ワンネスと禅と無分別智と朕兆未分
最近何かと目にすることが多いワンネスONENESSこれを禅やTAOから説明してみます。そんなの知ってる!わざわざ書くな!見下してるのか!という人が出るかもしれないけど、そしたらご自分で書いてください。私は書きたいものを書きます。禅や道TAO、道教ではかの有名な朕兆未分と無分別智というのがありますよね。鈴木大拙がとても詳しく解説してます。どちらも同じようなことを言ってるんだけどちと違う。まず無分別智ね。分別はわかりますでしょ?分けることです。分別がある人だということあるけど、それは善悪、正悪などを分けて考えることができる人だよね。分別に無だからわけない。分別しない。そして、智だから分別しないところに智あり。なにそれ?となるよね。つまり、これは◯◯だと判断しない知主体と客体を分けないとにかく、分けないってところね。地上は物事細分化して見たり考えたりするのは当たり前。理科と言われても物理、生物、化学、地学(私のころはこうわけられてた)にわけられる。でも、全部繋がってるよね。社会科だって、地理と歴史は別ではなくて一緒に学ばないと包括的理解が難しい。でも、わける。わけて学ぶ。無分別智は分けないでそのまま掴む智と捉えてもらえればokカオスとは違うんだよね。「そのまま」をつかむって感じ。朕兆未分も似てるけど決定的に違うところがある。というか、言語化した途端正確な描写ができなくなる。朕兆未分って物事がある前の状態。鏡があったとして無分別智は鏡と認識してそのまま映す朕兆未分は鏡という認識がまだない分かるより前のもっと根源的状態ね。無分別智は分けない前の状態。これ踏まえてワンネスを朕兆未分と無分別智とどう違うかを見てみると①よく言われるスピリチュアルのワンネス全ては一つ分離は錯覚愛や調和しかない構造としては今ある世界をどうみるかでもうわかれてしまっているけど分離してるのではなく一つだと認識する、かな。光と闇も現れ方が違うだけでひとつだとかね。これは誰でも知ってるワンネスで割と誰でも入りやすい。②さらにより深いワンネスを鈴木大拙的にいうと主体と客体が消える観察者としての自分が消える←高明な方はから体験してます釈迦や空海さんなどなどこれは体験を通してワンネスを知ったから無分別智より。③最上級ワンネス。これが朕兆未分。ここまで来れる人いるのかな?釈迦クラス?釈迦が地上にいた時体験できたのかしら?本人に聞いてないのでわからない。そもそも分かれた世界が成立してない「分かれた世界が成立してない」と「後付けで気がつく」のは朕兆未分ではなくて無分別智になってる。物事が何も立ち上がってない状態が朕兆未分。でも、何もないわけじゃない。「ただある」さえない。後付けで体験できるけど体験したらそれは無分別智。このワンネスまで行く人行った人、いたのかな?肉体持ってる人で。とはいえ、朕兆未分は言語化すればするほどズレる。言語化の世界じゃないんだよね。これで分かるように鈴木大拙すごいんですよwww西田幾多郎もすごいけど鈴木大拙もすごい。てことで少しでも参考になれば嬉しいです