いたんやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。朝鮮人の集団不法行為が存在したのは事実なんだけど、無理に『朝鮮進駐軍』なんて実在しない名称をつけてまとめる必要なんてないんだよ。これって『従軍慰安婦』と同じでかなり非論理的な愚行なんだよねぇ」

写経屋の覚書-はやて「『祖父が確かに言っていた』『大叔父がメンバーだったと告白してた』とかいう証言の類を持ってくる連中もおるんと(ちゃ)うん?まぁ、言うのは勝手やけど、それを裏付ける史料がないと無意味やねんけどね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。『朝鮮進駐軍』が出てくる唯一の史料になるテキストA・Bについて、南十字星(北斗星)や70歳地方議員の発言が、記憶違いや錯誤、思い込みはあるけどもある程度の事実を伝えているっていう前提で考えるんだったら、在日本朝鮮人連盟葛飾支部の構成員が仲間内だけで自称『朝鮮進駐軍』グループをつくっていて、地元ではその名称が部外者にも知られてたけども、死者が出るような大きな事件も起こさなかったため、他の本部や支部、警察やマスコミ関係者にはその存在が知られなかった、ということはあり得るのかもしれないね」

写経屋の覚書-はやて「在日本朝鮮人連盟葛飾支部?そんなんあるんや…あ、1947年10月11日時点で1,068人が所属しとる。東京本部管内に10個ある支部のなかで足立支部(2,608人)・荒川支部(1,600人)の次に大きい支部なんやね」

写経屋の覚書-フェイト「南十字星(北斗星)や70歳地方議員は葛飾の出身だもんね。まだ小さくて世間的視野や行動範囲が狭い年頃だから、葛飾であったことは世間一般でも当たり前のことと思い込んでても不思議じゃないよね」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ。中学生くらいまでは、自分の住んどる所、校区、生活圏の慣習とか方言は世間全体でも常識やと思いこんどることはあるやろね、それと、南十字星(北斗星)の文章からしたら70歳地方議員は当時15歳くらいやから、なんぼ頭良ぉても、情報インプットや保存の時点で割と残念な感じになってまうことはあり得るやんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「阪神教育事件の時に、米軍憲兵が出動したのを戦闘部隊が出動したと勘違いしたとか、非常事態宣言を戒厳令と混同したとか、大阪神戸だけの話なのに全国各地でそういう事態があったと思い込んだとかいう感じだね」

写経屋の覚書-なのは「ま、そういう形で実在したとしても、『保安隊』『自治隊』といった朝鮮人行動組織の一つでしかないから、『朝鮮進駐軍』を朝鮮人行動組織の代名詞や代表的存在にすることはできないんだけどね」

写経屋の覚書-フェイト「『四国愛虎会』が全国の阪神タイガース私設応援団の総称・代表だと主張するくらい無茶な話だよね」

写経屋の覚書-黒なのは「そんな感じなの。何にしても、これはあくまでも可能性の上に可能性を積み重ねた妄想一歩手前の話だしね。だいたい、検証してわかったようにテキストA・Bはグダグダで使えないシロモノだし、ぶっちゃけた話、東郷が李舜臣を讃えたことを証明するのと同じくらい無理ゲーだよネ」

写経屋の覚書-はやて「なのはちゃん、作者の本音ぶっちゃけ過ぎやでw」

写経屋の覚書-なのは「今シリーズで検証したもの以外のソースがあればいつでも調査するけど、『朝鮮進駐軍』の実在を主張する人がちゃんとした根拠史料を提示しないと話も始まらないよね。じゃ『朝鮮進駐軍』そのものについての検証は一応これで完結とするね」

写経屋の覚書-フェイト「いちおう?」

写経屋の覚書-なのは「うん。次は、戦後、実際に朝鮮人が何をしたかを見ていくんだよ。でも取りかかるのは来年からだよ」

写経屋の覚書-フェイト「先の方でも言ってた『実在した集団や集団不法行為については、またそれはそれで別に取り扱って考察する』ってことだね」

写経屋の覚書-はやて「もうちょっとだけ続くんやw」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(6)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(7)

『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(5)

『朝鮮進駐軍』ウィキペディアテキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』ウィキペディアテキストの検証(2)
写経屋の覚書-なのは「じゃ、いつも通りテキストDを区切って見ていくね」

