写経屋の覚書-なのは「さ、今回からは『朝鮮進駐軍』について、かつてウィキペディアに載っていたテキストを検証するよ」

写経屋の覚書-フェイト「たしか削除されたんだったよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。2009年の年末に記述内容に対して異議が出てね、議論された後2010年1月5日に削除されたんだよ。議論はこんな感じだったの」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、2010年8月23日に別の内容で掲載復活したんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。今回は先に削除された方のテキストをテキストDとして検証するんだよ。まずいつも通りテキスト全文を紹介するね。赤字はテキストB2を参照、青字は『山口組田岡一雄自伝〈電撃編〉』(田岡自伝)を参照、緑字はテキストCを参照したと推測できる記述だよ」

朝鮮進駐軍

概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
服装・武器及び組織について
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
大阿仁村事件(1945年10月22日)
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日)
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日)
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日)
上郡事件(1952年5月8日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日)
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献
法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
『秋田魁新報』1945年
『神奈川新聞』1951年
『西日本新聞』1951年
『中部日本新聞』1951年、1952年
『大阪新聞』1952年
『京都新聞』1952年
『神戸新聞』1952年
『山陽新聞』1952年
『中国新聞』1952年

写経屋の覚書-はやて「とりあえず参考文献はまともなやつばかりやな、と言いたいけど、掲載ページ番号や新聞の発行月日が抜けとるから、確認するのにむっちゃ手間かかるで…」

写経屋の覚書-フェイト「それでも作者はやったの?」

写経屋の覚書-なのは「うん。全部読んだ。『日本占領研究序説』は『日本占領史研究序説』の間違いで、『鉄道公安の軌跡』には朝鮮人に関連する事件の記述はなかったんだけど、結局、主な事件一覧にあげられている各事件自体は全て存在したことは確認できたよ。でも、それらの記録・新聞等には『朝鮮進駐軍』なんて言葉は存在しなかったんだ」

写経屋の覚書-はやて「またいつものオチかいな…テキストDの作成者、ほんまに参考文献全部に当たったんやろな!」

写経屋の覚書-なのは「多分読んでもいないよ。主な事件一覧については「秋津嶋案内所」っていうサイトの『何故「三国人」が差別用語になったのか(左翼系在日朝鮮人騒乱史)』の丸写しなんだ。キャッシュを見ておいてね」

写経屋の覚書-フェイト「左翼系在日朝鮮人騒乱史、かぁ…前回、朝連が結成直後から急速に赤化して日本共産党と仲良しになったって言ってたもんね」

写経屋の覚書-はやて「その割には大阿仁村事件とか尾花沢派出所襲撃事件みたいに、左翼の政治闘争に関係ないもんも多いなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。看板に偽りありと。まぁそのへんはいずれ逐一見ていくとして、まずこのテキストDの構成について見ていくね」

写経屋の覚書-フェイト「テキストB2、テキストCからの引用が目立つね。文章としては、コピー&ペーストをつなぎ合わせただけで、記述内容の重複も多かったテキストCよりは整理されているみたいだね」

写経屋の覚書-はやて「んー、そやけど、『1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された』『組織ではいくつかの本部設けたが』っちゅう不適当な助詞や『日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた』『個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった』『戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には』いうミスタイプもあるし、『市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った』『翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い』いうような、日本語としてちょっとこなれてへん文章があるなぁ」

写経屋の覚書-なのは「編集履歴がたどれなかったので、テキストDがいつ成立してウィキペディアに書き込まれたかはわからないんだけど、テキストCの成立時期より遅いんじゃないかと判断するの」

写経屋の覚書-はやて「ちゅうことは、早うても2009年11月30日以降いうことやね。単純に考えたらテキストCからの引用があるし、主な事件一覧・参考文献いうテキストCになかったもんがあるから、テキストCより遅う成立したと思うねんけど、他に理由あるん?」

写経屋の覚書-なのは「うん。まずね、このテキストDはテキストCと同じで、テキストA・B2、田岡自伝を含んでいるんだけど、テキストCのような文章構成上の不備が少ない、つまり文章としてある程度整理されているから、後発になるって考えたの」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ。もし成立の順番がD→Cやったら、ある程度整った文章から、単なるコピー&ペーストしたままの雑多な状態に戻すっちゅう不合理な話になるか」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。構成上の不備の多い状態から整理された状態に変化するのが自然でしょ。それと、田岡自伝からの引用『朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが』って記述に問題があるの」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?田岡自伝本文とテキストCだと『こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた』ってなってたよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。テキストDの作成者が、田岡自伝のコピー&ペーストのままの文章を推敲したとき、『陸海軍の飛行服』を簡潔にまとめたつもりで『空軍のパイロットの軍服』って言葉に改めたんじゃないかなって考えるんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「日本軍に空軍はあらへんかったもんなぁ。陸軍航空隊と海軍航空隊やん。まとめたつもりで訳わからんことになったんか」

写経屋の覚書-なのは「それもあって、C→Dの順番で成立したと考えるほうが自然じゃないかなって」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、ウィキペディアに書き込まれてからすぐに内容への異議が出て議論が始まって、1ヶ月足らずで削除が決定されたってことになるね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことになるかな。じゃ、今回はここまでにして、次回からは内容の検証に行くね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(6)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(7)

『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(5)
写経屋の覚書-フェイト「テキストCの内容検証の続きだね」

これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。

写経屋の覚書-フェイト「これってどういうこと?」

写経屋の覚書-なのは「これ、妥当なところが一ヶ所もない文章なんだよ。まず『朝鮮進駐軍』の元締め組織って何?在日本朝鮮人連盟(朝連)って言いたいのかな?でもそれを証明するものは無いっていうか『朝鮮進駐軍』の実在自体が証明されてないしね。それに後で詳しく説明するけどね、『在日本朝鮮人総連合会』(総連)が1955(昭和30)年5月25日に結成されるまではけっこう複雑な軌跡があるの。不法行為をしていた朝鮮人集団がそのまま総連を結成したとかヤクザになったなんていう単純なものじゃないんだよね」

国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。

農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮人・台湾人集団が換金可能な物品を奪って闇市で売りさばいて莫大な利益を得てたんじゃないかって看做されていたのも『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)の『総監落第記』、農協倉庫を襲うという例も『奈良県警察史 昭和編』にあったね」

写経屋の覚書-なのは「貨車を襲うのは、1945年8月15日に徒党を組んだ三国人が国鉄湊川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪したって話が田岡自伝のp190~191に載ってたね。それと、食糧倉庫じゃないけど国の倉庫を襲った例はCLOで報告されてるんだよ」

CLO904 Mass Korean Theft Case:朝鮮人集団の窃盗事件

1. Date and Time. About 9 o'clock P.M. on November 21, 1945.
2. Place. Warehouse in the former Naval Powder storing Depot, located at Funaoka-machi, Shibata-gun, Miyagi Prefecture.
3. Circumstances. About 200 Koreans at Funaoka-machi broke into the warehouse of the depot to steal casks of methyl alcohol stored there. On receipt of the report, the Ohkawara police immediately called out all their reserves, and at the same time reported the matter to the Local Allies Headquarters. With the assistance of a hundred Occupation Troops, they have so far succeeded in arresting 52 of them.
On this occasion the troops fired upon the Koreans, resulting in three Koreans being killed and another three seriously wounded.

1.日時 1945年12月21日午後9時ごろ
2.場所 宮城県柴田郡船岡町の旧海軍火薬廠の倉庫
3.状況 船岡町の約200人の朝鮮人が、貯蔵されているメチルアルコールを盗むために工廠の倉庫に侵入した。受取った報告によれば、大河原警察は即座に全ての予備を招集し、同時に地方軍政部に事態を報告した。約100人の駐留部隊の協力を得て、今までのところ朝鮮人52人の逮捕に成功した。
 このとき部隊が朝鮮人に発砲し、3人が死亡し他に3人が重傷を負った。

写経屋の覚書-はやて「テキストA・Bの検証時に、そういう事例は存在するけど、全部が全部そういうわけでもないやろってやったやんな。日本人かて闇商売や不法占拠、集団強盗はやっとるんやし」

写経屋の覚書-なのは「自分たちは日本の法律適用範囲にないと考えてた分、朝鮮人・台湾人の方が大胆な犯行が多かったというのはあるんだろうけどね」

財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

写経屋の覚書-なのは「これも、よくここまで無知な文章を書けるもんだと作者は呆れているんだよね。まず在日本朝鮮人連盟(朝連)も、それに対抗して結成された『朝鮮建国促進青年同盟』(建青)も、『新朝鮮建設同盟』(建同)も最初から政治色が濃いんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「え?え?何かの思想や目的を掲げた団体と、それに反対する団体で2つじゃないの?」

写経屋の覚書-なのは「まず、朝連は1945(昭和20)年10月15日に結成されたんだけど、結成宣言に『吾等は総力を尽して新朝鮮建設に努力し、関係当局と緊密な連絡のもとに日本国民との友誼関係を保全、在留同胞の生活安定、帰国同胞の便宜を企図せんとするものなり』って書いてるように、最初は穏健な感じだったんだけど、日本共産党党員が加入することで赤化してしまうの」

写経屋の覚書-はやて「内部から乗っ取られたような感じやね」

写経屋の覚書-なのは「そんな感じかな。で、その赤化過程で脱退した人たちが、1945(昭和20)年11月16日に建青を結成して反共産主義と民族主義を強調して、朝連を切り崩すために実力行使をしたの」

写経屋の覚書-フェイト「ここまでは納得できるけど…」

写経屋の覚書-なのは「そして、その建青の朝連に対する過激姿勢に反対する穏健派と、朝連の不満分子が合流して1946(昭和21)年1月20日に建同を結成したの」

写経屋の覚書-はやて「ややこしいなぁ」

写経屋の覚書-なのは「結局、朝連は北朝鮮政府支持・支援や日本共産党の実行部隊として過激行動をやりすぎたので、1949(昭和24)年9月8日に解散を命じられたの。当時の報道はこんな感じなんだよ」

写経屋の覚書-490909朝日(東京)_朝連解散

写経屋の覚書-はやて「あれ?どこかで見たような写真があるで。拡大してみよか」

写経屋の覚書-朝連本部写真_拡大

写経屋の覚書-フェイト「これって『朝鮮総連本部を警備する短銃を所持する在日朝鮮人警備隊』ってキャプションで、大阪の在特会が配布してたビラに載ってた写真じゃない?」

写経屋の覚書-なのは「うん。既に何名かの方が指摘・ツッコミをしているように、朝連解散指令時に本部周囲を警戒する警官の写真を朝鮮人集団としているんだよね」

写経屋の覚書-はやて「要するに、「土匪之為惨殺サレタル鮮人ノ幼児」・「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」いうキャプションのついた写真を「5.30間島事件、朝鮮人虐殺の惨状」として『朝鮮人強制連行の記録』に載せた朴慶植と(おんな)しことをやったわけやなw」

