東海道新幹線が
東京オリンピックに合わせ
1964年10月1日に
東京~新大阪間515.4kmが開業しました。
所要時間は4時間 最高速度は210km/h
建設期間5年6カ月 総工費は3,800億円です。

建設が決定した1950年代
この事業は
戦艦大和の建造に続き
「世界四バカ事業」になるという意見がありました。

当時の時代背景として
航空機や自動車の発展が予測されていましたので
最高速度が低く
小回りもきかない鉄道は
過去の文明の遺物という見方が
世界の主流を占めておりました。

このような批判的な考えは
アメリカで鉄道が建設され始めた1830年代当時にもありました。
当時の輸送手段は馬車と運河を利用する船が主流で
目的地まで自由に行ける馬車と異なり
無駄で役に立たないものと考えられていました。
しかし
1861年にリンカーンが大統領に当選すると
南部諸州がアメリカ合衆国から脱退し
南北戦争がはじまります。
この時になって
短時間で大量輸送のできる
鉄道の重要さを人々は認識します。
南北戦争が終わり
人口が増え始めると
アメリカは経済成長の時代を迎えます。
西部開拓で大陸横断鉄道が建設されると
鉄道はその重要性をさらに増します。

大富豪のアンドリュー・カーネギーは
線路や橋の建設資材として
鉄の重要さをいち早く見抜き
鉄鋼王として莫大な富を形成します。

時代は変わっても
時間は大切な資源であることを
十分認識しておきたいものです。
これは
武漢ウイルスで経済が後退しても
不変の真理です。
東京~大阪間において
新幹線は1日約32万人を運ぶことができますが
航空機は約3万人で1/10以下です。(2011年度)

今後
リニア新幹線の竣工が近づいてくると
同じような議論がマスメディアを通して
行われるかもしれません。

大量の人や物を安全に短時間で

輸送できる交通手段が

経済効率を上げ
その国の国富を増やすことを
忘れないようにしたいと考えています。

マクロでもミクロでも
時間が貴重な資源であることは
永遠の真理であり
この真理を体得した人には
無限の富がやってくると信じています。
皆様の富形成の参考になれば幸いです。

太平洋戦争末期
帝国海軍士官のあいだで「世界の三バカ」という言葉が
流行していたそうです。
大きな図体をしながら役に立たないことを揶揄して言ったもので
エジプトのピラミッド
中国の万里の長城

日本の戦艦大和
です。

帝国海軍の士官たちは
いつまでも大艦巨砲主義に凝り固まっていた
海軍首脳を批判して
自虐的に言っていたものと推定されます。

戦艦大和は
排水量は満載時、世界最大の72,809トン
46センチ砲3基9門を備え
速力はこの規模の戦艦では27ノット(時速50km)を誇っており
日本が国産の戦艦を建造した明治43年(1930)から
わずか30年で
世界一の戦艦を自前で造りました。
満載排水量26,000トンのいずも (護衛艦)が

30ノット(時速55km)なので

この速度は驚異的です。

 

一方
「大和ホテル」と悪口を言われる理由も
士官室は冷暖房完備にシャワーもあって
居住性は快適なうえに、食事もおいしく
アイスクリーム工場もあったようで
必死に戦っているの兵からの不満が

このような表現になったのだと思います。
しかしながら
この技術力は賞賛に値すべきもので
この事実は後世に伝えるべきだと思います。

建造費は諸説あるようで

当時の金額で1億4000万円程度です。

現在価値に直すと

物価指数を参考にした場合は約一千億円

国家の予算規模比率を参考にした場合は3兆円弱となります。

ちなみに

いずも 1,208億円 

あたご型イージス護衛艦 1453億円

ステルス戦闘機F-35 ライトニング II 125億円

 

