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小川村塾ブログ

小・中学生・高校生のための学習塾 [小川村塾]
〒417-0842 静岡県富士市三新田9-20TEL 0545-32-0662   
生徒一人ひとりに合わせて「分かりやすい」を心がけて講習を行っています。

「彼がそんなことをするはずはない。そんな人ではない。」

とドラマなどで何か事件があると関係者からそんな言葉が出ることがある。

 

人間関係ではそのようなことを思ってもらうような付き合いが好ましい。

自分のことをさらけ出して、相手も同様にさらけ出して、お互いに信頼関係を作る。

それがお互いを結びつける。

密に結びつける。

そうなれば前述のような言葉が出てくる。

 

「そんなことするような人間じゃない。」

それは誠実にお互い接して作られる言葉だ。

百歩譲って彼がそんなことをしたのなら相当なことが彼に起こったのだ。

そんな思いを持ってもらうような信頼関係を築きたい。

 

「やっぱりそうか。あいつはそういうやつですよ。あいつがやったに違いない。」

自分をさらけ出すことによって、このように思われてしまう場合もある。

あいつはしょうがないやつだと思われていた場合だ。

こうならないように誠実に生きたい。

 

誠実さが人間を作る。

人間は自分だけが作るのではない。

客観的に周りからどう見られているかということによっても人間は作られる。

それらが自分の多くの部分を作る。

そのことを考えると、やはり誠実に正しい道を歩まなければならない。

周囲が誠実さを持っていると見るならば、それが自分を作る。

自分が周囲によって作られるということを意識していれば行いも自然と正しくなる。

 

「誰も見ていないと思うかもしれないが、お天道様だけは見ている。」

という言葉がある。

自分を律して生きる。

なかなかできないけれど目標とはしたい。

 

宮沢賢治「雨ニモマケズ」の最後の言葉。

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

(そういうものにわたしはなりたい)

 

2023/06/12

 

 

 

「テスト結果が52点だった。」

と生徒が言ってきた。

「でも、平均点は28点だよ。」

とも、付け加えて言った。

「そうなのか。テストがむずかしかったみたいだね。」

「そう、みんなできなかったみたい。」

 

学校の100点満点のテストで平均点が30点位のむずかしいテストは上位のできる生徒が、どの位いるのかが分かるテストになる。

中位と下位の生徒は同レベルと見られてしまう。

 

それに対して、平均点が70点位のテストでは上位と中位の生徒が同じレベルとなってしまう。

上位と中位の生徒のレベルの差は分からない。

その代わり下位の生徒が分かるテストとなる。

 

テストは平均点が高いテストを作った方が全体的には生徒は学力アップできるようになる。

上位と中位の生徒の区別はつかないけれども、平均点が高いテストというのは基本的な問題が多いテストになる。

すると、中位、下位の生徒も基本的な問題の理解で今まで取ったことのないような高得点が取れる。

勉強すれば自分はできる、と自信を持てるような点が取れる。

 

そのことが、その科目はやればできる。

というようなやる気にもつながる。

その結果が自信につながり、その科目に対する学力の向上にもつながる。

テストは平均点が高いテストを作った方がよいということになる。

全体的なレベルアップがされた後に平均点が低いむずかしいテストでも作ればよいということになる。

 

平均点が高いテストには弊害がある。

基本中心のテストは上位の生徒にはつまらない。

上位の生徒のモチベーションアップにはつながらないテストになってしまう。

 

しかし、全体的に見たならばレベルアップが期待できる。

全体的なレベルアップを望むのか、上位の生徒だけの秀でたレベルアップを狙うのかによってテストの作り方が変わってくる。

 

上、中、下位の全ての生徒のためのテストは基本問題を中心に、やさしい問題とむずかしい問題を少し入れてあるテストとなる。

 

特に、むずかしい問題は上位の生徒を刺激する。

みんなができないようなむずかしい問題が解けるということは優越感につながる。

そのような問題をテストに入れておけば上位の生徒もやる気が出る。

 

そのことを考えると、平均点70点位のテストの中に超難関問題を1問入れておくのが良い。

その問題が解けるのは相当その科目ができる生徒だというのが分かるような問題を入れておくわけである 。

そうすれば、上位の生徒も真剣にテストを受ける。

 

 

 

知人が送ってくれた富士山の写真です。

 

①   本栖湖(1) 2023/04/28

 

 

②   本栖湖(2) 2023/04/28

 

 

③   新倉山浅間公園 2023/04/10

 

 

 

 

公式は文字式を等式の変形をして表すことにより作られることが多くあります。

作られた文字式に数値を代入すれば、いつも答えが導き出されるわけです。

 

たとえば中3の解の公式などがそれに当たります。

文字を使って表された2次方程式を平方完成して、それをXについて等式の変形をしたものが解の公式です。

 

解の公式は一時期、教科書から削除され学習しないこともありました。

しかし、現在は教科書に載っていて学習するようになっています。

 

