吉井町 橋川内洞窟
佐々町の花菖蒲を見に行った日。世知原町から吉井町を通って、花菖蒲園が有る佐々町の皿山公園に行きます。途中、松浦鉄道の世知原線が通っていた線路跡が、サイクリングロードとして残されているのですが。サイクリンクロードに沿って、県道54号線の栗木吉井線を走ります。
行きの道路際に「橋川内洞窟はこちら」の看板が見えました。帰りに寄ってみました。歩いて遠いなら諦めようと。

橋川内洞窟は、市指定の史跡に登録されているそうです。今から約8,000年前から3,000年前頃。縄文時代の早期から後期に掛けて、生活の場として利用されていたとか。
私の家の近くにある泉福寺洞窟は、16,000年前というので、比較すると新しい洞窟なのですが、どちらにも説明板が設置されています。佐世保市には、現時点で31箇所の洞穴・岩陰遺跡が確認されていて、世知原から佐々川に沿って集中しているとか。まさにそこに存在する遺跡ですね。(指定された平成元年5月の情報でしょう)

泉福寺洞窟は埋め戻されていて、洞窟という感じではないのですが。ここは、岩陰が残っていて、何となくそんな感じがします。
そして説明板に。弥生時代には、生活の場に利用されなくなり、洞窟や岩陰は、墓地や祭り等の「信仰の場」へと変わっていったと説明されていました。その信仰の場が今でも残っているのでしょう。観音様とかが祀ってあります。
泉福寺洞窟には、観音様とかいった痕跡はありません。両者を比較すると何となく想像が出来ます。wiki「泉福寺洞穴」には、説明はありませんが。16,000年前から始まった泉福寺洞窟は、まだ、縄文時代の間に使用されなくなった。弥生時代にいろいろと信仰とかいった活動が始まる頃には、忘れ去られてしまっていたのかな。
まったくの想像ですが。

洞窟の右側には、標柱が建っています。右側の橋川内洞窟の左に「コウモリ岩」と書かれています。説明板には説明はありませんが。
1枚目の写真を見る通りに、岩陰を作る岩が大きく迫り出しています。この岩がコウモリ岩なのかな?

橋川内洞窟は、吉井町から栗木吉井線を世知原に行く途中の右側。その道は、車幅程度の狭い道なのですが舗装されている道でした。350m程度行くと道が広くなり、駐車できる様にされていました。その場所から見える光景です。
泉福寺洞窟は、いつも「駐車場はどこですか」と聞かれて、「駐車場はありません」と答えるのですが。ここは駐車可能です。途中は、狭い道なので、来られる方は、注意が必要ですが。機会があれば、ご覧ください。
陶器の町 伊万里
伊万里の町を車で走ると普通に目に入ってくるのですが、道沿いの至る所に陶器の飾り物があります。
陶器の飾り物を中心に色々と紹介したいと思います。

この交差点は、標識に記載の通りに「伊万里駅前交差点」です。この先に進むと旧犬塚家住宅に着きます。
交差点の両角に陶器の人形が飾られていると分かるでしょう。

1枚目の写真の左側の飾り物です。台座の部分に、伊万里色絵婦人立像と解説されています。綺麗な和服で御婦人だとは分かるのですが。
遠目に見ると、何となく男性の様に見えます。でも、アップで見ると女性らしい顔立ちでした。

1枚目の写真の右側の飾り物です。同様に、伊万里色絵婦人立像なのですが、服装と顔立ちが少し変えてあります。手の位置とかも微妙に変えていますね。

さっきの交差点を突き進むと伊万里川を渡ります。この橋は、相生橋です。犬塚家と森永家の関係を調べたときにも、この橋の完成が出てきました。伊万里の町は、大きな川で分断されていたので、望まれて掛かった橋だったのでしょう。
右側に大きな壺の焼き物が置いてあります。左側は遠くて分かり難いですが、ピエロの像の様です。

