写経屋の覚書-なのは「せっかくだし、今日はエントリーを2つアップするよ。当然『朝鮮進駐軍』の初出について見ていく続きなんだけど、フェイトちゃん、前回の内容をおさらいして」

写経屋の覚書-フェイト「う、うん。まず『朝鮮進駐軍』の初出は2000年4月30日の日本会議宮城県本部HPの掲示板に北斗星名義で書きこまれたもの。その北斗星が7月10日に追加を書きこんだ。でもその内容は6月21日にメルマガ『JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル No184』掲載の南十字星という人のものと同じ文章だった。南十字星と北斗星の関係は?ってところまでだったよね?」

写経屋の覚書-はやて「北斗星と南十字星が同一人物なんか別人なんかいうことが、まず考えなあかんとこちゃう?」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、まず同一人物と仮定して考えてみよっか。最初の投稿内容をA、2回目の投稿内容をBとするとこうなるよね」

2000年4月30日:A 北斗星  日本会議宮城県本部
2000年6月21日:B 南十字星 伊勢メルマガ
2000年7月10日:B 北斗星  日本会議宮城県本部

写経屋の覚書-はやて「北斗星と南十字星でHNも対応しとるなぁ。まず4月30日に北斗星名義で日本会議に投稿し、6月21日までにその続きを南十字星名義でメルマガへ投稿、それを更に7月10日に北斗星名義で日本会議に投稿ってことやな。順番として矛盾はなさそうやけどね」

写経屋の覚書-フェイト「Bが『表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが』から始まってるから、Aの続きとして書いてる形式だね。だから順番としてはA→Bだしね。あれ?」

写経屋の覚書-はやて「ん?なんかおかしいん?」

写経屋の覚書-フェイト「メルマガの方にはAを投稿していないよ?少なくとも6月21日までにAも投稿してないと不自然だよね。Bだけ投稿するっておかしくないかな?」

写経屋の覚書-なのは「正確に言うと、この投稿の発端となっている石原都知事の『三国人』発言問題が4月10日に報道されたから、4月10日から6月21日の間のメルマガにAが出てないと不自然なんだよ」

写経屋の覚書-はやて「なんでそんな不自然なことになったんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「うーん…Aをメルマガのほうにも投稿したけど編集長の伊勢雅臣が採用しなかったか載せ忘れたか、あるいは北斗星(南十字星)が不自然な行為とは思わないでBを日本会議・メルマガの順に投稿したか、そもそもAをメルマガの方には投稿したつもりでしてなかったとか…少し苦しいかなぁ」

写経屋の覚書-はやて「同一人物と(ちゃ)うとしたら、どっちかがパクって投稿したんかな。せやけど、南十字星が北斗星をパクるいうんは無理やで。南十字星が先にBを書いとるしね」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、北斗星がAを書いたあと南十字星のBを盗用したのかな?物理的には可能だけど、南十字星にはBに先行するべきAの投稿が無いから、やっぱりこれも不自然じゃないかな。それと北斗星の投稿が先だから南十字星を真似てそう名乗るのは不可能だよね」

写経屋の覚書-はやて「南十字星が北斗星のAに乗っかってその続きという体裁でBを投稿し、今度は北斗星が南十字星のBをパクって投稿したとか…なんぼなんでもちょっとあり得へんかw」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよねぇ…別人説には同一人物説以上の無理があるんだよ。そういうわけで、ここからは同一人物説を前提にして話を進めるよ」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、こいつ一体何者なん?」

写経屋の覚書-なのは「それを探るヒントはやっぱり伊勢雅臣のメルマガにあるんだ。『JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル』の2000年5月2日付配信のNo.163『併合と植民地化の違い』にこんな一節があるの」

写経屋の覚書-0502石田清史

おや、と思ったのは、今日の「歴史的常識」から言えば、韓国人達は独立を奪った日本を恨んでいたはず。それが独立国であった頃の韓国旗を振って、昭和天皇に万歳では、「常識」にあわないのではないでしょうか。この件に関して、南十字星さんから、懇切なるご指摘をいただきましたので、一部をご紹介させていただきます。

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                      石田清史さんより

 當時、併合は世界の流行で、弱小後發の諸國、諸民族にとって、希望に満ちた明るい進路だったのです。此事は近頃すっかり忘れられてゐます。
(後略)

写経屋の覚書-フェイト「南十字星の本名は『石田清史』ってことになるね。このメルマガには何回か投稿しているみたいだよ」

写経屋の覚書-なのは「石田というのも仮名じゃないかという疑いはあり得るけど、それは措くとして、他の投稿内容からも見るとある程度の法学の知識があって、1930年代後半から40年代前半の生まれっぽいんだけどねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「グーグル先生に訊いたら、苫小牧駒澤大学の法制史学者が出てきたけど、これは(ちゃ)うん(ちゃ)う?んー…中央大学弁論部『辞達学会』OB会への投稿者にもおるけど、投稿内容を見たらどうやらこの人(ちゃ)うかな。それやったら中央大学卒業で辞達学会に入部しとったことになるで。『52卒』が大学第52期卒業生を指すんか、1952年度卒業生を指すんかはわからんけど…後者はなさそうかな。西暦とか嫌いそうやもんw」

写経屋の覚書-フェイト「ともかく、現時点での結論としては、『朝鮮進駐軍』という言葉は、2000年4月30日に『石田清史』によって初めてネット上に登場した、ってことだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。これより古い用例があれば変わってくるけど、あくまでも現時点での結論なの。次回からは『朝鮮進駐軍』言説の展開について見ていくことにするね」

疑問
映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)