選手の体が静止し、会場が静まりかえった。

スタートの音が鳴る。選手が一斉に入水する音が鈍く響いた。


浮き上がりの時点で杏とマリは頭一つ出ていた。杏はストロークが比較的長く、テンポ良く泳ぐマリと比べると少しゆったり泳いでいるようにも見える。2人ともラスト5Mはキックもおさえて力を抜いて泳いでいるようであったが、体半分のリードをつけてフィニッシュした。お互い26秒台後半というまずまずのタイムで、決勝レースでは新記録の更新も期待できる泳ぎであった。


泳ぎ終わってハイテンションな2人はメインプールから上がると、興奮がさめずに騒ぎながらサブプールへと向かった。サブプールに浸かり、ダウンを行いながら男子50M自由形のレースを眺めていた。

4組程眺めたところでサブプールから上がり、体をセームで拭くとテツや貴司のレースを観戦するために自陣へ引き上げた。2人の好タイムを皆が祝福した。皆、自分達の応援が聞こえたかどうかを尋ねていた。


部員はメガホンを握り、声を張り上げて応援していた。選手陣には内緒にして替え歌での応援歌も作っていたほどだ。特にコース紹介の時の応援はそれぞれの中学カラーが最も出る場所である。基本的にどの地方の学校も声を伸ばして声援をかけるので、今回は言葉をぶつ切りに発音するか、非常に短い一言を歯切れ良く発する応援スタイルをとる事にしていた。できるだけ男子のレースは女子の黄色い声援を、女子のレースには図太い男子の声をを張り上げるととても目立つ応援となった。


男子50M自由形が無事終わると、400Mメドレーリレーまでだいぶ時間があった。

貴司やテツも引き連れて淳と陽介は会場内を散策した。

全国常連の貴司やテツには知り合いがチラホラいて、淳や陽介もその中学の子達と話をしたり情報交換などを行っていた。大概はどの学校に可愛い子がいるかということだった。

もう2度と会わないかもしれないぜを合言葉に声をかけまくっていた。

陽介は意味もなくサブプールに入り、やってもないレースの感想を女の子語っていたりもした。

自陣に戻ると、それぞれが好みの子の方言で話し始め、女子からは冷たい目で見られた。


レースが近くなり、男女揃ってアップへ向かった。体をならして心拍数を上げたあと、引継ぎの練習を入念に行った。女子のリレーは綾と由香がどれだけトップについて行けるかが鍵となってくる。それは男子も同じで淳と陽介の頑張りがメダルを獲れるか獲れないかという結果を大きく左右する。下馬評では女子の方がメダルに近く、男子は熾烈な3位争いになるだろうというのが大方の予想であった。


アップが終わると軽いミーティングを開き、いままでのレースを踏まえた上での確認作業を行った。

女子の招集が行われ、コスチュームを揃えてレースへ向かった。

最終組の端のコース、第1コースを泳ぐこととなっていた。


メインプールに入場すると大きな歓声に包まれた。すぐさまコース紹介が行われ、皆が手を繋いで両手を挙げた。一番端にいたマリはハシャギながら腰を揺らし、踊るように左手でタオルを振っていた。


第一泳者の背泳ぎの綾は水着になり、合図とともに水に入り、バーを握り、膝を胸へと近づけた。残りのメンバーは綾に楽に泳ぐように伝えていた。用意の合図で体を壁側へ引き付けて、首を少し前へ倒した。スタートの合図がなると、綾は飛び出して行った。綾のスタートは打点が高いのが特徴で左右の足の位置を広めに開けて、力いっぱい後ろへ飛ぶ選手だった。深めに入水するとバサロをテンポ良くコンコンコンと打ち、水から出る15M付近では頃にはトップに立っていた。


