姿勢についての考察です。
 

真言密教の第八祖である空海の教えに
三密があります。

三密というと
武漢ウイルス感染防止策として
・密閉空間
・密集場所
・密接場面
の回避を思い浮かべる方が多いと思いますが

密教の三密とは
身・口・意
のことを指します。
自らの身体、言葉、心を、
仏の三密に合致させ、大日如来と一体になる修行です。
具体的には、
手に仏の象徴である印を結び(身密)、
口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、
心を仏の境地に置くこと(意密)によって、
仏と一体になることです。
身・口・意を正しく整えることで
潜在意識を活性化させ
正しい自己実現を達成することができます。

今回は、
この三密のうちの身に焦点を当てて
考察していきます。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
と言われていますが、逆も真なりで
身体を健全にすることで精神も健全になります。

私の知人から聞いた話ですが、
知人の友人の一人である中学の体育の教師が
海外へ研修に行き
教育現場のスライドを見せたところ
相手側の教師全員からブーイングされたそうです。
どの場面かというと
「体育座り」の場面です。
これは『囚人座り』であって、
ナチスドイツが開発したものです。
この座り方は戦後GHQによって
取り入れられたものです。
この姿勢をとることでによって
口が開き、目線が下がり、
思考力が低下して
行動が老人のようになっていきます。

海外の人はこの事実を
誰でも知っているので
ブーイングの嵐だったそうです。

正しい姿勢を取ることで
精神も積極的になります。
「笑う門には福来たる」の諺は真実です。
そのための簡単な実践として
朝起きたら鏡の前で
30秒、口角を上げて笑顔を作ってみてください。
これで、かなり積極的になれるはずです。
そして
スーパーマンのように
胸を張る姿勢を取りながらやると
効果はさらに大きく
「日に日に、あらゆる面で
 自分はいきなりよくなっていく!
」
と独り言をつぶやきながらやると
もっと効果が上がります。

1週間毎朝30秒やるだけで
効果を実感できるはずです。
Tiny tweaks can lead to big changes.
(ちょっと姿勢を変えるだけで大きな変化をもたらします。)
TEDでアメリカ人の方が話されています。
参考にご覧になってみてはいかがでしょう。
もちろん日本語訳もついています。

姿勢について
皆様の参考になれば幸いです。

釈尊の説かれた
八正道の3番目に
正語の徳目があります。

その前に
正見、正思がありますが
これは、
心の内面のチェックであり
「正しい判断」「正しい考え」
ということで
相手からの反応は
表面化しにくいと思います。

しかし、
正語の場合は、
主観的なチェックだけでなく
客観的な評価も
なされることになります。

言葉というものが
相手の感情に
多大な影響を与えていることを
自覚しながら話している人は
少ないはずです。
言葉一つで
相手を
敵にも味方にもしてしまうのです。

特に、家族や職場など

親しい間柄で
交わされる言葉には
注意した方がいいでしょう。
自分の体調や感情がすぐれない時
何気なく発した

ぶしつけな言葉が
相手を傷つけていることがあります。

言葉は

この世界を愛に満ちた

天国にすることもできるし

この世を破壊する暴力にもなります。

 

また、

言葉は武力以上の力を持つこともあります。

外交において、

言葉の力を真に知っている

日本の政治家は少ないように感じます。

ディベートを学ぶ機会がないことも

理由の一つだと思いますが、

日本文化の特徴として

争いを避け、

予め根回しをして

議論しないことが美徳であると

考えているように思えます。

国会での質疑応答も

官僚が作成した答弁書を

読んでいるだけで

説得力に欠けた内容が多いように感じます。

 

しかし、

三国志で有名な諸葛孔明は、

曹操の攻撃に対応するため

呉の国へ単独で行き

孫権以下の幹部を説得して

同盟を結び

赤壁の戦いで曹操軍を破るなど

言葉の持つ力を海外の人間は

熟知しているように思えます。

 

こちらの発した言葉を

相手が完璧に理解すると

期待しない方がいいと思います。

コミュニケーションは100%はいかないものです。

相手が誤解していると思ったら

自分の言葉の不十分さを自覚し

修正すべきでしょう。

 

また、逆の立場から見ると

相手の不用意な言葉が

心の傷として

残っていないかの点検も

必要になります。

特に、女性は言葉のとげが抜けずに

何年も覚えていると言われています。

 

