「持つべきものは友」地元の同級生と笑顔の再会で涙。 | え?まさか?私が?44歳で「子宮頸がん ⅢCⅠ期」と宣告されました

え?まさか?私が?44歳で「子宮頸がん ⅢCⅠ期」と宣告されました

2022年9月30日/44歳で「子宮頸がん 」と診断されました。
その後、すぐに同時化学放射線療法、平日通院治療が始まり、あまりの過酷な日々と想像以上の副作用などで書けずじまいでした。
健忘録としてこれまでのことを時系列で書き綴ろうと思います。

 ご訪問ありがとうございます

 

初めまして
LOVE口紅です

 

 

 

2022年9月30日

「子宮頸がん」と診断されました

子宮頸がん再検査経過観察中、

出血多量で大学病院へ救急搬送され、

大学病院で措置&精密検査を受けました。

 

 

2022年 10月12日

 

ステージ確定し、主治医から

「子宮頸がん 骨盤リンパ節転移 ⅢCⅠ期」と診断されました

 

2022年 10/24〜12/5

同時化学放射線療法

平日通院治療を終えました

 

2023年1月末

 経過観察 MRI・CT検査・婦人科内診
 

2023年2月

カンファレンス後 結果説明

 

子宮頸がんと診断されて以来、

治療の様子など、毎日の様子をリアルタイムで

書き綴ろうと思っていましたが、

すぐに同時化学放射線療法、平日通院治療が始まり、

あまりの過酷な日々と想像以上の副作用などで書けずじまいでした

健忘録としてこれまでのことを時系列で書き綴ろうと思います。
 

同じ病気でこれから治療をされる方、癌で闘病されている方、
がん治療で不安や心配になっている方などに
このブログが少しでもお役に立てたら嬉しいです

 

 

 

 

 

 

アメトピ掲載されました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

2022年12月16日

 

 

同時化学放射線療法終了16日後

 

 

 

 

 

 

 

 

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実家へとんぼ返り

 

 

 

日本語学校の授業が終わってすぐに、

地元の同級生に会うために

実家へ。

 

 

 

治療が無事に終わったら、

慰労会をしてくれるということになっていました。

 

 

 

 

約束通り、同級生たちが慰労会をしてくれるというので、

実家へとんぼ返りしました。

 

 

 

 

 

 

2022年 10/24〜12/5までの28日間、

平日通院治療だった同時化学放射線療法が終わり

治療後から通常の生活に戻りました。

 

 

 

 

年内最後の診察も終わり、

経過観察に入り、

地元の同級生たちにもグループLINEで報告しました。



 

子宮頸がんに罹患し、

治療が始まってからどうなるかわからず、

治療が始まる前にどうしても地元の同級生たちには

知らせたいと思い、会いに行き、子宮頸がんに罹患し、
病名とこれからのことを説明しました。

 

 

 

 

 

 

それからというもの、

毎日通院治療の際には

グループLINEで報告。

 

 

 

治療が始まってから、

月に1度、帰省するようになりました。

 

 

 

帰省の際には、時間を作ってくれて、

食事に行き、

時には同級生が励ましてくれました。

 

 

 

 

治療が無事に終わったら、

慰労会をしてくれることに。

 

 

 

 

みんなに元気な姿で再会したいと、

それを励みに、

これまで辛い過酷な

同時化学放射線療法を頑張ってきました。

 

 

 

 

私が子宮頸がんと宣告された時には、
悪性腫瘍が6センチもあり、

右リンパ節転移もしていました。

 

 

私のがんのステージはステージ4に近く、

がんを宣告された直後、しばらくは絶望感とショックで

これからどうすればいいか、不安な毎日でした。

 

 

 

しかし、気持ちを奮い立たせて、

がんに罹患して以来、

とにかく根治を目指し、

辛い治療でも頑張るぞと覚悟を決めて

これまで、毎日通院治療に挑んできました。

 

 

しかしながら、治療を重ねるごとに

副作用が辛くなるものの、

効果が出ていることがわからないままの治療の日々。

 

 

 

果たしてこの治療に効果が得られるのだろうか、

治療が半信半疑になり、不安でたまりませんでした。

 

 

途中経過を見るため、

治療開始してから造影したMRIでは、

画像の腫瘍は、なんと

腫瘍が6センチから3センチに!!

 

 

主治医からは

 

「同時化学放射線療法で根治の可能性も十分にある」

 

と言われ、

残りの治療にも希望を持てるようになり、

最後まで治療することができました。

 

 

治療をやめずにこれまで頑張ってきて
本当によかったと思いました。

 

 

 

この時も、同級生たちにはすぐに報告し、

自分のことのように喜んでくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさま」

 

 

 

同級生たちと行きつけの居酒屋へ。

 

 

 

結婚して家庭があると全員でなかなか集まれませんが、

それでも時間を作って会ってくれた仲間に感謝です。

 

 

 

 

「お疲れ様」

 

 

同級生の音頭で乾杯しました生ビール

 

 

 

 

 

 

 

 

治療開始前は

自分がこれからどうなるかわからず、

みんなに会えるかわからず、

不安で、

先の見えない長い長いトンネルを

これから進まなければならないという状況でした。

 

 

 

 

 

同級生たちを目の前に乾杯するや否や、

この日を夢見て

ただがむしゃらに

長い長いトンネルを進んできた

これまでの日々を思い出し、

気づけばまた涙していました。

 

 

 

 

治療前に癌を告白した際に、

泣いてくれた同級生。

 

 

 

またその同級生は泣いていました。

 

 

 

 

「また一緒に飲めて幸せだね」生ビール

 

 

元気な姿で、同級生たちを前に

またこうして元気な姿で一緒に飲める日が来るとは

思ってもいませんでした。

 

 

同級生たちには毎日の通院治療の様子は

リアルタイムで報告していたのですが、

改めて近況報告。

 

 

放射線や抗がん剤の副作用は

あるものの、回復しつつあると報告しました。

 

まさか、治療開始して1ヶ月も経たないというのに

腫瘍が6センチから3センチになったなんて、ミラクルだよと、
治療の効果が出ていることを
自分のことように喜んでくれました。

 

 

 

 

 

「よく頑張ったね」

 

 

 

 

看護師の同級生から

 

「よく頑張ったね」

 

と声をかけられて、

私はすでに顔面崩壊していました。

 

 

 

 

 

 

「持つべきものは友」

 

 

 

治療が終盤に差し掛かった頃、

副作用が辛く、

トイレダッシュも酷く、ひどい下痢や

倦怠感が酷かった時、

地元の同級生たちが心配してくれて、

励ましてくれました。

 

 

 

辛くて気づけば泣いてばかりいました。

 

 

人生でこんなに辛かったことはありませんでした。

 

 

 

 

きっと誰にも癌に罹患したことを伝えずにいたら、

最後まで治療を頑張れなかったでしょう。

 

 

 

「持つべきものは友」

 

 

 

治療が頑張れたのは

いつも励ましてくれた仲間がいてくれた
おかげだからだと思います。

 

 

 

同級生には感謝しかないです。

 

 

 

 

 

久しぶりに会った仲間もいて、

気づけば3時間も話し込んでいました。

 

 

 

 

 

次は年末に忘年会をすることに。

 

 

 

今回来れなかった同級生も忘年会には来られるというので、

再会が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

この歳になっても、

大好きな仲間たちに囲まれて、

飲みながらたわいもない話ができるなんで、

私は本当に幸せ者です。

 

 

 

 

 

 

こんな日々がずっと続きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 


次回へ続く

 

 

最後までお読みいただき
ありがとうございます

 

 

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