
今年も咲きました 大輪のキャンディケイン
昨年の記事には、紹介を始めて4年目と書いていました。だから、5年目の紹介ですね。今年も綺麗に咲きました。

いわゆるアマリリスの品種で、特徴的な柄の花は、検索すると種類がすぐ出てきます。その前に、Wiki「ヒッペアストルム」に交雑種の一つとして「キャンディケイン」と紹介されています。
毎年説明しているのですが、アマリリスというと、ホンアマリリス属が本種です。しかし、過去にホンアマリリスと合わせて、アマリリス属に分類されていたので、ヒッペアストルム属の花にもアマリリスという名称が付いているとか。だから、今年からヒッペアストルムという名前で紹介することにします。
最初の頃から、大輪のアマリリスと言って紹介しているのですが。単体の写真だと大きさが分からないですね。私の手の平を一杯に広げた大きさです。定規で計ると約20cmです。
今回の写真では少し分かり難いですが、右上の花びらの上から覗いているのが、2輪目のキャンディケインです。昨年は、3輪が咲いたのですが、今年は2輪という感じです。

昨年から咲いているのを見つけて紹介している赤いヒッペアストルムです。ヒッペアストルムの中では、赤いものも多いのですが、その中でも特に特徴が強い赤です。
一般に、中心部に白色の模様が入ったものが多いです。まったく色が混じっていない赤は珍しい。それから花びらの形も特徴的です。キャンディケインと比較すると分かると思うのですが。反るのではなく、端が少し窄んだ様に曲がって尖っているのです。Wiki「ヒッペアストルム」の紹介種の中には、同じものは有りませんでした。
「ヒッペアストルム」で画像検索して、似た花を見つかるのですが、中々名前までは書いてありません。その中で、「レッドライオンかな?」と説明している記事がありました。
「ヒッペアストルム レッドライオン」で検索すると、大柄な花と出ていました。最初のキャンディケインは、20cm程度の花で大柄なのですが、こちらは15cm程度。大柄では無いのかな。よく分かりません。
改めて、この赤いアマリリスが何なのか。改めて考えると、ヒッペアストルムなのか、ホンアマリリスなのかという問題を思い付きました。
でも、簡単でした。ホンアマリリス属は、開花が夏を過ぎてからだそうです。だから、今咲いたら、ヒッペアストルムに間違い有りません。結局、種の名は不明ですね。残念。
沢山咲いた匂蕃茉莉の花
3年前に「枯れ木に咲いた匂蕃茉莉」と始めて紹介しました。それまで、単なる枯れ木と思っていた小さな木に花が咲いたと驚いた瞬間でした。
そして昨年は、「元気になった匂蕃茉莉」と報告しました。年々、元気さを増してきた花なのですが。

そうやって、観察を始めて3年目。こんなに沢山咲きました。
3年前の記事を見ると、「ナス目、ナス科、ブルンフェルシア属の花で、単にブルンフェルシアとも呼ばれているそうです。」と紹介していました。そこで不思議。「ブルンフェルシア」とはなんぞや。
検索してみると、いつもの様にgeminiが応えてくれました。16世紀のドイツの神学者であり、植物学者でもあったオットー・ブルンフェルス(Otto Brunfels)の名前に由来しているそうです。
何となく心地よい響きがある名前なのですが。人名だと聞くと、少し興ざめかな。
アマリリスも咲き始めたのですが、もう少しお待ち下さい。
今日は、かなり変わった植物をお見せします。

この鉢は、昨年、赤いノムラカエデの苗を植えた小さな鉢でした。いつしか、楓の苗も無くなって放置していた鉢なのですが。
不思議な葉が出てきました。さて何でしょう。
Googleレンズで検索したら、黒松の幼木だと出てきました。そうなんです。この鉢を置いている場所は、黒松の下。右下に見える赤いものは、黒松の雄花の残骸です。
実物は見たことはないのですが、松ぼっくりの間に挟まった種が落ちてきて、幼木となったの様です。よく見ると、近くに何本も出ていました。そうだ、育てて盆栽にしよう!