写経屋の覚書-なのは「そう考えて問題ないよね。で、朝連の構成員は『在日本朝鮮民主女性同盟』『朝鮮解放救援会』といった朝連の下部組織を受け皿にして『在日本朝鮮統一民主戦線』(民戦)を1951(昭和26)年1月9日に結成(その下部組織となった『祖国防衛委員会』(祖防委)は1950年7月結成)して、さらに『在日本朝鮮人総連合会』(総連)を1955(昭和30)年5月25日に結成したの」

写経屋の覚書-はやて「これが今もある総連いうやつやな」

写経屋の覚書-なのは「一方、建青は、建同が在日朝鮮居留民団(民団)となって勢力を伸ばすと、逆に勢いが衰えて民団の同盟者になったんだけど、最後は吸収合併されたんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「姿勢自体はかぶってるから、結局は穏健な方が在日社会にうけたんだね」

写経屋の覚書-なのは「その建同は最初盛り上がらなかったんだけど、1946(昭和21)年10月3日、反共と同胞の生活安定を基本目的にした居留民団の在日朝鮮人居留民団にリニューアルして、建青を同盟者にしたの。これが1948年に『在日本大韓民国居留民団』(民団)に改称して現在の民団になったんだよ」

写経屋の覚書-はやて「その発展過程で建青も吸収したんやね。それにしてもほんまややこしいなぁ…」

写経屋の覚書-なのは「こんなに複雑な経緯があるのに、各団体の成立と展開、終焉について粗雑で乱暴な説明をしてるのはどうみても妥当じゃないよね」

「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。
在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

写経屋の覚書-フェイト「これは私にもわかるよ。ほとんど田岡自伝の丸写しだね」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、田岡自伝には『朝鮮進駐軍』いう言葉は全然出てこおへんかったよ。要するに田岡自伝は朝鮮人・台湾人たちの不法行為を描写することはできても、『朝鮮進駐軍』の実在を担保することはでけへんってことやん」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。あと、警察官の拳銃所持が許されてなかったのは終戦直後から1946年2月末までなんだけど、兵庫県警察ではそれより先に神戸憲兵司令部の許可をもらって拳銃を所持していたんだよ。1945(昭和20)年12月30日、連合軍神戸憲兵司令部から拳銃95挺が兵庫県警察部と神戸市内の7警察署に、1946(昭和21)年1月5日には兵庫県下の14警察署に拳銃120挺が交付されてたんだよね。根拠は兵庫県警察史編纂委員会『兵庫県警察史 昭和編』p456だよ」

戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。

写経屋の覚書-はやて「これ、ぜんっぜん根拠あらへんやんなあ…何べんも言うとるけど『朝鮮進駐軍』と名乗った組織の実在すら証明できひんし、当然それと総連の関係性なんか証明しようがあらへん。大体、総連の成立経緯は前述したとおりやし」

【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】
【押谷委員】
お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。
昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。

写経屋の覚書-はやて「ん?1951(昭和26)年ってえらい後の方やな。終戦直後とは言いにくいんかもしれへんけど…どんな事件なん?」

写経屋の覚書-なのは「1951(昭和26)年3月21日午前3時ごろ、台東区浅草千束町2の4国際劇場前の「国際マーケット」で、マーケット在住、旅館経営の朝鮮人と、遊びに来た米兵6人が口論になって、付近の朝鮮人も集まってきて米兵を集団暴行して1人が死亡した事件なの」

写経屋の覚書-フェイト「?そのマーケットの朝鮮人たちが『朝鮮進駐軍』と名乗ったり、『朝鮮進駐軍』だと確認できる材料はあるのかな?」

写経屋の覚書-なのは「当然ないよ。当時の新聞報道はこんな感じ」

写経屋の覚書-510322朝日(東京)_浅草米兵暴行事件1

『朝日新聞』(東京版)1951年3月22日付
『主犯容疑者捕わる 浅草で一名死亡 朝鮮人の米兵暴行』
(前略)同マーケット内に住む朝鮮人が、乗用車で来た米兵六名を取囲み乗用車をこわし薪割り、コン棒、石材などで集団暴行を加えた。CID、浅草署、第六方面予備隊から係官、警官約二百名が出動、負傷した米兵一名を聖路加病院に収容したが死亡した。警視庁では現場で凶器その他を押収するとともに主犯容疑者として同マーケット内旅館業高浩振(二九)同人実弟高浩福(二五)同、無職金東休(二五)を浅く署に留置、別に三十数名の日鮮人を隣接各署で分散取調べを続行している。当局の調べによると高らは宿を探しに来た米兵と口論、付近の朝鮮人を狩り集めてこの凶行をひき起こした容疑(後略)

写経屋の覚書-510323朝日(東京)_浅草米兵暴行事件2

『朝日新聞』(東京版)3月23日付
『46名を留置 米兵殺傷事件』 

写経屋の覚書-510324朝日(東京)_浅草米兵暴行事件3

『朝日新聞』(東京版)3月24日付
『さらに一名を逮捕 米兵に暴行事件容疑者』
(前略)二十三日までの調べによると、事件の発端は高浩振(二九)方に遊びにきた米兵六名と高がさゝいのことからケンカを始め同町の七二高経営の「ひさご」旅館にいた朝鮮人客引十余名が加勢して自動車に逃込もうとする米兵を追ううちにヤジ馬が加わり、マキワリ、裁断ハサミ、石材などで暴行したものと判った。なお高は同マーケット内に夜の女五名を抱えていた。

写経屋の覚書-はやて「…単に遊びに来た米兵と店主がもめて傷害致死事件になったってことやん…『朝鮮進駐軍』どころか組織の犯行でもあらへん…対日講和締結と独立回復が現実味を持ってきたころの事件やから大きく報道されたんかもなぁ」

