通勤途中
路上にセミの幼虫がいたので
車に踏みつぶされないよう保護し
職場の木に留らせて
羽化できるようにしましたが
保護した時点であまり元気がなく
心配した通り
羽化できずに木から落ちて
アリが群がっていました。
もののあわれ、諸行無常を感じた瞬間でした。

子供の頃は
父母の実家で
カブトムシ、クワガタ、セミを
よく捕まえておりました。
セミは捕まえてもすぐに死んでしまい
それでも、また、捕まえていましたので
今、振り返ってみると
本当に、多くのセミに対して
申し訳ないことをしていたと
懺悔の気持ちで一杯です。

羽化したセミは
1週間位しか生きられないと言われていますが
実際には1か月程度は生きているようです。
幼虫として
土の中に3~6年過ごした後(中には10年以上)
ようやく羽化して
成虫として子孫維持のために
短い期間を精一杯生きている姿を見ていると
応援したくなる気持ちになります。

幼虫時は
モグラ、ケラ、ゴミムシなどの天敵
成虫になっても
人間、カラス、猫、鳥、肉食のハチなどの
外敵がいます。
さらに
半分以上のセミが羽化に失敗するようです。

このような事実を知ると
安易にセミを捕獲する気になれません。
5年の土中生活とすると1,825日
1か月の成虫生活は30日
地上生活は僅か3%しかありません。
それでも
セミや蝶など
羽化して空を飛べる喜びは
我々人間には
地上生活をしている間
想像できないかもしれません。

しかし
自分の使命を全うして
多くの人を幸福にした人は
菩薩や天使として

天上界に還ったとき羽が生える

といわれています。
その時
セミや蝶の喜びを
実感できるのかもしれません。
神仏が
この様な喜びを
我々人間に教えようとして
セミや蝶を創造されたのかもしれません。

 

今年は長梅雨で

セミの羽化も遅かったような気がします。

今日の幼虫に出会って

色々と考えさせられました。

石油メジャーについての考察です。

戦後の日本の石油産業は
米英を主軸にした国際石油資本のメジャーの支配下にありました。
当時の国内石油会社は経営を成り立たせるため
メジャー支配の取次店に過ぎず
日本市場は、高価で品質の劣る石油製品が
出回っていました。

イギリスの影響下にあったイランは
戦後独立していたものの
当時
世界最大の埋蔵量があると推定されていましたが
その石油資源はイギリス資本の支配下にあり
イラン政府の収益にならず
国民もその利益を享受できない状況でした。
(イギリスのインド支配も
 搾取だけで植民地の利益は一切考えていません。)

そこで
イラン政府は1951年に
石油の国有化を宣言します。
反発したイギリスは
中東に軍艦を派遣し
石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明します。
事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスに
イランは態度を硬化させ、両国の戦争が危惧されていました。

このような日本とイランの状況下
1953(昭和28)年3月
日本の出光興産は
イギリスの攻撃によるタンカー撃沈で
会社倒産のリスクがありましたが
イランの窮乏している人々を支援し
日本とイランの友好関係を維持するため
アバダンにタンカー(日章丸)を派遣します。
イランから石油を買付けた日章丸は
浅瀬や機雷などを突破し
イギリス海軍の裏をかいて衝突を回避
海上封鎖を突破して
大勢の人の歓迎を受けるなか
5月9日に川崎港に帰港します。

その後
英国アングロ・イラニアン社(ブリティッシュ・ペトロリアムの前身)は
積荷の所有権を主張し、出光興産を東京地裁に提訴します。
これが「日章丸事件」と言われる事件で
法廷で争われることになります。
裁判の経過は新聞でも大きく取り上げられましたが
アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため
出光興産の勝利となりました。

この事件は
産油国との直接取引の先駆けを成すもので
日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。
敗戦で自信を喪失していた当時の日本にとって
この快挙は
横暴で貪欲な欧米の企業に一矢報いた事件でした。
この一件で
イランは今でも親日派が多いのです。
これを題材にした小説や映画が
「海賊とよばれた男」
として一時有名になりました。

