石油メジャーについての考察です。

戦後の日本の石油産業は
米英を主軸にした国際石油資本のメジャーの支配下にありました。
当時の国内石油会社は経営を成り立たせるため
メジャー支配の取次店に過ぎず
日本市場は、高価で品質の劣る石油製品が
出回っていました。

イギリスの影響下にあったイランは
戦後独立していたものの
当時
世界最大の埋蔵量があると推定されていましたが
その石油資源はイギリス資本の支配下にあり
イラン政府の収益にならず
国民もその利益を享受できない状況でした。
(イギリスのインド支配も
 搾取だけで植民地の利益は一切考えていません。)

そこで
イラン政府は1951年に
石油の国有化を宣言します。
反発したイギリスは
中東に軍艦を派遣し
石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明します。
事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスに
イランは態度を硬化させ、両国の戦争が危惧されていました。

このような日本とイランの状況下
1953(昭和28)年3月
日本の出光興産は
イギリスの攻撃によるタンカー撃沈で
会社倒産のリスクがありましたが
イランの窮乏している人々を支援し
日本とイランの友好関係を維持するため
アバダンにタンカー(日章丸)を派遣します。
イランから石油を買付けた日章丸は
浅瀬や機雷などを突破し
イギリス海軍の裏をかいて衝突を回避
海上封鎖を突破して
大勢の人の歓迎を受けるなか
5月9日に川崎港に帰港します。

その後
英国アングロ・イラニアン社(ブリティッシュ・ペトロリアムの前身)は
積荷の所有権を主張し、出光興産を東京地裁に提訴します。
これが「日章丸事件」と言われる事件で
法廷で争われることになります。
裁判の経過は新聞でも大きく取り上げられましたが
アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため
出光興産の勝利となりました。

この事件は
産油国との直接取引の先駆けを成すもので
日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。
敗戦で自信を喪失していた当時の日本にとって
この快挙は
横暴で貪欲な欧米の企業に一矢報いた事件でした。
この一件で
イランは今でも親日派が多いのです。
これを題材にした小説や映画が
「海賊とよばれた男」
として一時有名になりました。

欧米のアングロサクソン系企業は
現在でも白人優位の考えを
内心では持っているのでしょう。
現在でもエネルギー資源の分野に
進出することは
とても危険であるといわれています。

日本の近海には
メタンハイドレートが
豊富に蓄蔵されていますが
もし
この資源が実用化され
石油の輸入が必要なくなるようになれば
欧米の石油メジャーは
あらゆる手段を講じて
妨害してくるはずです。

今後
武漢ウイルスで
世界経済が混沌とする中
出光興産の佐三社長のような
消費者目線で反骨精神を持った
ヒーローが現れ
資源のない日本という
従来の思い込みをひっくり返してくれる
人物が出てきてくれることを
心底願っています。