概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。

写経屋の覚書-はやて「んー、名称はともかくいろんな犯罪自体は事実いうたら事実やわなぁ…」

写経屋の覚書-フェイト「でも、だからといって、それが『朝鮮進駐軍』実在の証拠になるわけじゃないんだよね?」

写経屋の覚書-なのは「うん。何回も言ったけど『朝鮮進駐軍』と名乗った組織の実在が確認できないの。後世の造語で勝手にまとめるのがおかしいんだよね。せめてカテゴリー『在日韓国・朝鮮人の事件』の下位カテゴリー『戦後朝鮮人の集団不法行為』としてくくるなら妥当なんだけどね」

自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。

写経屋の覚書-フェイト「これまでの各テキストの検証でも触れてるけど、朝鮮人・台湾人が戦勝国意識を持って集団で不法行為をしたことは事実だけど、『朝鮮進駐軍』と名乗った事実は確認できなかったよね。日本人4000人が殺害されたという論拠やGHQの史料も実在が確認できなかったし」

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
服装・武器及び組織について
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。

写経屋の覚書-なのは「盗んだ日本軍の武器を使用したっていうのはテキストB2を引用、整理しているね。それとテキスト構成検証の時にも触れたけど、パイロットの服について田岡自伝を引用整理して「日本空軍」なんていう存在しない組織名を使ってるのは割とダメダメだと思うの」

写経屋の覚書-はやて「ん?軍服着用の理由として、日本兵・日本人へのあてつけをあげとるけど、これテキストCにも他のテキストにもあらへんだなぁ。どこから引っ張ってきたんやろ?まぁ『朝鮮進駐軍』に関係する根本的な問題(ちゃ)うんけどw」

組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

写経屋の覚書-フェイト『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)でなのはちゃんが言ったように、法的権限なしで警察権類似行為を行なった保安隊・自治隊みたいな実在が確認できる朝鮮人組織が『朝鮮進駐軍』の実態なんだーってまとめてしまう手だよね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。あと、在日本朝鮮人連盟(朝連)、在日本朝鮮人総連合会(総連)と在日大韓民国居留民団(民団)との関係についての記述はテキストCよりはマシかな。大まかな流れ自体はあってるね」

写経屋の覚書-はやて「実在が確認できへん『朝鮮進駐軍総本部』を『在日朝鮮人連盟総本部』と呼んだり、頭に置いとる時点で全部台無しやねんけどねw」

時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

写経屋の覚書-なのは「都市部の人手不足、警察の武器使用禁止のような制限が犯罪抑止力の空白化の原因ってするのはたしかに妥当なんだけど、有力な原因を一つ忘れてるよね」

写経屋の覚書-フェイト「有力な原因?」

写経屋の覚書-なのは「司法権と警察権の適用範囲の問題だよ。連合国軍構成員でもなく日本国民でもない朝鮮人・台湾人に対して日本の警察権・司法権が及ぶのかっていう法的な疑問と、GHQがそれについて不明確な態度をとったから、日本警察は取締をある程度躊躇してしまい、朝鮮人・台湾人は日本の法令は適用されないと判断して増長したっていうことがあったでしょ?」

写経屋の覚書-はやて「それも『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)で言うてたね。1946(昭和21)年2月19日付SCAPIN756「刑事裁判権の行使」SCAPIN757「朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理」で、朝鮮人・台湾人に対しては日本警察の警察権・司法権が行使されるってことが明言されるまでは曖昧やったって。参考文献としてあげとる各道府県の警察資料とかちゃんと読んどったらわかるはずやと思うねんけどなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうなの。テキストD作成者がそれらの文献を自分で直接確認しないで、秋津嶋案内所を丸写ししただけってことになるの。あと敗戦による動揺や士気低下もあるんだけどね」

写経屋の覚書-フェイト「戦時中いろいろ厳しく取り締まっていた警察が、敗戦で権威を失墜して自信も失って虚脱状態になったってことはあるよね」

朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

写経屋の覚書-はやて「これはテキストB2の丸写しで、テキストCにあったなぁ。これも何回も()うとるけど、朝鮮人・台湾人が東京各地区の闇市に勢力を持っていたってことで、各地区が占領支配されたん(ちゃ)うって」

