嫉妬の害悪とその克服についての考察です。

皆さんも一度や二度は
他人の成功に対して
嫉妬したことはあると思います。

嫉妬した相手について
少し考えてみてください。

小・中・高・大の
学生時代だと
・自分より成績が良い生徒
・自分よりスポーツができる生徒
・異性にモテル生徒
・お金持ちの生徒などが
対象になっていたのではないでしょうか。

学校を卒業して
社会人になると
・自分より良い会社に就職した友人
・会社の同期で自分より早く出世している人など、
意外に身近な人に嫉妬していることに気づくでしょう。

これは、プロスポーツや芸能関係でも
同様で、
自分より成績や年俸の良い選手や
自分より人気のある俳優や女優に
嫉妬していると思います。

よく考えてみると
嫉妬の対象は、
自分の理想像であることが
わかると思います。
人は

自分が将来なりたい
理想の相手に
嫉妬するものなのです。
ですから

一般の私たちが
プロ選手や人気俳優に嫉妬することは
余りないはずです。

尊敬する一人の
渡部昇一先生も
ご著書の中で
大学生時代
奨学金をめぐって
成績の良い生徒に
嫉妬していたと
述懐しています。

しかし、
嫉妬のエネルギーは
自分の理想像を破壊してしまうため
嫉妬している限り
理想像へは一歩も近づきません。
さらに、
嫉妬が
相手の不幸を願う
呪いの感情にまで悪化すると
悪霊の影響を受け
相手も自分も不幸になります。

かつて、黎明の子と称されていた
智天使のルシフェルでさえ
神への嫉妬により
地獄に堕してしまい
ルシファーと名前を変え
悪魔になり
人々を不幸にするために
暗躍している状況です。

嫉妬、呪いという
破壊のエネルギーは
自他ともに幸福になることは
決してありません。

嫉妬の克服は
相手への祝福から始まります。
最初は、ぎこちないと思います。
心にもないことを言っている自分に
嘘っぽく感じるでしょう。
しかし、
何度も繰り返し
相手を祝福し続けると
潜在意識に染みわたってきて
本心から祝福できるようになります。

格差社会で
マスコミにより
成功者への嫉妬が
正義であるかの如く
報道していますが
これは、
バケツの中のカニと同じで
バケツから出ていこうとするカニを
引きずり下ろす行為です。
貧しさや不幸の共有では
幸福はやってきません。

嫉妬に苦しんでいる人は
心のベクトルを変え
相手を祝福することで
神から

祝福されることになるのです。

 

どうか

この真理を信じて

嫉妬心を克服し

自他ともに繁栄していける社会を

築いていってもらいたいと
切に願っています。

天変地異についての考察です。

天変地異は
神の人類に対する「罰」なのか。
単なる自然災害なのか。
意見は分かれると思います。

真実は、
神の人類に対する「警告」と
理解したほうが良いと思います。

古来から
我が国では
天変地異は為政者の不徳により発生し
天からの警告と考えられてきました。
また、聖徳太子以降
鎮護国家という考えも根強くあります。
一例として
聖武天皇在位(724年~749年)には、
地震(震度6~7想定の大地震が7日続いたと記されている)、
天然痘大流行(100万人以上死亡)、
内乱などの災難が度重なったため
大仏造立の詔が出され
東大寺に大仏(毘盧舎那仏)が建立されました。

隣の中国でも
王朝が倒れるときには、
何らかの形で「天変地異」が絡んでいます。
地震・大火・洪水・氾濫・冷害・疫病など
「天変地異が起きるのは、
 天子に徳が無くなったから」
と考えています。

西洋では、
モーゼの出エジプトに際して
神がエジプト人に与えた
十の災いが有名です。
代表的な災いとして
疫病、バッタの発生、長子殺しなど
神の警告がエジプト人に臨みます。

イスラム教のコーランにも
7章に
神の警告として
地震、飢饉、洪水、バッタの発生などが
記載されています。

これらの事例を総括すると
古今東西を問わず
為政者の徳不足と
その民の人心が
神の御心とかけ離れると
反省の機会として
天変地異に見舞われることになります。

昨今の状況を鑑みると
武漢ウイルスの世界的蔓延
アフリカでのサバクトビバッタ大量発生
中国での洪水とイナゴの大量発生
我が国での台風、地震、噴火、津波
これらは、
神を信じなくなった現代社会への
警告と謙虚にとらえるべきです。