相生橋のこちら側の道は、あいおい通りというのですが。川沿いの欄干に焼き物で作られた白壁土蔵家屋の絵が並んでいました。
この辺りには、旧犬塚家住宅の様な蔵造りの建物が沢山並んでいたとか。伊万里川の氾濫か、水害で失われた家々をこれらの絵は再現しているとか。よく見ると、「中下町 三治郎」などと、町名と持ち主の名前も書かれています。

相生橋に向かって左手に有るのが、佐賀銀行伊万里支店なのですが、看板の様に「古伊万里からくり時計」が設置されています。愛称は、万里音(まりおん)だとか。21世紀の幕開けに始動だそうです。
時計の真ん中に「伊萬里津」と書かれています。伊萬里とは、今の伊万里の事。そして、津は「みなと」のことですね。今は、地名としては残っていないようなのですが。伊万里港の事を、そう呼んでいたようです。いろいろな所で見かけます。
ほんの一部ではあるのですが。伊万里の町を紹介しました。この町に並んだ陶器が、伊万里焼、古伊万里としての有田焼なのか、鍋島焼なのか、詳しくは調べていませんが。伊万里鉄道開通で海運が廃れた後に、整備されたということでしょうか。
続きは、今回の伊万里紀行最後に、腰岳展望台以外の展望を予定しています。既に、別の写真も出来たので、また割り込まれるかな?
ゆのきメロンまつりの実態
佐世保市柚木地区は、メロンの産地で有名です。「柚木特産アムスメロン」と呼ばれています。今日、6月13日土曜日は、その「ゆのきメロンまつり」の当日でした。
柚木町にあるJAの施設にて、朝7時半からの特売が予定されていました。家族が欲しいというので買いに行ったのですが。

7時半からですが、まあそこまで頑張る必要は無いと、8時頃に行ってみたのですが。既に完売で駐車場にも入れませんでした。
写真は、仕方がないので、開くのを待って、スーパー松葉屋で買ってきたものです。ちゃんと、柚木アムスメロンと書いてあります。
面白かったのは、メロン売り場で買えなかった方々の談笑。ある方は、7時に行って並んでいたのに、買えなかったとか。

一応、農協の発表内容もお知らせしておきます。農協のサイトから拝借いたしました。
ご覧の通りに、佐世保の農協も「JAながさき西海」という組織です。西海と言うと、西彼半島の長崎県西海市の地名です。西海米を仕入れたと張り紙を見たことが有るので不思議でした。柚木町もお米生産地なのですが。
ということで、メロン祭りは、1時間は早く行かないと買えませんと言う報告でした。
そして、並ばなくても、近くのスーパーで買えますよというお得情報でした。
佐々町皿山公園の花菖蒲
長崎県北松浦郡佐々町にある皿山公園。花菖蒲の菖蒲園が有名です。花菖蒲は、菖蒲とは別の植物なのですが、面白いことに、園の説明板には、そのまま菖蒲園と記載されています。
綺麗に咲いているというので行ってみました。既に、終わり掛けていましたが、結構綺麗な写真が撮れました。伊万里での話題も残っているのですが、旬な話として割り込みます。

まだまだ沢山の花菖蒲が咲いています。よく見ると、花が枯れた株がチラホラなのですが。少し離れて見ると、まだまだ満開模様です。

そんなに広い菖蒲園でも無いのですが、東屋から見ると180°のパノラマとなります。いつもの様にパノラマに仕上げました。
度々来ているのですが、旬が終わりのせいか、花の種類が何となく少ないと感じました。綺麗に咲いている花菖蒲を2輪、拡大写真でどうぞ。
不思議な伊万里駅
地図で見ると、伊万里市の真ん中に有る伊万里駅は、東西に線路が繋がっているように見えます。線路は、伊万里駅商店街という大通りと十字に交差しているように見えます。
今まで、どんな駅かは、知りませんでした。旧犬塚家住宅に行ったついでに近くを歩いてみました。

正面に通っているのは、伊万里駅商店街の通りです。道の上を線路が渡っているように見えませんか。この日に構造を知るまでは、完全にそう信じていました。
実際は、道の右側、東側がJR伊万里駅。左側、西側が松浦鉄道伊万里駅です。腰岳展望台で紹介した写真の反対側からの写真となります。