写経屋の覚書-なのは「ここからは『南十字星(北斗星)』投稿、つまりテキストBからの転載が続くけど、既に検証しているからとばすね」

終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。
東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。

写経屋の覚書-はやて「…こんな事件、裏付け取れるん?」

写経屋の覚書-フェイト「無理、だよね…」

写経屋の覚書-なのは「うん。無理だった。発生年月日の手がかりすら書いてないしね」

当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。
これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。

写経屋の覚書-なのは「マッカーサーがこんな宣言をした事実は確認できないって、『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)で言ったよね。GHQは1946年1月16日付SCAPIN605『Armament of Police Force in Japan:日本警察の武装』で日本警察に拳銃の携帯を認めてるから、もしマッカーサーがこんな宣言をしたんだったらこのSCAPIN発出以前のことになるんだけど、そんな発表は存在しないの」

1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。
すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました

写経屋の覚書-なのは「最初から間違ってるよ。GHQの占領統治は1952年4月28日のサンフランシスコ条約発効で終了するんだから。在日朝鮮人の国籍変更については、以前少しやったけど、1951年11月10日に韓国政府が大韓国籍を付与する閣議決定をしてるし、12月の日韓会談で日本国籍の喪失については合意しているんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「日本政府から「朝鮮に帰れ」って命令は出たの?」

写経屋の覚書-なのは「そんな命令が出た事実は存在しないよ。それに関して朝鮮学校閉鎖、民団・総連の解散も要求してないしね。だいたい、この時期に総連はまだ結成されてないし。朝鮮学校に教育基本法・学校教育法に従うよう命じて、従わない学校には閉鎖を通告したってことならあったんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「理由が全然(ちゃ)うやんなあ…」

写経屋の覚書-なのは「で、それに反発して1948年4月に起こったのが兵庫・大阪の「阪神教育事件」なの。このとき朝鮮人たちは「我々は戦勝国民であり日本を統治する立場だ」なんて叫んでいないし、革命も叫んでないよ。あくまでも朝鮮学校閉鎖に対しての反発闘争なんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「話も全然違うね」

写経屋の覚書-なのは「公共施設の占拠については、閉鎖反対の交渉時に大阪府庁舎と府知事室(4月23日)、兵庫県庁舎と県知事室(4月24日)に乱入して、暴行破壊をしたり、大手前公園(現在の大阪城公園)に集結した朝鮮人集団が、警察の解散通告に反発して棒切れ・投石・唐辛子で抵抗したりしてるんだけど、火炎瓶などの武装はしていないよ。警察側の逮捕鎮圧については、大阪府警が26日に消防ポンプ放水だけじゃなくて拳銃も使用したんで、死者1人が出たんだけどね。根拠史料は大阪府警察史編集委員会『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警本部 1973)p246~249、兵庫県警察史編さん委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p654~657、警察庁刑事部捜査課『戦後に於ける集団犯罪の概況』(警察庁刑事部捜査課 1955)p69~86、鈴木栄二『総監落第記』(鱒書房 1952)p91~105だよ」

警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。

写経屋の覚書-はやて「これも『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)で見たなぁ。神戸基地司令官メノア代将が非常事態宣言を宣告して、第8軍司令官アイケルバーガー中将が暴力と強制のもとに行われた知事等との協定・約束は無効やいうて、朝鮮人の行動は占領政策・占領軍の安全に脅威を及ぼすもんやから軍事委員会・軍事裁判所に付すると宣言して、鎮圧処理を命じたんやった。戒厳令なんか出てへんっちゅうねん」

写経屋の覚書-なのは「軍隊も動員してないしね。それにこれ以外の事態に対しても戒厳令が出された事実もないしね」

この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。
死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)

写経屋の覚書-フェイト「…日本の歴史からスッポリ抜けると言うより、事実自体が存在していないんでしょ。これって実在した阪神教育事件を脚色して膨らませているんじゃないかなぁ」

逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する抗議としてであると述べています。
日本人として、在日朝鮮人への危機感は常に持つべきですね。

写経屋の覚書-なのは「阪神教育事件については、たしかに在日朝鮮人側は民族教育への弾圧と、それへの抗議としてとらえているんだけど、国籍条項への抗議については触れてもいないよ。不都合だからじゃなくて最初からそんな事実が存在しないからなんだよね」

言っておくが日本国内だけではない。
朝鮮半島を朝鮮を近代化させて、恩あるはずの我ら先人の日本人を集団で襲って、強姦強盗不動産窃盗と悪の限りを尽したのを皆忘れてしまったのか。
多くの日本人は、朝鮮人に襲われ、無念にも命を落とし、帰れなかった人は数知れない。
彼らの悔しさを思うと、日本人の敵朝鮮人に参政権という言葉は決して出てこないはずである。
このことを誰も伝えようとしないが、事実は決して消える物ではない。
朝鮮人の日本人に対する犯罪は、触れては成らない理由があるのか不思議な日本人達だ。

写経屋の覚書-なのは「これはどうでもいいや。ほとんど主観的感想・述懐に属する話だし、検証する必要はないよね」

写経屋の覚書-フェイト「参政権がどうとか書いてるから、在日外国人への参政権付与問題がクローズアップされたころに、参政権付与反対の立場から作成された文章なんだろうなぁって読み取れて、その作成時期についてのヒントになるかもしれないって程度だね」