1543年に鉄砲が種子島に伝来し
32年後、1575年の長篠の戦いでは
自国製の鉄砲が3,000挺も使用されており
(実際は1,000挺程度だったようです)
関ケ原の戦いでは
25,000挺の鉄砲が使用されたとも言われています。
当時、ヨーロッパ全体で約3万挺の銃しかなかった時
日本には55,000挺ほどあったと言われており
世界一の軍事大国だったのです。

これらの事例は日本人の技術力の高さ
精密さ、正確さをよくあわわしていると思います。

話は少しそれましたが
1945年4月7日14時23分
大和は
片道の燃料を積んで
沖縄水上特攻に向かいます。

しかし
九州坊ノ岬沖で米軍機による航空攻撃を受けて沈没しました。
この作戦で4037人もの英霊の方々が戦死しております。
沖縄の方々は
日本本土から見放され

自分たちは犠牲になったといいますが
この軍事行動から見ても
そのようなことは決してないと断言できます。
 

大和に乗船していた方々は
死を覚悟して
沖縄防衛に向かわれました。
大和と武蔵を有効活用できなかった責任は
海軍幹部にあり
もう少ししっかりした戦略があれば
レイテ沖海戦でもミッドウェー海戦でも
大和はその使命を果たしていたと思います。
馬鹿事業と評することは
これらの英霊の方々に対して
失礼です。
 

現在でも大和をバカ事業と考えている方々には
事実を知ってもらいたいと思います。
そして

日本のために戦われた英霊の方々に対して

心からご冥福をお祈りします。

ハル・ノートや宋美齢を通して

大東亜戦争回避についての考察です。

 

パール判事が

極東国際軍事裁判の判決書に

ハル・ノートのようなものをつきつけられれば
モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ

戦争に訴えただろうと言っています。

 

アメリカ側の交渉担当者であったコーデル・ハル国務長官の名前から

ハル・ノートと呼ばれているもので

正式な名称は

日米間の基本協定に関する概略

(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)

といわれています。

提案内容の冒頭に

Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment
(極秘であるが、一時的なもので拘束力はない)

と記述されており

アメリカ政府の正式な提案や最後通牒ではなく

「覚書」程度の位置づけと考えてよいものです。

 

1941年4月16日(1941年12月8日真珠湾攻撃)

ハル国務長官は野村大使と会談し

以下の四原則を示し
1.すべての国の領土と主権尊重
2.他国への内政不干渉を原則とすること
3.通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
4.平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持
 

日米政府の採るべき10の措置を示しました。
1.イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
2.仏印(フランス領インドシナ) の領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
3.日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indo-China.

4.日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党重慶政府)以外のいかなる政府も認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
5.英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を

  得るための両国の努力
6.最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本資産の凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結を解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.日米が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない

    (日独伊三国軍事同盟の実質廃棄)
Both Governments will agree that no agreement which either has concluded with any third powers shall be interpreted by it in such a way as to conflict with the fundamental purpose of this agreement, the establishment and preservation of peace throughout the Pacific area.

10.本協定内容の両国による推進

 

日本政府としては、3.と9.は当然飲めない措置であったはずです。

 

一方、

中華民国の指導者だった蒋介石の妻

宋美齢(1898年~2003年)は

上海の上級階級生まれで

9歳の時、姉の慶齢と共にアメリカに留学

中・高をジョージア州で過ごしたあと

マサチューセッツ州にある名門女子大学

ウェルズリー大学に入学し

1917年に首席で卒業しています。

10年後の1927年12月に

中華民国の指導者となった蒋介石と29歳で結婚します。

さらに十年後の1937年に日中戦争が勃発します。

 

日中戦争で中華民国は苦戦していましたが

蒋介石の「通訳」として妻の美齢は

駐中大使館附の軍部幹部と交渉に同席し

アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出しています。

さらに

第二次世界大戦中の1942年11月から1943年5月には

ルーズベルト大統領直々の招聘でアメリカを訪問し

アメリカ政府の全面的なバックアップを受けて

アメリカ全土を巡回し

自ら英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けました。
特に1943年2月18日には

アメリカ連邦議会において

中華民国空軍のバッジを着けたチャイナドレス姿で登場し

抗日戦へのさらなる協力を求める演説を行い

連邦議員をはじめ全米から称賛を浴び、支持を増やしました。

 

