この絵は小学2年の3学期、1954年2月6日、図工の時間に描いたものです。
課題は自分の憧れを自由に表現することだった、と記憶しています。
現代の子供たちにとっては、何の変哲もない絵でしょうが、戦後の混乱期のさなかの子供にとっては、あり得ないほどの理想郷を表現していたのです。
当日の絵日記を見ると「展覧会用の図画で“かくれんぼ”の情景を描いている」ことが分かります。
小学2年生の作文力はこのレベルだったわけですが、この7年後には高校入学と続き、現在、ブログなどを母国語で文章表現できる幸せを噛みしめています。
漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字を混ぜこぜにし、世界中のあらゆる言語とクロスオーバーできる日本語は、
子供時代の学習期間中は一寸苦しいかもしれませんが、ひとたび身に着ければ、これほど情報の吸収・整理に役立つものはなく、世界一の言語と言えるでしょう。
『日本人の脳』で論じられる日本語の凄さはここでは省きます。
世界が羨むこの言語環境の足を引っ張るのが、「英語早期教育論者」ですが、彼らは自分のセンスのなさを棚に上げているだけで、
本当の達人は例外なく母国語をしっかり学ぶ重要性を唱えています。
人間として完成度の低い者が、かなり高度な英語力を行使できたとしても、一瞬にしてダメさ加減は見破られます。
私の場合、人生の途中で母国語重視に方向転換(USカブレは辞めた)していなかったら、米田良三氏の本に出会ってもスルーしていたかも知れません。
彼の古文献読解力は「受験古文」をやっただけと謙遜するレベルとは思えない位で、数ある仮説には、
いちいち引用元は明らかにしないものの、国会図書館荒らしの産物が“そこかしこ”に潜んでいるようです。