異世界転生ものを見ていたら
また異世界転生ものを作りたくなりました 苦笑
# 異能の転生者
## 第一章 グレイブヤード家の三男
### 一
フレデリック・マクミランが死んだのは、
特別な理由があったわけではない。
新型ウイルスの感染が確認されてから
三日目の朝、熱が四十度を超え、
五日目の夜明け前に意識を失い、
そのまま還らなかった。
病院のベッドの上で、
彼は自分が死につつあることを静かに理解していた。
恐怖はなかった。
ただ、随分と呆気ない幕切れだと思った。
宇宙の果てから果てまで見渡せる眼を持ち、
素粒子の振動を指先で操り、
次元そのものを折り畳む力を秘めていて
「生きる伝説」とまで称された男の死としては、
あまりにも凡庸だった。
意識が途切れる瞬間、
フレデリックは何かに引っ張られる感覚を覚えた。
引力とも違う。
意志とも違う。
ただ、存在の核心にあたる何かが、
別の容れ物を求めて動き始めたような感覚だった。
次に彼が知覚したのは、泣き声だった。
自分自身の泣き声だった。
---
グレイブヤード家の三男が生まれたのは、
国王暦四百三十二年の冬の初めだった。
伯爵ドナルド・グレイブヤードは五十を過ぎていたが、
まだ壮健だった。
かつて王国魔法師団の団長を務めた男の体躯は、
引退から十年近くが経った今も衰えを知らなかった。
銀糸の混じった黒髪、岩を刻んだような顎の線、
両の眼に宿る静かな炎
——彼が宴席に現れるだけで、
周囲の空気がわずかに緊張するのは、
その男が積み上げてきた実績の重さゆえだった。
王国の東端に広がるグレイブヤード領は、
面積においても産出においても、
王国内でも上位に数えられる豊かな土地だった。
北を山脈に、南を深い森に囲まれた盆地の中央に
城塞都市が広がり、その周囲を幾重もの農地が
取り巻いている。
ドナルドはこの地を、先代から受け継いだ
疲弊した状態から立て直し、
今では王都の商人たちが競って
取引を求めてくる繁栄した領地に育て上げた。
魔法の才と軍人としての経験を持つ男は、
政治家としても一流だった。
その屋敷に、三人目の息子が生まれた。
赤子は最初の泣き声を上げた後、
奇妙なほど静かだった。
普通の嬰児は何かにつけて泣くものだが、
この子は違った。
天井を見上げる黒い瞳には、
新生児らしからぬ落ち着きがあった。
乳母は気味が悪いと言い、
侍女たちはひそひそと話し合った。
ドナルドは息子の顔を見て、
しばらく何も言わなかった。
「ルークと名付けよう」
その名がどこから来たのか、
ドナルド自身も説明できなかった。
ただ、この子にはこの名が相応しいと、
直感が告げていた。
---
### 二
長男のトール・グレイブヤードは、
ルークが生まれた時、すでに十五歳になっていた。
父親の血を濃く引いた黒髪と、
亡き母の面影を残す柔らかな目元を持つトールは、
グレイブヤード家の後継者として
申し分のない素養を示していた。
魔力適性の試験では最上位の評価を受け、
魔力の質においては当代の師団員と比較しても
遜色ないと鑑定士たちが口を揃えた。
しかし、トールが真に傑出していたのは
魔力よりも頭脳だった。
彼は物事を急がなかった。
どんな問題に対しても、まず全体を見渡し、
構造を把握し、それから最も少ない手数で解を求める。
感情的にならず、しかし冷淡でもない。
正義感は人一倍強かったが、
それを振りかざす愚かさを持っていなかった。
父ドナルドはトールを魔法師団に送り込む予定だった。
それは単純に才能への投資ではなく、
政治的な布石でもあった。
グレイブヤード家と師団との関係を
次世代においても維持することで、
この家の影響力を継続させる
——そういう計算がそこにはあった。
トールはその意図を理解した上で、
父の判断を正しいと認めていた。
理解と服従の間にある微妙な均衡を、
彼は自然に保てる人間だった。
次男のゴール・グレイブヤードは、
トールと正反対だった。
十二歳になったゴールは、
父親の名声と家の財力を
自分自身の力だと信じて疑わなかった。
魔力はそれなりにあった。
同世代の中では上位に入る。
運動能力は高く、模擬戦では