生まれて始めたての体験となった釘です。一見して、朽ち果てた釘と分かると思います。
昨日のこと、裏庭から前庭に続く通路を歩いていたら、右足に傷みが。思わず、踏み込みを止めたのですが。右足の裏に激痛が走りました。
足を上げて確認したら、靴の底に突き刺さっていました。急いで治療しました。右足の裏、丁度真ん中に穴が空いて、血が滲んでいました。
この錆を見る限り、普通に破傷風となってもおかしく有りません。若し、今後の報告が無くなったら、悲しんで下さい(笑)
流石にこの状況。オキシドールと尖ったピンセットで傷の中まで殺菌して処置しました。無事を祈っておいて下さい。
田ノ浦海水浴場とそこから見る渡唐大師像
今回の平戸紀行では、最初に寄った場所だったのですが。何となく、最後になりました。
平戸島は、北北東から南南西に細長い島で、だいたい31km程度の大きさです。一番北部に中心となる平戸市の市街地が有るのですが。さらに、その北部に4km程度飛び出した半島があります。
その半島は、いわば「田の浦半島」とも呼べるのですが。その呼び方は存在しない様子。田ノ浦半島は、香川県小豆島に有るらしいのですが。
なぜ、田の浦半島というと、その先端に有る温泉が田の浦温泉。そして、田ノ浦海水浴場があります。まだ、季節では有りませんが。

後ほど、パノラマで紹介しますが、平戸島の端に有るこじんまりした海水浴場なのですが。そこからの風景が面白い。以前紹介した記事も合わせて紹介しておきます。
2023年3月14日
渡唐大師像が見えます。渡唐大師とは、「唐の国に渡る弘法大師」という意味なのですが。弘法大師が、この田の浦から出発したという謂れに基づくものなのです。
弘法大師が出発前に杖で示した所に、温泉が湧き、田の浦温泉になった。それを記念して、(多分、後世に)大師像を建てた。その大師像は、杖で田の浦温泉を差している、そういう像です。

今回の紀行で訪れた所を全部パノラマにしましたが。ここも、気持ちが良い入江の砂浜です。
多分、平戸市街地から半島の突先まで行く場所なので、ある意味秘境かもしれません。
正面に見える島は、「度島」です。生月島の最北部にある大碆灯台の記事などでも話題にしました。
大碆灯台の正面に見える大きな島が的山大島、その右側が度島と紹介しました。ここに出てくる、大碆、的山、度の読み方は、全て難読でしょう。「おおばえ灯台」、「あづち大島」、「たく島」と読みます。
その「度島」をこんなに間近に見れる場所の紹介でした。平戸紀行はおしまい。。。
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パノラマなので、いつもの様にスライドして見れるページも作りました。「昇天岩」からご覧ください。
『平戸の田ノ浦海水浴場のパノラマと渡唐大師像』
平戸のど真ん中の根獅子海岸
キリシタン禁教令に拠って殉教した「おろくにん様」が処刑された浜としてカトリック教徒の聖地となっている根獅子海岸です。隠れキリシタンの歴史の場所でした。
鯛の鼻自然公園から酷道を降りてきた町を根獅子町と書いていましたが、獅子町の違いで訂正しました。その獅子町からさらに海岸に沿って3km程度進んで根獅子海岸に着きます。町名は、大石脇町となるのですが。町名については、後ほど説明します。

海岸の風景は、後ほどパノラマでも紹介しますが。狭い入り江となった湾となっているのですが、特別に根獅子湾とか獅子湾とかの名前は付いていない様子です。
後述の説明板の図と合わせると、写真左側の海面に見える岩が昇天岩の様です。それも、詳しくは後ほど。

根獅子海岸の全体が見える様にパノラマにしてみました。右側に特徴がある岩が並んでいます。そして、鳥居もあります。この辺りに、説明板が有ったので、最初はこの辺りが言い伝えがある場所かなと思っていました。
実際は、左側にある岩が昇天石で信仰の対象となっているそうです。
右側の岬の先も入江が有るですが、両方を合わせて大きな入江が有り、右に見える岬がその真ん中に飛び出して、双子の様な入江といった場所です。左手の浜辺が、夏には、根獅子海水浴場となる様です。
左側の岬部分には、水産工場があり、地図によると新根獅子漁港(根獅子地区)と説明されていました。根獅子湾は無いけど、根獅子地区として新根獅子漁港があるということの様です。

