民営文化センター -77ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 米田良三 著『逆賊磐井は国父倭薈だ』は新泉社発行の他の3書と同様、著者の性格を表わすような実用第一主義、手書きの図表、硬い文章等、洒落っ気のない編集で作られています。

 

 

 

 本書の「はじめに」に出てくる図です。

 

 

 今見ると米田氏の凄さが分かるのですが、当初は全く意味が理解できませんでした。

 

 

 理由を考えてみると、学校での歴史教育で「倭国」とは弥生時代に花開いた(大和朝廷以前の)一時期と思い込まされていたからです。

 

 

 実際の倭国は、我々の知っている平安絵巻が北部九州を舞台に飛鳥時代以前から進行中の王朝だったのです。

 

 

 その王朝の末裔が現在の日本で暮らしているのですが、自分たちの国が半島経由で乗り込んできた連中に乗っ取られたなどとは夢にも思いません。

 

 

 国名の「日本」自体も乗っ取られているので、さらに理解できません。

 

 

 図の左にある直属軍が現在の日本のピラミッド図の中にドット状に拡散しており、赤坂自民亭で最後の晩餐を開いた連中の中にも多くいると思われます。

 

 

 始めは磐井の乱、壬申の乱、明治維新、その後大東亜戦争前後等、ドット数は減る事はありません。

 

 

 普通の日本人は自分たちがこの日本列島の主役だと思い込んでいるのですが、とんでもない勘違いであると、今後思い知らされることでしょう。

 

 

 米田良三氏が「私の説が認められるには、あと200年かかる」と言っていましたが、トランプ氏の登場で急展開もあり得るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHKマイあさラジオ

NHKラジオ第1

毎週月曜~日曜 午前5

「マイあさラジオ」は1日のスタートに欠かせない情報を、まとめて聞ける番組です。

 

 

 土曜日の朝は落合恵子のNHK「絵本の時間」が始まると同時に起床します。

 

 

 毎回、テーマソングが始まるのが半拍遅く、一瞬“ウッ”と体が反応するのが快感になっています。

 

 

 彼女のトークは若い頃の声質、語り口とはガラリと変わり、森田美由紀さんと並んで、私のお気に入り“耳から情報”となっています。

 

 

 7月14日、番組の冒頭で西日本豪雨を受けての発言が気になりましたので文字化再現してみます。

 

 

 「平成最大の被害と言われている西日本を中心としたこの豪雨。こんなにも言葉があるのに、今語るべき言葉が見つからない。

 

 

 どうか気をつけてください。おはようございます。・・・・・」

 

 

 この一週間「らじる★らじる」(ネット再放送)で確認できます。

 

 

 落合恵子氏ならば、土・日の22時頃、ラジオでやかましく喋りまくる奴らとは違い、社会現象にも十分通じているし、

 

 

電波での表現の限界もわきまえていることからして、この発言は何か、我慢を重ねた上での苦渋の表現だったように思えます。

 

 

 考え過ぎかもしれませんが、隠された裏のメッセージが込められているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             昭和29年8月

 

 

  日本アルプス乗鞍畳平バスターミナルでの一枚。

 

 

  あの八百長戦争に敗れ、わずか9年後の写真です。

 

 

  うしろ姿左は母です。

 

 

  新婚時代、ノスタルジック・ツアーで同じ場所に降り立ったのですが、ガスっていて、無我霧中でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和41年4月2日の新聞です。

 

 

 開校間もない名古屋市立星が丘小学校の初代校長の入学式における挨拶&講話を取り上げています。

   

 

                  記事の続き

 家庭での躾を疎かにしたまま、大学を目指してしのぎを削るのはよくない。

 

 

 学力アップは当校で責任を持つので、新入生の父兄の皆さんはのびのび子育てしてください、というのが主旨のようです。

  

 

 この時の新入生は間もなく還暦。

 

 

 自分の子育てに際しても同じ方針を貫いたとすると、2世代にわたって教育効果の検証が可能となる貴重なデータ集団です。

 

 

 その後、世の中は一変し、学校は躾を、塾は学力を、家庭は稼ぎを求められる、という情けない事態に陥っています。

 

 