年長の相手にも食らいついた。
それだけの事実が、
ゴールの自己評価を際限なく膨らませた。
問題は、彼がそれ以上を持っていないことだった。
先を読む力がない。
他者の感情を読む必要性を感じない。
自分の行動が引き起こす結果について、
明日より遠いことは考えられない。
グレイブヤード家の次男という地位が、
その欠点を長年にわたって覆い隠してきた。
父の威光の中で育った子供が陥りやすい罠に、
ゴールは深々と嵌まっていた。
彼は騎士団に入ることが決まっていた。
前線で戦う役割は、
ゴールの好戦的な気性には合っていた。
しかし、それを選んだのがドナルドであることを、
ゴールは理解していなかった。
息子の限界を見切った父親が、
最も被害の少ない場所に
彼を誘導したのだということを。
---
## 第二章 鑑定
### 一
王国では、五歳になった子供は
すべて魔力適性の鑑定を受けることが
法律で定められていた。
鑑定には資格を持つ魔法士が三名必要だった。
一人では観測誤差が生じる可能性があり、
二人では意見の対立が生じた際に決着がつかない。
三人という数は、
精度と公正を両立させるための慣例として、
百年以上前から定着していた。
鑑定の結果は六段階で評価された。
最上位の「至高」から順に「卓越」「上位」
「標準」「低位」「微量」と続く。
至高の評価を受けた子供は
王都の高等魔法学院への推薦を受ける権利を得た。
卓越から標準までの範囲であれば、
程度に応じて魔法師団の候補生、
宮廷魔法士の補助、商業魔法の使用者など、
様々な道が開けた。
低位以下の評価は、魔法に関わる職業への道が
実質的に閉ざされることを意味した。
評価は単なる職業の指針に留まらなかった。
結婚の縁談においても、家同士の取引においても、
魔力の格付けは人間の価値を測る物差しとして
機能していた。
それが正しいかどうかという問いは、
この社会では意味をなさなかった。
そういう世界なのだ、
という事実があるだけだった。
グレイブヤード家において、
長男トールの鑑定は家の者全員の記憶に刻まれていた。
三人の鑑定士が沈黙し、目を見合わせ、
それから一斉に話し始めた光景を、
ドナルドは今も折に触れて思い出した。
「至高」の中でも際立った数値だったと、
後で一人の鑑定士が私的な場で打ち明けた。
ドナルドは表情を変えなかったが、
その夜だけは珍しく深酒をした。
次男ゴールの鑑定は、期待よりも高く、
希望よりも低い結果だった。
「上位」の評価は十分に誇れるものだったが、
兄との比較を知っているゴールにとっては
満足できるものではなかった。
その不満を彼は素直に表に出した。
鑑定士の一人が苦笑いをしたのを、
ドナルドは見逃さなかった。
そして、ルークの番が来た。
---
### 二
ドナルドはあえて外部の鑑定士を呼び寄せた。
城内に常駐している魔法士を使っても構わなかった。
しかし彼は、三男の鑑定に際して、
王都の師団から二名の鑑定士を招いた。
かつての部下たちの中から、
腕が確かで口が堅いことで知られる二人を選んだ。
一人はエドワード・タイン、
元師団第二席の理論家。
もう一人はセシル・ウォーカー、
実戦で鍛えた感覚的な魔力の読み取りに
定評のある女性魔法士だった。
自分自身を含めて三人。
規定通りだった。
ルークは鑑定の意味を理解していた。
正確に言えば、この世界の慣習として理解していたが、
自分の結果がどうなるかについても、
おそらく理解していた。
五歳になった彼は、歳相応に小さかったが、
座り方が妙に落ち着いていた。
鑑定用の水晶球を前にして、ぐずることもなく、
かといって緊張している様子もなく、
ただ三人の大人を静かに見回した。
その黒い眼に、エドワード・タインは一瞬、
言葉にしがたい不快感を覚えた。
見られている、というより、
測られているような感覚だった。
「では始めます」
セシルが手を差し伸べた。
水晶球に触れるよう促す仕草だった。
ルークはゆっくりと手を伸ばし、
球の表面に指先を当てた。
沈黙が続いた。
通常、魔力のある者が触れると、
水晶球は内側から光を発する。
光の色と強度が魔力の質と量を示す。
