
佐世保玉屋新店舗
佐世保の顔みたいなデパート。佐世保玉屋が惜しまれて1月31日に閉店となりました。名物の玉屋サンドイッチを一生懸命に買っているとニュースで話題となっていました。
今年の2月5日に報告した記事の冒頭部分です。サンドイッチが元の店舗の1階で売ってあったので、買ってきて美味しく頂いたという報告でした。さてさて、その続きなのですが。

まあ、ここまで書くと分かっちゃうのですが。この写真はなんでしょう。何処かの倉庫?作業場?
閉店した玉屋本館の1階の前に出ていた掲示で、仮店舗が万津町に開店したと出ていたので来たのですが。正直に言ってここを探すのに、何回もグルグルと回って、やっと見つけました。仮店舗と言われると、そうかなという感じはするのですが。

閉店した玉屋本館の1階に出ていた掲示と同じものが、お店の前に出ていました。「6/21(日)にブレオープン」と大きく書いてありますが、全て英語です。何を格好つけているのでしょうかね。正直、読む気がしません。
と言いながら、書いてあることを訳します。
・ラヴィアンローズのサンドイッチ
・ローズエッセンスのブチック
・サンムーンの地域の野菜とフルーツ
・キョーワズコーヒーの特別コーヒー豆
確かに、入口のビニールの先に、サンドイッチを並べた冷蔵庫のガラスが見えていました。
そして、掲示板の地図には、「佐世保玉屋新店舗」と書いてあります。ということは、新本店ということかな。仮店舗と聞いていたのですが。

もう少し情報は無いのかと、元々公開されていた佐世保玉屋のホームページを開いてみました。上のメニューにあるショップ情報を開いた画面です。
ショップ情報のトップは、ラヴィアンローズのサンドイッチのみしか載っていないのですが。左側の「Rosw Essence」をクリックすると、右側にローズエッセンスのブチックの情報が出てきます。
しかし、アクセスのコーナーには、玉屋のデパートが有った場所の情報がまだそのまま載っています。新店舗の情報は全く載っていません。
面白いのは、左下の「F Rose Essence」です。マークの通りにFaceBookが開くのですが。最新情報が2016年3月8日の記事です。当然ながら、玉屋のデパートに飾ったブチックの写真のままでした。
多分、何の宣伝もしていないし、この店舗の風体だし、客は来ないのでは無いだろうか。
ということで、代わりに宣伝してあげました。興味がある方は、ご来店ください。写真は、8月3日に撮影したものです。
やっと咲いたタカサゴユリ
当家の庭のタカサゴユリがやっと咲きました。オニユリが咲いたのは7月8日、カノコユリが咲いたのは7月16日でした。
ほぼ例年通りなのですが、オニユリが咲いてから1か月。結構待たされました。

オニユリの報告の時に書いたように、かなり多数のタカサゴユリが咲き始めています。あまり面白くもないのですが、庭に咲いたタカサゴユリと蕾を並べてみます。
このタカサゴユリは、遊歩道から庭の入口左側に咲いたものです。背景の左側がビニールハウスです。
実は、私の体調がすぐれない中での撮影で、どれも、奇麗に撮れた感じではないのですが。お付き合いください。

これは、遊歩道に向けて、当家の前庭の端から顔を出したタカサゴユリです。現時点で2番目に奇麗に咲いていると思います。

それぞれ、1枚目と2枚目のタカサゴユリの隣に咲いたものです。開き具合が今一つです。

ここは、カノコユリが咲いていた場所に咲き始めたタカサゴユリです。
オニユリの記事で、玄関前の右側にタカサゴユリ、左側にオニユリが咲くと説明したのですが。タカサゴユリの蕾の奥に見えていた大きなタカサゴユリが咲き始めたのです。