これが「おろくにん様」の事を説明する説明板です。この説明板とは別に、カラーの説明板も準備されているのですが。説明が少し異なっていました。両方を合わせて内容で説明します。
根獅子は、当時多数のキリシタンが住んでいたのですが、或る家庭に婿入りした方の告発で取り調べを受けました。その家庭の方は、周りのキリシタンを庇う為に、「キリシタンは私達一家だけである」と言って処刑された。
処刑されたのは6人。夫婦と娘3人に生まれたばかり赤ちゃんの6人だったということです。その時に処刑の場となったのが、今は「昇天岩」と呼ばれる、引き潮で現れる岩でした。
亡骸は、「ウシワキの森」に埋葬されたとか。ウシワキの森は、近くに有る現在の「平戸切支丹史料館」の近くです。
さて、町名と地名の話です。まず、鯛の鼻から降りて着いた町は、獅子町です。「しし」町と読みます。
そして、ここで紹介した海岸の根獅子海岸は、「ねしこ」海岸と読みます。最初は、何も考えずに「ねしし」と呼んだのですが。
根獅子海岸は、大石脇町にありますが。獅子町から進んで、大石脇町の次が根獅子町でした。先に紹介した新根獅子漁港の他、根獅子郵便局、根獅子公民館などが地図に載っていました。獅子町との関わりは、特に情報は見つかりませんでした。似ていて呼び方が違うというのが印象的ですね。
まあ、各町の名称はあるのですが、この地域を代表するのが「根獅子」ということのようです。
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ここもパノラマなので、いつもの様にスライドして見れるページも作りました。「昇天岩」からご覧ください。
『平戸の根獅子海岸のパノラマ』
平戸瀬戸市場の海鮮丼比較
平戸市に行った時の昼食で、また田平港にある平戸海鮮市場の「シーサイドカフェ」で頂いてきました。今年は2回目。さくっと過去を紐解くと、2019年から5回目の利用の様です。
そのミニで無い平戸海鮮丼なのですが、2回目以降は、量が多過ぎるとミニばかりにしていました。今回、遠来の男性家族が迷いもなく食べてくれました。だから、比較ができたという話です。

いきなりだと分かり難いかもしれませんので、まずはいつも食べているミニ海鮮丼から。海鮮丼に味噌汁と高菜漬けの様な漬物です。
ここで海鮮丼を頂くのは、例えば、スーパー・エレナなどで買って食べる刺し身とは、味が違うからです。何故でしょう。どちらも、佐世保近海で採れた魚なのですが。

これが、ミニで無い平戸海鮮丼です。少なくても、器が一回り大きくなっています。
ミニは、器が小さいので、刺し身が大きく見えるのですが。刺し身の数を数えてみました。ミニ海鮮丼が6枚、平戸海鮮丼が9枚の様に見えます。3種類の刺し身が2切れずつと3切れずつという感じですね。
その他、イカの刺し身にガリとわかめ。ご飯は、寿司ご飯に錦糸卵ときざみ海苔の様ですね。あ、私は今回食べていないのですが、ミニ丼でチラッと見えています。
長崎の定番の刺し身というとまず、イサキでしょう。それに真鯛にマグロというところですね。最初に、これまで5回程来ていると説明しましたが。価格が大きく変わっているので、それも話題にしましょう。
まず、平戸海鮮丼は、2020年には、1,200円で頂いていました。2024年に1,350円に値上がり。そして、今回は、1,600円です。6年間で3割位上の値上げですね。今年の2月からは変わっていませんでした。
ミニ海鮮丼は、2020年は食べていない様で、2024年が980円、今回は1,350円でした。2年しか経っていないのに、値上げ幅は大きく4割近くとなっています。それより、1,000円を超えたのが痛いかな。

