正面から答えない。 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

RADWINPSの曲の歌詞がちょっといい。

「バグッバイ」から一部抜粋。


 近すぎて見えない誰か あやまって「僕」と呼ぶ

   この声の正体は誰なの?


 遠すぎて見えない誰か あやまって「神」と呼ぶ

   その顔に ホクロはあるのかい?


 仕方なくもらった命 あやまって「愛」と呼ぶ

   そうしとけば問題はないけど


 「どうせなら」と見つけた意味を あやまって「夢」と呼ぶ

   本当はそんなんじゃないはず


 (中略)


 僕のいた朝と僕のいない朝は

 どっか違っていて欲しい すこしだけでもいいから


 僕が生まれてくる前と 僕が消えた後

 なんか違っていて欲しい 世界は違っていて欲しい。


 そしてそれを「夢」と呼ぼう  そしてそれを「愛」と呼ぼう

 そしてそれを「神」に願おう そんな人を「僕」と呼ぼう

 

 


なんだろう。内省する意識をうまく諧謔で救っている。

内向きの方向性と外向きの方向性のバランス感覚が優れている。


人間の生きる世界には、なんか「そういうことになっている」ことがおおくある。

そういう種類の問題につっこんで考えることはあまり世間的に受けいれられない。

この詩は、この種の問題に正面から答えようとしない。

「生きる意味ってなんだ?」って問いに「僕が生まれてくる前と後での世界の違い」を

「意味」と呼ぼうというのだ。この答え方の発想はすごいと思う。ぼくより年下なのにね。


満員電車でこんな感じの曲を聞いていると、世界と僕の間に深い溝があるように感じることがある。

深い溝があることに満足するのではなく、たまにはその深さの原因まで考えてみたい。


ぶちあたる問題がむずかしいほど、正解はなにかを考える前に、答え方は何かを考えたほうが前に進める時がある。そういう教訓を教えてもらった気がする。