庭の通路の手前、階段を登り上がったところに蕾が並んでいます。4本に5つの蕾が付いています。
この写真は、長崎原爆の日に撮影したものです。前日に咲いていると気づいたのですが。実は、その一週間前頃から腰が痛かったのですが、だんだんと痛みが増していました。何とか撮りたいと頑張ったのが、長崎原爆の日の9日でした。
実は、カメラを持って玄関を出ようとしたところで、腰の痛みでよろめいてしまいました。撮影している間にも1回。そんな中で撮影したので、下手な撮影は、ご容赦ください。しかし、その続きが。
時は、8月8日。咲いたのに気付いた日です。あまりにも痛かったので、病院に行きたかったのですが、土曜日。でもよく調べると、土曜日の診察をしていると分かって、始めて整形外科を受診しました。
結果は、骨に異常がなく、多分筋肉痛だろうと、湿布薬の処方を受けました。ロコアテープという湿布薬でした。
ところがそれから2日間。湿布の効果は無いところか、痛みが増してきました。困ったものです。
そこで、調べてみました。ロコアテープは、変形性関節炎の処方薬。はっきりと「筋肉痛には効きません」と書いてありました。診察の終わりに「筋肉痛ということですね」と聞いて、先生ははっきり頷いたのですが。
やっぱり筋肉痛には、ロキソニンテープでしょう。タカサゴユリの写真を撮った昨日、買ってきました。
ロコアテープもロキソニンテープと同じ種類の湿布薬。重複使用は、副作用の恐れがあります。ロコアテープを外してから6時間。この間、不思議に痛みが少しは収まりました。
そうして、昨夜、寝る前にロキソニンテープを貼って、起きた翌日の今日でした。まだ、痛みはありますが、少し楽になったところで、やっと紹介する事が出来ました。
それにしても不思議な整形外科でした。初めて受診したのですが。一応、批判はネットに書きたくないので病院名は伏せておきますが、治療ミスの一例です。参考として頂ければ幸いです。
そして、これが昨日「いろいろとトラブルに見舞われている」と書いた真相でした。もちろん、メインで使用していたパソコンもまだ復旧していませんが。なかなか、辛い夏を過ごしています。
81年目の長崎原爆の日
昨年の今日、「80年目の長崎原爆の日」と題して、長崎原爆の日の記事を記しました。ということで、今年は、81年目となります。
「毎年の事なので、過去の記事の紹介に留めておきましょう。」と、過去の記事を紹介したのですが。まあ、今年も毎年の続きです。昨年の冒頭文を繰り返しておきます。
3日前に広島での炸裂、本当に長崎にも投下する必要があったのかという事もあるのですが。日本が行った当時の侵略戦争を考えれば仕方がないことかも。本当に日本人としてお詫びしたい。そういう気持ちを持つことも大事にしたい。

ということで、昨年の記事を引用して、今年はこの程度にしておきます。私が被爆2世で有る事と被爆者手帳の関係とか、原爆死没者名簿の話とか、私の被爆体験とか、東日本大震災の原発事故に関わる問題とか。いろいろ話題にしています。
今、いろいろとトラブルに見舞われているので、簡単で失礼します。
佐世保市超熱帯夜
昨夜、天気予報を見ていたら、なんとなく信じ難い予報が出ていました。
(8月7日の)最低気温は30℃、最高気温は38℃。最低気温が30度を超えるとはどういうこと?!?

今年、一日の最高気温が40℃超えると酷暑日という名称が決まったばかりでした。最低気温が30℃以上は、聞いたことはありませんでした。
調べてみると、気象庁は定めていないのだけれども、日本気象協会がアンケートから、2022年8月2日に決めた名称が載っていました。「超熱帯夜」ですと。