私が頂いたのは、平戸豚カツ丼です。元々、卵とじのカツ丼は、大好きです。それでも、平戸に来たらと海鮮丼も選んでいたのですが。やっぱり、カツ丼が好きです。
平戸豚かどうかは、それほど口が肥えていないので、違いは分かりませんが。とにかく、美味しいカツ丼でした。
平戸豚カツ丼は、2年前に頂いていました。2024年は1,080円で、今回は1,200円でした。こちらは1割り程度ですね。
食べ応えがあって、海鮮丼より安いので、大満足でした。
2年前に配膳中の写真を撮ることができずに、待機中の配膳ロボットで紹介したのですが。今回は、配膳中の写真を撮ることができました。
お盆を取っているのが、冒頭に紹介した遠来の男性家族です。写真を撮ろうとしているのに、サッサと取ってしまいました。そういう写真しか撮れませんでした。
画面に見えている「4」が私達が座ったテーブルの番号。テーブル番号を確認して、取り終わったら、「完了」をタップして下さいという仕組みです。

ここ、平戸海鮮市場のシーサイドカフェには、平戸海峡に向いたテラスがあります。ここからの平戸大橋の写真は、度々紹介しているのですが、今回は、パノラマにしてみました。
左の端はシーサイドカフェで、今居るテラスの続きです。田平港の桟橋の向こう側に平戸大橋が見えています。真ん中の島が平戸島で、右側に平戸の市街地が見えています。一番右に平戸城も見えています。

さて、今回、過去に頂いた記事とかを見ながら作成したのですが。まだ、一度しか食べてことがない料理の写真が見つかりました。
2019年3月9日に頂いた海鮮天丼です。2018年6月にJターン帰郷したので、まだ1年も経っていない頃に頂いた料理です。海鮮丼に比較するとポリュームが一段と増していると思いませんか。
写真と共に、私のブログに記録されていたのですが。そこに書いていた文章が面白い。「イカタコ天丼にしました。刺身は、なんとなくお酒が欲しくなるので、お昼には遠慮したかったのです。最初に食べたイカが凄く柔らかい。驚きで食べ進むと、最初に食べた天ぷらが白身魚だと気付きました。魚も入っているのなら海鮮天丼で良いと思うのですが、不思議な天丼です。」と記録していました。
文章からすると、昔は、イカタコ丼と書かれていたようですね。7年も経つと、記憶も定かでありません。
当時の価格は、記録していなかったのですが。現在は、「平戸海鮮天丼セット」として、1,600円となっていました。ミニで無いメインの料理は、1,600円均一なのかな。
今日報告した、平戸海鮮丼、ミニ海鮮丼、平戸豚カツ丼は、全て、平戸海鮮丼セットと言うように、セットを付けてお品書きされています。セットなら、最低でも小鉢の1つ位は欲しいものですね。過去を遡っても、同じ様なセットでした。
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今回もパノラマを載せましたので、スライドして見れるページも作りました。
『平戸大橋と平戸海峡のパノラマ』
安満岳を目指して鯛の鼻自然公園
平戸島でまた冒険して来ました。平戸島で一番高い安満岳。標高514.1mの山です。登山するつもりはなかったのですが、山頂にかなり近いところに、登山口駐車場があると分かったので、行ってみたのですが。
その話は、少し後回しにして、その駐車場の先に有る「鯛の鼻自然公園」のパノラマから報告します。

パノラマの前に、五島の方向を眺めた写真です。左側は、平戸島の南部の陸地です。その平戸島南部の前に五島の北部が見えるかも知れないシーンです。
新上五島町の一番大きな島が中之島。中之島の北部は、細く突き出しているのですが。その部分から、小値賀、佐世保市の宇久島が見えているかも知れない写真です。殆どコントラストは有りませんが、少し濃い色で島がうっすら見えます。

展望台の範囲を撮影してパノラマにしました。右側の島は、生月島です。五島と生月島の間は、韓国となりますが、まあ見えません。

何で安満岳を目指して鯛の鼻自然公園に行ったかの説明地図です。Googleマップから引用させて頂きました。安満岳山頂のすぐ南側に登山口駐車場があります。ここまで来ると登山の糸口が分かるかなと。
そこから分かれ道が有って、鯛の鼻自然公園に着くのですが、この分かれ道もポイントとなります。
鯛の鼻とは、その山形が鯛の鼻に似ているとの説明がでています。しかし、鯛の鼻という写真は、結構探したのですが、見つかりませんでした。
地図では「鯛の鼻」となっているのですが、地理院の資料では、ただ単に「鯛の鼻」と書いてあります。山とか岳では無いという意味です。平戸観光協会の説明では、「安満岳から南へ伸びた尾根の突端一帯を鯛の鼻といい」と説明されていました。つまり、鯛の鼻自然公園から鯛の鼻と書かれた辺りの地形が「鯛の鼻」なのかな。

