「無心の歌・有心の歌」ウィリアム・ブレイク
 松岡正剛一冊一声vol34 742夜
  
ウィリアム・ブレイクは
ロンドンにいてフランス革命を見た。
 
その時にフランス革命をどう見るか
ということと
それまでの歴史の中のキリスト教、
神というものをどう見るか
ということを一緒に言ったわけです。
 
日本はそれをやってない。
 
尖閣でも、
それはアマテラスの、とか
スサノオ以来の、とか
言わない。
 
言った時には国粋主義になっちゃう。
そうじゃ、ない。
 
ラディカルに、激辛に否定するために、
スサノオを持ち出す
あはれとあっぱれを持ち出す
ということができない。
 
多様性は多様性でしか破れない。
日本を破れるのは、日本しかない。
 
 
ブレイクはヘブライズムに
根差す矛盾に気付いていた。
 
モーセがエジプトを脱出して、
バール神教というセクシャルな宗教に
対抗しようとして、
 
十戒というような戒めを作って、
ヤーヴェと発音しにくい神を
想定して作った矛盾の宗教が、
ヘブライズムだ。
 
そういうものが元にあって、
ダメなんじゃない。
 
それこそが、真実。
 
そういうものしかないんです、
世界には。
 
 
キューピッドは
ラテン語でクピド=盲目だったが、
それを天使に置き換えたのが
カトリックの凄いシステムだったのだ。
 
ゴシックやロマネスクを知っている
キリスト教者、ヨーロッパ人は
皆知っている。
 
日本人が、
蛭子が恵比寿様になったのを
知らないだけなのである。
 
ブレイクにとっての
イマジネーションとは、
”矛盾の想起“なのである。
 
その最も恐ろしい想起とは、
「神の死」
「神の偽り」
「神の病気」
 
の神学である。
 
 
だから、私たちは
福島の原発がおかしくなったことで
驚いた、驚かざるを得ないけれども
 
元々そのことは、
日本の哲学になってなきゃいけないんです。
 
そこがもう、間に合わないくらいに
本当に足りない。
 
 
 
★☆★
ああ。本当にそうだ。
知っていたというわけではない。
けれど、分かる。当然、分かる。
 
それはそうだ。
僕はその先をずっと考えてるんだから。
 
 
世界には、
そういうものしかないのだというところから、
始めるべきでしょう。ね?
こんにちは!
城月です^^

今日は、
【同情と寛容】

という題でお届けします。


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前回は

「人は結果から原因を探すので、
一つの因果に縛られがちである」


とお伝えしました。


最近、

塩野七世の『ローマ人の物語』を
読んでいて、


まさにこれだ!
と思った言葉があります。


それは、

『de Clementia(寛容について)』

というセネカが皇帝ネロに捧げた本の中で


「同情」と「寛容」の違い
について説いた一節です。



~~~~~~~~


同情とは、

現に目の前にある結果に対しての
精神的対応であって、

その結果を産んだ要因にまでは
心が向かない。


寛容とは、

それを産んだ要因にまで
心を向けての
精神的対応であるところから、

知性とも完璧に共存できるのである。