至高の評価を受けた者が触れれば、
球全体が白金色に輝き、熱を帯びるほどだという。
トールが触れた時は、
室内が一瞬昼間のように明るくなったと、
立ち会った者たちが証言している。
ルークが触れた球は、光らなかった。
かすかな、かすかな明滅があった。
蛍の光よりも弱い、
確認するためには目を凝らす必要がある程度の光が、
球の奥底で一度だけ揺れ、消えた。
三人の鑑定士は互いの顔を見た。
ドナルドの表情は変わらなかった。
「もう一度」
エドワードが言った。
ルークは同じように手を当てた。
結果は同じだった。
三人が確認のために魔力を集中させ、
精度を上げて再計測した。
それでも変わらなかった。
鑑定士たちは短い言葉を交わし、
それからドナルドに向き直った。
「申し上げにくいのですが——」
「構わない。正確に報告しなさい」
エドワードが深く息を吐いた。
「魔力の保有量は、計測下限を僅かに上回る程度です。
数値で言えば、一般的な愛玩動物が示す生命魔力と
同程度か、それ以下。
魔法の習得と運用には、
実用上、問題なく不適格と判断されます」
室内が静まり返った。
ルークは三人の大人の顔を順に見た。
父の表情が石のように固まっているのを確認した。
それから、ごく自然に視線を自分の手に落とした。
そうか、と彼は思った。
当然の結果だった。
予想通りだった。
むしろ、これだけの数値が残っていたことの方が
興味深かった。
前世において、
フレデリック・マクミランが持っていた能力は、
魔力などというものとは次元が違った。
それは生命エネルギーでも霊的な力でもなく、
存在そのものの構造に関わる何かだった。
物質と空間と時間と因果律を、
彼は意識だけで書き換えることができた。
惑星を砕くことは呼吸をするほど容易く、
星系を再構成することは考えるほど自然だった。
宇宙の果てで起きている出来事を、
眼を閉じたまま観測できた。
次元の壁は、
薄い膜のように彼の意識の前で揺れていた。
そのような力を持つ存在が別の世界に転生する際、
その世界の法則が付与しようとした魔力は、
ルークの内側に根付いている何かによって、
ことごとく弾き返されていた。
入ってくる前に消えた。
正確には、彼の能力が持つ自動防衛機構が、
異質なエネルギーの注入を
脅威と判断して無効化したのだ。
この世界の魔力は、ルークの本質と比べれば、
水の中の水泡のようなものだった。
それをルークは批判的に思っていなかった。
この世界の者たちにとって、魔力は確かに強大な力だ。
その事実は変わらない。
ただ、自分にはその力がない。
それだけのことだった。
「わかった」とドナルドは言った。
声に感情はなかった。
「ご苦労だった」
---
### 三
鑑定の結果は、家の中に静かに広まった。
使用人たちの間で、
グレイブヤード家の三男坊は魔力がほとんどないらしい、
という話が囁かれ始めた。
城下の者たちの耳にも届いた。
ドナルドはそれを封じようとはしなかった。
隠すことのできない事実を隠そうとすれば、
隠そうとする行為そのものが噂を育てる。
彼はそれをよく知っていた。
トールはルークの部屋を訪ねた。
「鑑定のこと、聞いた」
ルークはトールを見上げた。
兄の表情に憐憫はなかった。
それが良かった。
憐れみを向けられることは、
ルークにとって不快以外の何物でもなかっただろう。
「うん」
「辛いか」
少し考えた。
正直に言えば、辛くはなかった。
が、五歳の子供として
自然な反応を求められているならば、
多少の演技は必要かもしれない。
ルークは肩をわずかに落とした。
「少し」
トールはそれ以上を聞かなかった。
隣に腰を下ろして、しばらく二人で庭を見ていた。
「俺も師団に入ったら、
最初はゼロから覚えることばかりだと思う。
魔力があっても、使い方を知らなければ意味がない」
それが慰めなのか、
それとも別の何かを伝えようとしているのか、
ルークには判断がつかなかった。
しかし悪意がないことは明らかだった。
「ありがとう」とルークは言った。
その夜、ゴールが廊下でルークを待ち伏せていた。
「魔力ゼロの屑が」彼は笑いながら言った。
「猫以下だってな。犬以下か?