写経屋の覚書-はやて「作者としては、最後の一行が韓国語から翻訳機通したような形態・内容っぽいっちゅうのがちょっとおもろかったらしいよw」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、そろそろまとめようか。テキストCは『朝鮮進駐軍』って言葉が現れるテキストB2、そして田岡自伝から多くの記述を転載し、更に首相官邸デモ事件、浅草米兵殺傷事件といった朝鮮人の集団不法行為までをも何の根拠もなく『朝鮮進駐軍』の行動として追加し、朝連、建青といった朝鮮人団体の成立展開状況について的外れの説明を盛り込むなどいい加減なものなの。そういうわけで『朝鮮進駐軍』の実在を担保する資料にはならない、と結論するね」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ。だいたい、朝鮮人組織が『朝鮮進駐軍』を名乗ったいう根拠史料は全然示されてへんし…朝鮮人の集団不法行為が即『朝鮮進駐軍』の活動いうことにならへんし、『朝鮮進駐軍』いう名称で朝鮮人の集団不法行為をまとめたかて『朝鮮進駐軍』が実在したいう証拠にならへんしなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?実在したものを、強引にひとまとめにして勝手に名付けてしまうのって、どこかで見たことがあるよ?」

写経屋の覚書-なのは「フェイトちゃん鋭いっ!『従軍慰安婦』ってやつと同じ構造だよ。戦場近くで営業する慰安婦は実在したけど、それらを『従軍慰安婦』としてあとから勝手に定義して名付けたのと同じなんだよね」

写経屋の覚書-はやて「思想信条に関係なくバカは(おんな)しことするんやね」

写経屋の覚書-なのは「でね、このテキストが登場するまでは、戦後の朝鮮人の集団不法行為について取り上げたサイト等ではほとんど注目されず、せいぜい朝鮮人組織の一派程度にしか認識されてなかった『朝鮮進駐軍』という言葉が、『ねずきちのひとりごと』で拡散したせいで、朝鮮人組織を代表するばかりか朝鮮人組織の総称とまで認識されることとなったんだよね。じゃ、次は最後のテキスト、以前ウィキペディアに掲載されていた文章を検証するね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(6)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(7)

『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(4)

写経屋の覚書-はやて「なのはちゃん、前回の最後で、今回扱う史料が多いって()うてたね」

写経屋の覚書-なのは「うん。史料については後で出すから、前置きなしで本文を見ていくよ」

「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。

写経屋の覚書-フェイト「『個々に部隊名を名乗る』っていうのはどういうことなの?」

写経屋の覚書-なのは「何の法的根拠も権限もなく警察権類似行為を行なった『保安隊』『治安隊』『自治隊(自称コリアンポリス)』『チャッチ隊(自治?)』っていった実在した朝鮮人の行動組織を『朝鮮進駐軍』としてひっくるめてしまおうって魂胆だと疑ってるんだよ」

写経屋の覚書-はやて「なるほど。ある地域では『朝鮮進駐軍保安隊』が活動したけど、史料的には『保安隊』としか表記されてへん、いうふうな論理ちゅうか逃げ道ができるもんな」

写経屋の覚書-フェイト「もし『朝鮮進駐軍』と名乗る組織の実在が証明できないことを知っていてこういうまとめをしたんだったら悪質な詐欺行為だよね。知らずにやっているんだったらちゃんとした検証をしてないことになるし」

写経屋の覚書-なのは「保安隊などは朝連の中に作られた組織なんだけど、以下の通り史料があるよ」


写経屋の覚書-富山376
写経屋の覚書-富山377

 二十年十二月、県内朝鮮人は、同胞援護の名のもとに富山市に在日本朝鮮人連盟富山県支部を設立し、下部組織として、上滝・東岩瀬・氷見・高岡・出町・呉羽・速星・大久保・新湊・福野・井波の各町村にそれぞれ分科会を設け、また、朝鮮民主青年同盟・朝鮮民主婦人同盟を併設して県下朝鮮人の統括をはかった。これとともに、他県の例にならって自治警察隊を組織し、富山・高岡両駅に常時二十名内外の取り締まり鮮人を出張させて、施設警察行為を行なうようになった。
 これによって朝鮮人の気勢は大いに上がり、暴状はますますつのって、とくに、富山あたりでは、列車やバスの乗車には列をつくっている民衆をしり目にまっ先に乗り、日本人が文句を言えば袋だたきにし、駅員や乗務員の制止などは全く馬耳東風で、婦中・上滝・四方の各駅間などはさながら朝鮮人の無賃乗車区間の観を呈した。また。映画館や興行場の入場には金を払わないのを当然のごとくに心得、日本人の不良を子分として町をのし歩き、日本の婦女を強制的に旅館へ連れこんだりした。駅などでは朝鮮人連盟自治隊が朝鮮人保護に監視の目を光らせ、駅員を強制して切符の入手や座席の独占を行ない、警察官の取り締まりには人数を動員して反抗し、検挙されれば駅前派出所を包囲したり、警察署に波状的に抗議を繰り返し、はてには、署内に侵入して釈放を強要するなど、その無法さは言語に絶するものがあった。
 朝鮮人が最も暴威を振るうようになった二十一年三月から九月までの間に、彼らの犯した窃盗・暴行傷害などの犯罪は二〇〇件二二七名、ヤミ米の買出しは二、七〇〇名、二八四石におよび、この間、警察官に対する集団反抗の絶え間がなく、口論、激論から押し合い、引っ張り合いとなり、はては、互いに組み打つことなど、このような光景は毎回の取り締まりに見られ、警察官の負傷者は微傷を除いて公式に報告されたもので六名に達していた。
 このような暴状に対し、県下に絶対的な威令を行なっていた進駐軍は、はじめ微温的な態度をとり、これが朝鮮人を一層増長させる結果ともなった。その矢先、八月五日富山駅前派出所で警察官に対する朝鮮人の集団暴行事件が起きた。