腕を回すテンポも良く、50Mのターンでは体一つ出る程リードを広げた。次の平泳ぎの第二泳者である由香はスタート台に立ち、綾の泳ぎを見ていた。まさかトップで帰ってくるとは思っていなかった由香は少し緊張した。ターンの後のバサロが終わり、綾が水から出るとさらに泳ぎは激しくなった。綾の中でもう一つスイッチが入ったかのようにとばして泳いだ。スタート台で待つ由香の中で顧問の宮崎の言葉が再度頭の中をよぎった。ラスト30Mに差し掛かり、勝負どころをむかえた。選手の中でも誰よりも経験が豊富な綾は今まで100Mの練習は何千回と泳いできた。辛くなってから効率的なキックがどれだけ打てるかをずっと課題としていた。


センターコースの泳者が序々に体半分ぐらいに迫ってきていたが、綾は急激な失速をすることなくラスト15Mをきった。杏とマリが由香に一声かけ、由香は頷いていた。台に指をかけて綾の指先に集中した。ゴーグルをさわりフィッティングを再度確かめると少し息を吐いた。ラスト5M。綾はほぼ並ばれたが、わずかにまだリードしていた。由香は序々に体を前に倒し始め、指先を見たまま重心を前にもって行った。大きな歓声が耳に入ってきて離れたセンターコースと凄い接戦であることが由香にも分かっていた。綾は5M地点を表すフラッグを目で確認すると、由香への引き継ぎを考えた。腕を回す回数、ストローク数は狂っていなかった。練習通りならばタッチ寸前で半端なかたちで腕を回さなくても無駄なくタッチできることは分かっていた。


由香は綾のストロークを見て、あと3ストローク目でぴったりタッチだと読めた。綾と由香の呼吸はバッチリ合った。何回も引継ぎの練習をしてきたが、実践に備えてガチンコで泳いで引継ぎを練習していた時があったからだ。指先は見ながらも、読み通りに体を傾け、一瞬でも早くスタートを切る姿勢をとった。綾は最後の腕を振り上げ頭上へ持って行った。全速の状態でタッチし、由香の体は今にもプールに落ちそうな程傾き、ギリギリのタイミングで足を離し、綾の上を高く飛んで行った。



全国大会の会場である、横浜国際プールに7時の到着した。

到着するとすぐにウォーミングアップを行い、心拍数をぐっと高めてレースへの準備へと入った。

レース開始は9:30である。


杏や貴司には全国から集まった選手が注目の眼差しを注いでいる。

普段一緒に練習している陽介や淳にとって、その光景は心地よい物ではあったが、初めての全国大会の会場の雰囲気に多少戸惑っている様子も見受けられた。陽介はアップしながら他のコースを覗き込み、見知らぬ選手の力量などをチェックしたりしていた。


プログラムのトップは花形種目である女子50M自由形予選であった。

杏とマリーンが出場する予定である。2人とも最終組での出場で、杏がセンターコースを泳ぐことになっていた。


続いて、貴司とテツが出場する男子50M自由形予選。そして、初日の締めくくりに、出場者の淳や陽介なども参加する男女のメドレーリレーの予選がひかえていた。


全くといって良いほど緊張していないのがマリーンで、いつも通りペチャクチャ喋りながらアップし、水着もまだ練習用の水着を着用していた。マリーンはジャージといい水着といい、とにかく小まめに着替える選手だった。アップのメニューを終えて、飛び込みのチェックを彼女が行うとスタンドや周囲からザワザワ話し声が聞こえる程彼女は目だっていた。彼女のヘアースタイルを真似ている選手もいたほどである。


杏はいつも通り、淡々とアップをこなしていた。杏はマリーンほど目立つキャラではないが、彼女の身に着ける水着やキャップ、ゴーグル、サンダルなどは密かに話題となっていた。


アップを終えると体を拭き、杏は水着の上からジャージを着ていた。目を瞑り入念に足のストレッチをして貰いながら召集の時間を待った。マリーンは私服に格好に着替えて、ヤスや陽介と方言の話題で盛り上がっていた。


召集時間まで15分となったところでマリーンはレース用の水着にぱぱっと着替えた。物陰に少し隠れて瞬時に着替えてしまうのが彼女の特徴だ。杏とは違い、靴下もTシャツも身に着ける。そしてジャージを上下着て靴を履くのだ。


