佐世保の渇水状況 江永ダム
今月の初めに「佐世保市に雨が降った!」と報告しました。58日間に1日、しかも少量の雨しか降っていない中。少し纏まった雨が降った日の報告でした。
そんな中、昨日9月26日に、かなりの雨が降ったのですが。丁度、鬼木の棚田まつりで案山子を見た後、また、佐世保市江永町の江永ダムに寄って水位を見ていました。9月22日の撮影です。実に、90日間雨が殆ど降っていない状況でした。

9月4日に佐世保市南部水系で「一次減圧給水制限」が発令されました。南部水系の水源は、下ノ原水源地です。地名としては、早岐地区なのですが、広田町の山の中、下の原町に有る水源地です。ここの水が干上がっている状況です。
江永ダムは、洪水調節機能のダムで、水道用には使われていません。流れ出る水は、小森川を通って早岐瀬戸に流れ込んでいます。でも、その流域は、下ノ原ダムの直ぐ近くを通っています。地図で見ると、水域の最短距離が約100mでした。かなり近いでしょう。しかも、水量調節の下ノ原ダムで小森川に繋がっているのです。ダムの堤高は、約30mとされているのですが。
下ノ原水源地には、大きな川は流れ込んでいません。また近くに、他の水源地もありません。佐世保市水道局の説明では、南部水系の浄水場である、広田浄水場は下ノ原水源地の直ぐ下流に有り、下ノ原水源地の他、川棚川から汲み上げているそうです。
下ノ原水源地と川棚川の一番近いところで、距離は約4.4kmでした。しかも、その間には、二ツ岳公園の記事で説明した二ツ岳と弘法岳が標高380m程度の山脈となって阻んでいます。どうやって、汲み上げているのでしょうね?
少し脱線しましたが、給水制限と江永ダムの関係性が面白いので、少し突っ込んでみました。

今年の3月に入って、2月22日の状況を報告していました。この時は、2月13日から殆ど雨が降っていない状況と報告しています。元々、雨が少ない時期なので、9日間でもこんなに干上がっていたのですね。
でも、この時と殆ど同じ状況というのが面白いですね。季節的に森の木々が違いますが、ダム湖の水位の形が殆ど同じでした。
偶々、同じ22日の撮影で、2月は9日間、9月は90日間の干上がりが同じというのも面白いですね。季節の違いが、変わった形で感じられました。
昨日、降雨量は40mmと報告したのですが。夜中に結構強い雨となって、アメダスでは、合計101mmの雨となっていました。今日行くと、結構溜まっているとは思うのですが。行く予定は無いので、干上がった状況のみで報告します。
我が家の彼岸花
毎年、我が家の庭を賑わしてくれる花、彼岸花が咲いています。
真っ赤な彼岸花が終わりを告げているので、最後の1輪を慌てて撮影しました。

彼岸花らしい彼岸花。曼珠沙華。数か所に咲いてくれるのですが、最後に残った一輪です。咲いたと思ったら、細って何となく寂しい姿となっていたのですが。この花は全開。綺麗に咲いていました。右側に少し見えているのも彼岸花ですが、細って枯れ掛かっていました。
真ん中に花びらがあり、ヒゲが伸びたような形の花なのですが。実際は、6弁の花が放射状に咲いて固まっているのが花びらに見えています。撮れた写真の彼岸花は、6輪の花が付いているようですね。

少し離れた所に黄色く咲いているのが鍾馗水仙です。彼岸花より遅れて咲いたのですが、丁度、満開が近づいてします。
鍾馗水仙も、彼岸花と同じヒガンバナ属なのですが、似て非なる形が特徴的です。色も黄色なのですが、6弁の花が独立して咲いているように見えます。

