靖國神社にパール判事の顕彰碑が建立されており
そこには、以下の文面が書かれています。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには
また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには
そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。
When time shall have softened passion and prejudice
when Reason shall have stripped the mask from misrepresentation
then Justice, holding evenly her scales,
will require much of past censure and praise to change places.
パール判事(1886年~1967年)は
インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授
国際連合国際法委員長を歴任した方です。
パール判事は
この裁判を判決ありきの茶番劇と主張し
裁判そのものを批判して
被告の全員無罪を主張しました。
パール判決書(Dissentient Judgment of Justice Pal)として
膨大な量の英文による判決書があります。
しかし
この判決書は法廷においては公表されず
あたかも全判事の一致した結論として
この裁判は行われ
我が国の優秀で高潔な人材が
多数処刑されています。
裁判憲章の
平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり
罪刑法定主義の立場から
被告人を有罪とする根拠自体が成立しないという判断は
法律を正式に勉強していなくても
正しい判断であることは理解できます。
さらに
戦勝国が敗戦国を
このような形で裁くことは
ハーグ陸戦条約にも違反しています。
日本によるこの戦争を
一方的な侵略戦争とは断定できないとの判決は
注目すべき点です。
この判決を裏付ける事実として
1950年6月25日
朝鮮戦争が始まり
1951年5月3日の米国上院の軍事外交合同委員会で
マッカーサーは以下の発言をしています。
They feared that if those supplies were cut off,
there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、
一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを
彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
日本は
朝鮮半島におけるソ連や中国の南下政策を
自国の防衛計画上
非常に懸念していました。
侵略意図が全くなかったとは思いませんが
自衛的な意図があったのはその通りだと思います。
30万人もの人が虐殺されたという南京事件についても
検察の提示した多くの証言や証拠に対して
「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」
と強い疑問を呈しています。
また
非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば
日本への原子爆弾投下を決定した者こそを
裁くべきであろうと述べています。
原爆投下を除いても
アメリカは
東京大空襲で
一般民間人の殺害を目的に
60回を超える空襲を行い
確認された死者の遺体数は
10万人を超えています。
ハル・ノートのようなものをつきつけられれば
モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう
とも述べておりますが
このノートには
冒頭に
Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment
(極秘であるが、一時的なもので拘束力はない)
という但し書きがあり
アメリカ政府の正式な提案ではないことを
日本政府が冷静に理解できていれば
このノートを無視して
戦争回避の方法を模索できたかもしれません。
いずれにしても
パール判事は
公平に、公正に
この裁判に臨まれたと思います。
その真摯な態度に
心から敬意を表しています。
先の大東亜戦争において
日本の戦争責任が存在しないとは考えていません。
しかし
パール判事や李登輝総統など
公平に日本を評価してくれる方々がいることを
我々ももっと知ることは大切だと思います。
日印、日台関係が
更に良好なものとなって
世界平和に貢献できることを
心から祈念しています。