携帯をいじりながら、杏と談笑を始めた。彼女達はレース前、あの子が可愛いだとか、あの人が格好いい等という品定めの話題がほとんどだった。2人が同じ組で泳ぐことは頻繁にあった。お互いレース前の苛立ちはなく、真剣勝負とはいえ2人の関係は慣れたものだった。


『マリちゃん、この間の人にメールしてんでしょ?』


『正解。明日見に来てくれるらしい。予選は興味ないってさ。』


トオルは明日見に来るようだった。明日は淳の種目である背泳ぎもある。


召集場所に向かった2人は隣同士だ。


『50Mプール、超久しぶりなんですけど。』


『だよね。でも、大丈夫でしょ。すぐ着いちゃうよ。』


2人は泳力に似合わず、長水路に慣れていなかった。特別な施設をかりて練習するということが無かったからだ。お互い、自分の学校の練習以外は外で泳いでいなかった。2人に50Mプールは大きく見えた。


『こら、マリちゃん。もう。レース始まるんだから、後でだよ。』


マリは体をくっつけて隠れるようにして杏に唇を重ねていた。マリは結局、自分のコースに入る手前まで杏の手を握っていた。


1個前の組のレースが終了し、最終組を迎えた。タイム的には平凡なレースであった。2人とも全力を出さなくても予選は突破できるタイムであった。


手を離し、それぞれのコースへ入るとマリは椅子に深く腰掛け、コース紹介を待った。杏はすぐにジャージを脱ぎ、腕を回していた。


杏のコースが紹介されると大きな歓声が沸き、杏は自分の学校の応援の方へ手を振った。マリはゆっくりと靴やジャージを脱ぎ、学校名と名前が呼ばれると、先ほどまでとは打って変わって観客を煽るかのように肘を折り、体の横で手首を2回ほどパタパタとさせた。長くて、柔軟な腕がしなっていた。する杏よりも大きな歓声が会場内に響き渡り、レースの盛り上がりを予感させた。