安満岳登山口駐車場は、写真は撮らなかったので、ドライブレコーダーの映像から取り出した写真で説明します。ご覧の通りに結構広い駐車場となっています。
右側に有る簡易トイレの後ろに登山路が続いていました。道の両側に石が敷かれたきれいな道です。そして、100m程度を歩いてみたのですが、平坦な道でした。地理院の地図で見ると、山頂まで70m程度の高低差はある様ですが。200m程度の距離は、丘の横を進むので平らな道の様です。

地図で示した酷道入口です。真っ直ぐ行くと安満岳登山口駐車場に着きます。鯛の鼻自然公園から戻っている時の写真です。ご覧の通りに、道が有るようには見えません。
右に曲がった所に「落石の恐れがあるため、大雨時通行規制あり」の看板が立っていました。幸いにも通れないところはありませんでした。でも、落石、落木と悍ましい光景を眺めながら、何とか獅子町まで降りることができました。
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パノラマなので、いつもの様にスライドして見れるページも作りました。
『平戸の鯛の鼻自然公園からのパノラマ』
佐世保市街地の名勝
とりあえず、巌谷宮と福石山を紹介しました。佐世保市には、あと6箇所の平戸八景があるのですが、繁華街ではここまで。
続いて、いくつかを紹介します。まずは、旧日本海軍墓地です。福石山の南側に小高い山があります。崎辺半島の真ん中に有る天神山です。135.6mでそれほど高くは無いのですが。山頂の天神公園を除いて、住宅がびっしりの山です。その北側斜面に、沿ってあるのが旧海軍墓地です。

写真は、航空母艦雲龍の戦没者の為に建てられた慰霊碑です。
旧海軍墓地では、毎年、戦没者の慰霊祭が執り行われています。だから、海軍墓地と言うのですが。正式な公園名は、「東公園」です。もう一つ、この地の東山町を取って「東山公園」という呼び名もあります。面白いでしょう。もう少し、慰霊碑を紹介しましょう。

江風、海風、山風、涼風の四駆逐艦の乗員の慰霊碑でしょう。この様に、艦隊をまとめての慰霊碑も沢山あります。
それぞれがとても大きな慰霊碑なのです。図ってはいませんが、高さ4m位の慰霊碑です。縦長のものもあります。数えていませんが、大きな慰霊碑だけでも100は下らないかも知れません。

入口の駐車場近くに建てられた東郷平八郎元帥の像です。後ほど、山本五十六もでてきますが、ここでは、一番の顔ですね。

西九州自動車道の佐世保中央インターチェンジのすぐ近くにあるのが、佐世保史料館「セイルタワー」です。日本海軍の遺産を継承する施設としてできた佐世保水交社の跡地にできた資料館です。7階建てで、特徴が有るビルで有名です。
日本海軍の資料から自衛隊の資料まで、いろいろと展示されています。ここでは、山本五十六提督の話題は沢山展示されていました。AIのGeminiは、「東郷平八郎(日露戦争)と山本五十六(太平洋戦争)」と紹介していました。アレッ!なんだか逆かな?

セイルタワーの展示資料の殆どは、撮影禁止で資料の写真は紹介はできないのですが。軍艦の模型が並べられていました。これだけ並ぶと凄いと思いませんか。
ただ、窓を背にしているので、窓の光が反射して残念。