最低気温は、午前0時1分から24時までの最低気温です。当然、前日の24時の気温から繋がるのですが。佐世保の観測データをアメダスで見てみました。
30.4度でした。まさに、超熱帯夜でした。
この記事は、朝から掲載する予定でいました。朝からいつもの身支度から、自室に戻ってパソコンを使い始めたのですが、それから大変な事になりました。
途中、開いたテキスト文の内容が表示されません。おかしいな。常道として、パソコンの再起動です。しかし、立ち上がってきません。待てど暮らせど、画面が点きません。
パソコンを開くと、マザーボードに白いLEDランプが光っていました。どうしよう。マザーボードのマニュアルを見る方法が無い。
ということはありませんでした。こういうときの為に、ノートPCを準備しています。新たに、マニュアルをダウンロードして開いてみました。白いLEDランプは、ディスプレーが検出されないという障害が発生しているという意味でした。ここから、悪戦苦闘です。
メインで使っているパソコンは、27インチの大型ディスプレーを2台接続しています。接続は、どちらもHDMIというインターフェースです。繋ぎ直しとかしてみたのですが、ダメです。
そこで思い出しました。繋いでいるディスプレーには、DisplayPortという新しいインターフェースも付いていました。いずれ使うかなと、ケーブルを買っていました。
繋いでみたら、一旦大喜び。普通の表示してくれました。
仮処置の為に、カバーを外したりしていたので、戻して、再度、電源を入れてみました。すると、また立ち上がりません。色々やったのですが、完全に壊れた模様です。
メインで使用しているパソコンが壊れると、壊滅的。
という事で、とりあえず、ノートパソコンをメインのパソコンと同様に使えるようにして、やっと投稿できたという次第です。これからが正念場なのですが。
決して安全では無い泉福寺洞窟
泉福寺洞窟の入口に有る公園は、地域の方々が月1回の清掃で美観を維持しているとかは、紹介した事があると思います。
その公園とそこに至る遊歩道があまり安全ではないということ。気を付けて頂く為に、事例を紹介します。まずは、泉福寺洞窟とは、から。

今回も話題は、「泉福寺洞窟」。毎回、入口に「泉福寺洞穴」と2つの看板が立っていると説明している「国指定の史跡」なのですが、先に概要を説明しておきます。
豆粒文土器が出土した史跡なのですが、この「豆粒文土器」は、旧石器時代の終わり、世界で始めて発掘された人類が最初に作った土器です。人類が石器から土器に変わる時、始めて作った土器という意味です。
今から、約16,000年前の遺跡です。日本で、この泉福寺洞窟以外でも出土はしていますが。破片を繋ぐと完全な豆粒文土器となる土器が出土したのは、この泉福寺洞窟のみです。世界で唯一の史跡という意味になります。
佐世保市島瀬町にある島瀬美術センターに行くと、そのレプリカを見ることができます。さて、そういう史跡の入口で何が起きているのでしょう。

公園の真ん中から、泉福寺洞窟がある斜面を見ているシーンです。結構大きな枝と合わせて、2本の枝が落ちています。たまたま、斜面内に留まっていますが、後述の通りに公園内や入口付近でも落ちてきています。
この写真では、分かりやすいように、落枝の部分を黄色に塗っています。拡大写真と合わせてご覧ください。

右上の大きい方の枝です。折れた部分を上にして、蔦に引っかかっています。折れた部分は、直径5cm程度の割と大きな枝です。
この辺りの木は、15m程度の高さとなっています。15mの所から、人の上に落ちてきたらと思うとゾッとします。

左下の小さい方の枝です。一見するとそこに生えている木のようにも見えるのですが。持ち上げて突き刺さった部分の拡大して右上に載せています。落ちた時に、土に突き刺さった様です。
どちらも、7月18日の夕方の見回りで見つけてものでした。

こちらは、実際に公園内に落下した枝です。まあ直径3cm程度なのですが、3cm径で30cm程度の枝です。多分、直撃を受けたら無事では済まないでしょう。
この写真は、7月2日の夕方に見掛けたものです。この他にも、何枚か写真は撮ったのですが、取り敢えず代表で。実は、もっと前に、もっと大きな枝が公園の中に落ちた事も有ったのですが、残念ながら、写真には残せませんでした。

少し話題を変えて、私が危惧している木です。分かる様に、黄色い丸で囲った部分の木です。
すぐ上に葉が付いた枝が有る様に見えていますが、それは、奥の木の枝です。この木は、葉どころか、枝も出ていない枯れ木です。多分、5m程度の高さで太い部分の幹の直径は10cm程度。ほぼ完全に朽ちた木です。
階段の所から2m程度しか離れていないので、階段方向に倒れたら、間違いなく、階段に掛かります。丁度、人が居て運悪ければ、多分大怪我します。
以前から説明している様に、この場所は、国の史跡で、佐世保市の教育委員会が管理しています。倒れそうだからといって、勝手に伐採はできません。
昨年の9月にこの写真の右側の斜面に不法投棄が有った話を報告しました。教育委員会に連絡したのですが。慈善活動なのに「教育委員会から許可を貰って」処分しました。
その時の、教育委員会とのやり取りは、あまり心地よいものでは有りませんでした。ここで紹介した事は、教育委員会に知らせるのが望ましいかもしれませんが、何となく乗る気がしません。気付いてくれるとよいのですが。
とにかく、国の史跡なので見学は良いことだと思いますが、気を付けて見学してください。
暑い日々が続いています
まったく嫌になります。こんなに暑いと、何もしたくなくなります。そこで、ピカッ!
こんな季節で、真冬の雪景色は如何かな?