前の写真の反対側から右に向くと、JR伊万里駅の入口があります。

JR伊万里駅のホームです。帰ってから調べたのですが。JR伊万里駅は、JR筑肥線の終着駅でした。
さらに調べると、JR筑肥線は不思議な路線でした。元々は、唐津駅を経由せずに、博多まで繋がっていたとか。ところが、1983年に唐津方向に分かれる虹ノ松原駅と山本駅の間が廃線。虹の松原駅より先と山本駅の手前に分離した、繋がっていない路線となったとか。さらに続きが。
その内に、虹の松原駅から唐津駅が結ばれ、さらに、山本駅からも唐津駅まで結ばれました。これで、唐津駅を経由する1本の路線となったのですが。唐津駅から山本駅の間は、唐津線として、筑肥線との重複区間となっていました。国鉄の分割民営化の時に、唐津線が単独路線となったそうです。
その結果今は、線路は繋がっているのですが。再度、伊万里駅から山本駅、唐津駅から姫浜駅(姫浜駅から博多までは廃線)の分割路線となったというのです。線路は博多の近くまで繋がっているのに、路線は2つに別れているというのです。興味深いので、詳しく調べてみました。

松浦鉄道伊万里駅です。実は、こちらの写真は、撮り忘れたのですが、面白いので写真に撮っていました。
最初に伊万里駅に着いた時に、正面のP標識に誘われて、入ってみました。駅の駐車場なのである程度の時間は無料かなと。しかし、奥は、パスターミナルがあり、脇道は線路沿いのマンションで行き止まりでした。
Pマークの下に「タクシーに限る」と書いてありました。信じがたい。タクシー乗り場が駐車場で、一般車は止まれない。紛らわしい駅でした。
もう一つ、googleマップでこの辺りを見ると、松浦鉄道伊万里駅の場所に「伊万里JR
」と表示されています。そのマークの「伊万里」の文字をクリックすると、松浦鉄道伊万里駅のホームの看板の写真が出てくるのですが。Googleマップは、駅が2つあるとは知らない様子。面白いでしょう。

ホームを覗くと、最初は首を捻りました。松浦鉄道伊万里駅は、終着駅?嘘でしょう。松浦鉄道は、有田駅が始発で、伊万里駅、松浦駅、たびら平戸口駅と通って、佐世保駅が終着駅。まあ、そこから電車を変えて、JR佐世保線に繋がるのですが。
当然、想像はできたのですが、途中で分岐して、有田駅方向と松浦駅方向に分かれる、いわばスイッチバック路線だったのです。しかし、その部分がまた、驚きの事実を教えてくれました。
実は、知ったのは、前回報告した旧犬塚家住宅の説明で、犬塚家と森永家の関係を、相当苦労して調べた時の話です。いろいろと分かりました。そもそもそれまでは、伊万里駅と有田駅の間も、松浦鉄道の始まりだと思っていたのですが、と言う話です。
時は、1896年頃。その頃、将来JR九州となる「九州旅客鉄道」は、博多から有田を通って佐世保までの路線が開通していた。このままでは、伊万里が陸の孤島となるのを恐れて、町の有力者が集まって、伊万里から有田を結ぶ伊万里鉄道を計画。開通したのは、1898年の頃だそうです。
伊万里鉄道は、松浦鉄道の前身としてではなく、単独路線として開通し、その内に、国鉄に吸収される。それとは別に、佐世保軽便鉄道として始まった佐世保から吉井までの松浦鉄道も国鉄に吸収される。その結果、1本の国鉄松浦線となり、第三セクター鉄道事業者となって、松浦鉄道ができたという次第です。それが、スイッチパックとなった原因だったのかな。
しかし、残念なことにその後、鉄道輸送が主流となり、伊万里港の海運は廃れることとなったと書かれていました。
まだまだ続きます。伊万里の焼き物が有る街の風景に。。。
庭の花 どんどん色々
伊万里での話題は進行中なのですが、当家の庭の花も賑やかとなってきたので、少し割り込んで報告します。
最初は毎年咲く、ユリのトップバッターからです。

