先祖供養についての考察です。

 

阿含経 六処篇 聚落主相応に

釈尊と村の長の対話が出ています。
 村の長よ、たとえば、ここに人があって、大きな岩を深い湖に投じたとする。

 そこに、大勢の人々が集まってきて、大きな岩よ

 あがってこい、浮かんでこい、陸にあがれといいながら

 その岩のために祈り、それを讃え、合掌して、そのまわりをめぐり歩いたとするならば

 村の長よ、そなたはいかに思うか。

 その大きな岩は、大勢の人々の祈願により、礼賛により

 あるいは合掌し周行したことによって

 あがってくるであろうか、浮かんでくるであろうか、そして陸にあがってくるであろうか。
 

 大徳よ、そんなことはありえません。

 村の長よ、それとおなじく、ここに人があって、彼は人の命を取る者であり

 間違った考えをもった人間であったとするならば

 たとえ大勢の人々が集まって来て、この人が身壊れ、命終りて後には

 どうか、善処・天界に生れますようにといって

 彼のために祈り、彼を礼賛し、合掌して、そのまわりを周行したとしても

 その人は、身壊れ、命終りて後には

 やはり、六道にさまよい堕ち、悪処・苦界・地獄に生れるであろう。
 

釈尊が教えたかったことは

先祖が地獄に行くのは

因果の理法により

善行を施した者は天国に還り

悪行を行った者は地獄に落ちる。

全て、自己責任の法則によることを

教えたかったのです。

 

地獄にいる先祖が

自分が地獄にいるのは

子孫の供養が足りないとか

地上の人間が不幸なのは

先祖の因縁であるとか

不幸の原因を外に求めることを

戒めた教えです。

 

巷の先祖供養系の宗教の

間違いがこれでわかると思います。

 

それでは

先祖供養は全く効かないのか。

 

釈尊は

盂蘭盆経の中で

弟子の目連が

餓鬼道に落ちた母の苦しみを救おうとして

釈尊に救済方法を聞いた話が出ています。

 

目連は「神通第一」と呼ばれ

自分を大切に育ててくれた母が

死後、どの世界にいるかを探したところ

餓鬼の世界に落ちていたことを知りました。

餓鬼の世界は、生前に欲深かった者が行く世界で

自分の母親は、飲むものも飲めず食べるものも食べられず

ガリガリに痩せて大変苦しんでいました。
そこで

目連は、母親に神通力を使って飲み物や食べ物を送りましたが

母親がそれを口にしようとすると燃え上がり、飲むことも食べることもできません。
その様子に号泣し、母親を苦しみから救えない無力さを悲嘆して

釈尊の救出方法を尋ねます。

 

釈尊は
お前の母は罪を犯していた餓鬼の世界に落ちたのであり

その罪とは

物欲が深く、他人に対して物惜しみする罪であると教えました。
そこで

釈尊は母親を救済する方法を授けます。
「7月15日は、90日間の安居(道場や洞窟に籠もって修行を行う)が終わり

たくさんの僧が一堂に集まり、過去の罪を懺悔して

さらに仏道の修行に勤しむ日(「自恣日」)である。
この日、僧たちに、

飯・百味(多くの飲食物)・五果(五種の果実)・水・灯明・寝具などを供養しなさい。
いかにお前が親を思う気持ちが強く、母を救いたいと思っても

母の罪は深いから、どうすることもできないのだ。

天神、地神、邪鬼、外道、道士、四天王神たちでも

救うことはできないのだ。
しかし

たくさんの僧への供養によって

お前の両親はもちろん、過去7世の父母や親族たちも

罪を免れ、苦しみから救われるであろう

とお教えになったといいます。
 

喜んだ目連は

教えられたとおり衆僧に供養をして

過去7世の父母に報恩追善の誠をささげ

餓鬼道にあった母は救われたといいいます。
目連は

私の父母たちは、三宝の功徳の力のお陰で救われました。

もし、これからのすべての人たちが、私と同じように願ったときも

またこのようにしたら救えるものでしょうか

と尋ねました。
 

釈尊は

僧侶、国王から始まって庶民にいたるまで、孝行をしたいと願うなら

自分を産んでくれた父母と、過去7世の父母のために

7月15日の僧自恣の日に、

百味飲食を供えて、十方衆僧に施しなさい。

そうすれば、

その者たちも天の世界の楽しみを享受するようになるであろう

と答えられたということです。

 

これが廻向と言われるもので

仏・法・僧の三宝に帰依し

先祖供養をすることで

地獄にいる先祖に

救済の光が投げかけられ

生前の間違いを速やかに反省され

天国へ上がれることになります。

 

例えとしては

海で溺れている人に

浮き輪を投げる行為に当たるでしょう。

溺れている人の力が強いと

こちらも一緒に

海に落ちることもあります。

自力による先祖供養の危険な面です。

なるべくなら

正当な宗教の精舎などで祈願をされることが

危険が少ないと思います。

 

先祖供養と廻向について

皆様の参考になれば幸いです。