~~~~~~~~



例えば、
親との関係を考えてみて下さい。


「あの親に生まれてさえいなければ」

自分は幸せだったのに


と思う人もいれば、


「自分さえ生まれていなければ」

親は幸せに生きていたのかもしれない


と思う人もいる。


「同情」は、
自分に置き換えて考えると
今をただ嘆くこと、です。

そこから、
せっかく「寛容」に向かおうと
しているのに

【因果】を把握し損ねると
屈折した状態で終わってしまいます。


なぜ同情じゃいけないのか、と
思うかもしれません。

僕は、同情は今を否定しようとすると
思うんですね。


嫌だよね、辛いよね、苦しいよね、

だから〇〇してあげる、
〇〇したらいいよ、となりがち。


寛容はそうではなくて、

今を受け入れた上で、
じゃあどうしようかと考え始められる。


これが、大事なんです。


セネカはこれを
ある意味「帝王学」として、
他の人への影響の及ぼし方として
書きました。


だけどまず、
自分をどのように把握するか。

それは全てに繋がっています。


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正剛千夜語り
「細川ガラシャ夫人 1013夜」を聞く。
 
松岡正剛の未詳クラブで
楽氏に誰かが聞いた。
 
「楽さん、どうして今の時代に
利休はいないんでしょうか?」
 
楽さんはうーん、と唸ってこう答えた。
 
「生と死を抱えないものには
何もできないでしょう。
利休さんが出るわけない」
 
江戸の文化の復活は、
桃山が持っていたギリギリの表現力を
家康が延命させることによって
孵化したのだと見ないと分からない。
 
 
「へうげもの」なんかを読んでいても、
明日死ぬと思って何かを作るのは、
それを見せたい、渡したい何かや誰かが
いるのじゃないかと感じる。
 
死を明日か明後日かに抱えたら
人は何か出来るのだろうか。
 
出来ないのだろうけれど、
何故だろう。
 
人は必ず
生と死を抱えているはずなのに。
空模様を
 
着込んでしまえば
いいのだと思ってからが
 
それが
風呂敷よりも
 
大きいのか小さいのかが
問題になってからが
 
踊りなのである。
 
 
身体は
取り消すことを
知らないのだから
 
ただ野放しになっている
変化に任せては
いられない。
 
―土方巽
 
 
蛇足だけれど、
 
手に入ると思っていたものが
手に入らなくって、
 
でも何かを恨むことをやめて
 
じゃあここから
どうしたらいいだろうと
 
思ってからが、
 
人生なのである。
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今日は、
【たとえ因果関係が成り立っていても】

という題でお届けします。


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前回、「因果」と「相関」の
違いについてお話ししました。


原因と結果を把握することは、
私達が経験から何を学ぶか
ということに

大きな影響があります。


「相関関係」からは

時間の順序が分からないため、
因果を取り違えがち、と
言いました。


何故そうなるかというと、


人は



~~~~~~~~


気になる結果に気づいてから

原因を探し始める


~~~~~~~~


からです。


うん、まあ
当たり前ですよね。


さて、
そう考えると

もう一つ見えてくることが
あります。


それは、
【因果関係】の

関係の強さの取り違えです。



人は基本的に、
結果から原因を探します。


とすると

結果と原因が本当に因果関係に
あったとしても

一つの因果しか見えません。


すると例えば、

Aが10回起こった時
Bが1回起こる可能性がある。

とか、

Aが起こった時、
BとCとDが起こる可能性がある。
(今回はBだけ起こった)


といった可能性に
気づけないということなのです。


そうすると何が起こるか。


たまたま起こった一つの
因果関係に縛られがちに
なります。


それは
感謝かも知れないし、
恨みかも知れない。


でもそれに縛られるのですね。

どういうことか、もう少し詳しく
次回ご説明したいと思います。



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今日は、

【因果関係】について
更に詳しく。
 

 

【因果関係】つまり、

 

出来事には
「原因」 と 「結果」
 

があります。

 


ただ、この【因果関係】を

取り違えることが多いです。

 

成功法則や
スピリチュアルは

ここがあいまいなもの
ばかりなので、
気をつけてくださいね。


前回、
「相関関係」について
お伝えしましたが

 

まず、
「相関関係」と「因果関係」が、
似ているけれど違うんですね。


因果関係とは、
AがBを引き起こしているつまり
A→Bです。

 

「相関関係」にあるとき
考えられることには

他にも、


BがAを引き起こしている
B→A。
(逆の因果)


Aとは別のCがBを引き起こしている
C→B。
(疑似相関)


AとBが同時に起こったのはたまたま、
偶然である。
(偶然)


などがあるんです。

 

 

例えば、
靴のサイズと知能指数の関係は

②の「疑似相関」。


「年齢」という別の要因Cが
隠れていました。


心理学の研究で
相関関係から因果関係は
推測できますが、確定できません。


相関の研究は

「質問紙法(インタビュー形式のテスト)」

「観察」

 

などによって行われますが、

時間の順序が分からないという
弱点があるのです。


 