咲いていると気付いて報告したのが4年前。オリエンタル・リリーという種類のムスカデットという品種の様です。
最初にムスカデット。7月に入ってカノコユリとオニユリ。7月後半から8月に掛けてタカサゴユリと続きます。そのトップバッターです。
ムスカデットは、ビニールハウス側の松の麓で古いプランタンの中から、1本のみ。他のユリは何本も出てくるのですが、1本のみしか咲いてこないユリです。
今年は、カノコユリが遊歩道の擁壁に花目を付けるだろう枝が出ているし。タカサゴユリは多分、10か所以上という感じで芽を出しています。楽しみですね。

前庭からビニールハウスの横を通って裏庭に入るのですが、丁度、裏庭に入る所にある紫陽花です。
いつも白い紫陽花が咲きます。今年も綺麗に咲いてくれました。

最初に自宅の横の通路で発見した花。翌年には、ビニールハウスの奥の空き地に咲いていた。今年は、不思議に、庭の入口のプランタンに芽を出してくれました。アガパンサスです。
まだ蕾ですが、こんな場所に咲いたと、驚きの報告でした。

七段花の紫陽花です。1輪が咲き始めた時に報告したのですが。2輪目も咲いて、綺麗になりました。
綺麗に花びらが並びました。

先週報告した、「私が作った小さなミニ花壇」の現状です。
百日草の花も増えましたが、小型のひまわりも開花しました。カモミールは見えていませんが、咲き始めています。

これが一番のニュースかな。榊の花です。当家でも、一般家庭と同様に神棚があります。神棚には、榊を供えるのが常でしょう。
今日、買おうとしたら、何だか高い。ああ、これは家内の発言です。私は、当家に大きな榊の木があるので、いつも、摘んで上げると言っていました。
そんな感じとは裏腹。当家の榊は大木。想像するに15m程度の大木となっています。だから、なるべく幹の上部の大枝から剪定したいと思っていました。
今日は、5年前に買った1.8mの脚立を、伸ばしてはしごにして。つまり4m近いはしごで大きな枝を剪定しました。
剪定した榊を見てびっくり。花が咲いていました。まあ、当家の周りには、シキミ、サカキ、シバの木が植わっているのは報告しています。その中で、花が咲く時期も調べていたのですが。実際に花が咲いていたのは、初めてでした。
検索すると、「神棚に供えた榊に花が咲くと大幸運」と解説されていました。?
供えた榊に花が咲くと、幸運。では、花が咲いた榊を供えると?
多分、まだ蕾。供えてから、蕾が開くと、大幸運が訪れるのでしょう。買っている宝くじが楽しみです。
伊万里 旧犬塚家住宅
伊万里市の解説では、江戸時代後期の文政8年(1825年)に建てられたとか。陶器商人の当時の暮らしを知るためにも重要な建物との説明なのですが。犬塚家の説明はありません。
見学無料で当日はポランティアの方が詳しく説明してくれました。

地図でみると、旧犬塚家住宅の名称に併記されて「陶器商家資料館」と記載されています。ご覧の通りに、こちらの名前が看板に書かれています。
「東西にのびた江戸時代の旧道に面して建てられた」と解説されているのですが、旧道では無くて、「当時のメイン通り」でしょう。主要交通路とは書いてありましたが。写真の左から右に伸びている道のことでしょう。現在は、建物の裏側(南側)がバス通りとなって、広い道になっていて、この道は裏道です。
入るなり、ポランティアの方が説明してくれました。左側の入口と右側の2面の窓があるのですが、雨戸を設置出来る場所がありません。ここの雨戸は、上の隙間に入っていて、上から下ろす構造の雨戸でした。右側の窓は、下の1/3の部分も雨戸で、その部分を引き上げるのと、上からも降りてきてガラスの部分を覆う雨戸となるそうです。
当時の建築の一つということでしょう。建物の構造を説明できる写真を沢山撮ったので、簡単に説明致します。

入ってすぐの部屋から、3つの部屋が縦に並んだ構造です。入ってすぐと奥の部屋は、比較的低い天井。真ん中の部屋が高い天井となっていて、2階との立体感が何となく分かるかも。天井の段差が2階の床面の段差となっています。