お前はグレイブヤードの恥だ。
父上もさぞ失望しただろうよ」
ルークはゴールを見た。何も言わなかった。
「何か言えよ。
ああ、お前には取り柄が何もないか。
魔力も才能もない出来損ないのくせに、
この家に居座って恥ずかしくないのか?」
ルークはゴールの顔を見つめた。
兄の眼の中に渦巻いているものが見えた。
劣等感だった。
父に失望されることへの恐怖が、
弱い者を見つけたことで出口を見つけた。
それだけのことだった。
「おやすみ、ゴール兄さん」
それだけ言って、ルークは自分の部屋に戻った。
ゴールは拍子抜けした顔で、
しばらくその場に立ち尽くしていた。
---
## 第三章 見えぬ炎
### 一
それから数年が過ぎた。
ゴールによるルークへの嫌がらせは、
日常の一部になっていた。
廊下ですれ違うたびに小突く。
食卓での言葉の棘。
使用人の目がない場所での、より直接的な行為。
ルークはそれらを受け流した。
感情がないわけではなかった。
不快だと感じていた。
面倒だと思っていた。
しかし、ゴールを本気で対処する必要性を、
まだ感じていなかった。
子供が石を蹴る。
犬が吠える。
それと同程度の意味しか、
ゴールへの行為はなかった。
本気で向き合う価値のある相手ではない。
だが、ルークの中には明確な基準があった。
降りかかる炎は必ず払う。
手加減はしない。
それはルークが前世において学んだことだった。
あの宇宙の端まで届く力を持ちながら、
フレデリック・マクミランは長い時間をかけて
一つの真実を理解していた。
力を持つ者が慈悲と寛容を示す時、
それはしばしば相手を増長させる。
悪意を持つ者に対して手心を加えることは、
その者が次に向かう被害者への贈り物になる。
見逃すという行為には、見逃す側の自己満足がある。
許す者が許す行為によって気持ち良くなっている間、
その悪意は別の誰かに向かっている。
ルークは自分が傷つくことを恐れていなかった。
それは不可能に近かった。
しかし、自分の周囲にいる者たちが傷つく可能性を、
彼は正確に計算していた。
ゴールという存在を放置することのコストを、
ルークは既に見積もっていた。
まだ時機ではない、と彼は判断していた。
ただそれだけのことだった。
---
### 二
トールがルークの異様さに最初に気付いたのは、
ルークが六歳の頃だった。
庭で転んで膝を擦り剥いた時のことだった。
どの子供でも泣くような怪我だった。
ルークは泣かなかった。
それだけなら我慢強い子供で片付けられる。
しかし、傷の回復が速すぎた。
翌朝には跡形もなくなっていた。
その後も、似たようなことが続いた。
ゴールがルークに向けて投げた花瓶が、
ルークの顔の寸前で軌道を変えた。
壁に当たって割れた破片が、
ルークの体には一つも届かなかった。
使用人たちは風のせいだと言い合った。
トールは黙ってルークを見た。
廊下で二人きりになった時、トールは聞いた。
「大丈夫だったか」
「うん」
「本当に?」
ルークはトールを見た。
兄の眼に、恐れに似た何かがあった。
本物の恐怖ではない。
しかし、前方に自分の理解を超えた
何かがあることを察知した時の、
知性ある者が示す慎重さだった。
「本当に」とルークは言った。
トールはそれ以上を聞かなかった。
自分が聞くべきではないことを、
彼は本能的に理解していた。
確認することで、何かが変わる。
今は何も変えない方がいい。
そういう判断だった。
以来、トールはルークに対して、
一種の注意深い親切さを保ち続けた。
弟を大切にする感情は本物だった。
しかし、その底には
彼が言語化することのできない判断があった。
この子は、自分にどうにかできる存在ではない。
だから、自分はこの子の味方であるべきだ
——それは打算と呼ぶことも、
賢明な処世術と呼ぶこともできた。
しかしトールは自分の行動の理由を
一つに絞ることを好まなかった。
人間の動機は一つではない。
弟への好意も、自分自身の安全への配慮も、
両方が本当のことだった。
ルークはその複雑さを見抜いていた。
そして、その複雑さを嫌わなかった。
純粋な好意より、