その問題を解決するのが、
「実験」です。

 

 

A→Bであるという想像が正しければ、

Aを変化させればBも変化するはずです。


もちろん実験も、


ランダムに人を割り振って
男女や年齢などの偏りが
出ないようにしたり

 

騒音や明暗など
外部環境の影響がないようにしたり

いろいろと配慮しないと正確になりません。


ここでは研究方法の詳細は
ご紹介しませんが(笑)


~~~~~~~~


「因果」と「相関」は異なる


実験によって
時系列を把握できるようになる


~~~~~~~~


と覚えて頂くと
いいと思います。


これを満たして初めて
【因果関係】があると言える

ということです。

 


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今日は、

【前回のクイズの答え】
です。
 

さて、前回
こんなクイズを出しました。


アメリカのある調査で分かった

 

 ・子どもの靴のサイズ

 ・子どもの知能指数


に関係がある理由は何でしょう?


というものです。

 


答えは、


~~~~~~~~


靴のサイズ=体が大きい

つまり、年齢が高く
テストの成績が良かった


~~~~~~~~


です。

 

 

 

この時に、

 

直接靴のサイズと

知能指数に

 

因果関係があるわけではなくて

年齢という別の要素が隠れています。

 

 

二つの数字データ
つまり二つの事柄の間に
関係があることを、


【相関】

の関係にあるといいます。

 

 

そして、【相関】関係

の場合、上のように

 

 

~~~~~~~~

 

直接因果関係があるとは

限らない

 

~~~~~~~~

 

のです。

 


カウンセリングの手法や
心理学の研究を

概説している
教科書があるのですが、


第一章は、
このような落とし穴について

説明するところから
始まっています。

 


人間の心を扱う際に
どのように実証するかということ。

 

とても大切で、
落とし穴にもなりやすい
ということです。

 


この、因果の誤認には

大きく三つの種類があります。

 

 

次回はその内容をご紹介しますね^^
 

 


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今日は、

【比較にある罠】
についてです。

ここまで量子について
少し書いてきました。


とても小さくて捉えにくい
量子である「ニュートリノ」を
観測するのに、

スーパーカミオカンデは


直径40m×深さ41m

5万トンの水を内部に満たして


その水分子に時々ぶつかる
ニュートリノを検出します。


5万トンの水があってようやく
物質と相互作用が起こるくらい
小さなものです。

 

その位置の不確定性も
同じくらい小さい規模のもの
なのですね。

 

 

「分析の本質は比較である」

という言葉がありますが


人は無意識に自分の経験と
物事を比較します。


そのため、
規模感を誤認しやすいのです。


誤認しやすいのは
「数値・データ」が
あるものについて
特にそうです。


例えば、
アメリカのある大規模な調査で

・子どもの靴のサイズ

・子どもの知能指数


に相関関係があることが
分かっています。

 


何故か分かりますか?


今日はちょっと
クイズにしてみましょう。

 

次回は、この回答から
比較のコツについて
お伝えしていきたいと
思います。
 



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今日は、

【量子を解明することは神秘と美を損なうか】
です。

プリズムの実験から
光のスペクトルが虹であると
示したのはニュートンです。

 

300年前1706年に出版された
「光学」の原著を
埼玉県和光市の理化学研究所の
図書館で見ることができます。

 

ニュートンが陽の光を
プリズムで7色に分光したとき、
キーツを始め当時の詩人は、
虹の持つ詩情を破壊したと非難しました。


確かに、何もない空に
虹が架かる様は不思議で

色々な物語が生まれました。


旧約聖書では、

ノアの箱舟の逸話で

 

人類を罰するために
40日40夜に渡る大雨が降り、

神様があまりの破壊を悔やまれて(笑

 

もう水によって人を罰することは無いと
約束された証に虹が生じるようになった、
というお話しが出てきます。

 

(一部キリスト教徒は史実だと

信じています。
それ以前は霧だけがあり
雨は降っていなかったんだったかな。。)

 


確かに昔は、
虹も雷も、木を擦れば火がつくことも、
季節の巡りも、月の満ち欠けも
渡り鳥がどこから来るのかも、
みなとても不思議なことでした。


その理由が分かったからと言って
その美や、不思議さが失われる訳ではない。

 