真ん中の部屋の右奥に2階に登る階段があります。階段に引出しが沢山付いているのですが、この階段は、可動式となっているそうです。後ほど、小さな階段も出てくるので、その意味が想像できるかもしれません。

この写真は、2階の奥の部屋(1階入口から見ると手前)から見たシーンです。この部屋は、買付商人が泊まる部屋だったとか。
1階の真ん中の部屋の2階は、少し高くなっていて、通路と衣装箱みたいな箪笥の置き場となっていました。この段差があるので、階段が必要なのです。
犬塚家に関しては、詳細は出てこないのですが、次の話題に繋がるので、調べた範囲で説明したいと思います。
建物は、1825年に建築なのですが。犬塚家は、陶器商人で創業は1764年。つまり、創業後にこの地に新しく商いの建物を建て直したということでしょうか。屋号は「○駒」で、入口に暖簾が再現されていました。「丸に駒」というマークですね。
流石に伊万里ではあまり説明されていませんが、ここで商いされた陶器は、現在の有田焼です。有田は、海に面していないので、ここまで運んで、船で全国、または海外に運ばれて行ったのです。
現在は、伊万里焼とか古伊万里と言うのですが、中身は有田で焼いた陶器だったのです。そうやって、伊万里は、陶器の商売で繁栄していたということです。
もちろん、後にこの地の大名である鍋島藩が、陶工を集めて、大河内山で鍋島焼を始めています。この鍋島焼が伊万里で焼かれた陶器です。伊万里焼や古伊万里とは別物です。
その辺りは、Wikiなどで情報を集めても、複雑な解説で、読み取るのは難しいので、正確では無いかもしれません。大体、こんな感じです。

2階の一番奥に飾られた草書です。「終始一貫」と書かれていて、昭和7年春に「賢兄雅嘱 太一郎」に依って書かれたとか。さて、誰でしょう。床に置かれた黄色い箱がヒントです。
森永製菓を創業した「森永太一郎」がその人でした。ミルクキャラメルが大ヒットとなり、繁盛したのでした。その森永太一郎と犬塚家の関係は、後ほど。因みに、「賢兄雅嘱」は、ネットの絶対検索では出てこない単語です。この記事が唯一の情報となるかな。
Wiki「森永太一郎」によると、現在の伊万里に有った陶器問屋に生まれたとのこと。その点は一致するのですが、生まれた家は森永家で、生まれた時の名は「森永伊左衛門」とされている様です。
父親を亡くして財産を無くしたり、相当に苦労された挙げ句、森永製菓で大成功を収めたようです。
Wikiに依ると森永製菓の設立は、現在の東京赤坂に「森永西洋菓子製造所」として設立したとか。でも、伊万里の町中の至る所に、森永ミルクキャラメルが出てきます。やっぱり、伊万里で生まれた偉人として称えられている様です。
さて、犬塚家と森永家との関係はポランティアの方の説明で、犬塚家の末裔という風に聞こえたのですが。その頃の犬塚住宅は、当主が初代犬塚伊三郎となった時代で、同一家系では無さそうです。(結構苦労して調べました)

ということで、JR伊万里駅の入口に建つ森永太一郎の銅像です。
ここは、JR伊万里駅です。松浦鉄道の伊万里駅もあります。その辺りが続きかな?!?
伊万里 腰岳展望台からの眺め
聖母トラピスチヌ修道院の前に有る展望台から、伊万里湾を眺めました。

聖母トラピスチヌ修道院の前が千畳敷、そこを登ると腰岳展望台です。そこからの眺めです。いつもならば、パノラマにしたいシーンなのですが。視界は広くないので、こんな感じです。
標高で言うと、腰岳の6合目位の場所なのですが。地図を見ても、もっと高いところには展望所はない様子です。腰岳から伊万里湾を眺める唯一の展望台でしょう。
右側から流れ込むのが伊万里川。左手前から流れ込むのが有田川。交わった辺りは、伊万里港。その先、飛び出した半島の一番高いところは、牧島山で標高135.7m。その半島から左側の岸に伊万里湾大橋が渡っています。伊万里湾は、その大橋の先となります。
伊万里市の市街地は、見える平地の一番右側で、殆ど枝の陰となってしまっています。伊万里川と有田川の間は、ご覧の通りで、池とか小川が沢山。元々、沼地だった事も何となく想像できます。