我が国の為政者たち

唯物論国家の中国、北朝鮮のトップたちは、
「バカバカしい」と
一笑に付すのでしょうが
その態度を改めない限り
これらの厄災は終わらないでしょう。

God is not dead. です。
科学万能に驕った
傲慢で不遜な態度を改め
神への信仰を取り戻し
謙虚に自らを振り返るべき時だと思います。

武漢ウイルスの第2波
大規模な自然災害
これらが起きないことを
心から願っています。

この大宇宙の中に

地球以外の生命体は存在するのか?

 

映画「コンタクト」の中で

地球人だけでは

この宇宙はあまりにでか過ぎる

と言うセリフがありましたが

正にその通りだと思います。

 

宇宙人がいないと考える方が

不自然ではないでしょうか。

 

UFOの目撃や

宇宙人によるアブダクションなど

証拠らしきものは微かに存在していますが

UFO先進国のアメリカでさえ

ハッキリと宇宙人の存在を認める

政府見解はありません。

むしろ、

否定的なニュアンスの発言が多いでしょう。

 

多くの人は

仮に宇宙人が存在して

地球よりも科学技術が進歩しているなら

なぜ、姿を現さずに逃げたり消えたりするのか。

侵略する気になれば

簡単に侵略できるのに

なぜ、侵略しないのか。

というような疑問を持っていると思います。

 

かられの技術が

地球よりも進化していることは事実でしょう。

しかし、

技術的な進歩が、侵略につながる

と考えることは短絡的すぎます。

高度に進化した宇宙人なら

平和を愛し

正義を重んじる

人たちもいるはずです。

飛来する星の文明の進化を

見守っているゆえに

必要以上に介入してこないだけなのです。

 

ただし、

その星の住人が

自らの手で核戦争等の

破壊行為を行う危険のある時には

介入してくるはずです。

 

もちろん、

全ての宇宙人が善人で

平和を愛している人達ばかりでないことは

当然です。

爬虫類型の宇宙人は

弱肉強食型の思考を正義と考え、

文明の劣っている星への

侵略を躊躇せずに

行っているようです。

 

ただ、

この大宇宙は

神の統べる世界であるため

主流は愛や正義を重んじる

宇宙人です。

 

宇宙人の侵略より

地球人自らが

この地球を破壊することのないことを

切に願うばかりです。

 

東風21を何百発も

日本に向けて配備している中国や

テポドンを打ちまくっている北朝鮮などの

全体主義国家による

人権弾圧の方がはるかに危険です。

これらの国が

民主・自由・信仰を

受け入れる国家に変わることを

心から祈念しています。

 

UFOを少なくとも5回は目撃しているので

宇宙人の存在は確信しています。

 

皆様も夜空を見上げる機会を

増やせば

UFOを目撃するのは

比較的容易に体験できると思います。

 

むしろ

宇宙人に介入されずに済む

平和な未来が来るよう

少しでも貢献していきたいと

考えている次第です。

科学についての考察です。

 

宗教は科学を否定し

科学は宗教を否定して来た

と考える人は結構いると思います。

そして

神を否定することで

科学は進歩し

我々の文明は発展してきた

と考えている科学者は相当いるのでしょう。

 

宗教と科学について考える

有益な題材に

映画の「コンタクト」があります。

これは、

1997年のアメリカ映画で

カール・セーガンのSF小説を

映画化したものです。

主演のジョディ・フォスター演じる

SETIプロジェクトの研究者エリーは

無神論者の科学者で

相手役のパーマーは

アメリカ政府の宗教顧問として

神を信じる立場です。

 

ベガ星にいる宇宙人との接触をめぐり

話は展開していきます。

最後にエリーがベガ星人と

ワームホールを通って接触しますが

ビデオには何も映っていないため

関係者からは

幻覚を見たに過ぎないと非難されます。

本人は幻覚でないと確信していますが

証拠がないので反論できないままです。

しかし、信念を貫いて

その後も宇宙人の探査を続ける

というストーリーです。

 

23年も前の映画ですが

今見ても、とても考えさせられる内容です。

 

科学的関心は

主に生命誕生の神秘であり

宗教的関心は

主として死後の世界であると言えます。

しかし、

その究極にあるものは同じで

どちらも

真実を知りたいということであり

両者が協力し合うことで

新たな世界を切り拓いていけると

確信しています。

 

映画の中で

ジョディ・フォスターが

神の存在は証明できないと

言ってましたが、

相手役の宗教者は

あなたが父親から愛されていたことを

証明できるのか?