合図が鳴り、台に上がると選手は一斉に利き足の指をフックさせた。


2人とも頭を垂れて静止していた。


『おお、淳じゃん。ビックリさせんなよ。早く着いちまってさ、校舎ブラブラしてたんだ。何してんのよ?そっちこそ。』


『似たようなもんかな。引き出しあさってんじゃねーよ、変態。』


『あさってないよ、何を言うかね。』


『今、杏が2階にプールの鍵とりに行ってるからもうすぐ開くぜ。』


『杏も来てるんだ。早いね、みんな。』


『久々だな、こんな早いのは。』


『俺もだよ。対馬戦いらいだな。あれ最初、気まずかったよな。』


『最悪だったな。対馬も奇襲してくれれば良かったのによ。見つめ合っちゃってな。朝イチでタイマンなんてするもんじゃねぇな。』


『あれは対馬の作戦勝ちだったよな、色んな意味でよ。そういや、勉強とかしてんの?』


『やってないなぁ。塾行くと朝早いらしいぜ。夏期講習ってやつ。』


『しかも夜までだろ。無理だよな。』


『勉強が楽しければいいけどな。全然分からないとキツイだろうな。』


『お前は頭いいけど、俺とか塾行ったら暇なんだろうな。夕方あたりから腐ってそう。』


『お前、後ろの席でポコチン出してそうだよな。シャーペンで突いて、痛てぇ痛てぇ言ってそう。』


『机の上に無理やり乗っけて、テキストで隠してな。っておい!お前は振り返ってクスクス笑ってるタイプだろうが!このムッツリが。』


『お前、高校いっても水泳やるの?』


『それは、まだ分からんねぇ。もしかしたら、やっちゃうかも。』


『マジかよ。すげ。』


『やめるのかよ?』


『いやいや、俺も未定よ。もしかしたら最後かもな、これが。部活とか、これっきりかも知れないし。』


『うん。俺も同じく。』


杏が教室のドアから顔を出した。手には入り口の鍵や各更衣室の鍵、用具要入れの鍵などが連なった木製のキーホルダーを持っていた。


『おっ、おはよー、いたんだ。鍵持ってきたよ。』


『おっす、どうも!行こうか。』


校舎からプールまで歩き、門の鍵を開けた。陽介は昨晩トオルが吸ったと思われるタバコの吸殻を拾いながら一番後ろを歩いて更衣室へ向かった。


水温の記録や塩素の投入を終えると、30度近い温めのプールに水を少し注ぎ足した。

校庭を3週走り、体操、ストレッチを行いシャワーを浴びた。

すぐにプールに飛び込み、ウォーミングアップしながらメンバーが集まるのを待った。


すぐにキャプテンの貴司や由香、綾などの3年のメンバーが顔を見せ始め、写真を撮り合ったりもした。

貴司が発表した練習内容はいつも通りの基本メニューのみであった。

先に泳いでる者からドンドン始めて、終わり次第上がって良いという指示が出された。


杏と淳が1コースを2人で泳いでいた。通常、淳は2コースを泳ぐことが多く、あまり見ない光景であり新鮮だった。

メニューを終えてゆっくりクールダウンし始め、それぞれが調子を確認しながら明日のレースのイメージを膨らませていた。


先行して泳いでいた者は10時前にはプールから上がり、明日の打ち合わせや、マッサージなどをしていた。


午前11時には皆プールから上がり、着替え終えていた。

明日の集合場所と時間、レース前に必ずしっかりとォーミングアップをするなどの注意事項が告げられ解散となった。



大会前日をむかえた。


朝7時前。いつものごとく暑い。陽介は早めに学校へ歩いて向かった。

季節は違い、街の雰囲気は違うのだが、今の心理状態と似た今年の冬のとある朝の出来事を思い出していた。


毎年、3月の卒業シーズンとなると喧嘩が絶えなかった。特にそれまで大人しかった3年が一気に喧嘩をしだしたり、後輩を殴りまくる時期でもあった。


と、同時にこれから3年になる旧2年の間でも新しい学校内の頂点を決める戦いが勃発する季節である。


CANDYをストップしていた淳も陽介も頂点に君臨する者の候補にリストアップされており、よく喧嘩を売られた。この戦いに参戦しなければしないで残りの1年間、肩身の狭い想いをする羽目になる。


淳にいたっては、色んな噂が飛び交っていた。大したことの無い奴に刺されて泣いて謝っただとか、SCREAMを脱退して今現在は何ら恐れることのない存在だとか。


淳は同学年と喧嘩するよりも卒業していく3年の権力者である親玉的存在の人物を数人狩った。

手っ取り早く、いち早く噂場広まる方法で同学年の別の派閥のトップを牽制し、後は静かに暮らしていた。


とある日、淳と陽介は朝早く、誰も校舎にいない恰好の時間帯に多目的教室で喧嘩することになった。


『あの日も早めに学校に行ったな。そう、こんな感じだった。あれ以来だなぁ。』


喧嘩するのは別の派閥のトップと淳のタイマンであったが、各派閥とも一名ずつその戦いを見届ける人物を用意することとなり、それが陽介であった。


多目的教室は普通の教室と同じ大きさのスペースであるが、生徒の机が置かれていない分、広いスペースであった。先に到着した淳と陽介は、後ろのドアから教室へ入り、一番奥の窓側で待機していた。

数分すると髪の毛が未だ濡れている相手側のトップ、金髪の対馬が一人で入ってきて、変な沈黙が生まれた。


『もう一人は?寺田は来ないのかよ?』


『なんか来れねぇみたいなんだけど。』


『約束が違うじゃねーか。』


お互い何か声を交わそうと思って出た言葉がこれであった。


対馬は教室の前ドアから入って来たので、淳との距離が無意味に空いていた。お互い喧嘩をするタイミングを逃してしまったのだ。淳はベラベラ喋る方ではないので、お互いギクシャクするという最悪の展開になりそうであった。朝早くから俺ら何やってんだと思いながらも、陽介はなんとかお互いに火を点けようと対馬を挑発することとした。