展望台から振り返って、聖母トラピスチヌ修道院の方向を向いた写真です。手前の部分がGoogkeマップに千畳敷と書かれた広い草原です。
気持ちが良い草原なのですが、流石に山奥。とても静かでした。私の愛車が佇んでいます。

パノラマにならなかった事情を示す写真です。切り開かれていたら、左に佐世保の国見山、視界が良ければ右側に佐賀の天山という場所なのですが。少々、勿体ない展望台でした。

続いて、伊万里市街地を紹介するのですが。市街地から見た腰岳の見え方です。伊万里富士というのがよく分かると思います。
当日は、旧犬塚家住宅を訪ねたのですが。正面に見えているのが、伊万里駅です。おっとっと、細かい説明をするところでした。とっても不思議な駅でした。詳細は後ほど。
壊れたLEDシーリング電灯の中を覗くと
はじめに説明しておきますか、危険ですから絶対に真似しないで下さい。ベテランが調べた結果です。知識としてご覧ください。
壊れて、代替え品も頂いたので、まったく使えなくなったシーリング電灯でした。で、どんな作りになっているのか、制御回路の部分を開けてみました。

構造はとてもシンプル。7cm×3.5cmの大きさで厚みは2.3cmの箱が付いていました。接着剤で天板に付いていたので、力付くで取り外しました。そして、その箱も、底板が接着剤で接着してあります。これも力付くで取り外しました。
真ん中の穴は、シーリングジャックに繋がる部分で、AC100Vの電線が出てきています。とっても細い電線ですが、元々、電流を流さないので細くても構わないのでしょう。
基盤の右側には、LEDを点灯させる線が伸びています。線材は3本です。こんなに沢山のLEDが付いていますが、2色のLEDを制御する構造と分かります。
明るさは、点滅間隔で制御かな。

小さいと分かり難いので、基盤部分を拡大しました。左側の赤い丸で示した部分に"AC IN"と書かれています。AC100Vがここに繋がっています。その下の黒い箱は、フューズ機能を持った素子でしょう。これが切れたのかも知りませんね。実験は可能ですが、感電が心配なので絶対しません(笑)
その下の小さいICみたいな物は、多分、整流器でしょう。ダイオード類を組み合わせて、交流電圧を直流電圧に変換です。その右側のコンデンサで平滑するのでしょう。耐圧400Vとなっています。AC100Vの交流を整流して平滑すると、DC141Vの直流となります。
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この部分が一番の驚きでした。大昔ですが、トランスレスが事故の原因と問題になったことがあります。多分、今から60年くらい前です。
私が覚えているのは、充電式のニッカド懐中電灯です。スライドさせると、ACコンセントに刺さる電極が出てくるものでした。懐中電灯の中で、トランス変圧をせずに抵抗のみで減圧して充電するタイプでした。事故多発で消えた商品です。
流石に、60年もすると、安全設計の技術は、大幅に進んだとは思いますが。技術者としては、とっても心配です。だって、このシーリング電灯は、壊れたのですよ。DC141Vが流れている回路が壊れたのですよ。恐ろしいものを買っていたと今更ながら。
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まあ、どうでも良いと思ったのですが、興味深い話なので。
現在、伊万里の話題を報告している最中なのですが。単発記事として割り込みました。
ついでに、長崎県を含む九州北部は、6月4日に梅雨明けしました。6月6日の昨夜は、前線を伴う低気圧が九州南部を通過し、その影響で雨も降ったのですが。梅雨入り早々からも晴れ。6月7日の今朝から良い天気となっています。
週間予報を見ると、暫く晴れが続く予報となっていました。
記事を書いている時に週間予報を確認すると、3日間は曇りで、その後は曇り時々晴れが続きます。
雨が多い梅雨には、カビで往生したと報告した事があります。空梅雨は大歓迎なのですが。農作物が心配ですね。やっと米も安くなってきたのですから。
伊万里の聖母トラピスチヌ修道院
今回は、伊万里市の町中を観光して来て、いろいろな話題に接しました。少し整理ができていないので、その後に行った修道院を先に紹介します。
正式には、「シトー会 伊万里の聖母トラピスチヌ修道院」とされています。同名で、公式サイトも出てくるので興味があれば、ご覧ください。

