釈尊の説かれた
八正道の3番目に
正語の徳目があります。

その前に
正見、正思がありますが
これは、
心の内面のチェックであり
「正しい判断」「正しい考え」
ということで
相手からの反応は
表面化しにくいと思います。

しかし、
正語の場合は、
主観的なチェックだけでなく
客観的な評価も
なされることになります。

言葉というものが
相手の感情に
多大な影響を与えていることを
自覚しながら話している人は
少ないはずです。
言葉一つで
相手を
敵にも味方にもしてしまうのです。

特に、家族や職場など

親しい間柄で
交わされる言葉には
注意した方がいいでしょう。
自分の体調や感情がすぐれない時
何気なく発した

ぶしつけな言葉が
相手を傷つけていることがあります。

言葉は

この世界を愛に満ちた

天国にすることもできるし

この世を破壊する暴力にもなります。

 

また、

言葉は武力以上の力を持つこともあります。

外交において、

言葉の力を真に知っている

日本の政治家は少ないように感じます。

ディベートを学ぶ機会がないことも

理由の一つだと思いますが、

日本文化の特徴として

争いを避け、

予め根回しをして

議論しないことが美徳であると

考えているように思えます。

国会での質疑応答も

官僚が作成した答弁書を

読んでいるだけで

説得力に欠けた内容が多いように感じます。

 

しかし、

三国志で有名な諸葛孔明は、

曹操の攻撃に対応するため

呉の国へ単独で行き

孫権以下の幹部を説得して

同盟を結び

赤壁の戦いで曹操軍を破るなど

言葉の持つ力を海外の人間は

熟知しているように思えます。

 

こちらの発した言葉を

相手が完璧に理解すると

期待しない方がいいと思います。

コミュニケーションは100%はいかないものです。

相手が誤解していると思ったら

自分の言葉の不十分さを自覚し

修正すべきでしょう。

 

また、逆の立場から見ると

相手の不用意な言葉が

心の傷として

残っていないかの点検も

必要になります。

特に、女性は言葉のとげが抜けずに

何年も覚えていると言われています。

 

釈尊は

相手の発したネガティブな言葉について

・岩に刻み付ける

・砂の上に書く

・水の上に書く

この3つのとらえ方があるが

水の上に書いたように

できるだけ受け流していくように

説かれています。

 

正しい言葉を語ることに

終わりはないと思います。

自分の体調や感情を把握して

できるだけ穏やかで、理解しやすい言葉を

発するように気を付けたいものです。

また、

相手からのマイナス的な言葉は

できるだけ心に貯めず

早く忘れる努力も必要でしょう。

(もちろん、正しい批判はちゃんと聴いて

 改善すべきところは改善すべきです。)

 

正語について、

参考になれば幸いです。