Nothingness of Sealed Fibs -100ページ目

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

RADWINPSの曲の歌詞がちょっといい。

「バグッバイ」から一部抜粋。


 近すぎて見えない誰か あやまって「僕」と呼ぶ

   この声の正体は誰なの?


 遠すぎて見えない誰か あやまって「神」と呼ぶ

   その顔に ホクロはあるのかい?


 仕方なくもらった命 あやまって「愛」と呼ぶ

   そうしとけば問題はないけど


 「どうせなら」と見つけた意味を あやまって「夢」と呼ぶ

   本当はそんなんじゃないはず


 (中略)


 僕のいた朝と僕のいない朝は

 どっか違っていて欲しい すこしだけでもいいから


 僕が生まれてくる前と 僕が消えた後

 なんか違っていて欲しい 世界は違っていて欲しい。


 そしてそれを「夢」と呼ぼう  そしてそれを「愛」と呼ぼう

 そしてそれを「神」に願おう そんな人を「僕」と呼ぼう

 

 


なんだろう。内省する意識をうまく諧謔で救っている。

内向きの方向性と外向きの方向性のバランス感覚が優れている。


人間の生きる世界には、なんか「そういうことになっている」ことがおおくある。

そういう種類の問題につっこんで考えることはあまり世間的に受けいれられない。

この詩は、この種の問題に正面から答えようとしない。

「生きる意味ってなんだ?」って問いに「僕が生まれてくる前と後での世界の違い」を

「意味」と呼ぼうというのだ。この答え方の発想はすごいと思う。ぼくより年下なのにね。


満員電車でこんな感じの曲を聞いていると、世界と僕の間に深い溝があるように感じることがある。

深い溝があることに満足するのではなく、たまにはその深さの原因まで考えてみたい。


ぶちあたる問題がむずかしいほど、正解はなにかを考える前に、答え方は何かを考えたほうが前に進める時がある。そういう教訓を教えてもらった気がする。


久々にゆっくりとした休日が取れたので、DVDをかりて観る。


最近、舞台系の作品が面白いということに気づいてきたので、演劇界の大物ケラリーノ・サンドロビッチ監督・脚本(『時効警察』にも絡んでいる人)の『おいしい殺し方』をチョイス。

≪あらすじ≫

料理が天才的に下手な小学校教師の消崎ユカ(奥菜恵)は、料理を理由にふられてばかり。料理教室に通うことを決心するが、そこで出会ったカナエ(犬山イヌコ)とともに、恐ろしい殺人事件に巻き込まれてしまう……。


「脱力系サスペンスコメディー」という触れ込みどおり、相当笑えるサスペンスになっている。ミステリーとしての完成度はもう一歩という感じだが、笑える部分のキャストの演技、台詞の掛け合いがものすごく面白い。

見て損はない作品である。



それにしてもこの映画が持っているような「雰囲気」と同じ空気を外国のコメディー映画で感じたことがないのだが…。日本特有の笑いなのか?だとしたら、結構深く突っ込んでこの手の日本コメディーを分析するのもおもしろそう。



3連休初日は、前日から徹夜で飲み会&カラオケで朝帰り。適当な仲間と適当に話すっていうのはたのしいもんだ。これからも末永くよろしく。

2日目は家に引きこもって、内田樹先生の『街場の中国論』を読む。中華思想が、ナショナリズムではない自文化中心主義であるという指摘は、目からウロコぼろぼろです。もっと戦争論とか、気合入れて読もうと思う。

3日目は、『おいしい殺し方』と『眠狂四郎勝負』を鑑賞して、大満足。小田亮の『レヴィ=ストロース入門』をかじるもあんまり面白くない。この本は、あんまり現場で話せてない気がする。だからわかりづらい。



後輩に教えてもらったバンド、RDWINPSを聞いてみる。『25番目の染色体』は良い曲だと思ったけど、「I will die for you」って、歌詞の部分が引っ掛かる。感傷的にこういう歌詞がかっこよく見えるとしたら危険だ。僕自身は、誰かにこんな台詞言わないし、だれかに言ってもらいたくない。僕は、誰かの存在を賭けてもらえるような価値のある存在ではないし、そもそも存在というのは、賭けたり、贖ったり、そういうやりとりができるような事物ではない。僕が、だれかのために死んだとして、それを価値とおもうのは、死んだ僕本人だけなんだろうなという事実につねに思いをはせていることが重要ではないかと思う。20世紀の前半、「誰かのために死ぬ」という名目のために、いろんな事柄が正当化されてきたのは間違いないのだから。