まずは、修道院のお御堂の写真です。修道院は、伊万里富士と呼ばれる腰岳(標高487.5m)の中腹、標高310m程度の非常に標高が高い場所にあります。Googleマップだと道順は載っているのですが、私の車の古いナビゲーションでは、たどり着きませんでした。
修道院のホームページでは、お菓子とか工芸品を販売しているというので、色々と見れると思って行ったのですが。その話は後で。

広い場所なので、周りの風景と合わせて、パノラマにしてみました。左側の建物は、修道女の宿舎かな。お御堂を挟んで、管理棟の様な建物。看板では「受付」となっていたのですが、それも後ほど。
管理棟の手前は、綺麗に整備された芝生だと思うのですが。その先にも、芝生が見えます。Googleマップでは、千畳敷という名称で載っていました。その右奥に、腰岳展望台がありますが。今回は、少し解説が多いので、千畳敷と展望台は、次回で紹介します。

パノラマで位置は分かると思いますが、受付と書かれた入り口です。お菓子とか工芸品を販売しているというので、いろいろ見れるかなと訪ねてみることにしました。入口には、休憩時間だと思うのですが、閉店の時間帯の張り紙がありました。閉店では無い時間帯だったので期待したのですが。
鍵が閉まっていて、呼び鈴を押したら、「なんですか?」との返事。そこで、「見学したいのですが」と言うと、「見学は受け付けていません」というのです。正直言って、エッ!という感じだったのです。「では、外観のみ見学させて頂きます」と。
私もカトリック信者だとは、以前から説明していますが。この修道院もカトリックの施設です。調べて分かったことを少し紹介します。
修道院名の冒頭の「シトー会」は、ホームページでは「厳律シトー会」と説明されていました。シトー会とは、前教皇が名前を貰ったヌルシアのベネディトゥスが創建した修道会で、フランスのブルゴーニュ地方のシトーで、西暦529年に創立。現存する修道会で最古の修道会と紹介されていました。
厳律シトー会とは17世紀後半に、フランスのノルマンディー地方のトラップ修道院の院長が、これまでのシトー修道院の修道規律を見直した。その厳しい規律を定めた修道会が「厳律シトー会」で、トラピスト修道会とも呼ばれているそうです。
施設名に、聖母トラピスチヌ修道院と出ているのですが。女性のトラピストの事を「トラピスチヌ」と呼ぶそうです。そうなんです。左側の施設を「修道女の宿舎かな」と書いたのですが。女性の修道士の施設だったのです。

少し難しい話が続くので、少し休憩しましょう。パノラマの千畳敷の手前に修道院の入口があります。そこに設置されたマリア像です。
佐世保のカトリック教会で良く見かけるルルドの泉では無さそうなのですが。正当なカトリックの施設を伺わせる風景です。
再三説明していますが、私は産まれた時からカトリック教徒です。真面目ではありませんが、それなりに信心を持っています。上記の受付の対応は、とっても不思議でした。何故だろう。
公式ホームページでは、修道院の考え方や、修道士の生活などか紹介されています。修道士は、日頃から、何を目的に生活しているのだろうか。詳しく説明はされていました。しかし、一般の方では、理解できないでしょう。私は、何とか、意味は理解できましたが。
何となく想像なのですが。受付のつれない対応は、厳律シトー会の「厳律」の意味なのかもしれません。厳しい戒律で過ごしている方々。世俗の民との交流は望んでいない?!?
ホームページの説明との不整合も不思議ですが。カトリック信徒としては、とても不思議な体験でした。訪問される方は、覚悟の上、訪問して下さい。

