写経屋の覚書-なのは「さて、今回から『朝鮮進駐軍』という言葉を最初に使った言説について見ていくよ」

写経屋の覚書-フェイト「言説の出現時期については、『朝鮮進駐軍』の初出について(1)(2)(3)(4)で見たんだったよね」

写経屋の覚書-はやて「そやから、次は内容について見ていくっちゅうわけやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。まず『南十字星』『北斗星』のそれぞれの投稿について、呼び方を決めておくね。日本会議宮城県本部の掲示板(日本会議)に2000年4月30日投稿されたものをテキストA、2000年6月9日付配信「五百羅漢ネットワーク・プロジェクト」(GNP)に掲載されたものをテキストB0、2000年6月21日付配信「JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル」(JOGW)№184に掲載されたものをテキストB1、2000年7月10日に日本会議に投稿されたものをテキストB2とするね」

写経屋の覚書-はやて「投稿の内容と時系列順で分けたんやね。そういうたら前シリーズでもAやBって言うてたなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「テキスト全文は、A・B1・B2が『朝鮮進駐軍』の初出について(1)、B0が『朝鮮進駐軍』の初出について(2)で引用しているから、そっちをみればいいんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだけど、必要な時には逐一引用するの。というか、テキストAの記述内容の検証だからさっそく再引用するね」

 話を戻します 終戦直後、在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」と自称し、勝手に腕章を付けて町で占領軍人として支那兵並に暴れ回りましたから、怒った本物の占領軍によって禁止されました
 次で彼等は、戦勝國民だと称へ、就中繁華街などでは町中が鳴りはためく程の乱暴を働きましたが、再び聯合國によって然らざる旨、きっぱり否定されました

写経屋の覚書-なのは「なんというか、いきなりで悪いんだけど…だいたい朝鮮人集団が『朝鮮進駐軍』と名乗った記録はないの」

写経屋の覚書-フェイト「え?じゃぁ終了なの…でも、朝鮮人の集団不法行為があったのは事実なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。朝鮮人と台湾人、中国人は日本の支配から解放されたってことになって、それを日本の法律には従う義務がないって解釈して犯罪などの不法行為をした人たちがいたの」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ。腕章してたいうのは映画『残侠』でも出てたし、こんな記述もあるから事実やろなぁ」

その自由市場に大きな勢力を張っていたのが中国人・台湾人・朝鮮人などの第三国人であった。彼らは戦勝国意識を誇示するため腕章をつけて行動し、敗戦国日本の警察権行為を認めようとしなかった。

兵庫県警察史編纂委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p445

写経屋の覚書-フェイト「台湾人と中国人は別なの?」

写経屋の覚書-なのは「ポツダム宣言受諾で、日本は朝鮮や台湾を『放棄』したわけだから、別に台湾を中国(中華民国)に直接『返還』したわけじゃないの。放棄された台湾を中国が接収したって感じなんだよね。だから中国人と台湾人は別って解釈なの」

写経屋の覚書-はやて「戦勝国民意識を持ったんはわかるんけど、戦勝国民を名乗って、GHQがそれを禁じたというのはどうなんかなぁ?」

写経屋の覚書-なのは「それはあり得ない話なんだよね。GHQが朝鮮人・台湾人に対して、その立場に関係する通告を発したことはあるんだけどね。1946(昭和21)年11月20日付の「朝鮮人の地位及び取扱に関する総司令部渉外局発表」って発表なの。作者のサイトの『『戦後朝鮮人の送還について 7』でも取り上げてるけどね」