この時点で、日本の敗戦は決まったも同然だと思います。

 

この2つの事象から学ぶべき点として

ハル・ノートに関しては

日本は真面目に扱い過ぎた点が悔やまれます。

最後通牒ではないので、無視しても戦争になることはないので

日本人の真面目な気質が裏目に出た最悪のケースだと思います。

この時点で

満州鉄道の共同経営と受け入れていれば

アメリカとの戦争は回避できたと思います。

自国の権益のみを優先させた強欲な態度が

自滅への道につながった面は否めません。

個人の人生としても教訓として学びたい点です。

 

宋美齢については

戦略的には感服します。

9歳から約20年アメリカで過ごし

上流階級の友人や知人も多かったのでしょう。

しかも

バイリンガルで流暢な英語を喋れた点で

日本の戦略の貧困さが目立ちます。

 

山本連合艦隊司令長官や栗林中将も

アメリカに駐在していますが

アメリカの物質的豊かさを実感し

戦争をしても勝てないことは知っていましたが

アメリカが大衆の意見で政策が左右されるところまで

見抜けなかった点はとても悔やまれます。

この点

宋美齢は世論を動かす術を熟知していました。

当時

日本でもこのようなことに精通している人物がいれば

戦争回避の方法は色々考えついたと思います。

 

親中派形成の中国の戦略は当時から

現在でも続いています。

日本も

この点における親日派形成の戦略は

今後は構想すべきと考えます。

 

人脈形成はとても大事であることが

このケースから学ぶことができます。

そのためには

語学に精通すること

相手の文化を理解すること

国家戦略としてこのような点に配慮した

教育を実施していけば

日本は国際平和にもっと貢献できると思います。

靖國神社にパール判事の顕彰碑が建立されており
そこには、以下の文面が書かれています。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには
 また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには
 そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら
 過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。」
 When time shall have softened passion and prejudice
  when Reason shall have stripped the mask from misrepresentation
  then Justice, holding evenly her scales,
  will require much of past censure and praise to change places.

パール判事(1886年~1967年)は
インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授
国際連合国際法委員長を歴任した方です。

パール判事は
この裁判を判決ありきの茶番劇と主張し
裁判そのものを批判して
被告の全員無罪を主張しました。
パール判決書(Dissentient Judgment of Justice Pal)として
膨大な量の英文による判決書があります。
しかし
この判決書は法廷においては公表されず
あたかも全判事の一致した結論として
この裁判は行われ
我が国の優秀で高潔な人材が
多数処刑されています。

裁判憲章の
平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり
罪刑法定主義の立場から
被告人を有罪とする根拠自体が成立しないという判断は
法律を正式に勉強していなくても
正しい判断であることは理解できます。
さらに
戦勝国が敗戦国を
このような形で裁くことは
ハーグ陸戦条約にも違反しています。

日本によるこの戦争を
一方的な侵略戦争とは断定できないとの判決は
注目すべき点です。

この判決を裏付ける事実として
1950年6月25日
朝鮮戦争が始まり
1951年5月3日の米国上院の軍事外交合同委員会で
マッカーサーは以下の発言をしています。
They feared that if those supplies were cut off,
there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、
一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを
彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

日本は
朝鮮半島におけるソ連や中国の南下政策を
自国の防衛計画上
非常に懸念していました。
侵略意図が全くなかったとは思いませんが
自衛的な意図があったのはその通りだと思います。

30万人もの人が虐殺されたという南京事件についても
検察の提示した多くの証言や証拠に対して
「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」
と強い疑問を呈しています。