今年の鍾馗水仙は、固まって咲き始めました。ご覧の通りに、蕾もまだ残っています。
Wiki「ショウキスイセン」には、面白い記述が。「ヒガンバナに似た形の黄色い花を輪生させる」と。同じヒガンバナ属の花なのですが。種が違う事を物語っているのですね。
改めてwikiを見ると、不思議な説明となっていました。「別名のショウキラン(鍾馗蘭)はラン科ショウキラン属の多年生草本の和名でもある」と。そのまま読むと、「ショウキランはショウキズイセンの別名」と読めるのですが。鍾馗蘭は、別の花です。
「誤ってショウキランと呼ばれることも有る」という意味かな。
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撮影した翌日。今朝から、結構な雨が降っています。雨が振らない佐世保に雨が降ったと2度報告したのですが。特に、佐世保市南部の水系が水不足で減圧給水制限となっていました。
佐世保市内のアメダスの数値を見る限り、今年の夏は2回報告した降水の他は、1mm程度の雨しか降らなかったのですが。今朝の未明から、合計で40mmの雨が降っています。まだ降り続いています。
水害で大変な地方には、お見舞い申し上げますが。佐世保市は、水飢饉から逃れられる恵みの雨でした。
鬼木棚田の山の上展望所からの眺め
波佐見町鬼木郷の棚田まつりは、案山子がメインイベントなのですが。稲穂が収穫期を迎えつつ有る時期の棚田。一番高い山の上展望所から眺めてみました。
写真3枚分くらいのパノラマにしてみました。

案山子が並ぶ通りは、右側の彼岸花が咲いている場所の崖の向こう側で見えません。
稲穂が生い茂った棚田が綺麗に見えています。案山子の記事で、ここには茶畑も有ると紹介しましたが、手前と右端が茶畑です。

遠いと分かり難いので、案山子を見ながら撮った稲穂の状況です。まさに収穫時期を迎えているようです。お祭りが終わってから収穫かな。
こんなに生った稲穂を鳥から守るのが案山子の役割。だから、この時期に案山子のお祭りだと考えればよく分かるのですが。実際には、田んぼの近くに案山子が立っていないので、まったく話題作りのお祭りということがよく分かります。

ここに彼岸花が咲いているのは知っていたのですが、ここ、山の上展望台では、近くに群生は見れませんでした。パノラマに写った群生を少しアップで撮りました。
やっぱり、もっと近付かないと今一つかな。

パノラマの左側の風景となります。丁度、車が走っている道が外周道路で、この道を上って、山の上展望台に来ることができます。道沿いは、近くの田んぼの周りにも、ご覧の通りに彼岸花が咲いています。
この外周道路は、殆どが狭い道。車がすれ違うことは殆どできません。だから、写っている車の方向で走らないといけないのですが。時々、知らない客が逆走。結構大変ですよ。そんな車が居ると。
波佐見町鬼木棚田まつりの案山子
長崎県東彼杵郡波佐見町。波佐見焼で最近話題の町なのですが、この時期、波佐見町鬼木郷の棚田まつりが話題です。
鬼木棚田まつりのメインイベントは、案山子。鬼木棚田まつりは、9月23日の開催でしたが、都合で前日に行ってきました。もう案山子は全開。いろいろと楽しんできました。

ここの案山子は、風刺が効いた案山子が有名なのですが。まずは、現実の風景と間違えるような案山子を3点。
最初は、爺ちゃんと婆ちゃん。思わず、「お元気ですか?」と声を掛けたくなります。

乳母車を押している老婆。イメージを頭の中で切り取ると、本当におばあちゃん、大丈夫?って思ってしまいます。
足元に重石が置いているのが愛嬌ですね。この所、風が強かったので。

次は、じいちゃんがひ孫をおんぶしたりして、楽しいひと時です。看板が入ると、ぐっと現実に戻ってしまいますね。
波佐見町は、陶器の町で有名です。佐世保を含めて、有田、三川内、波佐見は陶器の名産地なのですが、波佐見は一番実用的な陶器の町。しかし、鬼木は、陶器ではなく、お茶の産地です。棚田は、稲作なのですが、茶畑も並んでいます。その辺りは次回。
因みに、鬼木で買っている茶園は、自家のお茶は、彼杵茶だと言っていました。地理的には、嬉野と同じくらいの距離なのですが。
ここからは、風刺というか、最近の話題の人たちを連続で紹介します。

最近、婚約を発表した三浦璃来と木原龍一の演技ですね。璃来龍ペアと呼ばれています。正式には「りくりゅうペア」と書くらしいのですが。なかなか、本物に似ています(笑)。

