佐賀県三瀬村にある杉神社の近くに、平安時代の頃まで圧倒的な高さの縄文杉が2本並んで立っていた。
その杉を日照を理由に孫太郎という男が倒したという言い伝えがあり、現地にある孫太郎観音堂がその辺りであると思われている。
杉神社は神功王后の新羅征伐の際の軍団の集結場所であり、倭国長谷寺の敷地内でもあり、また後年弘法大師空海が唐に赴く前に立ち寄ったことも文献にある。
そんな訳で、この2本の杉は超目立つ存在であることが裏目に出て消されたものと考えるのです。
つまり、この巨木を残しておくと元祖長谷寺がこの地にあったことがバレてしまうからです。
これに反し、移築後の(大和)長谷寺のガイドブック上、表参道の途中に“2本の杉”と記されていることは何だかアリバイ作りのように思えます。
さらに登廊の途中に貫之梅があり、その傍らに雲井寮という僧坊があり、倭国時代の舞台装置の揃い踏みといった感じです。
現在の長谷寺にこの三つを仕掛けた者は移築の事実を熟知しているに相違ありません。
雄大な時間の流れの中で、オリジナル側の“杉”は消され、移築後の側に“杉”が加えられているのです。
“むかしばなし”として見過ごされてしまいそうな出来事も、実は歴史改ざんを仕掛ける大国家プロジェクトだったのです。
“孫太郎さんが工作員”というのは、そういう意味なのです。