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小川村塾ブログ

小・中学生・高校生のための学習塾 [小川村塾]
〒417-0842 静岡県富士市三新田9-20TEL 0545-32-0662   
生徒一人ひとりに合わせて「分かりやすい」を心がけて講習を行っています。

料理番組の先生がキュウリ、人参を切る姿を見た。

まな板と包丁の音が小気味よく、トントントンとキュウリなどを刻んでいく。

それは芸術だ。

見ていて気持ちがとても良い。

熟練の技、プロの技と言える。

 

スポーツにおいても、これだという時に見せる選手の姿は芸術だ。

見ていて、すごい。

と思わされる。

この前の世界陸上のやり投げで金を取った北口選手の最後の一投。

声援とか何か分からない力が投げるやりの後ろにすべて入っていくように見える。

そんな風に見えるフォームで投げられたやりは勢いよく飛んでいく。

やはり、見ていて気持ちが良い。

 

人々に感動を与える。

そんな時の姿は作為的につくられた姿ではない。

今までの時間が凝縮されてできた姿だ。

そんな姿に感動しないわけはない。

 

立ち居振る舞いが綺麗だというのが踊りの世界にある。

それは ドラマなどの役者にも言える。

人はそれをオーラというのかもしれない。

 

やはり見ていて気持ちがいい。

それはプロの技とも言える。

 

何年も繰り返しを行ったことによる熟練の技。

天才的な才能を持つ者の人並外れた、ずば抜けた技。

そんなものがプロの力。

 

それらが見ている人を感動させる。

プロだ、と思わせる。

プロは多くの人を感動の中に引き入れる。

プロとはそういうものだと思っている。

 

でも、プロについて考えさせられる話がある。

それは、バレエの漫画「昴スバル」(曽田正人著)の中の話。

 

2023/08/10

 

 

結果は今までの集大成

 

自分がラクしてる

ラクだと思った時は

それなりの

結果しか出てこない

 

結果はいつも後に出る

 

今の自分はラクしている

そう思った時は要注意

そんな自分の結果が出る

 

そんな結果は望んでいない

けれども

ラクした結果が出る

結果は正直だ

 

だから考えなくてはいけない

 

ラクではないか

ラクに甘んじてはいないか

ラクしようとしてはいないか

 

自分に問いたい

自分に言い聞かせたい

 

どんな結果を望んでいるのか

どんな結果にしたいのか

 

誰だって ラクしたい

誰だって そう思う

 

それが普通だろう

それじゃあ だめだ

 

もう一人の自分が叱咤する

 

楽しくてはダメですか

楽しくてもいいんだ

 

ラクしてなければ

 

大変なことは楽しくない

そうとは限らない

 

大変

だから楽しいということもある

 

だから楽しくていいんだ

ラクをしなければ

 

ラクなほうがいい

 

そんな気持ちが浮かんだら

自分に言い聞かせたい

 

結果は今までの集大成

 

2023/08/10

 

 

中学生で数学が全然分からない。

苦手だ。

という場合、まずは正負の数の計算ができてないということが考えられます。

 

小学生で学習した計算ができていない。

だから、できないと考えるかもしれません。

確かに、簡単な小学生の基本的な計算はできていなければなりません。

ですが、中学生になると小学生の時ほど計算の力は必要ありません。

 

小学生の時のような桁数の多いかけ算・わり算などの面倒な計算は必要とされません。

中学生の計算では小学生の基本的な計算ができていれば問題ありません。

 

では、なぜ小学生の簡単な計算ができても数学が分からない。

苦手だ。

となるのか。

要因の一つが中学の数学には小学生では出てこなかったマイナスがあることです。

 

数学の計算での一番のネックは中学1年生になって初めて学習する負の数・マイナスに なります。

このマイナスを使った基本の正負の数の計算が確実でないことが中学3年生まで数学を苦手とします。

 

基本の正負の数の加減法ができていたり、できていなかったりする。

すると、答えが合っていたり、合っていなかったりということを繰り返します。

これが苦手意識を作ります。

 

数学ができない。苦手。

と思っている人の多くは正負の計算でマイナスを軽視しています。

数字はあっているけれどマイナスの符号がなかっただけ。

だから、ほとんど答えは合っている。

無意識にそんな気持ちになっています。

 

計算においても間違えるところは決まっています。

ー6+3=-3 のところをー6+3=-9

ー6-3=-9 のところをー6-3=-3

と計算してしまいます。

 

この計算の間違いは次第になくなっていきます。

しかし、この計算の間違いを確実になくしておかないと、

この計算ができていたり、できていなかったり、

を繰り返してしまいます。

これにより、自分はできているのか、できていないのか、分からなくなってきます。

 

こんないちばん簡単な基本の計算なんてできている。

と、みんな思っているかもしれません。

 

