『東アジアの悲劇』口絵ページより
あと2~3週で『東アジアの悲劇』出来上がります。
実は、頂いた遺品の中には未整理・未発表の原稿もあります。
いずれ発表するつもりです。期待していて下さい。
9月6日「日経」夕刊記事「私のリーダー論」でGEジャパンの浅井英里子社長について取り上げられていますが、彼女の子供時代の言語環境の変遷には、まことに興味深いものがあります。
もともと頭の良い子であったことは言うまでもないでしょう。
3歳までは文字通り英語漬け(家庭内の日本語会話をわざと止めていたのか?)であったことは、帰国後日本語が話せなかったことから想像します。
3~9歳の間についてはお母様による血の滲むような日本語トレーニングがあったことは、その後の母国語による活躍の事実からして想像に難くありません。
日本語学習が軌道に乗りかけた時、再び父親の都合で外国生活となります。
本文中に「 ・・・父のオーストラリア赴任で9歳の時、英語が全く話せないのにいきなり現地校に放り込まれました。
トイレに行きたいことも伝えられず、授業も全くわかりません。・・・ 」とあることから、3歳児までの英語付け効果は全く空虚であったと判断します。
目に見えない何らかのプラス面はあるはずだと言う反論は覚悟の上ですが・・・ 。
11歳で帰国となり、その後の活躍はプロフィールの通りです。
この浅井英里子社長の半生は超早期英語教育の効果について議論する際、大いに役立つサンプルだと思うのです。
是非、本人のコメントが聞きたいところです。
ゲラ刷りができました。大きなミスはなさそうですので、間もなく発注します。
思えば、米田氏が元気だった頃、一刻も早くということでプリンター印刷の冊子(『漂泊の宇治平等院鳳凰堂』)を販売しました。
その後、B5版サイズ・ペーパーバックで世に問い一定の評価は得られましたが、ミスの解消、新情報の追加など、もう一ランク上を狙うことになりました。
新たに加えた「清明上河図論」、「石山寺論」はしつこいくらいマニアックな米田氏の考察が展開され、単に歴史マニアだけでなく、国文の論文のネタが枯渇した学生には生唾ゴックンの情報が満載です。
現在のところ制作部数は決まっておりません、細かい清算は後回しにして、入手希望の方abandjcclub@gmail.com (御面倒ですが手入力でお願いします。)
までメール下さい。特に常連さん、よろしく。
今朝、NHKラジオを聴きながら髭を剃っていたら、いつもの「番組の途中ですが・・・・」と割り込みが入り
「6時46分頃、山陰地方と山口県北部で地震がありました云々」、そしてしばらくして「6時47分頃・・・」と再び割り込みが入りました。
「頃」と言うのなら46も47も同じだと思うのだけど、何でかなー?
「46分」にしたい人と、したくない人と揉めているのかな?