次は定番の大谷選手。最近は、不調に悩んでいるようですが。話題は尽きません。

話題の人の最後は、高市総理。中国とのやり取りでは、鉄人の高市に徹している様子。
安倍総理の元では、なんとなく好きではなかったのですが。最近の活躍には、期待しています。頑張ってください。

最後に全体像として、構造改善センターの前の通りを少し遠景で。
鬼木棚田まつりの特設駐車場から歩き始めると、最初にあるのが構造改善センターです。この程度の町だと、公民館みたいなものだと思います。案山子は、その前の道に沿って沢山並んでいました。流石に、シルバーウィークの最中。大勢の客で賑わっていました。
Webサーバのマザーボード交換では、続きの話があるのですが。旬の話題を先に報告しました。
Webサーバのマザーボード交換
9月16日の記事で、予告したのですが。当家のWebサーバが、酷い時には、1時間に3回もダウンして、再起動しないと使えない状態となってしまいました。改めて作り直したいところなのですが、最新のCPUで揃えると、最低でも3万円は掛かると分かったので困っていました。

当家では、自宅にWebサーバを設置し、私の「セリオスの部屋」と言うホームページを公開しています。最近、「セリオスの部屋」としては、終息方向と決めて、ブログ更新は止めています。
でも、このサーバは、Web公開の機能の他、私の部屋の音楽も鳴らしています。だから、とりあえず、無くなると困るサーバでした。
今使っているCPUは、インテルの第4世代のものです。最新のものは第14世代なので、いかに古いCPUか分かると思います。買ったのは12年位前でした。でも多分、CPUは健在で、故障しているのはマザーボード。
実は、今年の7月6日の記事で、中古のマザーを買ったら、壊れたマザーが届いたと報告しています。だから、中古品は懲りごりだっのですが。このCPUが使えるマザーボードを新品で探してみたら有りました。
ブランド名にメイドイドウと記載されています。中国深センの会社らしいのですが、検索してもどういうメーカーが分からない。
そこで、AIのgemini登場です。確かにお勧めではないが、古いCPUの活用なら有効でしょうと。
この商品サイトは、記事作成の為にキャプチャーしたものです。購入した時は、5,509円でした。五千円程度で延命できるならという事で購入を決めました。
ところがどっこい。到着して組み立てようとしたら、難点が。マニュアルが付いていない。ネットで検索しても、マニュアルは出てこない。

パソコンのケースの接続ケーブルをいろいろと接続しないといけません。一応、プリント基盤の刻印でコネクタの場所と用途は分かったのですが。
問題は、左上に有る、F-PANELというコネクタです。フロントパネルを繋ぐコネクタなのですが。ここに、電源スイッチ、電源LED、リセットスイッチ、ハードディスクの動作LEDと4ペアのコネクタを繋ぐ必要があります。その説明は何処にもないのです。
そこで再度登場したのが、geminiです。一般的な配置を教えてくれました。それと、私が待っているMSI社製とASUS社製のマニュアルを比較しました。すると、2種類のLEDのコネクタの位置が逆。ただ、プラス/マスナスは一致している。同じLEDなので、違ったら入れ替えるだけでOKということまで分かりました。
結果として、geminiが説明してくれた一般的な配置でOKでした。

マザーボードの規格はいろいろあります。元々、このケースに入っていたものは、ATXといって、普通に一番大きい規格のものです。その小さいのが、mini-ATXです。そして、このマザーボードは、一番小さい規格のMini-ITXというタイプでした。
一辺の長さが17cmというサイズなので、私の手のひらを広げた程度のマザーでした。取り付けると、取り付けるエリアの1/4という感じの小ささでした。
問題は、ファンの電源です。ケースの左上は電源ユニットで、電源ユニットのファンは自身で準備するのですが。左に1個、右側に2個と、3個のファンが付いています。しかし、このマザーボードのファン電源の接続端子は、CPU用以外に1つだけです。
でも、一目瞭然でしょう。マザーボードの大きさが、右上のファンと同じ大きさで、丁度、マザーを覆う様な位置です。右上のファンの1台で間に合うことは間違いなし。

