こんにちは!
幼少時代から20年所属していた
新興宗教を自力脱出、
人生を自分で創る人のための
「脱洗脳式」イノベーティブ行動力プログラム
城月です^^
今日は、
【イメージは皆一緒なのか?】について
です。
ここまでずっと量子に重ねて
人が持っているイメージについて
お伝えしてきました。
脳神経学者の茂木健一郎は、
人が持つイメージを
「クオリア」と呼びました。
例えば「リンゴ」と聞いて、
言葉が指す対象は普通、果物ですね。
でも人によっては、
赤、秋、知恵の実、スティーブ・ジョブス、
重力、白い花、パイ、シナモン、ウサギ、お弁当、
味、香り、外観、切り口、
いろいろなものを同時に連想するでしょう。
その心象、イメージをまとめて
「クオリア」と呼びます。
人はつい、
自分と人とは違うんだと
分かっているつもりでも
死角になって無意識で気づけない
「当たり前」があります。
リンゴと聞いて、
赤い実を思い浮かべるのも
必ず皆がそうとは限らないのです。
話は変わりますが、先日
ある新興宗教で18年洗脳状態だった
という方から連絡を頂いて、
宗教の中に、
「勉強はできるけれど
人と付き合えない」
「水たまりで車に水を少し
はねられただけでキレる」
ような人がたくさんいる、
と伺いました。
(団体によって傾向は違いますね)
それでそういう人は
夢を何かに依存することで、
逃避しているとのこと。
お金も、結婚も、
信心をすれば叶う、と考えて
叶わなければ信心が足りない。
そういう風に、
現実と自分から逃避している
ということなんですね。
その時僕がふと違和感を感たのは、
“夢を依存している”
という表現です。
自分がやりたい、なりたいもの
という意味の「夢」を
何かに依存するのって難しいと
思いませんか?
だから、それは本当は
“これくらいの人生が当たり前だ”
と思っていて、
そのことを神様に託そうとする
のではないかと思ったのです。
自分の人生はこんなはずじゃない、
どうなったら満たされるのか分からないけれど、
満たされたい、というような。
それは、夢というよりむしろ
「孤独感」「無力感」といった
“コンプレックス”
に近いものですが、
それを外に行って埋めようとして
苦しんでいる状態になっている
ということです。
そのコンプレックスがない状態が
人間にとっての普通だと思っていたら、
他の人とのコミュニケーションが
難しくなります。
何故なら、その普通は皆
違うことだから。
そして僕は断言してしまうのだけれど、
外に、それを埋める答えは無いのです。
ただ、量子のこともそうですが
こういうことを断言すると
それは【人間性に反する】
と言う人がいます。
道徳とか宗教とか、
すべて科学や論理にしてしまうと
真実や美が失われると言うのですね。
実は、古くは量子と関係がある
虹などについて、同じように言われた
ものなんです。
次回、理性と浪漫について
見ていきます^^
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