仏像に興味のある人は一定数いると思うのですが、梵鐘に関してはそれ程でもないようです。
本格的なブームが将来起こるかもしれませんので、梵鐘の歴史の急所だけを押さえておきたいと思います。
信じられない内容(今までの偉い先生の説は嘘ということになる)ですが、米田良三氏が唱えた説により、探求心はどんどん膨らみます。
先ず、観世音寺の梵鐘は日本最古ではありません。
観世音寺が移築されて法隆寺になったのですから、最古の梵鐘と言ってもよさそうなのですが、最古の寺は長谷寺なのです。
倭国の時代、佐賀県三瀬にあった時の長谷寺の梵鐘(522年製)は江戸時代に知恩院に運ばれました。
それに先立ち、寺そのものは700年代初めに現在地に移築されています。
福岡県八女市の東方に位置する倭薈の仏教道場にあった梵鐘(525年頃製)が現在、方広寺にあるもので、家康がイチャモンをつけた“国家安康”などの文字は遥か昔に彫られたものです。
東大寺は大分県宇佐から移築されたのですが、梵鐘は550年頃作られたものです。
これら三大大梵鐘がサイズ、デザイン、質感、完成度が酷似していることから、同じ頃、同じ工房で作られたことは納得できます。
そんな昔にこんな優れたものが・・・ と言う人は進化論の裏側に思いを馳せて下さいね。
「ゆく年くる年」の中継で聴く知恩院の鐘の音が、倭国時代の長谷寺の一角(現在の三瀬村の善正寺)で鳴らされ、紫式部や清少納言(平安時代の偽者ではない)が聴いたものと全く同じだと思うと、興奮は最高潮に・・・
ご存知のように、図面の長さ表記は「メートル」と「尺」の二通りがあります。
ネットで室生寺の五重塔の図面を見つけました。
10尺のスケールが添えられていますので、比例配分により塔の一辺は芯芯8.071尺(8尺)と切りのいい長さであることが分かります。
大和朝廷以前の物差しでは1尺=281mm、以後では1尺=303mmですので、ともに掛け算をすれば二通りの実寸が出ます。
あとは現場で計測です。
恐らく倭国時代の建物という結果が出ると思います。
一方、メートル表記の場合、目標部分の数値を2種類の値(281mm or 303mm)で割って、切りのいい数値(尺)の方が正解と判断します。
建物の種類によっては、いずれにも該当しないことがありますが、別の機会に・・・・
将来、建物にメジャーを当てることが禁止されるようなことがあれば、その時はアカデミズムの敗北宣言と見做されるでしょう。
そして、それは「邪馬台国九州説」の勝利に繋がるのです。
「風が吹くと桶屋が儲かる」のように説明が長くなりますが・・・・・
台北故宮博物院のホームページがリニューアルされ、絵画の鑑賞が今まで以上に楽しめます。
以下の3作についてのオフィシャルな解説とは全く異なる説を米田良三氏が提示しています。
清明上河図は倭国時代の博多~大宰府間が描かれていますが、倭国王室のオリジナル画を清の時代に改変模写していますので、割り引いて鑑賞する必要があります。
明人畫入蹕圖、明人畫出警圖はセットとして扱われ、倭国王が近衛兵らを従えての墓参(?)の情景が描かれています。
清明上河図とは異なり、この一組の絵巻はオリジナル(倭国の絵師が描いた)とのことです。
今まで誰も試みた者はいないと思われる米田氏の見解は世界に発信すべき内容です。
まずは、この三つのリンク先を多くの人達に紹介して下さい。
現在流通しているどんな美術全集にもない素晴らしい絵巻が堪能できます。
舞台は500~600年代の太宰府にほど近いエリアです。
詳しく知りたい方は間もなく完成する『東アジアの悲劇』の改訂版を是非お読み下さい。
ネット情報は一切無視、先入観なしで出掛けました。
作品については帰宅後、批評を見たところ予想内の反応です。
作品と同時進行の時代を過ごし、すべての場面がリアルタイムの記憶として残り、映画と実話がオーバーラップするという、引退した老テニスプレイヤーにとっては、未だかってない不思議な気分にさせられる作品でした。
この作品は「アメリカン・グラフィティ」同様、製作者のこだわりは半端なく、登場人物はすべて本人とそっくり、何処からかき集めてきたのか、ラケットも当時のプレーヤーの契約ラケットと一致しています。
この作品はエンディングのパターンもそうなんですが、テニス版「アメリカン・グラフィティ」と言えるのではないかと気づいたのです。
この50年間で木のラケットは姿を消し、スチールラケットが出現、デカラケも様々に材質が変化し、テニスそのものが、ほとんど別の種目になったと言えるほど変貌し、この作品では昔のテニスの優雅さが際立っています。
この作品は、ちょうど先の大統領選挙の頃の制作で、ヒラリーが当選の暁にホワイトハウスで試写会をやる予定だったそうです。
そういう目で見ると、ヒラリーの背中を押すような内容が随所に見られるのですが、目論見に反してトランプ氏が勝利してしまったため、純粋に娯楽作品として楽しめる状況になったのは幸いでした。