でも、この正負の数の計算が確実でないことが数学が本当に苦手という要因のひとつになっています。

 

 

 

2023/08/08

 

 

「書く力」と同様に国語の力で必要なことのひとつに「読解力」があります。

読解力をつけるには、

「本をたくさん読むこと」

「辞書をこまめに引く習慣をつけること」

が言われます。

これにはひとつ条件がつきます。

「長い目で見れば」という条件です。

 

つまり、読書や辞書の効果が出てくるまでには時間がかかるということです。

子どもが本を読むようになっても効果を性急に求めないことが重要です。

読解力はすぐに目に見えて現れるようなものではありません。

まずは読書好きになって、読書を続けることが大切になります。

 

では、短期間で国語の点数は上げることができないのか。

というと、そうでもありません。

 

まず、指示語、接続語を意識して文文章を読むようにします。

指示語は何を示しているのか。

この接続語がくるときは何を意味しているのか。

そんなことに注意しながら文章を読みます。

 

段落の要旨をまとめる。

設問を先に読んでから内容を読んでいく。

 

以上のことを意識してみるだけでも効果があります。

 

また、「目・指・声」の三つを使うことも有効です。

テストでは問題文を目だけで読みます。

速読のためにはこれは必要なことです。

ただ、目だけで問題文を追っていると、文章の内容を的確につかみにくい傾向があります。

 

そこで、指と声も使うようにします。

問題文も設問もすべて、指(ペン)でなぞりながら読んでいきます。

そのとき声も出します。

と言ってもテストでは声を出すことはできませんので、心の中で声を出すようにします。(唱える)

 

それに加えて、設問の答えだと思った箇所にはペンで線を引いて設問とつなぐようにします。

指示語の内容を問われていたならば、答えの部分を線で囲んで、指示語に当てはめて文が正しくつながるか考えます。

 

「どういうことですか。」

「なぜですか。」

のような設問の場合には答えの語尾は「~こと」「~だから」になります。

設問の答えに当たるところに線を引いて終わりに「こと」「から」と書いておきます。

視覚により答えが導きやすい状態、ミスの少ない状態を作るわけです。

 

この方法は最初のうちは面倒かもしれません。

繰り返して行って、無意識に実行できるようになれば確実に点数は上がります。

 

ただ、線を引いて、それでできたと思ってしまいがちです。

そこは注意が必要です。

あくまでも内容理解のために線を引いているという意識は持っておいてください。

これは、他の科目でも通用しますので、勉強する時に意識して行うとよいでしょう。

 

 

 

2023/08/08

 

 

国語の得点はどのようにして上げるか。

 

国語の問題は漢字の読み書き、文法、説明的・文学的文章の読解、(詩・俳句・古文)、作文という内容になっています。

 

中学3年生の学調テストの国語の出題傾向をみてみます。

漢字の読み書きが10問あり、50点満点中、配点は2割の10点になります。

最後には配点4点のテーマに沿った200字作文があります。

配点から考えると、漢字、作文は軽視できません。

 

漢字は書いてコツコツと地道に覚えていくしかありません。

 

作文は指示、決まりに従って書いてあれば何点か点数をつけてもらえます。

書けば何点かもらえるとしても、限られたテスト時間の中で作文に長い時間をかけるわけにはいきません。

字数も150字以上、200字以内で書かなければなりません。

文を「書く力」が必要とされます。

そのためには、日頃から文を書くことに慣れておく必要があります。

 

文を書くとしても何を書けばよいのか分からない。

書くことがまとまらない。

そんな時には、

身の回りのことで自分が興味のあること。

気がついたこと。

手軽に書けること。

などをテーマにして文を書いてみます。

 

良い文章を書こうとしない。

と思うことも大事です。

始めは書こうとするテーマについて、少しでも関係したことを書きます。

思い浮かんだこと、思ったことを箇条書きにしていきます。

どんな些細なことでも、思い浮かんだことはすべて箇条書きにしていきます。

 

その後、箇条書きに書かれた内容を組み合わせたり、肉づけしたりして文章を完成させていきます。

 

このようなことを意識しながら、文を書いていきます。

書くことに慣れる機会を作るようにします。

 

「考え」を文にしてまとめることは頭の中にあることをまとめることになります。

それは、理解することにもなります。

 

少しずつでも文を書くことを繰り返し行うと書くことに慣れてきます。

考えてまとめる力もついてきます。

書く文の量も増えてきます。

 

文を書くのは苦手だと、書かなければいつまでたっても書けるようにはなりません。

1週間に1回でもよいので、少しでも文を書くようにします。

続けることが重要です。

継続することが「書く力」をつけることになります。

 

まず、気楽に文を書く。

メモのように書く。

そんな感じで文を書いてみるとよいでしょう。

 

 

 

2023/08/05

 

 