瓜生俊教『富山県警察史 下巻』(富山県警察本部 1965)p376・377


写経屋の覚書-福井720
写経屋の覚書-福井721

〔大野で発生した集団暴行事件〕昭和二十一年(一九四六)一月七日午後三時ごろ、大野町に住む土建請負業者山形武(仮名)は、大野町下神明の貸座敷(遊郭)泉屋の前で、アメリカ兵の口真似をして娼妓をからかっている朝鮮人金田二郎(仮名)に腹が立ち、金田をどなりつけて娼妓をからかうのを止めさせた。ところが、金田は怒って山形に組みついてきたため、山形に同行していた若い者に取り押さえられ、泉屋前の小川に投げ込まれ、頭部に裂傷を受けた。山形らはこれをあざ笑うようにして泉屋に入った。一方、負傷した金田はさっそく同町の朝鮮人保安隊本部へ走り、頭部の裂傷を示して山形への報復を求めた。これに同調した朝鮮人十数人は、各自がこん棒などを持って泉屋に押し寄せ、山形の頭部を一撃し、倒れたところをさらに殴りつけ、引きずり回すなどの暴力をふるった。
(中略)翌九日、大野警察署は朝連大野支部事務所や朝連大野地区保安隊本部を検索し、保安隊が所持していたこん棒二十五本を押収し、奪われた山本巡査の剣を取り戻した。

福井県警察史編さん委員会『福井県警察史 第2巻』(福井県警察本部 1990)p720・721


写経屋の覚書-広島896

 しかも朝鮮人の不法行為は、警察の当初の保護対策に乗じて次第に激化し、昭和二十年十二月には、在日朝鮮人保護指導並びに帰還輸送促進、朝鮮人の犯罪予防検挙等を目途とする在日朝鮮人連盟広島県本部を結成(本部安芸郡船越町花都、本部長李秀淵)し、連盟内に保安隊と称するものを結成して朝鮮人に対する警察類似行為を実施し、警察の行なう取締の妨害を敢行するに至つた。即ち、警察官が主食の闇取締を開始すると直ちに前述の保安隊なるものが現場に出動し、朝鮮人が警察官の取調べを受けると、「朝鮮人を日本警察が取調べる権利はない、朝鮮人の犯罪については朝鮮連盟で実施する。本件は警察部長も了解済である。」と称し、押収米麦の返還を強要し、警察官吏の勢力が弱いとみると、押収米麦、被疑者等を奪還する等の挙に出たのである。このような事件は、昭和二十年十二月頃から翌二十一年四、五月頃にかけて殆ど連日のように発生し、しかも全県下に波及した。その最もたるものが、昭和二十一年二月の朝鮮人連盟上下支部の警察署襲撃(未遂)事件であつた。この事件は、上下警察署が経済事犯一斉取締の結果、被疑者として朝鮮人を拘束したことに端を発し、地元朝鮮連盟甲奴支部がこれを奪還せんとして、庄原、三次、府中方面連盟支部に来援を求め、約百二十名の朝鮮人を集結して、上下警察署を襲撃しようとした事件で、この報に接した警察では、直ちに福山、三次、庄原、府中各警察署より五十名の警察官を応援派遣し、別に忠海町進駐の米軍一ケ小隊の応援を得てこれが鎮圧に当り、二月二十五日に至り不穏行動した朝鮮人百八十名を逮捕、米麦類約二石、日本刀一振、樫棍棒七十本を押収した。

広島県警察史編修委員会『新編広島県警察史』(広島県警察連絡協議会 1954)p896


写経屋の覚書-福岡521
写経屋の覚書-福岡522

 博多に集結した朝鮮人は戦勝意識をもって警察の指示を拒否し「我々は戦勝国民なるにより敗戦国たる日本警察官の取締りを受ける要なし」と豪語していた。博多港を管轄するのは博多臨港警察署で、署員は署長以下四十六名、どっと押しよせた帰国朝鮮人を相手に混乱を防止しなければならなかった。しかも、朝鮮人の法的地位も、取締方針も定まっていなかった時期である。そのときの戦勝国民として意気あがる朝鮮人を相手に治安維持に当らねばならなかった署員の切歯扼腕ぶりが沿革簿に記されている。沿革簿には「終戦後より同年十一月末迄には署長以下四十六名程度を以て取締に当り居りたるにより警備上凡有る困難を来し居りたる折柄、福岡市居住の南正祐一派は、帰国朝鮮人の救済並に雑踏整理を為し警察へ恰も協力するが如く装ひ、朝鮮人帰国同胞救護会を昭和二十年十月上旬結成し、同会内に隊員十五名にて自治隊(自称コリアンポリス)を組織し、帰国同胞の世話並に埠頭内の交通整理を為し居りたるも、彼等隊員は一般朝鮮人よりも独立国民たるの観念強く、我々の祖国朝鮮は今や独立国となりたるにより吾々朝鮮人は敗戦国日本警察の取締を受けず、朝鮮人に関する諸問題は我々自治隊員により解決し、事件の内容は日本警察に知らしめずとの僭越盲断的観念を持ち、日本警察より朝鮮人取締の実権を彼ら自治隊員の手中に収め得るかに腐心し、朝鮮人に関する事件の当署の処置に容喙し来る」とある。
 十月上旬に南正祐は帰国朝鮮人の世話をする自治団体として同胞救護会を組織した。この組織の本来の任務は帰国をスムーズにする連絡機関に過ぎなかったが、彼らは「朝鮮は独立国となり、日本は敗戦によって主権なき国家となったのだから、日本の統治権は朝鮮人に及ばず、日本警察は警察権を行使できない」と解釈していた。
 彼らは警察の取締りについて朝鮮人に関連することには、事ごとに干渉するだけでなく、同胞救護会をコリアンポリスと自称して警察権を行使した。救護会事務所裏には留置所のようなものを造って朝鮮人だけでなく朝鮮人に関連する事件には日本人まで逮捕監禁し、取調べを行うなど不法越軌行為が続出した。