2015年の元旦の風景です。当時の自宅の窓から、梅の木、生け垣に沢山の雪が積もりました。

その前年、2014年の2月8日。同じく、梅の木がすっぽりと雪に覆われています。

2014年の続いた雪は、2月16日に大雪となりました。多分、前日から降り積もった雪です。
当時、厚木に住んでいたのですが。何年かに1、2度、大雪に見舞われました。今住んでいる佐世保では、雪が積もることも殆ど無いのですが。厚木市でも、こういう大雪には慣れていません。前夜の帰宅途中に、車を道路に放置して帰宅する風景が懐かしい。

そんな中、2021年1月9日でした。佐世保にJターンし、職がないので、タクシードライバーとなって迎えた新年早々でした。雪が少ない佐世保でも、朝から大雪でした。
この日もいつも通りに朝から夜中まで勤務したのですが。雪の為のスリップ事故で運ばれる車が多いこと。流石に南国での積雪と実感した次第でした。
そんな中、夜中に客待ちで待機していた時の風景です。完全にアイスバーン道路です。この写真は、私のブログでも紹介していました。その時の説明文をそのまま紹介しておきます。
夜中に入ると、完全にアイスバーン道路となってしまいました。写真は、一番繁華な下京町と塩浜町の眺め。正面の小道は、夜店公園通りという通り。左手に見えるのが、サントリー ル.グランパレ ビルというビル。正面の先に見えるのは、ライオンタワー。写真には無い、山県ビルと合わせて、佐世保市の歓楽街を代表するビルです。
如何でした。涼しい風景でしょう。おわり。
やっぱり揺れない佐世保市
昨日、7月28日の午後4時27分頃にまた、熊本地方を震度7に達する地震が発生しました。死者も出ています。まずは、被害に合われた方々にお見舞い申し上げます。
こんな時に、不謹慎なタイトルの記事で申し訳有りませんが。2000年から佐世保市で3回目の震度4となる様なニュースが流れたので、その点を中心に紹介します。熊本県内を始め、それどころでないタイミングで申し訳有りません。
前回の記事は、今年の6月28日に宮崎県で発生した最大震度4の地震の話題でした。長崎県では最大震度3の揺れでしたが、佐世保市内に有る地震計では、震度1の地震も感知しなかったという話題でした。
その時に、気象庁の地震データベースで佐世保市で検知した地震を調べました。2000年1月からの25年間半で、震度1以上は157件、震度2以上は43件、震度3では8件でした。そして、震度5弱以上は無くて、震度4が2件。一般的に点検は実施するれども、被害はあまり想定されない揺れしか無いというのがその時の説明でした。

多数の放送局で地震の概要が説明されていました。代表でNHKで報道された図で説明します。熊本県内で震度5弱から震度7が観測されたという画面です。
長崎県では、島原半島で震度5強の揺れです。強い地震でした。そして、佐世保の場所を見ると、震度4と表示されています。これを見ると、2000年から3回目の震度4となった様に見えました。

気象庁では、地震計の場所毎に震度が表示されます。佐世保市の周りでは、松浦市が震度4でした。しかし、佐世保市の真ん中に有る佐々町を含めて、市内に有る8個の地震計は、震度3を指しています。
五島の北に有る宇久島も佐世保市市内ですが、ここは震度2です。つまり、NHKの画面で示された長崎県北部の震度4は、沢山有る地震計の中で、唯一震度4を示した、松浦市の地震計の揺れを示しているのですね。
勿論、地域を代表する震度は、最大震度で示すので、間違いでは無いのですが。佐世保市では、震度3の揺れしか有りませんでした。
6月28日の宮崎県の地震でも、まったく揺れを感知しなかった佐世保市に有る地震計に対し、松浦市の地震計は、震度1を記録しています。佐世保市全体に対して、松浦市は、比較して揺れやすいということは言えると思います。