『さっさと来いよ対馬。髪の毛濡れてんぞ、コラ。お前の兄貴、もうハゲてんのな。』


後ろの黒板消しを対馬を目掛けて投げつけた。黒板消しは対馬の横を通り抜け、前の黒板にぶつかり、プラスチックの部分が飛び散った。それと同時に淳の体を前に押し、2人を自然なかたちで喧嘩させようとした。


『テメーは黙ってろ三浦。後で泣かしてやるよ。』


対馬は淳側に歩み寄りながらも、まだお互いの距離は縮まらなかった。


序々に近づき合った2人はようやく、手の届く距離となると2人は陽介をチラリと見た。


『始めろや!』


陽介の声と共に2人の目つきは変わった。


『じゃ、始めるか』


淳はそう言って、挨拶がてらキツメのローキックを放った。対馬が同じように返すと戦いは一気に加熱した。

朝の教室に骨のぶつかる音や頬にパンチが当たる乾いた大きな音や足音、そして互いに吐き出す荒い呼吸の音が飛び回った。勝負は直ぐについた。淳がヘッドロックしながら顔面に放ったパンチで対馬の前歯が床に転がった。ゼエゼエ言いながら対馬は歯の行方を追っていた。


『おい、ちょっとたんま。たんまだ。』


『うるせぇ、バカが。』


淳はロックをさらにきつくして、対馬が喋れぬように喉にパンチを入れ始めた。対馬は泣きが入っており嗚咽を漏らし始めたので、陽介は危険だなと思い淳の手を解いた。ロックが緩むと対馬は床の上に大の字に寝転び近くに落ちていた汚れた雑巾で顔を覆った。


『もうおしまいかよ、対馬。そんなんで喧嘩売られたと思うと、今からキレそうだよ、俺。』


対馬は何も答えずにゼエゼエ息を吐き出していた。


『お前は後何度か殺るからな。今度はもういきなり始まると思え。早くクタバリやがって。かるく前歯は全部無くなるからな。覚えておけ。』


淳特有の追い込みが始まっていた。が、時間が過ぎて昼にもなると違った噂が流れだした。


『対馬は今朝、陽介と淳の2人と喧嘩になって、陽介は倒したが、淳とは引き分けた。』


対馬がデマを流していた。派閥のトップとしてや、女子に対しての面子もあったことだろう。

対馬は顔の傷や前歯が欠けた姿をさらし、昼間からは英雄となった。


2対1の喧嘩の噂や、対馬の姿を見た教師の反応もあって形勢が逆転しそうになっていた。

女子陣は当初淳よりではあったが、2対1の構図の噂が広まると対馬サイドへ流れる者も出てきた。


『もういいや。下らん。』


そう呟いた淳は教室のドア脇の木製の壁を思いっきり殴りつけ、珍しく感情を剥き出しにして授業中に教室から去って行った。それ以来、淳は権力闘争には参加せずに、さらに部活に没頭し、朝練の実施までも提案しだした程であった。


勿論、その後も淳の実力を認める者は大勢いたが、淳は大っぴらに威張ることも無く、もの静かに部活中心の生活を送った。淳には学生生活のコンプレックスとなった一件だったかも知れない。その憂さ晴らしとして部活に熱中しているという意見が大多数であった。


淳は常に上を見てきた。上の世代には滅法強いが、自分と同学年や年下にはあまり関心を示さなかったのだ。この彼の性格が対馬のデマを結果的に招き、いとも簡単に退陣するきっかけにもなっていた。