写経屋の覚書-なのは「朝連・日本共産党の基地となった荒川区深川枝川町の朝鮮人集落のケースとは別の話だしね」

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

写経屋の覚書-フェイト「…『4000人の日本人市民が殺害』された『GHQの調べ』なんてなかったよね。この根拠って結局何なんだろう?」

写経屋の覚書-はやて「『多い説では1万人以上であった』いうんも具体的には誰のどんな言説なんかわかれへんし」

略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。

写経屋の覚書-はやて「ここもテキストB2・Cの転載やな。『利根川水系の牛の強奪などが有名』って言うとるけど、この事件について触れとるんはテキストBだけやし、その実在を担保できひんかったやん」

写経屋の覚書-フェイト「梅田村事件みたいに実在の事件を持ってきたらよかったのに…って思ったんだけど、テキストDの作成者、そこまで調べて書くような人じゃないっぽいよね」

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

写経屋の覚書-なのは「ここは、秋津嶋案内所の『何故「三国人」が差別用語になったのか(左翼系在日朝鮮人騒乱史)(キャッシュ)』の記述を引用整理してるんだよ。阪神教育事件は何度か触れているから、それ以外の事件について警察資料などから概要を抜粋しておくね」

生田警察署襲撃事件
1945年12月24日、朝鮮人50人以上が兵庫県神戸市の生田警察署内に乱入し、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を制圧し、前日逮捕された強盗犯3人を奪還した。また、翌年1月9日、逮捕された賭博団の奪還を試みて朝鮮人3、40人が署内に乱入したため、進駐軍憲兵の応援を得て3名を逮捕した。
 兵庫県警察史編さん委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p447
 『朝日新聞』(大阪版)1945年12月27日付

長崎警察署襲撃事件
1946年5月13日、闇市取締で逮捕された朝鮮人・中国人の釈放が拒絶されたことで、在日本朝鮮人連盟の青年自治隊員100名と中国人など総勢約200人が長崎警察署を襲撃して什器を破壊し、10人に重軽傷を負わせた。朝鮮人60人・中国人7人が逮捕された。
 長崎県警察史編集委員会『長崎県警察史 下巻』(長崎県警察本部 1979)p1051~1061

首相官邸デモ事件
1946年12月20日、「在日朝鮮人生活権擁護全国大会」の参加者たち2,000人が、閉会後デモ行進を開始して首相官邸に向かい、スクラムを組んで警備員に投石、プラカードによる殴打を行ない門内に入り込もうとしたが、警察官と進駐軍憲兵が門外に排除したのち解散させた。
 警視庁史編さん委員会『警視庁史 第4巻』(警視庁史編さん委員会 1978)p514~516
 篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1955)p264
 警察庁刑事部捜査課『戦後に於ける集団犯罪の概況』(警察庁刑事部捜査課 1955)p52~53
 『朝日新聞』(東京版)1946年12月21日付、28日付

写経屋の覚書-フェイト「テキストDの4つの事件についての説明は妥当なんだね」

写経屋の覚書-はやて「引用元の秋津嶋案内所の説明が妥当いうことなんやろね。まぁ、その秋津嶋案内所が警察資料を元ネタにしとるわけやから妥当なんも当たり前かな。但し『朝鮮進駐軍』の行為やのぉて朝鮮人の集団不法行為としては、の話やけどね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。しつこいようだけど、どの事件の記録にも『朝鮮進駐軍』なんてものは出てこないの。これらの朝鮮人の集団不法行為を使って『朝鮮進駐軍』が実在したと証明することはできないんだよ」

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

写経屋の覚書-フェイト「テキストB・Cを検証した時に、アイケルバーガーの軍隊配備やマッカーサーの発表なんて存在しないし、浅草米兵暴行事件も単なる朝鮮人の集団暴行事件で、『朝鮮進駐軍』がやったっていう証拠も根拠もなかったよね」

写経屋の覚書-なのは「というわけで、このテキストD本文にあげられている事件も『朝鮮進駐軍』の実在を担保することができないって結論になるの」

写経屋の覚書-はやて「まさかとは思うねんけど、主な事件一覧にあげられとる事件の中に『朝鮮進駐軍』の実在を担保するもんがあるっちゅう可能性、ないやんね?」

写経屋の覚書-なのは「秋津嶋案内所のキャッシュを読んだらわかると思うんだけど可能性は0だよ。それにあらためて言うけど、作者はこれらの事件に関係する警察資料や新聞を調べたけど『朝鮮進駐軍』なんてどこにも出てこなかったよ。今回はここまでにして、次回は総まとめしようかな」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(6)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(7)

『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(5)

『朝鮮進駐軍』ウィキペディアテキストの検証(1)