気象庁の地震データベースでは、10年前に発生した熊本地震のデータを見ることができます。画面が異なるので、少し違った風に見えるかも知れませんが、地震計の場所は同じです。この時は、熊本市の震源の他、連動するように大分県内を震源とする地震も起きており、震源が2地点記録されています。
震度7を観測したのが2地点。震度5弱以上を示す赤い色も範囲が広くなっています。そして、震度4を示す黄色は、九州全域の他、山口県、四国にも大きく広がっているのが分かります。
今回の地震は、残念ながら死者も出し、修復を完了した熊本城の石垣にも被害が出ているといいます。決して、大小で比較できるものでは無いとは思いますが。不幸中ながら、10年前よりも僅かに軽くて済んだと言えるかも知れません。
でも、まだ、1日も経っていないタイミングです。続く余震の被害の可能性はあります。既に被害に合われた方々にお見舞いすると共に、これから暫くは注意するようにしてください。
前回、7月1日の記事で、その日の1週間前から、震度4以上の地震が全国で6回と状況を報告していました。心配していたのですが。
7月上旬から7月29日までの状況で、大きな地震は今回の熊本地震とその余震のみ。震度4の地震が7月1日に岩手県と宮崎県北部の2回のみでした。先月末から比較的に地震が落ち着いていた中で発生した、痛ましい地震だったと言えるかも知れません。繰り返しますが、既に被害に合われた方々にお見舞い申し上げます。そして、これから発生するかも知れない、余震の被害にもご注意ください。
宛陵寺天井絵
長崎県本土の一番北にあるのが松浦市。松浦市の東側は佐賀県の伊万里市です。その松浦市の一番東に有る町が今福町。その今福町に有る宛陵寺に行ってきました。「海晏山 宛陵寺」といいます。ホームページには、曹洞禅ネットのリンクが乗っていたので、曹洞宗なのでしょう。
タイトルの通りに、天井絵が有るお寺です。まずは、その天井絵から。

松浦市教育委員会の解説は、「動物学、植物学、美術史上における貴重な絵画資料である」と説明されています。宛陵寺の過去帳によると開山は、応永13年(1406年)とされています。さて、いつの頃に書かれたものでしょうか。
解説によると、全部で89枚。十二支の干支の動物12枚、鶴、亀、孔雀、唐獅子、麒麟の5枚。梅、紫陽花、百合、蓮なども描かれているとか。
元々、宛陵寺は、現在の今福町坂野免に有ったのですが、昭和29年の地すべりで今福町仏坂免に移転したそうです。その時に暫く野ざらしとなり、一部に剥離している箇所もあるそうです。
説明では、中央部と説明されていますが、多分、この写真の右端に龍の絵があります。その龍の絵の所には、嘉永3年(1850年)に片山舟水の落款があるとか。片山舟水は、平戸藩御用絵師だとも。解説はありませんが、開山の頃の絵というよりは、江戸時代の長い期間で描かれたのでしょうか。

この宛陵寺は、少し不思議なお寺でした。国道から脇道に入り、坂を登っていきます。最初に見えるのが善福寺です。手前に善福寺の駐車場。通り過ぎて、宛陵寺の先に駐車場があります。そこを降りた場所からは、裏口しかありません。そこから入るとすぐ本堂。本堂の天井に、天井絵が描かれています。
何が不思議か?靴を脱いで、納骨堂と本堂の間の廊下を過ぎると本堂があります。早々に拝みましたが、誰も居ません。御暇するまで、見掛けたのは、郵便配達員のみ。割と知られたお寺だと思うのですが、何となく信じがたい佇まいでした。