また
非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば
日本への原子爆弾投下を決定した者こそを
裁くべきであろうと述べています。
原爆投下を除いても
アメリカは
東京大空襲で
一般民間人の殺害を目的に
60回を超える空襲を行い
確認された死者の遺体数は
10万人を超えています。

ハル・ノートのようなものをつきつけられれば
モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう
とも述べておりますが
このノートには
冒頭に
Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment
(極秘であるが、一時的なもので拘束力はない)
という但し書きがあり
アメリカ政府の正式な提案ではないことを
日本政府が冷静に理解できていれば
このノートを無視して
戦争回避の方法を模索できたかもしれません。

いずれにしても
パール判事は
公平に、公正に
この裁判に臨まれたと思います。
その真摯な態度に
心から敬意を表しています。

先の大東亜戦争において
日本の戦争責任が存在しないとは考えていません。
しかし
パール判事や李登輝総統など
公平に日本を評価してくれる方々がいることを
我々ももっと知ることは大切だと思います。
日印、日台関係が
更に良好なものとなって
世界平和に貢献できることを
心から祈念しています。

良妻賢母についての考察です。

 

良妻賢母で有名な女性は

土佐藩初代藩主山内一豊の正室だった

山内千代(1557年~1617年)でしょう。

晩年、夫が亡くなった後は

出家して見性院(けんしょういん)という

法号を受けています。

 

彼女が生きたのは安土桃山時代で

400年ぐらい前の時代です。

武将の妻だった人が

現在でも高知城にその像が存在しています。

これだけでも極めて突出した女性だったことが

想像されます。

 

有名な逸話として

嫁入りの持参金(黄金十枚)を用立てて

夫である一豊の欲しがった名馬を購入しました。

軍馬を集めて検分する馬揃えの際に

信長に認められ、一豊の出世のきっかけになりました。

(現在の価値だと200万円程度と言われています。)

 

1600年7月

大坂の石田三成は

家康に味方しそうな大名の妻子を人質に取り

家康方の動きをけん制しようとしていました。

その時に、大坂城より千代に書状が届きます。

この書状は三成へ味方を促すもので

一豊に届けるように使者はいいます。

千代は夫にその書状を届けますが、

それとは別に2通の手紙をしたため

1通を届けられた未開封の書状と共に文箱に収め

もう1通を使者の笠の緒にねじ込んで届けさせます。

これが笠の緒文と言われるもので

「自分は、人質になれば自決するの覚悟なので

 心置きなく徳川氏に忠誠を尽くすように。」

とのアドバイスでした。

 

一豊は

文箱の文を未開封のまま家康に届けます。

この件で一豊は家康の絶大な信用を得ることになり

関ヶ原合戦後

土佐一国を与えられます。

千代の機転を利かした行動と

筋の通った決断力が

夫を一国の大名に出世させました。

 

これらの逸話から学んだ教訓としては

千代は

名馬を購入することが

戦国武将にとって必要な武器であること

を理解していました。

現代的には

夫が将来職場で必要になるスキルについて理解し

その習得に援助するといった事かもしれません。

結婚当初

資金は潤沢でないため

書籍購入は家計を圧迫しますが

大切な先行投資と考えて

夫が必要とする書籍については

存分に購入させてあげて欲しいですね。

 

上司をはじめ職場における信用の度合が

その人の出世を決めるといっても過言ではありません。

その人の信用限度が出世限度に比例します。

現在は武漢ウイルスのお陰で

営業上の付合いで

帰宅が遅くなることはあまりないと思います。

残業や付合いで帰宅が遅くなっても

信用を得るための仕事の延長と考え

夫を理解してくれる妻は

本当にありがたいものです。

 

今は大体共働きで

家事も共同で行われていることが多いと思いますが

夫を立てるという

人間としての賢さを磨いて

夫の出世を喜べる妻の存在は

とても貴重な存在です。

男から見た良妻賢母の条件として

考えてみました。

うちの妻には本当に感謝しています。

何らかの参考になれば幸いです。