計算の混じった好意の方が、長く続く。
フレデリック・マクミランは、
宇宙の時間の中でそれを学んでいた。
「トール兄さんは頭がいいな」
とルークは一度だけ言った。
トールは少し笑った。
「お前の方が変なやつだと思うけどな」
それはおそらく、
この兄弟の間で交わされた最も正直な言葉だった。
---
## 第四章 断罪
### 一
二人が学院に入る月の、三週間前のことだった。
使用人の一人がルークのところに来て、
ゴール様がお呼びだと伝えた。
場所は城の裏手にある訓練場だった。
人目のない場所だった。
ルークはほんの一瞬だけ考えた。
目的はすぐに推測できた。
学院への入学を妨害しようとしている。
直接的な形で。
ゴールが持っている問題解決の手段は常に直接的だった。
それが彼の限界だった。
「わかった」とルークは使用人に言った。
訓練場に着くと、ゴールが腕を組んで待っていた。
仲の良い家臣の子弟が二人、背後に控えていた。
「来たか、屑が」
ゴールは最初からその言葉を使う男だった。
他に語彙を知らないのか、
あるいはそれが効果的だと信じているのか、
どちらにせよ想像力の問題だった。
「呼んだのはお前だろ」
「そうだ。来月から俺たちは学院に行く。
俺は同じ場所に、魔力もない出来損ないと
一緒にいたくない。
お前にはここで怪我をしてもらって、
入学を遅らせてもらう。
父上への言い訳は、俺が考える」
言葉に詰まる様子もなく、ゴールはそれを言った。
論理的ではなく、長期的に見て何の利益もなく、
父親への言い訳として成立する話でもない計画だった。
しかしゴールはそれに気付いていなかった。
ルークは返事をしなかった。
ゴールが片手を上げた。
炎が集まり始めた。
赤い光が彼の掌の上で渦を巻いた。
訓練場の空気が熱を帯びた。
確かに、同世代の中では群を抜いていた。
炎の純度、圧縮の密度、放出の速度
——いずれも十代前半の子供が出せる水準を
大きく超えていた。
別の状況であれば、
ルークはその技術を素直に評価しただろう。
ゴールが炎を解き放った。
赤い塊が、空気を裂いてルークに迫った。
それがルークに届くことはなかった。
音もなかった。
特別な動作もなかった。
炎はルークの体の数センチ手前で何かに阻まれ、
熱を失い、消えた。
ゴールは眉をひそめ、それから鼻を鳴らした。
「魔法障壁か。なるほど、そういうことか」
合点がいった、という顔だった。
彼にとって、それで全ての説明がついた。
魔力がないと鑑定されたはずの弟が炎を防いだ
——その事実が示しうる可能性の中で、
ゴールが選んだのは最も都合の良い解釈だった。
鑑定は間違っていた。
あるいは、こいつは隠し持っていた。
いずれにせよ、魔法は魔法だ。
「隠してたのか。
ずいぶんと姑息な真似をする。
それがお前の全力か?」
ルークは何も言わなかった。
ゴールは再び炎を放った。
今度は大きく、密度を高めて。それも消えた。
三度。四度。いずれも同じ結果だった。
ゴールの顔に焦りが混じり始めた。
しかしその焦りは、弟の能力への驚きではなかった。
自分の炎が弱い。
自分の魔力がこの障壁を破れない。
その屈辱に向けられた焦りだった。
彼の思考の構造は常にそうだった。
事実よりも自己像が優先された。
「このっ、障壁ごとき、もう少し出力を上げれば——」
より強い炎を。
より速い攻撃を。
それでも届かなかった。
ゴールは舌打ちをした。
出力の問題ではない、という認識には至らなかった。
至れるほどの想像力を、彼は持っていなかった。
ただ、遠距離では埒が明かないという判断だけをした。
接近すれば、剣がある。
魔法障壁は外部からの攻撃を防ぐが、
接触を防ぐものではない
——そういう理屈を、ゴールは組み立てた。
「魔法障壁が張れるなら使ってみろ。
こいつを防いでみせろ」
ゴールが走り出した。
剣を抜いた。
その動きは確かに速かった。
騎士団の候補生として鍛えた体の使い方は、本物だった。
炎魔法だけではなく、
接近戦においても同世代の水準を超えている
——そのことをゴールは知っていた。
知っていたから走った。
接触すれば、魔法障壁は関係ない。