実は、宛陵寺を通り過ぎずに、正面から入ると、数台分の駐車場がありました。裏の駐車場からだと、外を大回りしないと来れないのですが。帰りのついでに入ってみました。
松浦市は、この地域で平安の頃から活躍した松浦党の本拠地です。教育委員会の説明では、宛陵寺は、松浦党の始祖源久公の菩提寺として創建され、歴代今福松浦家の菩提寺だとか。
古文書によると、明徳元年(1390年)に松浦丹後盛十一代源延公から、当時の住職、大圭和尚に土地の寄進をしたと。前述の通りに、開山は、1406年とされているのですが、寄進状の存在からもっと前の開山らしいとも。
松浦党の始祖の源久公を追いかけてみました。生まれが1,064年。死没は、1,148年、または1,154年とされている様です。「松浦党の始祖源久公の菩提寺として創建され」の意味が読み取れます。1390年頃に、源延公が宛陵寺を創建した時、始祖である源久公を弔い、菩提寺としたのですね。その辺りは、教育委員会の解説からは読み取れません。
因みに、源久公は、Wikiには、松浦久のタイトルで出ています。元々、源氏の出身で松浦郡を任された一党は、間もなく、松浦党を名乗った。しかし、1390年頃にも、まだ、源延公と源氏を名乗っている。不思議ですね。

玄関前の階段の前に鎮座する摩尼車です。これは何ぞやという不思議なものなのですが、丁度、真正面にその名称が記載されていました。
台座の上の部分に回転する筒が乗っていて、その筒の周りにお経が書かれています。この摩尼車を右回りに回転させると回転した数だけ、お経を唱えたのと同じ功徳があるとか。右回りとは上から見た回転方向です。つまり、お経は左にズレていく回転方向です。

玄関前の駐車場に教育委員会の解説板が立っていました。殆ど読めません。

やってみたくて撮った写真でした。一眼レフカメラなので、撮った写真は、RAW画像です。画像処理が簡単に出来ます。ということで、ちゃんと読める写真に加工してみました。
今回の本文で説明した事の殆どが記載されています。古文書そのものは説明しませんでしたが。ご覧の通りです。
ということで、平戸-松浦紀行はこれにてお仕舞い。。。
平戸瀬戸市場で海鮮天丼
平戸市に行った時の昼食で、また田平港にある平戸海鮮市場の「シーサイドカフェ」で頂いてきました。前回の書き出しを真似てみました。
今年は3回目。先々月に続いてですが今回は、久し振りに天丼を頂きました。

正式には、「平戸海鮮天丼セット」となっているのですが。ここ、シーサイドカフェでは、単品以外は、◯◯セットという名称です。ご覧の通りに、味噌汁と漬物が付いたセットということですね。
海鮮天丼なので、魚の天ぷらも頂けると楽しみに頂きました。
しかし、、、まあ、上の方の野菜の天ぷらは、普通でしょう。大葉、かぼちゃ、人参、椎茸、さつまいもです。真ん中にドンと構えるのは、海老天。これは定番でしょう。そして驚きなのは、野菜の下に有るのは、蛸と烏賊、まさにイカタコ丼という感じでした。
実際は、白身魚の天ぷらが結構入っていたのですが、盛り方が変。魚の天ぷらの上に、イカとタコの天ぷらをたっぷりと載せているのです。確かに、食べる順番に並んでいると言えばそうなのですが。
そこで、再登場です。丁度、先々月、平戸豚カツ丼を頂いた報告の中で、前回の天丼の写真を紹介していました。同じ写真です。

2019年3月9日に頂いたイカタコ天丼の写真です。当時の記録に、「イカタコ天丼」と書いてありました。
今のメニューには、「平戸海鮮天丼セット」となっているのですが。今日、この日に駐車場からシーサイドカフェの屋根の付近を見ると「イカタコ天丼」の看板が出ていました。
2枚の写真を比べると、明らかに海老天は増えているのですが。その他も前より天ぷらの種類が増えている感じはします。前回も紹介しましたが、当時の記録を読むとこう書いていました。
「イカタコ天丼にしました。刺身は、なんとなくお酒が欲しくなるので、お昼には遠慮したかったのです。最初に食べたイカが凄く柔らかい。驚きで食べ進むと、最初に食べた天ぷらが白身魚だと気付きました。魚も入っているのなら海鮮天丼で良いと思うのですが、不思議な天丼です。」と。名称は変わっていますが、同じ海鮮天丼の様子ですね。
今回頂いた平戸海鮮天丼セットは、1,600円でした。前回、2019年に頂いた時の記録は、残していませんでした。海鮮丼の価格に変動から推測してみましょう。
現在の海鮮丼は、同じ1,600円です。2020年に海鮮丼を頂いた時の価格は、1,200円でした。イカタコ天丼を頂いた翌年ですが。多分、その程度の値段で頂いたと思われます。天丼に関しては、海老天が増えて良しかな。
おっとっと、この記事は食レポでした。
この平戸海鮮天丼は、食べ始めるとイカタコ天丼を感じるのは確か。イカとタコの天ぷらがたっぷりでした。中盤、食べ飽きた頃に出てくる白身魚の天ぷらが新鮮でとっても美味しく感じられました。何となく、本末転倒にも感じるのですが。事情を知って、交互に頂くと、とっても美味しい海鮮天丼でしょう。ご馳走様でした。
鄭成功記念館
平戸で生まれて、中国で成功した成功さんの話です。
平戸の川内かまぼこで有名な河内町にその成功の鍵が祀られていました。行ってきましたので紹介いたします。