小学校で学習する時間と速さの問題では「み・は・じ」という公式があります。

み(道のり)=は(速さ)×じ(時間)

これをそれぞれ求める値に文字式を変形させます。

3つの値の関係が乗除計算によるものならば、この「み・は・じ」のような公式になります。

 

たとえば、理科の密度問題。

「し・み・た」と覚えて、これらの3つの関係が式で表されます。

し(質量)=み(密度)×た(体積)

これを求める値に文字式を変形させます。

 

このことからも自分で公式は考えることができます。

自分で考えたと思った公式もだいたいは、もう誰かが考えているものばかりだと思います。

自分で公式を作ってみようと思うことが学力につながります。

 

公式を覚えやすくすることも大切です。

語呂合わせなどを使って自分が覚えやすいようにする。

覚えやすくする自分流の方法を見つけることが必要です。

 

中3数学の裏技公式では

2次関数の変化の割合=比例定数×(~から+~まで)

台形の対角線で出来た面積比(上底a、下底b)­

= a2: ab : ab : b2

相似の2つの三角形の平行線問題

= 和分の積、差分の積

などが挙げられます。

 

チビもがんばっています

オランウータンのスカイウォーク

多摩動物公園 2023/05/05

 

「問題」

母線12cm、底面の半径4cm の円すいの表面積を求めなさい。

 

(解答)

側面積についは、教科書通りに求めると「弧の長さ=円周」より中心角を求めます。

中心角を使って、おうぎ形の面積を求めます。

おうぎ形の面積=母線×母線×π×中心角/360°

おうぎ形の面積=側面積となります。

底面積は円の面積なので、「半径×半径×π」で求めることができます。

よって表面積=側面積+底面積に求めた値を代入して表面積を求めます。

 

公式を使うと、側面積は「側面積=π×母線×半径」 で求めることができます。

簡単な計算で側面積を求めることができます。

 

 

この円すいの表面積問題を教科書通りで求めると、多くの生徒がむずかしいと感じてしまいます。

それが公式を覚えるだけで解けるようになると、むずかしい問題ではなくなります。

テストで円すいの表面積問題が出題されるのを期待するようになります。

 

問題を解くのが簡単だと思うことは重要です。

そのことが、科目を好きになることにつながります。

公式に当てはめて問題が簡単に解けるならば問題を解く気持ちになります。

 

数学は公式を覚えて、それが使えるようにすることも勉強のひとつです。

教科書に載っていない公式は使ってはいけないということはありません。

公式を覚えて簡単に問題が解けて数学が好きになる。

そうなれば、むずかしい問題も解いてみようと思うかもしれない。

 

公式を知っていることも大切です。

たとえば、中3の数学では変化の割合、相似問題など教科書に載っていない公式はまだまだあります。

 

 

数学の問題で教科書通りの方法で解こうとすると、なかなか理解しにくい。

けれど、ちょっとした公式を覚えると簡単に解けるという問題があります。

 

しかし、学校の先生はそのような公式を使って簡単に解くことをよしとしない傾向があります。

公式にただ数値を代入して問題を解くことは、途中の過程で本当は理解したい内容を省くことになります。

 

この問題が解けるということは、その前段階のことが理解できている。

というように先生は思うわけです。

その問題の解き方によって生徒個人の理解度が把握できます。

 

それが公式に代入するだけで答えが導かれてしまう。

それは問題を理解したとは考えられない。

そのように先生は考えるわけです。

 

学校の先生が公式を使って簡単に解くことをよしとしないのは上記のような理由ではないかと思っています。

 

ただ、最近は学校の先生も公式を生徒に教えはじめているようです。

生徒が理解することを重視するより問題が解ける方が良いということになってきたのかもしれません。

 

公式を使って問題を解くひとつの例を挙げてみます。

円錐の表面積を求める問題です。(中1)

表面積=側面積+底面積で求めることができます。

 

「問題」

母線12cm、底面の半径4cm の円すいの表面積を求めなさい。

 

 

 

小学生ぐらいでは失敗を感じなかったのかもしれない人間。

それがどうだろう。

今は校長先生の言葉に共感している。

 

失敗で人生が成り立っている。

でも失敗をそのままにしておいて人生は成り立たない。

失敗を糧にして前に進むことが大切だ。

失敗を踏み台にして失敗をする。

その先には成功がある。

 

「そうだよ。やっと分かったのかい。」

と校長先生は言いたいかもしれない。

 

今回、パソコンが壊れて使えなくなった。

データの保存がちゃんとされていなかったので、大変なことになった。

前々からデータはクラウドに残そうと思っていた。

 

いつの間にか、そのことを後回しにしていた。

普通に使えているから気にならなかった。

普通に使えている時こそ、使えなくなった時のこと考えておかなければならない。

それがなかなかできない。

「後悔先に立たず」とはこのことだ。

失敗だ。

 