欧米のアングロサクソン系企業は
現在でも白人優位の考えを
内心では持っているのでしょう。
現在でもエネルギー資源の分野に
進出することは
とても危険であるといわれています。

日本の近海には
メタンハイドレートが
豊富に蓄蔵されていますが
もし
この資源が実用化され
石油の輸入が必要なくなるようになれば
欧米の石油メジャーは
あらゆる手段を講じて
妨害してくるはずです。

今後
武漢ウイルスで
世界経済が混沌とする中
出光興産の佐三社長のような
消費者目線で反骨精神を持った
ヒーローが現れ
資源のない日本という
従来の思い込みをひっくり返してくれる
人物が出てきてくれることを
心底願っています。

1945年8月15日は
日本の敗戦日です。
昭和天皇による終戦の詔書が
玉音放送としてラジオで流れ
国民全員が敗戦を自覚した日です。
戦勝国のアメリカからすれば
終戦記念日としてお祝いするのかもしれませんが
この言葉を日本人が使うのは
我々子孫のために命を賭して戦った英霊に対して
失礼な気がします。

アメリカが
日本がポツダム宣言を受諾し
降伏文書に署名した9月2日を
Victory over Japan day(対日戦勝記念日)
と呼んで祝うのは勝手ですが
我が国が記念日と呼ぶのは不適切な気がします。

1944年六月、マリアナ諸島、サイパンの線を絶対国防圏として
戦った日本軍は敗退し
硫黄島での戦いが始まったとき
すでに日本には継戦能力はありませんでした。
他の島嶼防衛戦闘では、補給も無く、兵力も十分でなかっった日本軍は
バンザイ突撃で玉砕するパターンがほとんどでした。

フィリピンを征圧した米軍は、
日本本土を空爆するための飛行場
損傷したB29の不時着飛行場として、硫黄島の占拠を目指します。
日本側としては、硫黄島が占領されると、
日本本土への空爆が強化されるため
絶対に守り通す必要がありました。

このような戦況を背景に
1944年六月 硫黄島防衛の指揮官として
栗林中将が着任します。
栗林中将は、勝てない戦いであることを承知していましたが
潔く玉砕するより
一日でも長く米軍を硫黄島に釘付けし
米軍に損害を与え続けることを目標としました。
 

1945年2月19日に戦闘が開始されます。
当初、数日で征圧できると予想していた米軍は
一ヶ月以上(3月17日)もの激闘の末に
ようやく硫黄島を占拠しましたが
日本軍の死傷者数(約二万人)を超えた
二万八千名もの死傷者を出しています。
(日本軍はほぼ戦死、米軍の死者は約七千名)

栗林中将の長期戦を考えた作戦は
全島にトンネルを築いて
地下要塞を建設することでした。
兵士たちは
高温(夏場で外気温は40℃近く、地下は50℃)の中
硫黄ガスの噴出する地下を手作業で掘り進め、
総延長十八キロに及ぶ洞窟陣地を建設しました。
この地下要塞のおかげで
米軍が上陸前に放った二万トンもの砲弾も
日本軍を傷つけることは出来ず
すでに生存者すらいないと安心しきっていた米軍は
1945年2月19日の朝、
水陸両用装甲車と上陸用舟艇合わせて750隻で押し寄せましたが
ほぼ無傷だった日本軍の激しい攻撃を受けて
海岸で2,400名もの戦死者を出しました。

しかし
戦闘に至るまでの準備は
とても過酷なものでした。
穴を掘るシャベルやツルハシなどなく
50℃近い灼熱の中

手作業で掘ることを想像すると
涙が止まりません。
火山である硫黄島の地下では
防毒マスクを着用しながらの作業であるため
連続した作業は5分間程度しか続けられなかったようです。
しかも、灼熱の中
飲用となる清水は雨水しかなく、
塩辛く硫黄臭のする井戸水で
激しい下痢に悩まされた兵士たちが大勢いたようです。