 あの時、“校長の言うのはキレイ事”と見抜き、しっかり我が子のお尻を叩いた者が大正解だったのでしょうか。

 

 

 現代人が読むと「なんじゃこれは?」といった記事ですが、昔も今も新聞は洗脳の道具であり、物語が書かれていることが実感できます。

 

 

 実は、この校長は私の叔父で子育ての経験はありませんでした。

 

 

 子育ての経験のない国のトップというのも困りますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旭丘ポータルサイトを見ていると、ボート部の活躍ぶりが際立ちます。

 

 

 オリンピックに出場した榊原春奈効果でしょうか。

 

 

 

 

 私の祖父は明倫中学(その流れを汲むのが現在の明和高校)時代、ボート部に所属していました。

 

 

 その頃の歴史的資料を見ていただきます。

 

 

 

 大会「プログラム」は「番組」と呼ばれていたのですね。

 

 

 初めて知りました。

 

 

 

 メンバー表に「渡邊綱二」の名があります。

 

 

 別の頁には愛知一中チームも載っています。

 

 

 集合写真の面々は幕末の志士のような面構えで、勝手な方向を見ています。

 

 

 

 

 ところで、このプログラムは「何でも鑑定団」的価値はあるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 米田良三著『逆賊磐井は国父倭薈だ』(新泉社「長谷寺」の章で「倭国長谷寺」の所在地は佐賀県神埼郡三瀬村と見当付けられていますが、それ以上のことは著者も分かっていませんでした。

 

 

 一読者である私が米田氏の新しい原稿を書籍化する経緯について、此処では繰り返しませんが、

 

 

その後、二人で現地調査を行い、確認したうえで『現代を解く 長谷寺考』を自費出版し、詳細に倭国長谷寺の全貌を報告しました。

 

 

  建築学会や歴史学会に論文を発表したわけではないので、先陣・業績争いではインパクトが弱いかなと思いましたが、

 

 

さすが、既に大御所である米田氏の説だけあって、古代史の大物ブロガーである古川清久氏彼の説を引用していますので、認知度は今後上がるものと期待します。

 

 

 三瀬村の「宿」を「椿市」と同定するなど、共同研究者としての貢献度を自負する私としては今後「倭国長谷寺三瀬説(米田・渡辺)」と表記されることを切に望みます。

 

 

 「本業で芽が出なかったので・・・」というのが本音です。

 

 

 それにしても、アカデミズムの皆さんは気の毒です。

 

 

 倭国九州王朝説は絶対に認めてはならないので、新しい、面白い仮説を生み出すチャンスは永遠に巡って参りません。

 

 

 諸君「楽しいですか?」

 

「楽しくない」 ← ここをクリック!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引用

  2011年にワインの本場、フランスに渡って醸造技術を修行し、世界的に非常に高い評価を受けているワイン醸造家の日本人ご夫妻が、現在強制退去の危機に陥っています。

 

添加物を入れないご夫妻のワインは自然派ワインの愛好家の間で評判を呼び、昨年には生産した1万本があっという間に完売しており、また、複数の世界的な高級レストランにも提供されています。

 

 

海外「私たちはフランスを愛する勇敢な日本人を守る!」在仏の日本人夫妻に署名5万人超の擁護の声 海外の反応

 

 

海外「日本人は他の移民とは違う」本場を超えるワインを造る日本人夫妻にフランスが退去命令

 

 

 

 まだサラリーマンだった昭和50年代後半、ワインに嵌ったことがあります。

 

 

 今考えるとかなり高価だったように思います。

 

 

 チェルノブイリ後、ヨーロッパワインの日本攻勢が始まり、その後、我が国では本気でワインを作る人たちが現れました。

 

 

 この二つのネット記事のように、海外でワイン作る人たちが本気でその道に打ち込むので本場を越えてしまい、案の定、妬まれるというお決まりのコースのようです。

 

 

 数年来、新潟産大分産のワインを飲んでみると、おいしいことは勿論、地産地消と言うか、何かしら体に上手く合うといった感じなのです。

 

 

 やれフランスだ、やれドイツだ、というのはもうやめようと思っていた矢先、このネット記事に出会ったのです。

 

 