と問われた時

答えられませんでした。

 

神、愛、真、善、美

4次元以上の

天上界に実在している

これらの存在を

3次元世界の材料で

証明することは不可能です。

それ故に

信仰が必要となり

信仰を通して実体験することが

可能となるのです。

 

前述の映画の中で

最後にベガ星人とコンタクトした科学者は

幻想でなく実体験したことを

証明できなかったのですが

 

「証明できない」=「存在しない」

と断定することは傲慢だと思います。

 

確かに、過去の歴史の中で

宗教が主流であった時代には

地動説を唱えていたガリレオが

キリスト教の教義に合わずに

迫害を受けており

現在は、科学万能主義で

全ての神秘的なものを否定しています。

 

ニュートン、アインシュタイン、パスカルなど

神の存在を認めている真の科学者は少なくないでしょう。

もちろん、リチャード・ドーキンスのような

「神は妄想である」と主張する科学者が多いことも事実です。

どちらが正しいかは

死後に証明されるでしょうが、

無神論者たちは

その時に自分の存在証明すら

できなくなってしまうかもしれません。

 

科学、宗教両者が

お互いに謙虚になって

反発することなく学び合える時に

量子力学や素粒子物理学の先にある

神の存在を認めた

新たな科学が

台頭してくると考えています。

 

科学が傲慢にならず

謙虚に

真実を探求する姿勢を

忘れないでもらいたいと

切に願っています。

「真理は汝を自由ならしめん。」
と言われています。
真理を体得した者は
一切の束縛から逃れて
自由の境地に達することができる。
と解釈してよいでしょう。

仏教的には
真理を極め悟った人は
解脱して自由になれるということでしょう。
儒教的には
心の欲する所に従って矩を踰えずの
境地だと思います。

これらを前提とした
戒律についての考察です。

モーゼの十戒、仏教の五戒など
すべての宗教には戒律があります。
その理由として
初期の真理探究者に対しては
善悪二元論的な指導が
自分を悪から守るという
教育的観点から解かれた
教えと解釈しています。

戒律を守ることで
戒体という、
目に見えないが
実在する「聖なるオーラ」を
纏うことで
悪からの誘惑を防げるのです。

しかし、
全ての戒律を守ることが
必ずしも正しいとは思いません。
その教えが説かれた
時代的な制約から発生したものが
あるからです。

一例として
イスラム教の
豚肉禁止は有名ですが
当時は、冷蔵庫もなく
保存技術も発達していなかったので
寄生虫、ウイルスなどによる
食中毒の危険性を経験的に
理解した上での戒律だと思います。
これは、普遍的な戒律ではないでしょう。

実際
イランからの留学生が
日本のとんかつを食べて
あまりにおいしかったので
この戒律を守ることの
無意味さを感じたとの
話を聞いたことがあります。

我々が守るべき普遍的な戒律は、
世界宗教が説いている共通の戒律で
十分だと思います。
具体的には
殺人、暴行(姦淫)、盗み、うそ
これらの戒律は全ての宗教で
説かれています。
飲酒に関しては
完全否定は
現代社会では難しいかもしれませんが
昏睡するまで飲むのは慎むべきでしょう。

これら5つの戒律を守って
日々精進していけば
悪からの誘惑は少なくなるはずです。

そして、
魂の成長とともに
この世的な束縛から離れ
真の自由を手にすることが
可能になると思います。

戒律が
人々の自由を奪っていることは
とても悲しいことです。
時代に合わない戒律は
是非とも修正し、
原理主義者による
宗教戦争が起きないことを
切に願っています。