その確信を持ちながら、ゴールは距離を詰めた。
ルークはその動きを見ていた。
面倒だ、と彼は思った。
これ以上続けることへの意味が見えなかった。
学院の入学を妨害しようとした意図が明確になった今、
対処を先延ばしにすることのコストが、
対処するコストを上回った。
ルークは右手を、ごくわずかに動かした。
ゴールは走りながら、自分の両腕と両脚に、
全く説明のつかない感覚を覚えた。
何かが、内側から、静かに——
音は四つあった。
ゴールは勢いのまま地面に突っ込んだ。
何が起きたかを理解するより前に、痛みが来た。
叫び声が上がった。
訓練場の外まで届くような声だった。
それも仕方がなかった。
ゴールの四肢は、ルークが操った力によって
肩と股関節から切り離されていた。
失血は起きていなかった
——ルークは断面を処理していた
——しかし、四肢を失った人間の感覚が
どれほど凄絶なものかは、想像に難くない。
二人の取り巻きは、
何が起きたかを理解できないまま、
ただ立っていた。
彼らはルークを見た。
ルークは彼らを見た。
「帰れ」とルークは言った。
二人は走って逃げた。
ゴールの声が次第に細くなり、
そして止まった。
失神したのだった。
---
### 二
ルークはゆっくりとゴールに近づいた。
切り離された四肢は、
それぞれが元あった場所に宙吊りになっていた。
ルークが意識でそこに留めていた。
血は一滴も地面に落ちていなかった。
彼はしゃがんで、ゴールの青ざめた顔を見た。
意識のない顔は、普段より幾分幼く見えた。
威圧も傲慢さも消えると、単に愚かな少年だった。
それが可哀想かといえば、そうは思わなかった。
可哀想さは、
本人が変わる意志を持った時に初めて意味を持つ。
四肢を戻した。
骨と肉と腱が繋がる感覚を、
ルークは自分の指先に確認しながら、
正確に元通りに組み直した。
外傷は完全に消えた。
ゴールの体は、傷ひとつない状態に戻っていた。
「これで少しは
大人しくなってくれればいいんだけど」
独り言のように言った。
おそらく、ならない。
ゴールという人間の構造を理解していれば、
その結論は避けがたかった。
彼が今日の出来事から学ぶとしても、
学ぶのは「弟に変な魔法障壁がある」
「遠距離からの謎の攻撃に気をつけろ」
という程度だろう。
本質には届かない。届ける気もなかった。
では、何が有効か。
ルークは少し考えた。
それから、ゴールの両脚に手を当てた。
今度は繊細な作業だった。
骨の内部、複数の箇所に、精密な力を加えた。
骨折の特性は様々だ。
単純骨折は扱いが簡単だ。
複雑骨折——複数の破片が生じ、
神経や血管と複雑に絡み合った状態
——は、治癒に時間がかかる。
最低でも数ヶ月。
適切な処置を受けなければ、それ以上。
両脚に、複雑骨折を施した。
ゴールの顔が、無意識の中で苦痛に歪んだ。
「これで学院への入学は遅れるだろう」
ルークは立ち上がった。
言葉は誰に向けたものでもなかった。
確認の言葉だった。
やがてゴールが目覚めた時、彼は何を思うだろうか。
弟が魔法障壁が使える事を隠していたから
やられたと悔しがるかも。
それ以上のことは思わないだろう。
謎の四肢切断については、
おそらく自分の混乱した記憶のせいにするか、
弟が自分の知らない攻撃魔法を使ったと解釈するだろう。
この世界に超能力という概念がない以上、
彼が別の答えに辿り着く手段はなかった。
知らないのだから、それは当然のことだ。
訓練場を出る前に、一度だけ振り返った。
地面に横たわるゴールを見た。
屋敷の方から、使用人たちが走ってくる気配があった。
あの取り巻きたちが何かを伝えたのだろう。
ルークは向き直り、歩き始めた。
陽光が訓練場の石畳を白く照らしていた。
空は澄んでいた。
風が、城壁の旗を揺らしていた。
ルークは自分の手を見た。
何も変わっていない手だった。
それは当然だった。
彼がしたことは、
彼にとって、息を吐くことと
同じくらいの労力しか必要としなかった。
学院に行ったら、何があるだろうかと、
ルークは考えた。
魔法のない少年が魔法の学院に通う。
それはそれで、面白い話の始まりかもしれない。