でも、今回新たにパソコンを新しくして今まで以上に使い勝手が良いということが分かった。

パソコンが壊れて使えなくならなかったならば、古いパソコンで古いやり方のままだった。

 

時代は進歩している。

そのことを痛感した。

それも失敗の先に見えたものである。

 

校長先生の言う

「人生は失敗で出来ている。」

この言葉は自分みたいに年を取らなければ分からないのかもしれない。

 

多摩動物公園

2023/05/05

 

小学生5年生の生徒が朝礼での校長先生の話をしてきた。

 

「人生は失敗の連続で出来ています。

その失敗をどのように積み上げるかによって人生が変わってきます。

失敗はその人の人生を作ります。」

 

というようなことを校長先生が話されたそうだ。

「ほほう。校長先生も良いことを言うものだ。」

 

確かに人生は失敗の連続で出来ているのかもしれない。

失敗を踏み台にしてまた失敗をして、その連続なのかもしれない。

でも失敗の先には成功も待っている。

それも言ってほしかった。

その後にまた失敗が待っているけれど。

 

確かに校長先生の言う通りだ。

校長先生の言葉に感心していると、

その生徒が言ってきた。

 

「僕なんか失敗したことないから、意味わかんない。」

「おい。おい。」

でも、自分も小学生ぐらいの時にはそんな感じだったのかもしれない。

 

「そうか。小学5年生ぐらいでは失敗なんかしていないのか。」

「失敗していたとしても失敗だとは思わないのか。」

 

校長先生だったら

「まだまだ甘いね。まだまだ人生を歩んでいるとは言えないね。」

くらいは言うのかもしれない。

 

2023/04/17

 

どのようにすればいちばん最短な道を通っていけるか。

今は目的地を入力すれば簡単に分かる。

昔だったら地図とにらめっこで、あれやこれや考えた。

そんな労力が今はいらない。

楽になった。

その分、頭は使わない。

 

頭は使った方がよい。

頭の中で最短距離を考える。

そのような思考回路にする。

それは行動の効率化につながる。

 

行動において最短距離を考える。

この順番で行えば最短で効率よく行動ができるか。

そのようなことをいつも考えていると思考が常に効率が良い思考をするようになる。

考え方が最短を求めるようになる。

どれが効率は良いのか考えて行動するようになる。

常に効率の良い方法は何かを考える。

それによって、その時その時のベストな方法をとるようになる。

 

学習においても、その日その日の体調や環境によって学習の方法は変わってくる。

今日はあまり気が進まないという時に苦手な科目をやっても効率的ではない。

効率の良い方法は何か。

それを考えるような思考になっていれば、今日はこの科目から行った方が効率は良いと考える。

 

それは科目に限ったことではない。

今日は暗記ものから始めて考えるものに移る。

簡単な頭を使わない計算などをして、頭をならしてから次のステップに移る。

そのように、いろいろ効率が良い学習法を考えるようになる。

 

最短距離を考える思考回路にする一つの方法は毎日の行動の計画を立てること。

この計画を立てる時にスムーズに流れるためには、どのような順序がよいか考える。

これだけでも、最短距離を考える思考回路になっていく。

 

バンダ・ボンチョ(ラン)

神代植物公園2023/04/23

 

 

以前は「時こくと時間」の単元は小学3年生の4月に学習しました。

この場合は、小学2年生の後半では、かけ算の学習も しています。

 

「時間」では5の倍数を考えることになります。

かけ算を学習しているということも 「時間」を理解するには重要です。

 

また、小学2年生から3年生になるまでの1年間で子どもは多くのことを経験し吸収します。

ですから、生活に密着している「時こくと時間」は小学3年生で学習した時の方が理解しやすくなります。

 

「時こくと時間」は日常生活において欠かせないものです。

それだけ接する機会が多いことになります。

その結果、反復され定着されやすくなります。

 

小学2年生の4月の段階で理解できなくても、時が経てば理解できるようになる種類のものです。

算数の文章問題などとは異なります。

 

文章問題では自分から解いて覚えるという行為が必要です。

勉強するという自らの能動的な行動が必要になります。

それに対して「時こくと時間」については、日常生活において自分が勉強しようという意識があるなしにかかわらず考えなければなりません。

 

自分から勉強しようという能動的な行動はいりません。

いつでも所かまわず問いかけられます。

そして、その答えを考えなければなりません。

 

その結果、反復学習され、それが理解へとつながります。

ですから、成長とともに「時こくと時間」は理解されていきます。

 

以上のことにより、小学2年生の4月に「時こくと時間」を学習した場合、子どもは理解しにくいということになります。

そのことを認識して子どもと接するようにすることが必要です。

 

目先のことにこだわって一番重要なことを忘れてはいけません。

どの科目にも言えるのですが、

 

「学習することを嫌いにさせてはいけない。」

 

これが一番、重要なことです。

そのことを第一に考えておかなければなりません。

 

 

アリストロキア・サルバドレンシス

ダース・ベーダ―と言われているらしい

神代植物公園2023/04/23