どうせ生きて祖国の地を

再び踏むことのない戦闘であれば
バンザイ突撃のほうが
楽に死ねたかもしれません。
しかし
栗林中将は
君たちが一日長く戦えば
本国の日本人がその分長生きできる。
というような主旨の訓示を述べ
バンザイ突撃を禁止したようです。

3月17日16時過ぎ、栗林中将は大本営へ訣別電報と共に以下の歌を送っています。
・国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
・仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ
・醜草の島に蔓る其の時の 皇国の行手一途に思ふ 

栗林中将のこの戦いで
米軍は

日本の本土上陸における死傷者を推計し
リスクが高すぎるため
本土上陸をあきらめたようです。

毎年、この時期になると
英霊の方々への
感謝と尊崇の念が湧いてきます。
今の日本は

猛暑の中でも
好きなだけ水が飲めます。

その有難さをしみじみと感じています。

今の自分があるのは
勇気あるあなた方のおかげです。
本当にありがとうございます。

早く天上界に還られることを祈りつつ

先祖供養についての考察です。

 

阿含経 六処篇 聚落主相応に

釈尊と村の長の対話が出ています。
 村の長よ、たとえば、ここに人があって、大きな岩を深い湖に投じたとする。

 そこに、大勢の人々が集まってきて、大きな岩よ

 あがってこい、浮かんでこい、陸にあがれといいながら

 その岩のために祈り、それを讃え、合掌して、そのまわりをめぐり歩いたとするならば

 村の長よ、そなたはいかに思うか。

 その大きな岩は、大勢の人々の祈願により、礼賛により

 あるいは合掌し周行したことによって

 あがってくるであろうか、浮かんでくるであろうか、そして陸にあがってくるであろうか。
 

 大徳よ、そんなことはありえません。

 村の長よ、それとおなじく、ここに人があって、彼は人の命を取る者であり

 間違った考えをもった人間であったとするならば

 たとえ大勢の人々が集まって来て、この人が身壊れ、命終りて後には

 どうか、善処・天界に生れますようにといって

 彼のために祈り、彼を礼賛し、合掌して、そのまわりを周行したとしても

 その人は、身壊れ、命終りて後には

 やはり、六道にさまよい堕ち、悪処・苦界・地獄に生れるであろう。
 

釈尊が教えたかったことは

先祖が地獄に行くのは

因果の理法により

善行を施した者は天国に還り

悪行を行った者は地獄に落ちる。

全て、自己責任の法則によることを

教えたかったのです。

 

地獄にいる先祖が

自分が地獄にいるのは

子孫の供養が足りないとか

地上の人間が不幸なのは

先祖の因縁であるとか

不幸の原因を外に求めることを

戒めた教えです。

 

巷の先祖供養系の宗教の

間違いがこれでわかると思います。

 

それでは

先祖供養は全く効かないのか。

 

釈尊は

盂蘭盆経の中で

弟子の目連が

餓鬼道に落ちた母の苦しみを救おうとして

釈尊に救済方法を聞いた話が出ています。

 

目連は「神通第一」と呼ばれ

自分を大切に育ててくれた母が

死後、どの世界にいるかを探したところ

餓鬼の世界に落ちていたことを知りました。

餓鬼の世界は、生前に欲深かった者が行く世界で

自分の母親は、飲むものも飲めず食べるものも食べられず

ガリガリに痩せて大変苦しんでいました。
そこで

目連は、母親に神通力を使って飲み物や食べ物を送りましたが

母親がそれを口にしようとすると燃え上がり、飲むことも食べることもできません。
その様子に号泣し、母親を苦しみから救えない無力さを悲嘆して

釈尊の救出方法を尋ねます。

 