脳を鍛えるために自分が大変だと思うことをする。

緊張させる。

脳に負荷をかける。

それが脳を鍛えることになる。

脳は鍛えられ成長する。

 

脳を鍛えるためには時間的制限を与えることが効果的。

できるだけ速く物事をやり終える。

制限時間内に完成させる。

など、時間的プレッシャーを脳にかける。

 

スピードアップが緊張感を生み、脳を刺激する。

脳に負荷がかかる。

結果、脳が鍛えられる。

 

夏休みにチャレンジ。

脳を鍛える。

短時間で良い。

毎日でなくても良い。

ちょっとやってみるので良い。

 

脳を鍛える。

そのためには脳から湯気が出るような状態にする。

頭から湯気が出ているような、そんな状態にする。

 

数学ならば難しい問題をじっくり考える。

とにかく、考えることを重視する。

解けることより、解くための過程を重視する。

じっくり考えることを脳に覚えさせる。

じっくり考えることが脳を鍛える。

 

それができない場合。

簡単な計算問題をできるだけ速く、時間をかけないで計算する。

毎回、かかった時間を計測記録する。

かかった時間が短くなるようにする。

または、制限時間内に計算した数を増やすようにする。

その計算した数を増やしていくようにする。

 

どちらも、計算を今までよりもスピードアップさせて行うことを意識する。

息を止めて一気に計算することを繰り返す。

計算の時間はそれほど取る必要はない。

 

国語や英語も文章をできるだけ速く読む。

始めの頃はオーバーなことを言うと内容はそれほど理解できなくても良い。

スピードが肝心。

スピードアップして文章を読むことを意識する。

 

とにかく、脳から頭から湯気が出る。

そんな感じを、感覚を持つような、そういう状態にする。

それが実行できれば、やった感、達成感を感じることができる。

そうなれば、脳は鍛えられる。

 

 

 

2023/08/04

 

 

生徒が学習している時に頭から湯気が出ている。

そんなふうに感じたことがある。

生徒が問題を解くのに集中している。

その集中度が半端ない状態の時だ。

 

脳がフル回転で働いている。

そんな経験はあまりない。

フル回転を続けていたなら脳が壊れてしまう。

そう思う。

 

しかも、フル回転など簡単にはできない。

しようと思ってもできないかもしれない。

まずは、脳がフル回転できるように鍛えてみよう。

 

脳を鍛えるためにはどうしたらよいのだろう。

やはり、ウォーミングアップは必要。

そのためには脳を意識する。

脳のことを考える。

 

脳が求めていることをする。

言い換えれば、脳が好きなことをする。

脳が嫌がることをしない。

脳が喜ぶことをする。

 

そのためには脳が何を求めているのか考えて行動する。

これは脳が嫌がっていないか。

時には、そんなことを自問して行動する。

 

脳が喜ぶこと。

それは自分にとっても楽しいことだと思っていた。

でも、脳を鍛えるためにはその考えは当てはまらない。

自分にとって楽しくないこと。

でも、それは脳にとっては喜ぶことの場合もある。

 

脳を鍛えるためには自分が思う大変なことをする。

脳に負荷をかける。

それが一番手っ取り早いようだ。

 

夏休みにチャレンジ。

脳を鍛える。

 

 

 

2023/08/02

 

 

夏休みに入って、小学生の今まで学習したことの復習をする。

すると、できていたはずなのに全く白紙の状態になってしまっている。

そんなことがよくある。

 

特に算数は要注意。

算数は今まで学習したことを土台にして次のステップに進む。

夏休みはその土台がしっかりできているのか確認する良い時期となる。

 

小学生高学年では、小数の計算ができていないことが目立つ。

けれども、あまり気にしていない人が多い。

結構、できていると思っているからかもしれない。

そこが、落とし穴。

 

小数の計算は小学4年生から学習する。

まず、小数のたし算・ひき算、小数×整数、小数÷整数を学習する。

これらは、小学4年生の後半で学習するので、夏休み前には学習していない。

 

小学5年生で小数×小数、小数÷小数を学習する。

これがちょうど夏休み前に学習して終わる。

小学5年生と6年生が小数の計算で混乱する。

 

小数のたし算・ひき算が間違いやすい。

当然、学習した時は、ただ小数点をそろえて筆算をするだけなので簡単にできる。

これは小学4年生の時のことである。

 

その後、小学5年生で夏休み前に小数×小数、小数÷小数の計算を学習する。

これらの計算では、小数点の移動が必要となってくる。

 

かけ算では筆算をして、答えは小数点を移動させる。

わり算では小数点を移動して筆算をする。

どちらも小数点の移動が必要となる。

これが小数の計算方法として頭に残る。

 