同様に、戦闘機などの飛行機も展示されていました。飛んでいる様な展示が面白い。
でも、もっと落ち着いて撮れば良かった。なんだかピンボケ。ごめんなさい。

セイルタワーの入口の横に置かれた護衛艦くらまの錨です。実物が見れるという意味で凄いのですが。ただ、それだけの写真です。

旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館です。ゆっくりと一つずつ紹介したかったのですが、次の話題が詰まっているので、まとめて紹介しました。セイルタワーの前には大きな道路を挟んで大きな佐世保消防局が有るのですが、セイルタワーから見て、佐世保消防局の左手に有る大きな建物です。
第一次世界大戦で海軍佐世保鎮守府に所属する艦艇が連合国側に属して地中海等で戦い、活躍したことを記念して建てられたものであると解説されています。
1階はホールとなっているのですが、2階が回廊となっていて、いろいろな資料が並んでいます。旧海軍墓地とセイルタワーが旧日本軍と自衛隊に関するものなのですが。ここは、どちらかというと佐世保市の歴史。日本軍の鎮守府が出来て、水が必要だから水源地を作ったとか。結局は、佐世保の町なので、軍隊に繋がるのですが、市制の歴史です。
現在は、「佐世保市民文化ホール」として利用されています。丁度訪問した日は、1階のホールは音楽演奏で貸し出されていて、公演前の準備をしていました。
佐世保市街地の観光旅行として、半日で回れる範囲の名勝を紹介しました。まあ、日本各地でも、同様に色々な名勝はあると思いますが。肥前国の歴史から第二次世界大戦の要衝の佐世保市として紹介しました。
是非、観光で実際に見てお楽しみ頂きたく、ご来佐を楽しみにしています。
平戸八景 福石山
巌谷宮の次は、福石山。佐世保市市街地にある平戸八景の一つです。
佐世保市市街地のど真ん中の巌谷宮から南方、佐世保市市街地の南部の境界点という感じの場所です。まだまだ繁華街の内。

御橋観音の記事でも紹介したのですが。福石山は、8世紀初め頃、高僧の行基が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流された。その内の一体が御橋観音となった。そして、別の一体が福石観音となったのです。
巌谷宮と同じ、海食洞とされているので、洞窟もある様ですが、洞窟はあまり話題となりません。平戸八景としては、行基が作った観音像が祀られているのが由来ということでしょう。平戸八景の中では、御橋観音の石橋と福石観音の福石山の2つが、観音堂です。
その行基が敬刻した観音像は、十一面観音で、九州七観音と一つとされているとか。
御橋観音では、平戸八景の説明板は無いのですが。ここ、福石観音では、説明板があり、行基の観音像も説明されています。

福石観音堂から西に120m程度。険しい階段を昇り降りするのですが。五百羅漢があります。9世紀の頃、弘法大師の空海が福石観音を訪れた時に、行基を追慕して安置したと言われている五百羅漢です。

500あるかどうかというより、当時の後にいくつかが安置されたという様な感じがある羅漢像もあります。そして、その多くは、欠けたりして、完全なものは少ないです。
入口には、「史跡 五百羅漢窟(平戸八景の一つ)」という看板が出ていたのですが。ここの五百羅漢が平戸八景の一つというのは、かなり無理があると思います。
上記の説明の通りに、行基が敬刻した観音像が有って、福石観音となり、平戸八景の一つとなった。そこに、弘法大師が五百羅漢を安置したというストーリーに見えるのですが。
弘法大師が五百羅漢を安置したのが9世紀。平戸八景が定められたのが1847年。結構離れているので、一体のものに見えないのですが。真相は如何に?
平戸八景 巌谷宮
さてさて、佐世保市街地の観光旅行の始まりです。名古屋から家族が来たので、案内して回りました。
元観光マイスターの知識は薄れましたが、場所と名勝は、未だ詳しい。
最初に佐世保市高梨町にある「巌谷宮」です。「岩屋宮」とも書きます。簡単に言うと、「須佐神社」です。追って、解説します。

佐世保市は、港近くが繁華なのですが、市街地全体で真ん中あたりに位置する高梨町。丁度、烏帽子岳に登る斜面が始まり、坂が多い町なのですが。その地の小高い丘の上に、須佐神社があります。
実は、高梨町の隣が須佐町です。須佐之男尊を祀っているので須佐神社なのですが。須佐町にはありません。高梨町も須佐町も、この辺りが一番平地で、烏帽子岳の中腹まで続く、細長い町です。
階段を登り上がった右側に、巨木があり、案内板も出ていたのですが、私はあまり興味はありませんので、殆ど、見ませんでした。ネットで調べると、樹齢400年の槇の木の御神木だとか。