失われるのはただ、それまで語られた
様々な言葉、メタファー、憶説に
過ぎないのです。


だから、分かったとしてもなお
とても不思議です。


光速は、光でなくても超えられない
と以前お伝えしました。

 

世界一有名な方程式、

“E=MC²” は、

エネルギーは物の質量に
光速の二乗をかけたものである
ことを示しています。

 

僕は、何故“光速”なのか
が分からず、調べました。


「波動方程式」というものがあり、
実は光でなくとも

波はあの光の速度を

超えられないのです。

 

だから、

音をある条件で加速しても

(高熱プラズマの中の波などは

理論上光速に達しうるそう)

やっぱりあの速さが限界点なのです。


救急車のドップラー効果を
聞いている時、
僕たちはある意味

「虹を聞いている」

のかも知れませんね。


波の速度の限界点にあるものが光で、
それが世界に満ちていて
僕たちの視覚はそれを感じる。

やっぱり不思議ですよね^^


例え科学で解明されたとしても、
不思議で、神秘的で、美しい。

そう思いませんか?



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今日は、

【イメージは皆一緒なのか?】について
です。
 

ここまでずっと量子に重ねて
人が持っているイメージについて

お伝えしてきました。

 

脳神経学者の茂木健一郎は、
人が持つイメージを

「クオリア」と呼びました。

 

例えば「リンゴ」と聞いて、

言葉が指す対象は普通、果物ですね。

 

でも人によっては、

赤、秋、知恵の実、スティーブ・ジョブス、

重力、白い花、パイ、シナモン、ウサギ、お弁当、

味、香り、外観、切り口、

 

いろいろなものを同時に連想するでしょう。

 

その心象、イメージをまとめて

「クオリア」と呼びます。

 


人はつい、

自分と人とは違うんだと
分かっているつもりでも

 

死角になって無意識で気づけない
「当たり前」があります。

 

リンゴと聞いて、

赤い実を思い浮かべるのも

必ず皆がそうとは限らないのです。

 

 

話は変わりますが、先日

ある新興宗教で18年洗脳状態だった

という方から連絡を頂いて、


宗教の中に、
「勉強はできるけれど
人と付き合えない」

 

「水たまりで車に水を少し
はねられただけでキレる」

 

ような人がたくさんいる、

と伺いました。

 

(団体によって傾向は違いますね)

 

 

それでそういう人は
夢を何かに依存することで、

逃避しているとのこと。

 

お金も、結婚も、

信心をすれば叶う、と考えて

叶わなければ信心が足りない。

 

そういう風に、

現実と自分から逃避している

ということなんですね。

 


その時僕がふと違和感を感たのは、

 

“夢を依存している”

という表現です。


自分がやりたい、なりたいもの
という意味の「夢」を

 

何かに依存するのって難しいと
思いませんか?

 


だから、それは本当は

 

“これくらいの人生が当たり前だ”

と思っていて、

 

そのことを神様に託そうとする
のではないかと思ったのです。

 


自分の人生はこんなはずじゃない、
どうなったら満たされるのか分からないけれど、
満たされたい、というような。

 

それは、夢というよりむしろ
「孤独感」「無力感」といった

“コンプレックス”

に近いものですが、

 

それを外に行って埋めようとして
苦しんでいる状態になっている
ということです。


そのコンプレックスがない状態が
人間にとっての普通だと思っていたら、

 

他の人とのコミュニケーションが
難しくなります。

 

何故なら、その普通は皆
違うことだから。

 


そして僕は断言してしまうのだけれど、
外に、それを埋める答えは無いのです。

 

ただ、量子のこともそうですが
こういうことを断言すると
それは【人間性に反する】
と言う人がいます。

 

道徳とか宗教とか、
すべて科学や論理にしてしまうと
真実や美が失われると言うのですね。

 

実は、古くは量子と関係がある
虹などについて、同じように言われた
ものなんです。


次回、理性と浪漫について

見ていきます^^

 

 

 


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