福岡県警察本部『福岡県警察史 昭和前編』(福岡県警察史編さん委員会 1980)p521・522


写経屋の覚書-運動概況89
写経屋の覚書-運動概況90
写経屋の覚書-運動概況91

朝連の地方における結成概況(一二月二〇日現在内務省調査)

地方本部支部数備考
名称結成月日所在地委員氏名自衛機関ノ名称
北海道本部 小樽市金洪仕   
青森〃10・10弘前市孫一 8 
岩手〃10・1盛岡市白景作 19 
宮城〃 仙台市中錫株   
秋田〃10・30秋田市金載華 10 
山形〃10・25山形市玄徳栄保安隊
(各支部ニ設ク)
7 
福島〃 平市金鐘生   
茨城〃 土浦市姜希守 12 
栃木〃 栃木市朴辛甲   
群馬〃11・10高崎市姜昌浩保安隊9 
埼玉〃10・22大宮市鄭淳悌自衛隊15 
千葉〃 千葉市柳喜俊   
神奈川本部9・16横浜市韓徳銖保安隊17 
新潟〃10・25三条市白基昌 9 
富山〃 富山市宋元浩   
石川〃11・2金沢市李心喆警備隊
(各支部ニ設ク)
4 
福井〃10・28福井市李基次保安隊
(各支部ニ設ク)
8 
山梨〃 甲府市南正一 3 
長野〃 上伊那郡崔賛浩   
岐阜〃 岐阜市金昌守警備隊
(各支部ニ設ク)
13 
静岡〃 静岡市李錫範   
愛知〃 名古屋市姜信昌 13 
三重〃10・10松坂市金重煥警備隊
(各支部ニ設ク)
13 
滋賀〃10・15大津市安在学 13 
京都〃9・24京都市林曹康   
大阪〃10・10大阪市金達寛警備隊15 
兵庫〃 神戸市李民善自衛隊2 
奈良〃10・2北葛飾郡(ママ)李来玉保安隊9 
鳥取〃9・15米子市李元栄 3 
岡山本部10・13岡山市朴章縞治安隊3 
山口〃12・10下関市  3 
四国地方〃 愛媛県
新居浜市
趙貞済警備隊3 
佐賀〃12・27佐賀市金振玉   
長崎〃12・9長崎市趙連湜   
大分〃11・2大分市康倫範 12 

*北葛飾郡は北葛城郡の誤り

坪井豊吉『在日朝鮮人運動の概況』(法務研究所 1959)p89~91


写経屋の覚書-運動53
写経屋の覚書-運動54

しかしこの両者の集団紛争において「朝連」はその行動性に欠け、ややともすれば「建青」及び「建設同盟」に腕力的に押され気味であつたので、昭和二十一年一月頃「朝連」内に保安隊又は自治隊と称する自衛隊を結成して自己防御に当つたが、これら自衛隊は恰かも警察権を与えられた如き錯覚を持ち、無警察的行動いわゆる不法監禁、摘発等の警察権類似行為を始め、「朝連」組織の維持拡張の為朝鮮人引揚列車の妨害等をなしたが、これら自衛隊は世上ややもすれば正規な朝鮮人自治の保安機関と感違いし、特に地方ではこの隊員の腕章が物を言い日本人を威怖せしめたのである。この頃占領軍当局も漸く朝鮮人問題を重視し始め、昭和二十一年二月十九日、「刑事裁判権の行使に関する件」の覚書を発し、在日朝鮮人に対し、日本の法権に服すべきことを指令し、更に日本政府においても暴力主義団体の解散を規定した勅令(第一〇一号)を公布し、暗にその行動を牽制したが、それでも「朝連」自治隊(又は保安隊)の暴力行為は終熄しなかつたので、同年四月二十四日、占領軍当局は、「朝鮮人自治隊の如き如何なる警察的機関も認めぬ」という見解のもとに同自治隊の解散を命じたのである。

篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1955)p53・54

写経屋の覚書-はやて「警察関係の史料ばっかりやね。他の史料はあらへんの?」

写経屋の覚書-フェイト「そうだね。朝鮮人側からの史料とかもあれば確実だよね」

写経屋の覚書-なのは「大韓民国居留民団が在日韓国人に聞き取り調査したのをまとめた中にこんなのがあるよ」


写経屋の覚書-アボジ255
写経屋の覚書-アボジ256
写経屋の覚書-アボジ262
写経屋の覚書-アボジ267

質問N:解放後、民族団体に参加された方、当時の状況、出来事をお話し下さい。p255

千葉 男 61 慶南 '41 ・青年だけで60人程度だった。朝連と建青が二つに分かれたときはものすごい喧嘩をした。その時、幹部だったのでチャッチ隊(自治?)に連れていかれ、半殺しの目にあった。p256

大阪 男 63 全南 '37 ・連盟の保安隊で参加。駅などに待機し、米を持った日本人のは奪い、韓国人なら知らんぷりで、道を通したりした。その当時、警察の力が弱いために。p262