釈尊は

相手の発したネガティブな言葉について

・岩に刻み付ける

・砂の上に書く

・水の上に書く

この3つのとらえ方があるが

水の上に書いたように

できるだけ受け流していくように

説かれています。

 

正しい言葉を語ることに

終わりはないと思います。

自分の体調や感情を把握して

できるだけ穏やかで、理解しやすい言葉を

発するように気を付けたいものです。

また、

相手からのマイナス的な言葉は

できるだけ心に貯めず

早く忘れる努力も必要でしょう。

(もちろん、正しい批判はちゃんと聴いて

 改善すべきところは改善すべきです。)

 

正語について、

参考になれば幸いです。

仏教用語に一闡提(いっせんだい)という
言葉があります。
この意味は、
善の心が全くなく、善とは無縁で、
わずかな善すらも行わない者(断善根)
を指した用語です。

断善根の人間が仏陀になり得るかどうか
古来より各宗派間で論争がありました。

現実的に
世の中を見てみると
断善根と思われる人が存在していると
思われる実例はたくさんあります。
例えば
神奈川県の知的障害者福祉施設で
入所者19人を刺殺した
元施設職員の男。
アメリカで起こった
銃乱射事件の犯人など
断善根と判定されても仕方ない
人間は存在します。

行為結果だけを見れば
そのように断定できるかもしれません。
それゆえ、宗教を信じている人でも
多くの人は、
天国と地獄から生まれてくる人は
半々ぐらいいると思っています。

しかし、
このような大罪を犯した人間が
生まれた時から悪人であったと
判定することは拙速だと思います。
生まれ育った家庭環境や
教育、職業訓練等を通して
本人が形成してきた思想・信条が
間違ってしまい
悪霊・悪魔の影響下に置かれた結果の
行為なのです。

非常に稀なケースだと思いますが
アングリマーラーのように
99人とも999人ともいわれる人を殺めて
その後、仏陀教団で修行して
聖者になった者もいます。

「縁起の理法」は不昧因果であり
自己責任の原則が働くため
生前、善なる思いと行いより
悪なる割合の方が多い人は
死後、地獄に落ちることになります。
それでも
年数はかかると思いますが
地獄で反省することで
天国に上がることができるのです。
故に
原則として
地獄から生まれてくる人間はいません。
なぜなら、
不調和な状態では
母親の調和した胎内に宿ることはできないからです。
天国にも高低はありますが、
少なくとも天国に上がらなくては
この地上に生まれることはできないのです。

結論として
断善根の人は存在しません。
人間を含め万物は
神により創造された存在なので
全て神性、仏性を宿しているのです。

これが
仏教で言われている
「山川草木悉有仏性」
なのです。
「罪を憎んで人を憎まず」
という思想の根源は
ここにあると思います。
これが真理であるがゆえに
「許し」という行為が
意味を持ってくると考えます。

罪や罰を考える際の
参考になれば幸いです。

母の日(5/10)、父の日(6/21)にちなんで
両親の思い出について語って見たいと思います。

男子だと父親との関係は
思春期あたりから疎遠に
なりがちになるかもしれません。
これは、
父親の職場での責任が重くなり
家庭での接触時間が短くなることと

関係があるのでしょう。
また、
父親の仕事が理解できない
高校・大学受験及び部活動で
こちらも忙しいために
やむを得ない時期なのかもしれません。

高校・大学を卒業し
社会人になって
自分が家庭を持ち
職場で働くようになると
父親を理解できるようになります。

そして
自分が退職年齢に近づいてくると
両親のありがたさが身に染みて
感謝が深まります。

自分の場合、
子供のころは
遊んでばかりで
成績はかなり悪く
両親もあきらめていたようです。
小学校2年生2学期の通信簿は
2と3だけで
母親に怒られると思いつつ
帰宅して見せたところ
「お父さんは、ガッカリするだろうね。」
とだけ言って怒りませんでした。
子供心に
「これは、少し勉強をしないとまずい!」
と強烈に自覚し、反省したのを
昨日のように覚えています。

当時、
九九の掛け算が覚えらず
居残り組に入っていました。
しかし、
何から勉強してよいか分からず
教科書はまったく理解できない状況でした。
そこで、
父親が帰宅後、
夕食を食べながら
算数の問題を教えてくれました。
このころから
徐々に理解できる部分が増え
勉強の楽しさを実感しつつありました。