さて、電源投入です。一般的に、マザーとかCPUを別の機種に変更すると、BIOSの画面が出てきて、設定をして動き始めるのですが、このマザーは、何もせずに立ち上がってきました。接続も設定も問題なしということです。
画面は、電源を入れ直ししてBIOSの画面を開いたところです。昔懐かしい画面です。富士通が専用のパソコンであるTOWNSから、FM-Vという標準型のパソコンに変わった最初の頃の画面とそっくりです。西暦2000年より前のことです。何も、設定することは有りませんでした。無事に、今までの正常な状態に戻りました。めでたし、目出度し!
膨大なデータを喪失した、その果
最近の出来事の中で、大きなものとして、ハードディスクの大量のデータが喪失した話からしましょう。
内容的には、かなり技術的に特化した話題です。でも、パソコンのデータを大量に持っている方は、参考となるかも知れません。特に、ハードディスクの故障で苦労した方とか。興味が無い方は、読み飛ばしてください。
技術的な話なので、図画、写真の説明は少ないです。悪しからず。

この画面は、今回のトラブルの原因となったRAIDができるハードディスクケースです。は、置いといて。興味を持って読み始めた方は、分かりきっていると思いますが、まずは初歩から。
RAIDとは、主にハードディスクやSSDのデータの保存の信頼度を上げる仕組み。簡単に言うと、ハードディスクが壊れても、保存していたデータを復元できる仕組みです。
RAIDは、その機能から、RAID0、RAID1、RAID2、RAID3、RAID4、RAID5、RAID01、RAID10と色々な仕組みがあります。でも一般的に高信頼度の為に使用されるのが、RAID1です。2台のハードディスクを備えて、書き込む時に、同じ内容を両方に記録する方法です。
1台が故障したら、正常な方から、エラーした部分をコピーして修復します。一般に、リビルトと呼ばれています。再構築の英語なのですが。一般に、壊れた部分のみの修復という動作はせず、ドライブ全体をコビーして修復します。私が使っているハードディスクは、6TBのサイズなのですが、取扱説明書では、3TBの修復に8時間程度掛かると説明されていました。
ここで言う故障は、少し説明が必要でしょう。故障は、2つのレベルがあります。読み書きのエラーをしたのだが、再試行で成功した。この場合、書き込みでエラーしたら、リビルトが始まります。
読み書きをエラーした後、そのエラーが継続したら、そのハードディスクの恒久的なエラーです。その場合は、リビルトはせずに、ハードディスクの交換が必要と表示してくれます。今回は、その対象ではありませんでした。
両方が壊れるはずがない
パソコンを本格的に使い始めて、多分30年近くとなります。私の経験で、故障となって交換したハードディスクは、1本のみです。数えていませんが、多分、50本位を30年間使ったという経験の中です。
RAID1のハードディスクでリビルトが起きるのは、そういう故障ではなく、一時的にデータがエラーしたというものなのですが、それは、経験した記憶がありませんでした。ただ、今回のハードディスクケースでは、数回、起きていたのは認識していました。でも、そういうエラーが起きても、絶対に、2本のハードディスクのデータが喪失する可能性はありません。その点を説明します。
普通にデータを書き込むときは、2台に同時に同じ内容を書き込みます。読み出す時は、片方から読み出すのですが。読み書きする時に、両方のハードディスクのデータを照合して、データエラーがないかを確認します。そうやって、データエラーが認識されたら、リビルトの動作を開始します。正常な方のハードディスクからデータを読み込んで、エラーのハードディスクに書き込む。まあ、当たり前の動作なのですが。
だから、正常なハードディスクは、読み込むだけの動作しかしません。つまり、この時に、正常なハードディスクは、例えば、突然の電源断が起きたとしても、壊れることはないのです。両方のハードディスクのデータが無くなった事が、いかに異常な事か分かるかと思います。
データを復旧できた仕組み
今回の出来事は、技術的には異常な出来事なのですが、当然ながら、起きると困るので、対策をしていました。だから、必要なデータは全て復旧できました。その仕組みも紹介しておきます。大事なデータを温存したい方は必見かも。
話はとても簡単です。メインのデータは、RAID1で2重化して保存。さらに、それをバックアップする。バックアップもRAID1で2重化です。メインのデータをバックアップにセッセとコピーする。簡単と言えば簡単なのですが。全部のデータを更の状態からコピーすると10時間以上の時間が掛かります。だから簡単ではありません。
例えば、メールの様に逐次書き換わるデータは、毎晩、決まった時刻にコピーする。保存しているデータは、書き換えた時にコピーする。その他は、月に3回程度のタイミングでコピーするという感じでバックアップしていました。
ということで、膨大なデーターの喪失は免れました。30年の経験が生かされたということなのですが。それにしても、RAID仕様を謳っているハードディスクの信頼度とは困ったものです。
因みに、この商品の説明にはこう書かれていました。「RAID1(ミラーリング)はデータの安全性を確保するための機能ですが、100%のデータ保証をするものではありません。万が一に備え、重要なデータは別媒体へのバックアップをお勧めします。」なるほど。
引用した商品のページに、「販売終了」と書かれています。実は、購入して間も無く、新しい後継機に変わっていたようです。もしかしたら、バグを修正して設計し直ししていたのかもしれませんね。若し、そうだとしたら、恐ろしい話なのですが。
変わった昆虫たち
しばらく投稿が止まっていました。その間、かなり大変なことが起きました。まず、私は、撮った写真とか、ホームページのデータだとか、色々な情報を1.3TB保存していまのす。1.3TBとは、1,300GBです。良く耳にする単位だと、1,300,000MBとなります。膨大なデータなので、RAIDという二重化ハードディスクに保存していました。ところが、一瞬にして両方のハードディスクのデータが消えたのです。
そして、時々話題にしているWebサーバです。調子が悪いと説明していたのですが。なんと、酷い時は、1時間に3回もダウンする状況に。公開しているセリオスの部屋も大変なのですが、私が好きな音楽再生にも使っているので、困った状況でした。でも、その話は長くなるので、先に身近な話題から。
朝から、庭で木々の合間に蜘蛛の巣が煩いと、蜘蛛の巣取りをしていたのですが。
先日紹介したルリマツリの上を蜘蛛の糸が伸びていました。払おうとした瞬間、変わった蜘蛛を見つけました。