好きなタイプも精神的に自分より年上な女を好んだ。


早く学校に着きすぎた陽介は開いていた静かな校舎へと入った。

例の多目的教室を覗き、懐かしさに浸った。自分の教室へと戻ると、教卓から自分の席を眺めてみたり、好きな子の引き出しを開けてみた。


『ガラガラかい。』


荷物は殆ど入っておらず、期待はずれであった。

掃除用具入れを見るとボコボコに穴が開いており、無数の傷が刻まれいた。皆、イライラしたり、突発的に殴りたくなったり、暇なときや、パンチ力を誇示したい時など、下らない理由で殴りつけた跡が沢山残っていた。 ふと目を横にやると窓側に高校の学校案内のパンフレットや進路関係の書類の入ったプラスチック製の収納ボックスが3個並んでおり、これが陽介の一番の天敵だ。中の書類を眺めては、プラスチックのボックスを殴り付けた。殴っても殴っても中々壊れなかった。


セミの声しかしない静かな校舎が陽介の衝動をかきたてた。ジャブを数発放った後で、右ストレートでボックスを殴った。

いつもどうり、少しヒビが入ったり、プラスチックの一部分が白くなっただけであった。

しばし眺めた後、そのボックスを片手で放り投げた。


『あーあ。受験かぁ。』


教室を出ようとドアの方を向いた。


『おう。何やってる?』





陽介とトオルは別れた。陽介は覚悟を決めた。

そして、あらかじめ心の準備をしておくこととした。

色んな想いや、過去の出来事が脳裏をかすめた。その数だけアクセルを吹かした。

もういっそのこと一人の世界に行きたいとすら思った。


陽介は泳ぎたくて仕方がなかった。早くレースが行われないかとウズウズしていた。

泳ぎに集中することで、全てを忘れてられる時間が欲しかった。

それが彼のモチベーションとなった。


『もしもし?今平気か?』


陽介はキャプテンの貴司に電話を掛けていた。


『おっ、めずらしいね。何だ気持ちわりぃな。』


『おう、まぁ明日で練習最後だと思ってよ。早えーよな。』


『そうだな。あっけねーな、意外と。終わっても何度かは泳げるとは思うけどな。』


『俺、かっ飛ばそうと思っててよ。』


『うん、ラストだからよ。思いっきり行けよ。』


『声援なんて聞こえないぐらいにな。』


『ははっ。ぶっちゃけ、お前の応援はコース紹介の時だけだぞ。お前が飛び込んだ時点で、俺らはカールでも食ってるよ。』


『うるせー。』


『いちいちフライングすんなよ。俺らの演技も大変だからさ。』


『お前こそフライングで一発退場なんていう締めくくりはやめろよな。』


『大丈夫だ。俺は遅く飛んでも勝てるから。』


『イヤミな野郎だ。余裕たっぷりだな。』


『何かあったのか?』


『うん。まぁなんつーか、色々あったなと思ってな。一応名簿的には1年から所属してたけど、みっちり泳いだのは今シーズンだけかもなって思ってよ。』


『お前らは、そうだよな。宮崎ボコって参加しだしたもんな。』


『宮崎ボコってねーよ。アイツは自爆だ。野球のマウンド上でプレートにつまずいて後ろ向きに転んだんだ。ズルッと真っ逆さまにな。』


『お前ら不良は何かあると、相手が勝手に転んだっていうのな。』


『黙らっしゃい。冬は筋トレだけじゃ退屈だろうと、あの先生がサッカーしようぜって言うもんだから、徹底的にディフェンスした結果そうなった。お前は筋トレの鬼と化していたから真相を知らないと思うが。これマジ。』


『知ってるよ、そんぐらい。宮崎先生も大会来たらいいのにな。』


『ガツンとした泳ぎを見せてやれないのが残念だ。』


『ボッコボコにしたくせに。』


『うるせー。違ぇつってるべ。』


『お前も淳も速くなったよな。特にお前は速くならなかったが、ジリジリ上がってきたもんな。タバコも止めて。集会も止めて。女も止めて。』


『あぁ。』


『あぁじゃねー。女は違うだろ。恋を止めたんだろ?』


『恋はしている。』


『いいよ、聞きたくねぇ。お前の話し切ないもん。』


『色々悪かった。』


『何が?』


『去年とか。退部させられてもおかしくなかった。宮崎も激怒してたらしいし、俺らのせいで優秀なお前らの出場機会を無くすところだった。お前が色々動いてくれたことは聞いていた。が、これといって礼をするわけでも無かったからな。』