 この記事の行間を読むと、この日本人夫婦に反発した連中同士で「どうせ黄色い猿たちが飲むんだ、保存料はどっぷり入れてやれ!」と会話しているのではないかと勘ぐります。

 

 

 これで決断できます、“Buy Jpanese”で行こう、と。

 

 

 大分県安心院(あじむ)のワイナリーは実はiichikoの会社が運営しています。

 

 

 「安心院ワイン シャルドネ リザーブ」は先日マツコさんがテレビで話題にしていましたので、ホームページで確認したところやはり売り切れていました。

 

 

 宇佐一帯は倭国の時代の激戦地であり、倭薈(その死後阿弥陀如来と見做される)終焉の地でもあるので(米田史学愛好家にとっては)味わいも格別です。     

 

 

 

 

 

 

 この絵は小学2年の3学期、1954年2月6日、図工の時間に描いたものです。

 

 

 課題は自分の憧れを自由に表現することだった、と記憶しています。

 

 

 現代の子供たちにとっては、何の変哲もない絵でしょうが、戦後の混乱期のさなかの子供にとっては、あり得ないほどの理想郷を表現していたのです。

 

 

 当日の絵日記を見ると「展覧会用の図画で“かくれんぼ”の情景を描いている」ことが分かります。

 

 

 小学2年生の作文力はこのレベルだったわけですが、この7年後には高校入学と続き、現在、ブログなどを母国語で文章表現できる幸せを噛みしめています。

 

 

 漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字を混ぜこぜにし、世界中のあらゆる言語とクロスオーバーできる日本語は、

 

 

子供時代の学習期間中は一寸苦しいかもしれませんが、ひとたび身に着ければ、これほど情報の吸収・整理に役立つものはなく、世界一の言語と言えるでしょう。

 

 

 『日本人の脳』で論じられる日本語の凄さはここでは省きます。

 

 

 世界が羨むこの言語環境の足を引っ張るのが、「英語早期教育論者」ですが、彼らは自分のセンスのなさを棚に上げているだけで、

 

 

本当の達人は例外なく母国語をしっかり学ぶ重要性を唱えています。

 

 

 人間として完成度の低い者が、かなり高度な英語力を行使できたとしても、一瞬にしてダメさ加減は見破られます。

 

 

 私の場合、人生の途中で母国語重視に方向転換(USカブレは辞めた)していなかったら、米田良三氏の本に出会ってもスルーしていたかも知れません。

 

 

 彼の古文献読解力は「受験古文」をやっただけと謙遜するレベルとは思えない位で、数ある仮説には、

 

 

いちいち引用元は明らかにしないものの、国会図書館荒らしの産物が“そこかしこ”に潜んでいるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐賀県三瀬村にある杉神社の近くに、平安時代の頃まで圧倒的な高さの縄文杉が2本並んで立っていた。

 

 

  その杉を日照を理由に孫太郎という男が倒したという言い伝えがあり、現地にある孫太郎観音堂がその辺りであると思われている。

 

 

 杉神社は神功王后の新羅征伐の際の軍団の集結場所であり、倭国長谷寺の敷地内でもあり、また後年弘法大師空海が唐に赴く前に立ち寄ったことも文献にある。

 

 

 そんな訳で、この2本の杉は超目立つ存在であることが裏目に出て消されたものと考えるのです。

 

 

 つまり、この巨木を残しておくと元祖長谷寺がこの地にあったことがバレてしまうからです。

 

 

 

 これに反し、移築後の(大和)長谷寺のガイドブック上、表参道の途中に“2本の杉”と記されていることは何だかアリバイ作りのように思えます。

 

 

 さらに登廊の途中に貫之梅があり、その傍らに雲井寮という僧坊があり、倭国時代の舞台装置の揃い踏みといった感じです。

 

 

 現在の長谷寺にこの三つを仕掛けた者は移築の事実を熟知しているに相違ありません。

 

 

 雄大な時間の流れの中で、オリジナル側の“杉”は消され、移築後の側に“杉”が加えられているのです。

 

 

 “むかしばなし”として見過ごされてしまいそうな出来事も、実は歴史改ざんを仕掛ける大国家プロジェクトだったのです。

 

 

 “孫太郎さんが工作員”というのは、そういう意味なのです。