太平洋戦争末期
帝国海軍士官のあいだで「世界の三バカ」という言葉が
流行していたそうです。
大きな図体をしながら役に立たないことを揶揄して言ったもので
エジプトのピラミッド
中国の万里の長城

日本の戦艦大和
です。

帝国海軍の士官たちは
いつまでも大艦巨砲主義に凝り固まっていた
海軍首脳を批判して
自虐的に言っていたものと推定されます。

戦艦大和は
排水量は満載時、世界最大の72,809トン
46センチ砲3基9門を備え
速力はこの規模の戦艦では27ノット(時速50km)を誇っており
日本が国産の戦艦を建造した明治43年(1930)から
わずか30年で
世界一の戦艦を自前で造りました。
満載排水量26,000トンのいずも (護衛艦)が

30ノット(時速55km)なので

この速度は驚異的です。

 

一方
「大和ホテル」と悪口を言われる理由も
士官室は冷暖房完備にシャワーもあって
居住性は快適なうえに、食事もおいしく
アイスクリーム工場もあったようで
必死に戦っているの兵からの不満が

このような表現になったのだと思います。
しかしながら
この技術力は賞賛に値すべきもので
この事実は後世に伝えるべきだと思います。

建造費は諸説あるようで

当時の金額で1億4000万円程度です。

現在価値に直すと

物価指数を参考にした場合は約一千億円

国家の予算規模比率を参考にした場合は3兆円弱となります。

ちなみに

いずも 1,208億円 

あたご型イージス護衛艦 1453億円

ステルス戦闘機F-35 ライトニング II 125億円

 

1543年に鉄砲が種子島に伝来し
32年後、1575年の長篠の戦いでは
自国製の鉄砲が3,000挺も使用されており
(実際は1,000挺程度だったようです)
関ケ原の戦いでは
25,000挺の鉄砲が使用されたとも言われています。
当時、ヨーロッパ全体で約3万挺の銃しかなかった時
日本には55,000挺ほどあったと言われており
世界一の軍事大国だったのです。

これらの事例は日本人の技術力の高さ
精密さ、正確さをよくあわわしていると思います。

話は少しそれましたが
1945年4月7日14時23分
大和は
片道の燃料を積んで
沖縄水上特攻に向かいます。

しかし
九州坊ノ岬沖で米軍機による航空攻撃を受けて沈没しました。
この作戦で4037人もの英霊の方々が戦死しております。
沖縄の方々は
日本本土から見放され

自分たちは犠牲になったといいますが
この軍事行動から見ても
そのようなことは決してないと断言できます。
 

大和に乗船していた方々は
死を覚悟して
沖縄防衛に向かわれました。
大和と武蔵を有効活用できなかった責任は
海軍幹部にあり
もう少ししっかりした戦略があれば
レイテ沖海戦でもミッドウェー海戦でも
大和はその使命を果たしていたと思います。
馬鹿事業と評することは
これらの英霊の方々に対して
失礼です。
 

現在でも大和をバカ事業と考えている方々には
事実を知ってもらいたいと思います。
そして

日本のために戦われた英霊の方々に対して

心からご冥福をお祈りします。