巌谷宮は、この須佐神社で塞がれた海食洞です。全長20mと解説はありますが、伊万里まで続いているという言い伝えがあるらしい。
もう一つの名前が「穴妙見」というのですが。巌谷宮は、現在の様子を表している感じがします。「妙見」を調べると仏教で妙見信仰として祀られたもの。何となく、本来の名称という感じかな。
戦前は、神域として侵入を憚れたのですが。太平洋戦争の空襲で家を失った方々が住み着いたりした。そんなこんなで、1955年に、洞窟を塞ぐように拝殿が作られた。これが須佐神社かな。また、出てきた。私の誕生年です。
という事で、この写真が巌谷宮という訳では有りません。巌谷宮の前に建てられた拝殿というだけの写真です。この壁の先に巌谷宮が有るのです。
元々有った須佐神社を移設したのか、新たに出来た神社かは、調べても出てきませんでした。ただ、平戸八景が定められた弘化4年(1847年)には、巌谷宮(穴妙見)とだけ記載されているらしい。

一応、須佐神社の拝殿も紹介しておきます。ちょっとピントが甘いとか画角が今ひとつは、ご容赦下さい。こんな感じの拝殿が有ります。小さな神社です。

最後に、拝殿前から覗いた風景を紹介しておきます。
住宅街に有る須佐神社なのですが。何となく、森林の神社という感じでしょうか。つづく。
ファミリーレストラン「はしもと」で昼食
花のハッピーテラスの報告は終わりましたが。見終わったのは、丁度お昼時。
花のハッピーテラスが有る形上湾は、南北6km程度の湾なのですが、この辺りは食事処はあまりありません。ネットで検索して、少し佐世保側に有る、和風レストラン「はしもと」で食べることにしました。
「はしもと」は、ビジネスホテル「はしもと」に併設のファミリーレストランです。
食べログなどの評価は、まあまあでした。

私は、大好きな鶏南蛮定食を選びました。食べログでも、美味しいとの評価でした。
食べた感想は、申し分ない「鶏南蛮」でした。ご飯の量に比べると、鶏南蛮の量が少し多いのですが、私が大好きな鶏南蛮なので、とっても美味しくいただきました。
見て、気付きましたか。特に、長崎では、鶏南蛮というと「タルタルソース」が掛かった鶏南蛮が普通です。ここの鶏南蛮は、タルタルソースは掛かっていません。
私は、タルタルソースは好きですが。タルタルソースが掛かっていない鶏南蛮がやっぱり正統派だと思います。美味しく頂きました。

この日は、4人で訪問したのですが、連れの一人が食べたランチメニューです。「きのことベーコンのトマトソーススパゲッティ」だと思います。スパゲッティ、サラダ、飲み物と、何故だかトーストしたフランスパン。何でしょうね。このフランスパンは、バターもジャムも付いていません。これで、1,300円程度のランチです。
精算は、クレジットカードで支払ったのですが、レシートはクレジットカード売上票のみ。メニュー精算レシートが無いので、メニュー名とか金額は、分かりません。結果的に、食べログで調べながら記事にしました。
後ほど、店舗写真でも説明しますが、頂いた「はしもと」は、和風レストランでファミリーレストラン。決してイタリアンレストランではありません。
しかし、メニューの中心に有る「ランチメニュー」は、全てがスパゲッティでした。連れが頂いたこのスパゲッティは、お世辞にも美味しいとは言えなかったとか。

右側にビジネスホテルの建物があります。写真の正面の入口から入って、左側に食堂があります。そう、レストランというより、食堂です。
錆が出ていると分かる柱とか、何となくいい加減な車の接触防止カバー。調べた評判を考えなければ、何となく敬遠したかな?

ホテルは殆ど写っていませんが、レストラン「はしもと」の左側は、ペペローネというイタリアンレストランです。最初は、こちらが「はしもと」かと思って向かいましたが、別のお店でした。
もちろん、ペペローネでは頂いていないのですが、何となく分かりますよね。
イタリアンレストランが隣に有る和風レストランのメインメニューがスパゲッティというのです。このアンバランス感を最初に気付いていれば、別の選択肢も有ったのかも知れません。
しかし、この地域のグルメ情報は、乏しい。致し方がないかな。
総評として、このお店は、カツ丼などの和食は、普通に美味しいと思われます。隣のイタリアンレストランも一緒かも知れませんが。和食以外の料理は、避けたほうが良いかも知れません。
私は、ご馳走様でした。