釈尊は
お前の母は罪を犯していた餓鬼の世界に落ちたのであり

その罪とは

物欲が深く、他人に対して物惜しみする罪であると教えました。
そこで

釈尊は母親を救済する方法を授けます。
「7月15日は、90日間の安居(道場や洞窟に籠もって修行を行う)が終わり

たくさんの僧が一堂に集まり、過去の罪を懺悔して

さらに仏道の修行に勤しむ日(「自恣日」)である。
この日、僧たちに、

飯・百味(多くの飲食物)・五果(五種の果実)・水・灯明・寝具などを供養しなさい。
いかにお前が親を思う気持ちが強く、母を救いたいと思っても

母の罪は深いから、どうすることもできないのだ。

天神、地神、邪鬼、外道、道士、四天王神たちでも

救うことはできないのだ。
しかし

たくさんの僧への供養によって

お前の両親はもちろん、過去7世の父母や親族たちも

罪を免れ、苦しみから救われるであろう

とお教えになったといいます。
 

喜んだ目連は

教えられたとおり衆僧に供養をして

過去7世の父母に報恩追善の誠をささげ

餓鬼道にあった母は救われたといいいます。
目連は

私の父母たちは、三宝の功徳の力のお陰で救われました。

もし、これからのすべての人たちが、私と同じように願ったときも

またこのようにしたら救えるものでしょうか

と尋ねました。
 

釈尊は

僧侶、国王から始まって庶民にいたるまで、孝行をしたいと願うなら

自分を産んでくれた父母と、過去7世の父母のために

7月15日の僧自恣の日に、

百味飲食を供えて、十方衆僧に施しなさい。

そうすれば、

その者たちも天の世界の楽しみを享受するようになるであろう

と答えられたということです。

 

これが廻向と言われるもので

仏・法・僧の三宝に帰依し

先祖供養をすることで

地獄にいる先祖に

救済の光が投げかけられ

生前の間違いを速やかに反省され

天国へ上がれることになります。

 

例えとしては

海で溺れている人に

浮き輪を投げる行為に当たるでしょう。

溺れている人の力が強いと

こちらも一緒に

海に落ちることもあります。

自力による先祖供養の危険な面です。

なるべくなら

正当な宗教の精舎などで祈願をされることが

危険が少ないと思います。

 

先祖供養と廻向について

皆様の参考になれば幸いです。

照魔鏡とは、妖怪や悪魔の正体を照らし

暴き出す伝説の鏡と言われています。

 

実は

この鏡は、死後

三途の川を渡ってから

その人の全人生について

自分が

どのようなことを考え

どのような行為をなしてきたか

を映し出し鏡です。

 

つまり

妖怪や悪魔でなく

自分自身の正体を知らされる鏡です。

人間の魂には

想念体という記憶領域があり

そこには

ある事象に対する

その人の思考が記憶されます。

そして

その思考に基づく行為も記憶されます。

 

三途の川は

意識の境界線を象徴しているもので

この世との離別を本人に自覚させるものです。

三途の川を渡り

あの世に来たことを自覚した段階で

照魔鏡に映し出された

自分の姿を見せられます。

この時に

祖父母や両親をはじめ

生前に親しかった人たちが

その鏡を観に来るようです。

 

観終わった後

自分で

天国に往くか

地獄で反省するかを決めます。

神仏に創られて尊い魂が

この肉体に宿り

不自由なこの三次元世界で

人生修行として

どれだけ霊性を磨くことができたか

具体的には

自我我欲のまま自己中心的な人生を生き

人々に迷惑をかけた人生でなかったか

人生途上で出逢った人々に

優しく接してあげられたか

この世の中に貢献できたか

などを

神仏の正しさを基準に

自己責任で評価することになります。

評価結果として

神仏の正しさから50点未満の場合は

地獄へ赴き反省することになります。

 

ただし

生前に間違った思いや行為そしても

その都度

それを反省し

神仏にわびることをすることで

その間違いは消去されます。

そのため、

すべての宗教で

反省や悔い改め、禊払いなどを

勧めているのです。

 

自分の照魔鏡を親しい人たちと観て

全く恥ずかしくない人は

ほとんどいないと思います。

少なくとも

神仏の心に適った部分が

50パーセント以上になるように

努力したいと思っています。

 

お盆のこの時期

自分の人生を振り返ってみることも

いい時期かと思います。