そのため、これら小数のかけ算・わり算の計算の学習が終わった小学5・6年生が小数のたし算・ひき算をすると数字をそろえて計算をする。

という間違いをおこす。

つまり、3.2+4=3.6 としてしまう。

3.2+4=3.2+4.0=7.2 という正解にならない。

 

また、小数×小数の計算で小数点をそろえて筆算しようとしてできない。

というようなこともおきる。

 

夏休みに復習をすると、そのような状況になっていたりする。

しかし、以前にできていたことなので、その間違いを正すと、すぐ計算はできるようになる。

すぐに分かって、できるようになる。

間違いやすいポイントをつかむことができる。

 

復習をして、間違っていたところを正す。

これを繰り返すことによって、はじめて定着がされる。

 

夏休みは学習したことを定着させるためには絶好の期間といえる。

 

 

 

2023/07/29

 

最近の日本のTVドラマは面白くないと言われている。

なぜ日本のTVドラマは面白くないと言われるのか。

TVドラマをあまり観ないので本当の理由は分からない。

 

けれども、多く観ないからこそ感じることもある。

日本のサスペンス物のTVドラマを観てみる。

観て感じるのは

ハラハラドキドキはしてもワクワクがない。

 

例えば主人公が窮地に陥る。

敵から色々な方法で攻められて窮地に陥る。

もう絶体絶命という状況に陥る。

 

けれど、観ている方はこの主人公はどうせ助かるんだろうな。

色々なことが起こっても、最終的には助かるんだろうな。

という感じで観てしまう。

物語の流れが、そういう感じを持たせてしまう。

 

そして、その通りにハラハラしても最終的には主人公は助かる。

または、窮地から脱する。

やっぱりね。

という感じになる。

 

この感じがドラマをつまらなくする。

 

海外ドラマはどうだろう。

アメリカ、韓国ドラマしか観たことがないけれど。

よく、これらの国のドラマは中毒性があって観るとやめられないという。

 

実際、経験上、次が気になってなかなかやめることができない。

なぜそうなのか。

日本のTVドラマとどこが違うのか。

 

ハラハラドキドキに加えてワクワクがある。

ひと言で言うとこうなる。

 

例えば、アメリカ、韓国ドラマなどを観る。

日本のドラマと同じような感じで観る。

主人公はここで助かるだろう。

と思っていると、そうはいかない。

 

日本のドラマなら助かるところだが、助からず捕まってしまったりする。

そして、その後やっと助けられて安心した。

これでOKと思う。

すると、また輪をかけて窮地に陥る状態が待っている。

本当に助かるなのかよ。

と思ってしまう。

思わせられてしまう。

 

そうなると次がどうなるのかが気になる。

どうなるのだろうという気持ちにさせられる。

それがワクワク感に変わる。

それが日本のTVドラマにはないようだ。

ドラマの作り方が甘すぎる。

 

映画の話になってしまうけれど、

黒澤明監督が「天国と地獄」の脚本を作る時の話。

 

犯人側と警察側の2つのチームに分かれて、

いかに現金を奪い取るか。

いかに犯人を捕まえるか。

それぞれがその立場になりきって、いろいろな状況に対して、

作戦を練っていったそうです。

 

 

 

2023/07/24

 

 

「そこを東へ50mほど行ったところにある。」

と言ったら

「東ってどっち!」

と言われた。

 

「あなたの住んでいるところは確かに北に富士山、南に海(駿河湾)。

お日様が登るのが東で、沈むのが西。

と分かりやすいかもしれない。」

 

「だけど、都会ではどっちが東かだなんて簡単には分からない。」

「出たところを右に50m先。

と言うなら分かるけど。」

 

小さい頃から父母が当然のように東へ西へと言っていた。

それが当たり前で、そのまま自分も使っている。

 

出て右に左にという言い方なら分かる。

進む方向に向かって右左なら分かる。

進む方向が分かっていれば分かる。

 

でも道に迷ってどちらに進んで行けばいいのか分からない時。

立ち往生している時はどうだろう。

どちらを向いての右左か分からない。

東西南北ならば客観的に見れる。

東西南北はどんな時も決まっている。

 

だけど都会ではいつも太陽が見えるとは限らない。

太陽が見えなければ、どちらが南かなんて分からない。

すると、場所を東西南北で言うのはむずかしい。

 

ある目印に向かって右左。

それが分かりやすい。

 

道に迷ってどちらに進んで行けばいいのか分からない。

そんな時、右も左も分からない。

と言う。

右左が一般的ということなのか。

 

東西南北を使うことが一般的と思っていた。

それが否定された。

 

環境によって物事は変わる。

環境によって、見方、考え方、話し方、色々なことが変わる。

ちいさな日本においてもそうなのだから。

世界においてだったらもっと変わる。

真逆になることもあるかもしれない。

そういうことを頭に置いて、世界のことも考える必要がある。

 

 

 

2023/05/25