この時期
父親が教えてくれなかったら
勉強が好きになることはなく
ずっと落ちこぼれのままだったはずです。
父親への感謝を忘れたことはありません。

母親は、
パートで働きながら
食事、洗濯、掃除等
身を粉にして家事をしている事が
子供にも理解できましたので
買い物に一緒に行って
荷物を持ってあげたり
夏休み中は、掃除などをして
家事を手伝っていました。
高校の親子面談では
帰りに昼食(トンカツとあんみつ)を
一緒に食べたことが
楽しい思い出です。
母は、二切ぐらいしか食べず
私に残りをくれたので
腹一杯食べていたのを覚えています。

母親は、放任主義で
子供がやりたいことを
自由にやらせてくれました。
中学以降は
勉強しなさいと
言われた記憶はなく
柔道・空手など
好きなことをやりました。
ただ、
人に迷惑をかけることや
ごまかしたりすることが
嫌いな人だったので
この点だけは
何時も
注意されていたことを覚えています。

今振り替えてってみると
自分が信頼されていたことを感じます。
この信頼されているという自覚は
とても大切な要因で
人生で遭遇する様々な困難に打克つ
原動力のような気がします。

親子の縁は
夫婦の縁と同様に
かなり深いものであると言われています。
天上界で
両親になるようにお願いして
この地上に
生まれてきている事実を知れば
両親への不平不満は
かなり解消されるはずです。

自分の中で形成されてきた
長所・短所とも
両親の中に見ることができます。
長所を伸ばしつつ
短所を修正することで
人格の向上が図れると思います。
それが、
今世、

神仏から与えられた課題でもあります。

親子関係について
思いで話を交えて考えてみました。
多少の参考になれば幸いです。

悪の発生原因についての考察です。

神がこの大宇宙を創造されたとしたら
なぜ、悪がこの地上に存在するのか。

悪がこの地上に存在することは
明白なので、
神の存在を否定する
もしくは
神は不完全な存在である
あるいは、
このような不完全な存在として
人間を創造された神は
意地悪な存在だと
考えている人は
結構いるのではないでしょうか。

悪の発生原因について
考えたいと思います。
神が自分に似せて
人間を創造されたのであれば
我々にも創造の自由が
与えられているはずです。
自由が自由であるためには
何等の規制もないことを意味しています。
もし、悪を犯さないように最初から
組み込まれているなら
悪はこの世に存在しませんが
それは、不自由であることを
意味します。

また、
悪は一人では発生しません。
必ず相手の存在が前提となります。
つまり、
悪とは、
それぞれの人が有している
自由と自由の相克によって生じる
「ゆがみ」
なのです。

例えば、
歌を歌うこと自体は悪ではないでしょうが、
学校の授業中に
自分の自由を行使して
大声で歌い出せば
それは、悪になります。

人・時・所の不適合によって
悪は生じるものなので
悪を「存在論」として考えるのではなく
「機能論」として捉えるべきだと思います。

前述の例でいえば、
放課後の
誰もいない教室で
歌を歌うことは
悪にはならないでしょう。

この3次元世界では
肉体を纏っているため
それぞれの人が
何を考えているかは
なかなか分かりません。

思考に基づいた
目に見える
結果行為となって
初めて善悪が判定されます。
自由の行使を間違った者たち
周囲の人たちのことを考えず
自我我欲のみの不調和な行為が
悪と判定されることになるのです。

当初、
あの世には地獄はなかったと言われています。
この3次元世界を機縁として
悪は発生します。
間違った思考や行為をなした者が
死後
悪霊や悪魔となって
地獄を形成することになったのです。

あの世では
肉体はないので
心はガラス張りとなり
その人の考えていること
イコール行為となり
誰の目にもはっきり
分かってしまいます。
そのため、
悪霊と善人は
同じ場所に居住できないため
天国と地獄が分かれているのです。

これは、
神の責任ではなく
自己責任の結果なのです。

しかも、
神は、
地獄に落ちた魂を
消失させることなく
更生の機会を
辛抱強く待っている
慈悲の存在そのものです。

この世で
悪を一度も侵さない人は
いないはずです。
悪を犯したと自覚したら
反省をし
神に詫びることが
真の意味で
自分を救うことになります。

悪の発生原因について
参考になれば幸いです。