5mm程度の小さな蜘蛛のなのですが、真っ白なので直ぐに気付きました。ただ、5mm程度の小ささです。写真撮影に苦労しました。蜘蛛の糸にピントは合っているのですが、蜘蛛が少しぼやけています。でも、だいたいの形は分かるかと思います。
いつもの様に、googleの画像検索に掛けると「カニグモ」と出てきました。カニグモで検索すると、普通の茶色の蜘蛛が色々と出てきますが、真っ白はいませんでした。
そこで「カニグモ 白」で検索したら出てきました。カニグモ科アヅチグモ属の蜘蛛でした。「時に珍しがられるのですが、それほど珍しいわけでは無い」との説明でした。普通の蜘蛛?カニグモの一種なので、蟹の甲羅に似た体に頭と足が付いている。歩き方も、蟹に似て、横歩きするとか。
面白いのは、名前です。Wikiによると、アヅチグモが正式名称なのですが、良く「アズチグモ」と表記されるとか。漢字名称が「安土蜘蛛」と書くので、アヅチグモが正解だそうです。
何枚か写真は撮ったのですが、なかなか難しい。一番、それらしい写真で紹介しました。
続きは、夜、夕食の後でした。テレビでニュースを見ていた時に、足にモゾモゾとするものが。

指で摘んだら小さな蟻でした。でも不思議。指で強く摘んでも動き回る。ティッシュで摘んで、指で押しつぶそうとしても動き回る。
結果的に、ティッシュの上から爪で押して、何とか動きを止めました。なんという種類かを調べるために、原型を残して死んでもらいました。
これも、googleのお世話になります。まず、画像のみで出てきたのが「アリの一種(ヒアリやアカカミアリ、あるいはオオズアリなどの類似種)の姿に似ています」でした。エッ!ヒアリだと大変です。
説明してくれたのは、AIのGeminiです。こう、付け加えてくれていました。「このアリを見つけた場所や、おおよその大きさを教えていただけますか?」と。
家の中だと説明したら、3つの種類を説明してくれました。回答の主な部分をそのまま紹介します。
1.アシナガアリの仲間(在来種・可能性:高)、2.イエヒメアリ(在来種・可能性:中)、3.オオズアリの仲間(在来種・可能性:中)。
大きさは説明していなかったのですが、どれも3mmから8mm程度の小さな蟻でした。大きさが当たっているというのが面白いところです。いや、信頼できる回答でしょう。
ネットで調べたら、指摘の通り、アシナガアリの一種というのは間違いないようです。でも、簡単に死なない不思議な蟻でしたが、Wikipediaには、そこまでの説明は有りませんでした。そして、不思議な一日でした。
庭の花 ルリマツリ
佐世保の雨、夏の58日間で2日しか降らなかったのに、降り出したと報告しました。その後も大雨は降っていないのですが。曇り空が続いて、酷暑から開放されています。
一方、何となく活動も落ち着いて報告することがないなと思っていましたが。今の季節の花が、庭に咲きました。