6/30、7/1は二日連続で歌の本番がありました。


6/30は大学時代のサークルのOB会が行う演奏会の本番。

ほかの2大学のOBとのジョイントコンサートだった。

うちのOB会の単独ステージはパレストリーナのマニフィカートとアメリカ民謡、黒人霊歌。

全員での合同ステージは多田武彦の曲集から「柳河風俗詩」、「富士山」など。

正直合同ステージの曲が歌いたかったのでのることにしたのだけれど、

あまり練習も出れず、うまく声をだせるか不安だった。

でも、始まってみれば、あっという間で、富士山の終曲ではしっかりと「だいしゅうーうー」と叫んだ。

あと、「雨も悲し」の「善良柔和の人は・・・」のくだりが、歌ってて涙が出そうな和音なのである。

これぞまさに、聞いた人、歌った人にしかわからない、男声合唱の魅力である。


7/1はこれまた大学の先輩方のつながりで入ったアンサンブルの発表会。

宇都宮の合唱祭でByrdの5声ミサを歌った。

講評の先生が、グレゴリオ聖歌を専門にされていた先生だとかで、いままで適当に歌っていた部分も

意図をもって、声に反映させる大切さを教わった気がする。

このアンサンブルに参加してからは初めての本番だったが、楽しい時間を過ごすことが出来た。

帰りにたべた餃子もたくさんの種類が食べれて美味しかったし。


7/7(土)は七夕。といって、僕自身にはなんも素敵なことはない。いつもどおりメールのやり取りのみ。

家にいてもろくなことが無いので、まえまえから招待されていた5月に結婚したばかりの大学同期(男)

の新婚家庭に遊びにいった。

すげーいい家。会社の借上げマンションだそうで。

すてきな家に、すてきな奥様。料理も上手で、心配りが行き届いてらっしゃる。

我が同期ながら、幸せ者であるということで、「おくさんだいじにせーよ」と言っておく。

なんだかんだで、その日は新婚家庭に泊らせてもらって、7/8は朝ごはんまでいただいてしまう。

ご馳走さま。


7/8(日)は朝、新婚家庭で目覚めた後、家に帰って、

新しいメガネを取りに行く。それと自転車のパンク修理をして、そのまま直ったチャリを飛ばして映画館へ。

キサラギ

話題の新作『キサラギ』を見に行く。

http://www.kisaragi-movie.com/

謎の死を遂げた清純はアイドルの死因を5人のファンが推理していくという筋立てで、

もともと舞台だったものを映画化した作品である。

最近、舞台ものがすきなので、ちょびっと期待して見に行ったら、案の定、面白かった。

『12人の優しい日本人』や『サマータイムマシンブルース』が好きな人なら問題なし。


映画鑑賞の後は、ピザを食べながら小泉義之先生のデカルト研究書を読む。

分かりやすいけれど、道徳とか倫理学にすぐ話をつなげすぎ。そこにいたるまでの存在論の理解では

まだデカルトの本心には届ききれていない印象を受ける。

(そういう、印象をきちんと論理にして整理しておかねばならんと最近思う。)


それと最近、後輩にすすめられてBump of Chicken と The Loveを聞き始めた。結構いい。

そんな感じの最近でした。

土曜日は会社の先輩呼びかけに応えて京王線ウォーキングに参加しやした。
集まったメンツはいつものメンバーで、正直もう結構しゃべってるから、もうしゃべらんでもええんちゃうのという感じ。
というか僕自身のネタの乏しさが切ない。いつもと同じ話をしている自分って、全然変われてないなと思って寂しくなる。世間話をするのすらめんどくさい年になってきました。というか飽きた。

話すのをやめてみれば、ウォーキングに来てるんやし、風の音も聞こえるし足の裏の土の感触だって新鮮だし、世界の情報がこれでもかと飛び込んでくる。
そんなわけで僕は列から離れて歩き出す。自分の感覚を取り戻すために。

人間が話せることって、結局自分が経験したことだけだと思う。
だとすれば話すよりは聞く、見る、読む、味わう時間の方が多くなるのは当たり前だ。

もちろん、経験に頼らない話し方もある。お笑いというテクニックだ。というわけでお互いの経験の情報交換に飽きた輩はユーモアに走る。うそついたり、ぼけたり、そんなん?
僕個人としては、静かに耳を澄ませたり、ボケあったり、そういうの一緒にできるような仲間でありたいと思います。

日曜日はお歌の練習。はじめは音があがりきらんで迷惑をおかけしましたが、だんだん周りが聞こえてきて、いい感じのミサになってきた。再来週の本番楽しみです。
先日異動しました。
はじめての異動で正直引継がうまくできず、後輩には迷惑をおかけしました。ごめん。

それにしてもなんであんなにバタバタしたのか自分でもよくわからん。

土曜は会社同期で飲んで泊まって会。なんかうだうだと楽しい。
日曜は会社を退職された先輩方とごはん。お元気な姿が見れてよかったです。今後もより一層ご活躍されることを祈ってます。

なにかからおさらばする時って、寂しかったり残念だったりするけど、悪くないと思う。
僕の勝手な思いこみでは、はじめかたよりは終わり方の方が難しい。

いや、言い方が悪かった。はじめ方が難しいことは終わり方が簡単。逆に、はじめ方が簡単なほど終わり方が難しい。そんなものではなかろうか。

具体的に言ってみよう。サラリーマンにとって仕事することや、人間にとってそもそも生まれてきたことは、始まりが簡単。自分ではどうしようもない。その一方、終わり方が難しい。死について考えたり、引継がうまくいかなかったり。

はじめが難しいことって、死ぬまでやっていたいことだったりするから、終わり方には困らないのではないかと思う。

どちらにせよ、はじまりかおわりのどっちかが難しいってことになる。神様もやりますな。

個人的にはもっとはじめるのが困難なことにとっかかってみたいなとおもう。そっちの方がおもろそうやし。

のめりこんでいこう。量子力学とは違う最近のテーマ。