仏教用語に一闡提(いっせんだい)という
言葉があります。
この意味は、
善の心が全くなく、善とは無縁で、
わずかな善すらも行わない者(断善根)
を指した用語です。
断善根の人間が仏陀になり得るかどうか
古来より各宗派間で論争がありました。
現実的に
世の中を見てみると
断善根と思われる人が存在していると
思われる実例はたくさんあります。
例えば
神奈川県の知的障害者福祉施設で
入所者19人を刺殺した
元施設職員の男。
アメリカで起こった
銃乱射事件の犯人など
断善根と判定されても仕方ない
人間は存在します。
行為結果だけを見れば
そのように断定できるかもしれません。
それゆえ、宗教を信じている人でも
多くの人は、
天国と地獄から生まれてくる人は
半々ぐらいいると思っています。
しかし、
このような大罪を犯した人間が
生まれた時から悪人であったと
判定することは拙速だと思います。
生まれ育った家庭環境や
教育、職業訓練等を通して
本人が形成してきた思想・信条が
間違ってしまい
悪霊・悪魔の影響下に置かれた結果の
行為なのです。
非常に稀なケースだと思いますが
アングリマーラーのように
99人とも999人ともいわれる人を殺めて
その後、仏陀教団で修行して
聖者になった者もいます。
「縁起の理法」は不昧因果であり
自己責任の原則が働くため
生前、善なる思いと行いより
悪なる割合の方が多い人は
死後、地獄に落ちることになります。
それでも
年数はかかると思いますが
地獄で反省することで
天国に上がることができるのです。
故に
原則として
地獄から生まれてくる人間はいません。
なぜなら、
不調和な状態では
母親の調和した胎内に宿ることはできないからです。
天国にも高低はありますが、
少なくとも天国に上がらなくては
この地上に生まれることはできないのです。
結論として
断善根の人は存在しません。
人間を含め万物は
神により創造された存在なので
全て神性、仏性を宿しているのです。
これが
仏教で言われている
「山川草木悉有仏性」
なのです。
「罪を憎んで人を憎まず」
という思想の根源は
ここにあると思います。
これが真理であるがゆえに
「許し」という行為が
意味を持ってくると考えます。
罪や罰を考える際の
参考になれば幸いです。