毎年、この季節に咲いてくれる瑠璃茉莉です。綺麗な莉瑠色の花が咲きます。
昨年、話題にしたのですが、昨年から季節を外れると、幹枝が無くなって、枯れたようになるのですが。今年は、気付いて、酷暑日にも欠かさず水遣りを続けていました。
今日は、昼過ぎから霧雨と小雨の間位の雨が降っていました。濡れたルリマツリです。

先月後半に、裏山に「私が作った小さなミニ花壇」に咲いた百日草を紹介しました。咲いてはいるのですが、終わった花が、少し汚れた雰囲気であまりいい感じではありません。
一方、裏山と同じ時期に、プランタンで育てた百日草が、我が家の庭で綺麗に咲いていました。まず、一枚目は、ピンク色の百日草です。
11月頃まで咲くといいます。庭では手入れも簡単なので、汚い花は刈り取って、綺麗にしているのですが。長く咲く代わりに、50cm以上の長い茎に1輪ずつといった感じで咲いています。勿論、枝分かれして、1株に数輪という咲き方もします。
花を拡大して見ると、とっても綺麗なのですが。茎と合わせると、何となく寂しさもあります。だから、撮影していません。

同じく、プランタンに咲いた黄色の百日草です。こちらは、少し写真のピントがズレていますが。形が違う花として優雅に咲いています。
気温も下がって、作業もし易くなってきたので、裏山の百日草ももっと手入れしてあげるかな。
佐世保市竹辺町 武辺城跡付近
佐世保市の歴史は、私の今住んでいる自宅の近くから始まります。
3年前の正月に、私が住む地域の氏神神社である「祝詞神社」に初詣した時に紹介しています。そこには、「大野開拓一千年」の石碑が建っています。その舞台の一つを話題にしてみます。まずは、全体像から。

度々説明していますが、私が住む大野地区には、約16,000年前の貴重な豆粒文土器が発掘された泉福寺洞穴があります。佐世保市には、旧石器時代からの遺跡、史跡が沢山あります。主な遺跡は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代と続くのですが。この地図の範囲に多くが集まっています。
それから約15,000年後の西暦978年に「大野開拓一千年」が始まります。円融天皇が武辺胤明を派遣し、相浦、大野地区を開拓したと言われています。その相浦、大野地区も、この地図の辺りです。そこには、3つの城址があります。今回の話題の場所です。
まず、地図の場所を簡単に。地図は、佐世保市全体で言うと、ほぼ中央部なのですが、佐世保の繁華街が南に偏っているので、佐世保市北部と言って良いでしょう。地図の右側が大野地区と言われている場所。左側が相浦地区。左側の海辺の相浦駅辺りが相浦港です。
お城を年代順に紹介します。最初にできたのが、真ん中に有る武辺城です。次が右側の私の自宅の近くに有る大智庵城。そして、海の近くにあるのがその時代の最後となる飯盛城です。
今回の話題は、歴史の最初に出てくる武辺城です。城の絵の左上の星印の部分で、武辺城址の入口を探りました。

丁度、星印の辺りに山に入る様な地形を見つけました。写真の場所から振り返ると、狭い路地を通って入ってきた団地です。その端っこから山道に続いていると思い、入ってみました。
電信柱の右側に斜めに見える小道があります。その先は、池となっていて、池に沿って林の中に入ります。

