こんにちは!
城月です^^

今日は、
【同情と寛容】

という題でお届けします。


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前回は

「人は結果から原因を探すので、
一つの因果に縛られがちである」


とお伝えしました。


最近、

塩野七世の『ローマ人の物語』を
読んでいて、


まさにこれだ!
と思った言葉があります。


それは、

『de Clementia(寛容について)』

というセネカが皇帝ネロに捧げた本の中で


「同情」と「寛容」の違い
について説いた一節です。



~~~~~~~~


同情とは、

現に目の前にある結果に対しての
精神的対応であって、

その結果を産んだ要因にまでは
心が向かない。


寛容とは、

それを産んだ要因にまで
心を向けての
精神的対応であるところから、

知性とも完璧に共存できるのである。



~~~~~~~~



例えば、
親との関係を考えてみて下さい。


「あの親に生まれてさえいなければ」

自分は幸せだったのに


と思う人もいれば、


「自分さえ生まれていなければ」

親は幸せに生きていたのかもしれない


と思う人もいる。


「同情」は、
自分に置き換えて考えると
今をただ嘆くこと、です。

そこから、
せっかく「寛容」に向かおうと
しているのに

【因果】を把握し損ねると
屈折した状態で終わってしまいます。


なぜ同情じゃいけないのか、と
思うかもしれません。

僕は、同情は今を否定しようとすると
思うんですね。


嫌だよね、辛いよね、苦しいよね、

だから〇〇してあげる、
〇〇したらいいよ、となりがち。


寛容はそうではなくて、

今を受け入れた上で、
じゃあどうしようかと考え始められる。


これが、大事なんです。


セネカはこれを
ある意味「帝王学」として、
他の人への影響の及ぼし方として
書きました。


だけどまず、
自分をどのように把握するか。

それは全てに繋がっています。


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