ハル・ノートや宋美齢を通して
大東亜戦争回避についての考察です。
パール判事が
極東国際軍事裁判の判決書に
ハル・ノートのようなものをつきつけられれば
モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ
戦争に訴えただろうと言っています。
アメリカ側の交渉担当者であったコーデル・ハル国務長官の名前から
ハル・ノートと呼ばれているもので
正式な名称は
日米間の基本協定に関する概略
(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)
といわれています。
提案内容の冒頭に
Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment
(極秘であるが、一時的なもので拘束力はない)
と記述されており
アメリカ政府の正式な提案や最後通牒ではなく
「覚書」程度の位置づけと考えてよいものです。
1941年4月16日(1941年12月8日真珠湾攻撃)
ハル国務長官は野村大使と会談し
以下の四原則を示し
1.すべての国の領土と主権尊重
2.他国への内政不干渉を原則とすること
3.通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
4.平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持
日米政府の採るべき10の措置を示しました。
1.イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
2.仏印(フランス領インドシナ) の領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
3.日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indo-China.
4.日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党重慶政府)以外のいかなる政府も認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
5.英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を
得るための両国の努力
6.最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本資産の凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結を解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.日米が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない
(日独伊三国軍事同盟の実質廃棄)
Both Governments will agree that no agreement which either has concluded with any third powers shall be interpreted by it in such a way as to conflict with the fundamental purpose of this agreement, the establishment and preservation of peace throughout the Pacific area.
10.本協定内容の両国による推進
日本政府としては、3.と9.は当然飲めない措置であったはずです。
一方、
中華民国の指導者だった蒋介石の妻
宋美齢(1898年~2003年)は
上海の上級階級生まれで
9歳の時、姉の慶齢と共にアメリカに留学
中・高をジョージア州で過ごしたあと
マサチューセッツ州にある名門女子大学
ウェルズリー大学に入学し
1917年に首席で卒業しています。
10年後の1927年12月に
中華民国の指導者となった蒋介石と29歳で結婚します。
さらに十年後の1937年に日中戦争が勃発します。
日中戦争で中華民国は苦戦していましたが
蒋介石の「通訳」として妻の美齢は
駐中大使館附の軍部幹部と交渉に同席し
アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出しています。
さらに
第二次世界大戦中の1942年11月から1943年5月には
ルーズベルト大統領直々の招聘でアメリカを訪問し
アメリカ政府の全面的なバックアップを受けて
アメリカ全土を巡回し
自ら英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けました。
特に1943年2月18日には
アメリカ連邦議会において
中華民国空軍のバッジを着けたチャイナドレス姿で登場し
抗日戦へのさらなる協力を求める演説を行い
連邦議員をはじめ全米から称賛を浴び、支持を増やしました。
この時点で、日本の敗戦は決まったも同然だと思います。
この2つの事象から学ぶべき点として
ハル・ノートに関しては
日本は真面目に扱い過ぎた点が悔やまれます。
最後通牒ではないので、無視しても戦争になることはないので
日本人の真面目な気質が裏目に出た最悪のケースだと思います。
この時点で
満州鉄道の共同経営と受け入れていれば
アメリカとの戦争は回避できたと思います。
自国の権益のみを優先させた強欲な態度が
自滅への道につながった面は否めません。
個人の人生としても教訓として学びたい点です。
宋美齢については
戦略的には感服します。
9歳から約20年アメリカで過ごし
上流階級の友人や知人も多かったのでしょう。
しかも
バイリンガルで流暢な英語を喋れた点で
日本の戦略の貧困さが目立ちます。
山本連合艦隊司令長官や栗林中将も
アメリカに駐在していますが
アメリカの物質的豊かさを実感し
戦争をしても勝てないことは知っていましたが
アメリカが大衆の意見で政策が左右されるところまで
見抜けなかった点はとても悔やまれます。
この点
宋美齢は世論を動かす術を熟知していました。
当時
日本でもこのようなことに精通している人物がいれば
戦争回避の方法は色々考えついたと思います。
親中派形成の中国の戦略は当時から
現在でも続いています。
日本も
この点における親日派形成の戦略は
今後は構想すべきと考えます。
人脈形成はとても大事であることが
このケースから学ぶことができます。
そのためには
語学に精通すること
相手の文化を理解すること
国家戦略としてこのような点に配慮した
教育を実施していけば
日本は国際平和にもっと貢献できると思います。