朝鮮人の地位及び取扱に関する総司令部渉外局発表
昭和21年11月20日

 日本における朝鮮人の地位及び取扱に関してある種新聞に最近現れている誤解は、明らかにする必要がある。
 占領の初期から、米国の、後には連合国の政策決定に従って、朝鮮人に対して解放国民としての待遇を与え且つその福祉のため可能なあらゆることをすることが占領官憲の政策であった。政治上の理由で拘禁されている者を刑務所から釈放し、事実上奴隷的労働者であった者を解放するため、速やかに措置が執られた。引揚計画が発議され、今日までに、不法に日本に再入国して再び送還された14,000名以上を含まずに、919,000名以上がその本国に帰還した。いま約600,000名の朝鮮人が日本にいるが、そのうち約75,000名が引揚を請求している。日本官憲は、朝鮮人がどのようにも差別待遇されないように厳重な訓令を受け又、占領官憲はこれらの指令が完全に実施されるのを確めるためたえず努力を払っている。
 警察官憲によって、罪を犯したとして告発された朝鮮人は、占領官憲によるその訴訟事件の審査によってさらに保護が与えられている。不法ヤミ取引又は他の犯罪活動に従事する他のすべての者に対すると同様に朝鮮人に対してももちろん、訴追が行われている。
 この司令部が昭和21年12月15日より後に日本に残留する朝鮮人は日本の市民権を獲得しなければならないという命令を最近出したという新聞報道は、まったく不正確である。占領官憲は、市民権の保持、放棄または選択に関するいかなる国籍のいかなる者の基本的権利にもどのようにも干渉する意図を有しない。昭和21年10月16日付で、この司令部は、日本にいる朝鮮人で従前北緯38度以南の居住者であったものの引揚は引揚計画にしたがうことをすでに拒絶した者を除いて昭和21年12月15日以前に完了すべき旨を述べた覚書を日本政府に対して発した。引揚を拒絶してこの国に留ることを選んだ朝鮮人は、日本に引き続き居住すればかれらがすべての適当な地方的の法律及び規則に服しなければならないということを充分承知の上で選択するのである。適当な地方的の法律及び規則の遵守の義務を朝鮮人に免除するような在日朝鮮人に有利な差別待遇は、一種の治外法権を創造することになるであろう。これは、いかなる観点からも是認されないであろうし、又、他の諸国において治外法権のこん跡を廃止しようとする最近数年間の諸連合国政府の行動に照して、連合国の一般政策に反するものであろう。

『在日朝鮮人管理重要文書集』外務省政務局特別資料課 1950 湖北社復刊 1978)


写経屋の覚書-フェイト「なんだか難しい文章だけど、「引揚を拒絶してこの国に留ることを選んだ朝鮮人は、日本に引き続き居住すればかれらがすべての適当な地方的の法律及び規則に服しなければならない」というのがポイントだよね」

写経屋の覚書-はやて「普通に日本の法令に従わなあかんって言うとるんやね。『戦勝国民』と名乗って、それを否定されたんと(ちゃ)うんやん。要するに、朝鮮人が不法行為をした、腕章の話っちゅう確認できる事実と、『朝鮮進駐軍』と名乗ったとか戦勝国民の名乗りをGHQに否定されたとかいう妥当やない言説が混合されとるんやな」

 如何なる名乗りであらうと、朝鮮人は大暴れしました はっきり申しますが、高齢の邦人女性が朝鮮人と結婚したのは全て強姦されたものと思って先づ間違ひ無く、だから誰もなれそめなどに触れません

写経屋の覚書-フェイト「……何これ?」

写経屋の覚書-なのは「大正末期以降、内地への朝鮮人流入が多くなって、内地人女性との結婚も多くなっていっているんだけどねぇ…「全て強姦されたものと思って先づ間違ひ無く」ってというのは、あまりにも乱暴というか粗雑な話だよねぇ」

 最も大々的に行はれた犯罪行為は、空襲で焼け野が原になった空地の不法占拠です 余りにも頻發するので、わざわざ刑法改正して「不動産侵奪罪」を新設したくらいです 現在駅前一等地で朝鮮人が営業してるパチンコ屋、焼肉屋は斯る來歴のものです