時は1624年の頃。明国(今の中国)福建省の海商だった鄭芝龍が平戸に来て活躍。その鄭芝龍と平戸藩士の娘である田川マツとの間に生まれたのが福松です。
日本名は、幼名を取って田川福松とされていますが、父の国の名は、鄭森。森は諱です。ということで、私の棱山と同じあだ名として、鄭成功として活躍した方の物語です。
当時の中国は、明の時代。明の王朝に仕え、活躍した方なのですが。明が清に追われる頃、清に逆らって、活躍。最終的には、台湾で大成功を収めた方でした。
今でも中国や台湾で英雄と称えられて、福建省厦門市では、巨大像が台湾に向けて経っているとか。その鄭成功の分霊を収めたのが、この鄭成功分霊廟です。

この記念館には、丁寧に説明してくださる説明員の方がいらっしゃいます。鄭成功像の奥に、その分霊箱があると教えてくれました。
鄭成功は、中国大陸での活躍が長いのですが、台湾に入ったのが1660年頃。2年後に熱病に亡くなります。その間に、農業と貿易事業を推し進め、当時の原住民の生活改善に貢献したとか。
歴史を並べると興味深い。平戸にポルトガル船が入港と日本との交易が始まったのが1550年です。1561年に宮ノ前事件でポルトガル人が殺害され、交易港が横瀬港に移ります。1570年には、交易港は長崎に移りました。
その後、関ケ原の戦いの後、江戸幕府が始まる。それから20年余りが過ぎた頃から始まる物語でした。

鄭成功廟の右側に母子像があります。鄭成功は、7歳の時に両親と福建省に移り住んだといいます。丁度、平戸にいる時の姿を再現したのでしょうか。
この母子像の右側の建物は、鄭成功の資料館と記念品の売店となっています。
一家は、福建省に移り住んで、当時の王朝である明の軍人や政治家として活躍していた様なのですが。明が順に滅ぼされ、明王朝の皇族たちが亡命政権を作るなど、暫くは混乱の世だった様です。
そうして、清が勢力を増して、明の亡命政権と清の新政権の戦いとなった。興味深いのは、その清王朝は、中国の中華民国となり、中国全土の代表政権だった。しかし、中国共産党が中華人民共和国として台頭。中華民国は、台湾に追い遣られてしまうのです。この歴史の続きの部分ですね。
そんな中、父芝龍は清に寝返って、鄭成功は明政権への協力を続けることに。父とは、今生の別れとなったと説明されていました。
そうして、清の進軍に責められて、母マツは自害したとか。その後、鄭成功が清に反目し活躍したのは、母への思いだったかもしれません。
鄭成功には、弟が居て、田川七左衛門となって日本で活躍。資金面で、鄭成功を支えたとか。
Wikiによると、田川七左衛門の孫が9代目まで並んで鄭の名を名乗っていた。そして、10代目の孫が、1955年に福住の姓に改姓したとか。1955年は、私が生まれた年です。そんなに長い家系だったのですね。

特に意識して行った訳ではなかったのですが。ここでは七夕に因んで「鄭成功ランタンナイト七夕光の宴」が開催されていました。祭りは、7月4日から26日までの期間に開催されています。
流石に、遠い平戸の夜の宴には行けないので、雰囲気のみ楽しんできました。