その小さな池を振り返った写真です。畔に密厳四国代四十八番札所が建っていました。
その奥に墓地とかが有り、かなり厳かでしたが、その先は道がない山肌。武辺城への道は、ここでは無さそうでした。
上記で説明した通り、西暦978年に武辺胤明が相浦、大野地区を開拓したのですが。武辺城と言うので、武辺胤明が建てたお城かと思ったのですか。この地の地名は、竹辺町。武辺城が有るから竹辺町なのか。武辺胤明とは直接は関係ありませんでした。
時は、それより約500年後の西暦1,443年の話。それまでに現在の松浦市の辺りに下った源氏の一派が、松浦党として住んでいました。その中から、松浦宗家の松浦盛が武辺城を築城した年です。

やっと見つけました。これが武辺城に繋がる道の様子。ここに着いた途端に黒い影が右側を駆け抜けていきました。黒いイノシシです。
本当は、武辺城まで行きたかったのですが、今回は、入口の探索。イノシシも居るしと諦めました。
西暦1,490年に、松浦盛から家督を継いだ松浦定が、地図の右側の大智庵城を築城し、武辺城から居城を移しました。大智庵城は、その後、定は没し、その子である松浦政が家督を継ぐのですが。その頃、今の平戸に本拠地を置く平戸松浦と争いとなっていました。
そして、西暦1,498年に平戸松浦は、大智庵城を攻め落とし、松浦政は殺されてしまいます。しかし、その子の幸松丸は、母と生き延びることができました。
西暦1,512年に幸松丸は元服し、松浦親を名乗る。そうやって、松浦親は、西暦1,535年に飯盛城を築城した。3つのお城の中で一番大きな山城です。
しかしながら、平戸松浦の攻めは長く続き、西暦1,535年に松浦親は降参し、松浦宗家と平戸松浦の長い戦いは終焉を迎えます。松浦親は、隠棲し、宗金と号したとか。分家の平戸松浦が本家の松浦宗家を滅ぼしたということでしようか。
その頃になると、佐世保市城山町に有ったとされる佐世保城も松浦宗家の一派が築城した時代で、その後江戸時代を経て、現代の佐世保市に繋がります。これが、佐世保の始まりから1万6千年の物語でした。終わり。
佐世保市に雨が降った!
今年8月27日に同じタイトルで報告しました。今年の夏は、全国的に水害も多数起きて大変な夏でした。でも、佐世保市は、少雨というより、渇水の危機にありました。
折しも、9月2日に「一次減圧給水制限」が発令されたところでした。

今朝の私の部屋から見える模様です。松の葉に水滴が付いています。よく見ると、雨が落ちる軌跡の白い筋も見えます。
ザクッと説明すると、佐世保市では、7月6日までの長雨の後、昨日の昼まで殆ど雨は降りませんでした。アメダスの記録では、8月26日に10mm、8月30日に0.5mmでした。その前後で記録に残らない霧雨も少し降りましたが。
7月7日から9月2日まで、雨は実に58日間の間に2日のみ。全く雨が降らない日が続いていました。

そんな中、発令されたのが一次減圧給水制限でした。佐世保市南部水系で、水圧を10%減圧し、水を出難くするという対策です。
佐世保市の主な水源は、山の田浄水場、広田浄水場、柚木浄水場の3施設です。山の田浄水場は、佐世保市の中北部。広田浄水場が南部。柚木浄水場は、佐世保市市内の高部地域(標高が高い地域)に配水しています。その南部で制限が発令されたのです。
山の田浄水場の水源は、山の田水源地、転石水源地、相当水源地、菰田水源地と水源が多いのですが。広田浄水場は、下ノ原水源地の他、川棚川を水源としているので、厳しいだろうことは何となく推測できます。

アメダスでは、今日9月4日の未明3時に1mm、8時に1mmの降雨が記録されています。実際は、昨日の昼過ぎから降り出して、結構な雨だったのですが、1時間単位では、0.5mmに達しない、記録されない降雨だった様です。
気温を見るとその状況が分かります。9月3日の未明の最低気温が28.7℃です。超熱帯夜までは高く有りませんが、結構な熱帯夜でした。
9月3日の16時には、27.2℃まで下がり、今朝の最低気温は、25.6℃でした。熱帯夜を下回ることはなかったのですが。
雨を待ち侘びていたのは、水源地だけでは有りません。暑さに疲弊した市民も同様でした。やっと一息つけます。給水制限解除には、もう少し掛かるかも知れませんが。