写経屋の覚書-はやて「こういうのはよう聞く話やなぁ。駅前の一等地は戦災のドサクサにまぎれて不法占拠されたいうて」

写経屋の覚書-なのは「まぁ、不法占拠が多発したことは事実で、大阪府警察本部長の鈴木栄二も書いているんだよね」

 軍政部がこのヤミ市閉鎖に非常な熱意をもつていた大きい理由の一つにも、ヤミ商人の公然たる土地不法占拠の事実があつた。ヤミ商人がめつたやたらに公道や、公有地に一夜造りのバラックを構え、また人の私有地であつても、そこの管理人や地主の承諾など全くなしでのさばつている違法、というより法の存在を公然無視した行為は断じて許し難い。終戦前は繁華街だつた難波心斎橋筋はじめ市内各地の焼跡なども同様で、地主の承諾を得ないままで本式建築物やバラックを建てて、地主が建物のとりのけや、立退きを要求すると逆に法外な立退き料や賠償金を吹つかけ、ひどいのになると実力沙汰で暴行脅迫をする。その立退き料や賠償金がまた当時の金で数万円から数十万円(現在の金に換算するとそれの二十倍以上)という法外なもので、先祖伝来の土地をみすみす他人に占領されながら、泣き寝入りするものも少くはなかつた。もつとも悪辣な例としては、他人の土地に無断で建物を建てておきながらこれを高い値段で他人に譲るという手で、つぎつぎとこの手でバラックを建てては、売りさばく台湾省民もあつた。
地主に対する脅迫の悪質なものでは、地主がこれらのボス達に拉致されて、莫大な立退き料を要求されるなどという事件も起つたほどだ。ことに不法占拠のやり方がまた驚き入つた無法者流で、簡単なバラックを一夜のうちに急造して、地主の気ずいたときにはもう営業が始つているという調子。この不法占拠者には第三国人が多く、そのほとんどが中華民国人か台湾省民であつた。

鈴木栄二『総監落第記』(鱒書房 1952)p17~18


 さらに、もう一組、実力制覇をほしいままにした集団に、土地を不法占拠したまま店をはる、暴力的な闇商人の一群があった。(中略)また取引をめぐっても、恐かつ・暴行による強盗まがいの不法が絶え間なかった。まさに恐怖ととなりあわせの無法地帯であり、おまけにこの闇商人の中に、当時、第三国人といわれた台湾省民や中国人、朝鮮人が加わっていたことが、民衆の感情をよけい複雑にさせた。

大阪・焼跡闇市を記録する会『大阪・焼跡闇市:かつて若かった父や母たちの青春』(夏の書房 1975)p213~214


写経屋の覚書-フェイト「『大阪・焼跡闇市:かつて若かった父や母たちの青春』は『総監落第記』を、ほとんどそのまま転載しているみたいだね」

写経屋の覚書-なのは「但し、不法占拠者が100%朝鮮人ってわけじゃないしね。あと、不動産侵奪罪の制定も1952(昭和27)年12月の「梅田村事件」がきっかけになって制定されたわけだし、大筋では間違ってはいないね」

写経屋の覚書-はやて「梅田村?大阪の梅田なん?」

写経屋の覚書-なのは「うん。今の丸ビルとか駅前第一ビルのあるあたりでの事件なの。12月29日、吉本晴彦って人が、所有地の大阪市北区梅田町4番地に40数人で乗り込んでバラック建造物を破壊したの」

写経屋の覚書-フェイト「え?自分の所有する土地に乗り込んで建造物破壊?」

写経屋の覚書-なのは「梅田親交商店街組合の米原喜三郎って人が不法占拠していて立ち退き要求に応じないからっていうのが言い分なんだよ。米原が建造物毀損罪で吉本を訴え、第1審は原告勝訴したんだけど、控訴の結果、1956(昭和31)年12月11日、不動産窃盗を目的とした土地不法占拠とそれに対する正当防衛であるという解釈で吉本被告の無罪が確定したんだ」

写経屋の覚書-はやて「それにしたかてえらい乱暴な話ちゃうん?」

写経屋の覚書-なのは「裁判資料を読んだらわかるんだけど、原告のほうが悪質だったんだよ。口約束で借りていた土地に、立ち退き要求防止のために25日深夜から26日未明にバラック小屋14戸を急造したんだけど、28日以降は裁判所や官庁が年末休みに入って手を出せなくなるって読みもあっての行動なんだよねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「だけど、結局被告のほうが裁判で勝ってよかったね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。裁判に興味のある人は、前田信二郎『不動産窃盗の実証的研究』(有斐閣 1960)を読むといいと思うよ。で、この判決の結果、不法占拠の実態調査が全国的に広まって、不動産侵奪に対しては刑法上の規定を制定するべきだって提起がされたんだよ。結局1960(昭和35)年5月に衆参両院で『不動産侵奪罪』が可決して制定公布されたの」

写経屋の覚書-はやて「…これまでの流れやと、だからというて駅前のパチンコ屋・焼肉屋が全部そういう経緯でできたとは言えへんの(ちゃ)う?ってなるんやろ」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。全部が全部そうだとは言えないし、日本人だってそういうことやってた人がいないわけじゃないしね。今回はここまでにして次回に続くね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)