『そんなこともあったかなぁ。ってぐらい忘れていた。すまん。どっちにしろ、もう足洗ったんだろ。それでいい。』


『淳が刺されたり、逮捕者が出たり。すまなかった。』


『俺は俺で、関係ない顔をしている時もあった。偉そうなことは言えないよ。多少、中学の評判は落ちたかもかもしれないが、知ったこっちゃないだろ?』


『お前は水泳界じゃ、ちょっとした有名人じゃないか。未来も期待されている。杏にしてもそうだ。』


『まっ、泳ぎを見せつけてばいい。しっかり泳げば。去年の俺らは腐ってたかもしれないが、変わったんだ。しっかりその姿を見せてやろう。リレーだってメダル行けるぞ。絶対獲ろうぜ。カメラにバシバシ映ってよ。せっかくキャップも水着も揃えたことだし。』


『やべーな。キャップ・・・。』


『お前何だっけ?』


『shyboy .』


『きっついな。俺も人のことは言えんが。テツよりましだから良しとしよう。』


『泳ぎ終わったらキャップ脱いじゃえばいいのか。』


『下らない心配してんじゃねーよ。どう?仕上がり具合は?』


『すこぶる良いね。俄然燃えてきた。』


『それは良かった。せいぜい頑張ってくれたまえ。ペッポコスイマー君。』


『あいよ。それでよぉ・・・、多分俺にとって思い出の大会になると思うんだ。全国だしよ。』


『俺にとっても大舞台だよ。』


『人生最大かもしれない。一生忘れられない大会になると思う。』


『そんなに気負うなよ。』


『いい思い出として残したいと思っている。』


『どうした?真面目モードか?』


『この大会が終わったら、俺は・・・、お前に貰ったスイマー人生なんだが、すまないが俺はまた暴れることになるかも知れない。無意味に人を傷つけるとかじゃなくて。

今、すごい葛藤がある。この大会が終わったら俺は再び滅茶苦茶になるかもしれない。お前は俺を嫌うだろう。一度お前に救ってもらっている分、心が痛むが。

だから、予め言っておく。ショックを受けないでくれ、頼む。

この大会だけは良い思い出としてとっておきたい。この気持ちは本心なんだ。どうか忘れないでくれ。俺の今の言葉を信じていてくれ。』


『まだ、足洗ってないんだな?このボケが!』


『消化しきれてない物が残っている。すまない。本当にすまない。大会終了と同時に退部させてくれ。迷惑はかけたくない。』


『好きにしろ。お前の人生だ。俺はもう知らないぞ。』


『すまん。』


『とりあえず分かったよ。とにかく、明日は練習に絶対来い。ラストだ。明日で最後なんだからな。』


『はい。』


『もう、お前らよく分からねーよ。ほんと喧嘩ばっかしやがって。明日は絶対来いよな。シバク!』


『おう、行くよ。』


『淳もか?アイツもなのか?』


『多分、同じ気持ちだと思う。まだ淳には何も言わないでくれ。』


『わかった。よし、わかった。なかなか飲み込めんぞ、よしわかった。よーし。』


『すまんな、ほんとスマン。』


『お前これだけは言っておく。死ぬんじゃねぇ!これだけだ。死ぬなよ、何があっても。お前が死んだら、思い出作っても意味無くなるだろうが。死ぬなよ。たまにはテキトウにやれよ。切羽詰ったら思い出してくれ。』


『最後まですまない。』


『死ねって意味じゃないからな。』


『わかってる。』


『わかってるじゃねーよ。お前は何も分かってねーよ。』


『とりあえず明日な。ばっははーい。』


『うるせっ。それは俺のセリフだ。まぁ、好きにやりなさい。あばよ!』


『あばよ。今までありがとう。』


『おう、死ね!なんてな。あばよ。』


近所をウロウロしながらボソボソと電話を掛けた陽介は、家へと戻った。