福岡 男 68 慶南 '37 ・保安隊に居た。電車に乗り老人達が立っていたら、日本人を立たせて座らせたりした。警察も文句を言えなかった。p267

*回答者データは頭から在住地・性別・年齢・出身地・渡日年

『아버지聞かせてあの日のことを』(在日本大韓民国青年会中央本部 1988)


写経屋の覚書-なのは「あと、新聞記事とそれを裏付けるCLOもあるんだよ」


写経屋の覚書-460327読売報知

1946年3月27日付『読売報知新聞』
朝鮮人保安隊に警告
最近朝鮮人保安隊と称し、朝鮮人が徒党をくみ、治安維持の名のもとに通行人の携行物品を取調べ横領する事実があるが、廿六日の記者会見の席上、マツカーサー司令部スポークスマンは「朝鮮人による如何なる団体といへども自ら警察権を行使する権限はない」旨言明、つぎのごとく語つた
 如何なる場合といへども朝鮮人は日本人を逮捕することは出来ない、それについては聯合国司令部が厳に通告を発してゐる、従つて違反者は日本政府により厳罰されることになつてゐる、しかし朝鮮人は日本の警察に援助を与へることは許されてゐる


写経屋の覚書-460412朝日(大阪)

1946年4月12日付『朝日新聞』(大阪版)
朝鮮人保安隊等の解散指示
第百九軍政部では十日午後二時から大阪市北区中崎町、朝鮮人聯盟本部に同聯盟ならびに朝鮮建国促進青年同盟、国際労働聯盟などの幹部約五百名の参集を求め、軍政部カーナン少佐から

朝聯、建国青同、国労働ほか三団体の朝鮮人の結成せるすべての武装団体、保安隊、防護団体その他同様の機関を解体することに対する指示を与へ、今後日本警察が朝鮮人、台湾省民に対する取締を行ふ旨を通達

引き続きアレキサンダー少尉から日本語で朝鮮人を激励する挨拶があり、終つて田中大阪府警察部長から同様趣旨の挨拶をのべた


写経屋の覚書-460327朝日新聞(東京)

1946年3月27日付『朝日新聞』(東京版)
徒党組み、買出し米を没収 池袋駅ホームで奇怪な越権行為
二十五日午前十一時ごろ山手線池袋駅省線西口ホームで某団体員と称する約十名の男が乗降客の荷物を検査し米を見つけてはドンヽヽ没収してゐる事件が起った――田丸池袋署長以下が現場に赴いて調査したが、午前六時ごろから行はれてゐたものらしく没収した買出し米は約二石におよび、連中の言分は列車内取締に関して板橋署から協力を要望されたからだと主張したが、板橋署では全然承知してゐない、折衝の結果、検査を中止没収した米と預り証を警察側に引渡し説諭をうけて引揚げた

写経屋の覚書-なのは「この事件については、日本政府からGHQへの報告がCLOの中にあるんだよ」

CLO2404 Control over Railway Transportation Obstruction by Koreans, Formosans (including Chinese) 朝鮮人、台湾人(中国人含む)の鉄道輸送妨害の取締の件

 e. Security Committee of the League of Koreans Pretending to Aid the Police.
   On 25 March at the weat(ママ) entrance to Ikebukuro Station on the Yamate Line, ten members of the Security Committee of the Itabashi Branch of the League of Koreans in Japan were engaged, on the pretext that they were requested to aid police activities by the Itabashi Police Station, in examining the contents of passengers' baggage from 6 a.m., confiscating whatever rice and other cereals were found therein. They would not obey the warning of the policeman on duty. Thereupon, the policeman reported to the Chief of his police station, who at once came to the spot and put on end to the illegal action, restoring the confiscated property to their owners.

 e. 警察の援助をすると称する朝鮮人連盟の保安員
   3月25日山手線池袋駅西口で、在日本朝鮮人連盟板橋支部の保安員10人が、板橋警察署より警察活動の援助を要望されたという口実で、午前6時から乗客手荷物の臨検に従事し、発見したあらゆる米と他の穀物を没収した。彼らは勤務中の警察官の警告に従わなかった。そこで、警察官は警察署長に報告し、署長はすぐその場に駆けつけ不法行為を終わらせて没収された荷物を持ち主に返還した。

写経屋の覚書-なのは「実は作者、3年前にHPのコンテンツでこのへんについて少しだけ触れてたんだよね…最近HP整理するまですっかり忘れてたみたいだけどw」

写経屋の覚書-はやて「このCLOも複写して写経しないまま保管しとったみたいやしねw」

写経屋の覚書-フェイト「いつか役に立つかもって思って『朝鮮』『Korea』って言葉の出てくるCLOを片っ端から複写してたみたいだけど、当時は終戦直後の朝鮮人の行動に踏み込んで考察する積極的な意思も用意もなかったんだって」

写経屋の覚書-なのは「当時は朝鮮人送還の方にだけ集中してたんだよねぇ。ともかくこれで保安隊や自治隊の実在自体は証明できたけど、『朝鮮進駐軍』とは名乗ってもないこともわかったと思うの」

写経屋の覚書-はやて「『朝鮮進駐軍』の実態は保安隊・自治隊やっちゅう詭弁は要らんやんな」

写経屋の覚書-フェイト「うん。『朝鮮進駐軍』が実在したって主張するんだったら『朝鮮進駐軍』って名乗った組織そのものを提示しないとダメだもんね」

写経屋の覚書-なのは「しつこく言っているんだけどそのとおりなんだよねぇ。じゃ今回はここまでにするね。次回もテキストCを見るよ」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)  『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(6)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(7)

『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(1)  『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(3)